最終話ラストバトルは終わらない
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして異世界の悪神ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追いやはり異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
全8階層に及ぶ迷宮攻略を進めながらアスカ隊、ドリー隊、ルクス隊を加えて合同4隊となった一行は、迷宮攻略の期限である3月21日、最後の階層へと身を投じる。
しかしアルト隊以外の者たちはたちまち敗北し、ヴァナルガンドの腹へと消えた。
残ったアルト隊も戦いを挑むが、その絶望的な実力差をまざまざと見せつけられる。
このまま戦っても勝ち目はない。
そう判断したカリストは、自分の身を挺した転移魔法を使い、アルトたちを迷宮の外へと逃がした。
だがヴァナルガンドの追跡によって、アルト隊は次々に飲み込まれていくだけだった。
そして、最後にアルトを飲み込んだヴァナルガンドの前に、彼の仇敵ウォーデン老とその弟子ハリエットが姿を見せる。
さて。
「爺とその弟子だと? 今更なんだというのだ」
銀毛の大狼、異世界の悪神、様々な二つ名で呼ばれるヴァナルガンドが、突然現れた仇敵に狼狽する。
が、すぐにかの老人がすでにほとんどの力を失っていることを思い出して口元を歪めた。
「そうだ、先日の戦いで弄ってやったのだ。俺が、この俺が!」
ヴァナルガンドは自分の記憶を辿り、そして獰猛な笑みを浮かべる。
そう、おおよそ数週間前。
つまりアルトたちが迷宮に挑む原因となった戦いにおいて、ウォーデン老は多くの力をこの大狼に喰われたのだ。
ゆえにここへ仇敵たる師弟が現れたからと言って、ヴァナルガンドが負けるわけがないのだ。
そう、思った矢先のことであった。
「……俺が?」
急に、そのたった数週間前の記憶がおぼろげな霞となってかき消えた。
「何が、どうなって……?」
困惑、そして眼前にいる仇敵をもう一度見る。
「きさまら、いったい何をした!」
常人であればそれだけで身がすくみ震え上がるであろう恐ろし気な咆哮のような叫びだが、すでに半身を失った老いぼれ神であるウォーデンは鼻で笑って首を振った。
「ワシが言わずとも、もうじきその身が思い知るじゃろ。もっとも、何が起きたのかは理解できんかもしれんがの」
言われるうちにヴァナルガンドの記憶がボロボロと剥がれ落ちる。
迷宮の奥でアスカ隊をはじめとした冒険者どもを迎え討ったことを始めとし、その穴倉でアルトたちの迷宮攻略を眺めていたことや、そもそもその迷宮の事などである。
そしてヴァナルガンドの巨体が霞むほどのまばゆい光が辺りを飲み込んだ。
かと思えばその光はすぐさま収束し、ヴァナルガンドと錬金術師弟以外に誰もいなかった草原に、倒れ伏す人影が大量に現れた。
大は人間サイズから小は人形サイズまで、数にして20の人影だ。
「う、うーん、もう朝? もう少し……」
全身鎧の戦乙女然としたアスカが目をこすりながら半身起こしハッとする。
目覚め、急いで周りを見回せば彼女の仲間とそれ以外の大勢が、全身無事な態で草原に寝転がっていた。
「いったい何が。私は確か、あの獣神に負けて?」
喰われたのだ。
彼女を筆頭とするアスカ隊は、一番初めにヴァナルガンドの間を引き当てて敗北し、そして全員が喰われたのだった。
アスカはそれを思い出して顔面蒼白にし、そして五体満足な状態でこんな場所に寝ていることを怪訝に思った。
何が起こったのか。
ただそれは彼女だけではなかった。
次々に目を覚まして身体を起こす冒険者たちが、現状を把握しようとザワザワし始めた。
そんな冒険者たちを満足そうに見守るウォーデン老とハリエット嬢。
呆然と、そして驚愕に目を見開いて見るヴァナルガンド。
特にヴァナルガンドは抜け落ちたここ数週間の記憶と、今しがたまであったはずの力を失ったことに対する困惑で絶句していた。
「カイン、何があったかわかるか?」
「いやさすがに判断材料が少なすぎる。が、おそらく我々より後に挑んだ者が何かしたのだろう」
そう、ドリー隊も喰われたはずだったからだ。
敗北を喫し、飲み込まれた者には状況を打破することなどできはしないのだ。
そんな会話を聞きつけ、それぞれの視線は順に巡ってアルト隊へと向いた。
「僕は一番初めに喰われたからね。違うよ?」
視線を浴び、黒い外套に身を包んだメガネの青年魔導士が肩をすくめてそう言った。
「ウチは少なくともおっちゃんよりは先やろ?」
「そうですな。ワタクシも頑張ったのですが、最後には飲まれましたな」
続いて視線をかわすように白い法衣を着た乙女神官モルトや、ドワーフ楽師レッドグースが首を振る。
そうすると答えを求める視線はねこ耳童女マーベルと、金緑色に輝く『ミスリル銀の鎖帷子』を着こんだ少年サムライ、アルトへと注がれる。
マーベルは視線などモノともしない笑顔で胸を張る。
「アタシはアっくんの目の前で喰われたにゃ。最後に残ったのはアっくんにゃ!」
ドヤァという幻聴が聞こえそうなほどのドヤ顔でマーベルが言うものだから、すべての視線がアルトに突き刺さった。
すべて、というからには冒険者たちだけではなく、ヴァナルガンドも、そしてウォーデンやハリエットの視線もだ。
そんな中、ウォーデンは微笑まし気に髭を揺らして頷き、ハリエットは親指を立て見せた。
「え、オレェェェェ!」
当のアルトは戸惑うばかりだ。
なぜなら、彼もまたなぜこうなったのか一切心当たり無かったからