10自由落下
馬頭の悪魔オリュフェスが、己の身に起こった異変に気付いたのは、浮遊転移基地『ラズワルド』が降下を始めてしばらくが経った頃だ。
これまで数十、数百の時を水平に保ってきた床は大きく傾き、鳴り止まなかったゴウンゴウンと言う低い音は、いつしか、いつもの半分しか聞こえなくなっていた。
「ふむ、あの者達が何かしでかしたな?」
大きく切れ込んだ馬の口の端を笑みに歪めて、オリュフェスは頭上を仰ぐ。天井、さらにその先の上階へと進んだか弱き人間どもが、長く待ち望んだ変化をもたらしたかと、彼はこみ上げる喜びに打ち震えた。
しかも変化はそれだけではない。
この数百年、彼の身を縛り続けた契約の呪縛が、今や完全ではないにしろ綻んでいるのだ。これは契約の実体である、呪縛結界の崩壊を意味しているのではないだろうか。
「そうか、どうもこの部屋に呪縛用の印が無いと思ったら、この船全体が立体魔法陣であったか」
立体魔方陣は、一般に知られる平面に描かれた魔法陣の発展型魔法陣である。2次元から3次元に変化させる事で、より複雑な術式を実行させ、より強力な魔法を行使する事ができる。その分、制御にもより高度な条件が必須となる。
つまり『ラズワルド』が傾き、降下し始めたことで、その起動維持条件が損なわれたのである。結果、オリュフェスへの呪縛が弱まったという訳だ。
この程度に弱まった呪縛であれば、オリュフェスの力をもってすれば、単体でも打ち破れる。
「どうれ、ひとつ礼でも言ってから帰るとするか」
数百年を過ごしながらも初めてとなる上階への訪問に、この馬頭の悪魔の鼓動は歓喜のリズムを奏でるのだった。
「いいところに来ましたな、悪魔殿!」
諦めを由来とする束の間の静寂を破り、下階に繋がる二重扉から現れたオリュフェスを出迎えたのは、まず歓迎の言葉だった。
青空、改め、曇天の下に次第にスピードを上げて落下を続ける『ラズワルド』船橋は、外の空模様同様にどんよりとしていたが、この悪魔の登場によって、一転、にわかに輝いた。
希望の光をもたらしたのが、世間の常識において闇の象徴である『魔界の一族』であると言う事実は、この際、誰も気に留めない。溺れる者にとっては、掴む藁の種類などどうでもいいのだ。
というか、昨今のファンタジー系の物語では『天使が悪で悪魔が善』と言う逆転劇も多いので、ここに集った日本の現代っ子たちにとって『悪魔は絶対に敵である』と言う認識は薄かったし、元々、オリュフェスの力を利用していた施設の管理者たるティラミスにしてみれば、抵抗感も何も無い。
「よく来てくれた悪魔閣下! 助かるぜ」
「いよっ、悪魔将軍。男前っ」
「早く何とかするにゃ、さくら肉」
次々に上がる礼賛の声に、オリュフェスは気をよくしたり、少しだけ憮然としながらも、悠然とした動作で、傾くドーム部屋の床へと登り立った。
「要するにおぬしらは、我に助けを求めてる、と言う事であるな?」
なるほど、とオリュフェスは納得気味に馬頭を揺らす。察するに、この浮遊船は壊れ、墜落中のようだ。自分は能力を使えばなんとでもなるが、このまま地上へ落下すれば、か弱き人間などひとたまりも無いだろう。などと哀れな連中を見回した。
どの瞳にも命に対する諦めと、馬頭の悪魔への僅かな期待が満ちていた。
「ふむ、よかろう。我は大変気分がいいのだ」
オリュフェスは床の斜度など無いかの様に、仁王立ちで鷹揚に頷く。そして右手の指を3本立てて突き出した。
「三つである。おぬしらへの礼も兼ねて、三つ、願いを聞き届けよう」
「酒! お酒!」
間髪いれずに声を上げたのは、白い法衣の乙女モルトである。アルトなどは、オリュフェスの言葉に思わずガッツポーズをとったが、直後に飛び込んできたモルトの台詞でバランスを崩して壁際まで転げた。当然、アルトのズボンにしがみついていたマーベルも諸共である。
「自重してくだされ、モルト殿」
「いややー、もう何日もまともに飲んでへんもーん。シラフやもーん」
続いて駄々っ子と化したモルトが、傾いた床を転げまわり、終点の壁際に激突する。これでも女子大生である。
「三つの願い、と言っても、オリュフェスさんの能力の範囲ですよ」
GMらしく補足を入れつつ、バタバタと乱れた室内の気流と重力に翻弄されながら、薄茶色の宝珠が右へ左へと飛び交う。ゴツンゴツンと壁や床でバウンドするのだが、無機物なので別に痛くないらしい。
「し、下だ。とにかくオレたちを下に降ろしてくれ。このままじゃ墜落死だぜ」
透明な壁際から見下ろす海面と海岸線は、刻一刻と迫るばかり。彼らに残された時間がどれだけあるのかわからないが、それほど多くは無いのだけは確かだ。
そのタイムリミットの先にあるのは、圧死か溺死か、想像するだけでアルトの肌は泡立った。
「その願い、確かに聞き届けた」
馬頭の瞳が赤く光り、声高らかに嘶きが上がった。同時に、オリュフェスは胸の前で組んでいた腕を解き、右の掌を傾く床に押し付ける。するとどうだ、その掌を中心に、ナトリの屋敷で見たのと同じ、青白い魔法陣が現れたではないか。
「行くぞ、歯を食い縛っておれ」
オリュフェスがドーム部屋を所狭しと駆け巡る。その速さときたら閃光か達急動もかくやあらむ。
さて駆けた馬頭が何をしたかと言うと、次々にアルトたちを小脇に抱え、その端から床に固定された青白い魔法陣へと放り込むのだ。放り込まれたアルトたちは、間髪入れずにズブズブと床に吸い込まれる。まるで底なし沼に飲み込まれるかのように。
最後に小さな人工知能搭載型ゴーレムのティラミスをつまんで放り込み、オリュフェスは自らも魔法陣へと飛び込んだ。
そうして船橋に残ったのは静寂だけとなり、浮遊転移基地『ラズワルド』の命運も、残すところ後わずかとなった。
海面上2メートル程度の虚空に、唐突に現れた魔法陣からアルトたちは次々と吐き出され、何の準備も無いままに水の中へと飛び込むハメになった。
はからずもトップを切って飛び込んだアルトは、溺れまいと必死に水をかき沈み行く身体を上へ上へと押し上げるが、『鎖帷子』の重さはそう簡単ではない。さらに何とか上方へ向かい始めた瞬間に、真上から仲間たちが次々と降り注ぐのだ。
具体的に言えば、まず飛び込んだ時に『鎧着用によるペナルティ』を加味した水泳ロール。その直後から仲間のダイビングアタックを浴びる度にペナルティを増して再ロールの連続だ。溺れるなという方が無理である。
それでも「なにくそと」と気合を込めて海面へ飛び出てみれば、トドメにオリュフェスが降って来た。2メートルを越す巨身から繰り出されたケツ圧を浴び、ついには目に見えぬロールに失敗し、アルトは暗い海中へと沈み行くのだった。
「おお、アルト殿が沈んでゆきますぞ」
「え、あっ、アル君が、しっかりせーっ。なんて事するんやこの悪魔っ!」
「はっはっは、いかにも悪魔であるが。いやしかし事故である。スマヌスマヌ」
「朗らかに笑ってる場合じゃないにゃ」
海面に漂いながら、沈み行くサムライを臨み喧々囂々だ。各人、アルトに比べれば格段に軽い鎧しかつけていなかったこともあり、何とか溺れずに済んだのだが、だからと言って『鎖帷子』という重りを抱えるアルトを救出できるかと言えば無理がある。ピンチの後にまたピンチ。そして更なるピンチが彼らには迫っていた。
「各々方、ノンビリしていると潰されるであります!」
一同の立ち泳ぎで描く円陣の真ん中で、薄茶色の宝珠を浮き袋代わりにした小さき少女が天を指し示す。指先に請われて仰ぎ見れば、そこには重力に囚われた哀れで巨大なレンガ造りの塊が、ゴウと激しい風切り音と共に迫っていた。
「『ラズワルド』!」
一同が驚愕に声を上げる。転移によって脱出したその先は、『ラズワルド』の真下、落下地点だ。
「しかし『下に降ろしてくれ』との願いであったろう?」
1人だけ慌てず騒がずにいた馬頭の悪魔のこの言葉に、各々は一様に目を点にする。確かにアルトはそう願った。なら、今、沈み行く彼は自業自得と言う事だろうか。そして成す術も無く、彼らは結局跡形もなくなってしまうのだろうか。
「そんなの嫌にゃーっ。さくら肉!」
「む?」
迷っている暇も、途方にくれる間も無い。兵は拙速を尊ぶ、と言うが、決断もまた然り。マーベルはそこにいた誰よりも早く、叫びを上げた。
「二つ目にゃ。アタシたち全員を、今すぐ、あの岸まで移動にゃ」
「承知した」
マーベルが指差したのは、約2キロメートル離れた海岸線。かくして、沈んだアルトを含めた一同は、再度の転移により危機を脱する事に成功した。
大きな本棚の間に設えられた無機質なデザインの四角いテーブルで、彼はまどろみの中から目を開けた。
そこはすでに懐かしくもある、彼、アルトが元の世界で通っていた高校の図書室だ。
数十年という学校の歴史と共に歩んできたと思われる、古びたテーブルの傷を、アルトはぼんやりとなぞりながら、伏せた頭を上げもせずに視線を巡らせた。
誰もいない静かな場所。カーテンの隙間からは、緩やかな日が差し込んでいる。
いったい今は何時だろうか。図書委員の息遣いすら感じられないところを見ると、もしかすると授業中なのかもしれない。
まさか昼寝のつもりが、つい深寝してしまったのだろうか。
思えば、昼休みと言えばいつもここで読書か昼寝をしていた。もともと人も少なく、席はいくらでも空いていたので、誰にも咎められた事はない。というか、ここで過ごす誰もが、他人に興味を抱かない。その心地良さがあるからこそ、彼はいつもここへやってきたのだ。
孤独は退屈だ。だが、人間関係の煩わしさよりはマシだと思った。自分はいつからこんな風に枯れてしまったのだろう。
面倒そうに頭を起こし、大きく伸びをしてから、ゆっくりと椅子の背もたれに身を預ける。
高校に入学した時は、もう少し精力的に動き回っていたような気がする。
部活にも入った。天文部だ。特に星が好きだったわけではなかったけど、居心地は良かった。だがそれも、幽霊部員だった名も知らない先輩が、部室で煙草を吸ったことを発端として、無期活動停止の処分を言い渡された。
それ以来、アルトは帰宅部として、学校では図書室に通い、家ではインターネットとゲームと言う生活を漫然と過ごした。
ネットで『求むTRPGプレイヤー』の記事を見つけたのも偶然だ。
「あれ?」
そこでアルトは回転速度の上がらない脳に、ひとつの疑問を浮かべた。
『求むTRPGプレイヤー』の記事を暇に飽きていた頃に見つけて、試しに応募したのは確かな記憶で、さらに記憶が正しければ、彼はこんなところで、詰襟の学生服を着てノンビリ昼寝をしている筈が無いのである。
さらに言うなら、そもそも自分が認識している自分の名前『アルト・ライナー』は、本当の名前ではなく、あくまでTRPGで遊ぶ為に作ったキャラクターの名前だったはずだ。
これは夢だ。そう知覚した途端、彼は夢幻の如き現実へと覚醒していった。
目を開ける前にアルトが感じたのは、まずザーと言う穏やかな波の音と、自らが横たわる、湿った砂浜だった。
「おや、目を覚ましましたか。気分は悪くありませんかな?」
すぐ横から、ここ2ヶ月ですっかり聞きなれた中年の声がする。ゆっくりと目を開けて見れば、頭上には灰色の雲交じりの空と、カストロ髭のドワーフが見えた。
「あれ、オレどうしたんだっけ?」
呟いてから、覚め行く脳裏に『溺れた』記憶が蘇り身を強張らせる。
慌てて半身を起こしてみるが、全身ずぶ濡れである以外、特に支障が無いことを確認すると、アルトは安堵の息を吐いた。
「オリュフェス殿のおかげで、何とか無事に済みましたな。いやーワタクシたちは運がいい」
レッドグースはおどけて言うが、雲の隙間から覗く青空と、沖合いに突き刺さった浮遊転移基地を仰ぎ見て、アルトはゾッと身震いをした。
5000メートルの遥か天空から、あの巨大な建造物と共に落下したのだから、こうして命があるだけ奇跡のようなめぐり合わせである。何かが少しだけ違っていたら、あの瓦礫の下で永遠に浮かぶことなく眠ることになっただろう。
アルトはもう一度、安堵の溜息を吐いた。
「おやアルト殿、どうも浮かない顔をしておりますな? ならアレを見て元気出すと良いですぞ」
そんなアルトの様子に、レッドグースが目を細めてニヤニヤとした笑みを浮かべる。
首をかしげながらアルトが彼の指す手の先を視線で追うと、そこには視覚的楽園が広がっていた。
砂浜の波打ち際である。寄せては返す穏やかな波間に、二人の乙女が戯れていた。
一人はは明るい茶色の髪をハーフアップに結ったモルトだ。彼女は丈の短いタイトなタンクトップにビキニのボトムを合わせた、通称タンキニと呼ばれる水着をまとっている。どちらも、彼女のイメージに良く合う白だ。
その胸元では隠しきれない豊満な2つの隆起が激しく自己を主張するように、彼女が駆ける度に上下に揺れた。またこの2ヶ月の粗食の為、さらにくびれを増したウエストとの対比から、もはや芸術的なプロポーションと言えるだろう。
よく『ダイエットすると、まず胸からしぼむ』と言われるが、彼女においては当てはまらないようだ。
もう一人は長い金の髪を、高い位置でポニーテールに結び、その両側にねこ耳を揺らすマーベルだ。彼女は上下共に草色の、バンドゥビキニと呼ばれるチューブトップとビキニボトムを合わせた水着を着ていた。
モルトと比べると凹凸がまったく無いと言える身体のラインも、よく見れば思春期前の少女の柔らかで滑らかでスッキリとした曲線が美しかった。あまりにスッキリ過ぎて、チューブトップがいつずり下がってしまうか、見ている方も気が気でない。なかなかスリリングでもある。
先に二人と言ったが、実はもう一人いる。
遠くからだとモルトの髪飾りか何かかと見間違えてしまうが、身長14センチメートル程の小人少女が、モルトの頭に乗っていた。小豆色と深緑のスプライトのワンピース水着を身につけたその少女は、水着姿でもこげ茶色のショートヘアに飛行帽とゴーグルを装着している。墜落した『ラズワルド』管理人だった、人工知能搭載型ゴーレムのティラミスだ。彼女もまた、二人と共に楽しげに戯れる、楽園の妖精の一員である。
「どうです。すばらしい光景でしょう?」
別にレッドグースの手柄ではないと言うのに、妙に誇らしげな態度だった。だが、その景色に見入ってしまい、頬と胸とそれ以外を熱くするアルトの耳には、そんな自慢気な音は届かなかった。
「いや、つーか、あの水着どっから出てきたんだよ」
しばしポーっと眺めてからアルトはハッとした。そもそも現代社会の水着は、素材的にとても高度な技術を使用していると聞く。その様な水着が、何故ここにあるのか。
その回答は、やはりレッドグースの隣で、楽園の光景を眺めていた薄茶色の宝珠が、自信アリ気に言い放った。
「元GMの権限をフルに活用して、『持っていた』ことにしました」
この丸い無機物から鼻息が聞こえてきそうな勢いである。
「いい加減な世界だなぁ」
いくら大勢に影響はないとはいえ、ちょっと遊びすぎなマスタリングである。
自らが生きる現実世界でもあるが、所詮はゲーム世界なのか、と、アルトは呆れて、つい微笑を浮かべるのだった。
「それにしても」
楽園の妖精さんからひと時も目を離さぬまま、アルトがふと話し出す。
「水着ってスゴイよな」
「と、いいますと?」
相槌を打つのは薄茶色の宝珠。レッドグースもまた、黙って耳を傾けているのが判ったので、アルトは続きを語りだした。
「だってアレ、ほとんど下着じゃん? 男物に至ってはパンいち状態だぜ?」
語った、などと言うには少々短く、しかも仕様もない内容だった。だが、男衆は一様に真剣だ。
「ふ、若いですな。水着と下着には越えがたい壁があるのですぞ」
しばしの沈黙の後、レッドグースが真剣な目つきから一転、鼻で笑った。
「ジュニアアイドル系のグラビアに『擬似パンチラ』というジャンルがありますな?」
「あ?」
「あーはいはい。下着代わりに白のビキニ着てるヤツですね」
「そうそう。それでパンチラ風グラビアに仕立て上げるわけで。脱法的に。しかしアレはもう、ひと目でわかりますぞ。質感的に、厚み的に」
もともと微熱を帯びていたアルトもすっかりドン引きだ。高い熱を帯びた中年たちの会話に、もはやなんと反応していいか判らないアルトであった。
さて、砂浜で膝を抱えた二人の男と球状の無機物が、波間に戯れる妖精さんたちを眺めて時間を忘れている間に、実際には陽が夕方シフトに傾く程度には時が経った。
こうなると、さすがにまだ夏には早い季節なだけに肌寒い。妖精さんたちは物質界に立ち戻るため、木陰に隠れて水着を着替た。
すっかりいつも通りとなったモルト、マーベル両名と、新顔であるティラミスが、荷物番を兼ねていたホクホク顔の見学者たちと合流したのは、昼と夜が混ざる、紫色の空が水平線に見えた頃だった。
「ほな、これからどうしよか?」
白い法衣の上に『胸部鎧』を身につけたモルトが、背にリュックを背負いながら言う。まるで学校帰りに「どこ寄ろか?」とでも言う程度の気安さだ。
「ティラミスは兄貴たちについて行くでありますよ。仕事、無くなったでありますし」
居をアルトの頭上に変えた、小さな少女がまず応えた。彼女の仕事とは、浮遊転移基地『ラズワルド』の管理だったので、『ラズワルド』が墜落した今、もはややることがないのだろう。
それはそれとして残骸の管理などはしなくていいのだろうか。魔法結晶体による海洋汚染とか大丈夫だろうか。などと、口には出せぬ不安に、冷や汗を一筋垂らすレッドグースであった。
「で、ここはどこにゃ?」
「アルセリア島の西海岸ですね。皆さんが目指していたレナスから西に約15キロメートル程度でしょうか」
レナスはアルセリア島北部の東西に走る街道の、西の終着点にある都市だ。ニューガルズ公国で広く信仰される『ラ・ガイン教会』発祥地でもある為、聖都の二つ名でも知られている。
一同はしばし思考の海へ潜ろうと言葉をとめた。
彼らは、別に聖都レナスに用事があったわけではない。ただ殺人容疑の為、追っ手から逃げていたら、結果的にその先に聖都レナスがあっただけだ。
だが彼らを追う『ラ・ガイン教会』の聖地でもあるレナスに入れば、より高い危険が彼らを待ち受けているだろうことは想像に難くない。
今、結果的に聖都レナスを通り過ぎた西海岸にいると言う。ならば聖都レナスは素通りで、このまま南へ向かうのが得策ではないだろうか。
誰の脳裏にも同じ思いがひらめいていたが、誰もが決定的な言を避けていた。
地図を見ても、ここから南はなぜか街道がない。レギ帝国領の街まで行けば、また街道が描かれているが、そこまでは草原か荒野が広がるばかりだ。旅路もこれまでより困難となるだろう。それでも行くしかないのだ。
「よし、行こう、南へ」
誰もが、自分以外の誰かが言うことを待っている。仕方なく、アルトは決心してそう宣言した。モルトも、マーベルも、レッドグースも、一様に頷くことで応える。
「南、でありますか。兄貴たちならあるいは、そういう道もあるやも、であります」
そのティラミスの不吉なつぶやきは、残念ながら誰の耳にも入らなかった。
「ほな、今日はここでキャンプして、明日出発やな」
少し重くなった空気を払拭するように、モルトはパンと手を叩く。それに呼応するようにレッドグースもまた、努めて明るく、勢いよく立ち上がった。
「いやいや、砂浜でのキャンプは少々不安がありますな。海岸をもう少し行って、良いところを探しましょうぞ」
特に反対する理由もないので、全員一致でそう決まり、各々は自分の荷を背負い、いざ宿営地探しへ、と一歩踏み出した。
その時だ。視線方向数十メートル先で火が灯った。もう彼らにもお馴染みの松明の火だ。
「にゃ?」
不意のことに、ついマーベルが声をもらす。と、その途端、矢継ぎ早に灯が増殖する。前方だけではない、彼らを囲むように、あちらこちらと海岸に灯ったのだ。その数、手早く数えて18。
灯りに照らされた一団は、各々が『鎖帷子』に『両刃の長剣』、左手には松明と『円形の小盾』を構えていた。
「教会警護隊にゃ」
もっとも遠目の利くマーベルには、『円形の小盾』に刻まれた山十字の紋章がハッキリと見えていた。




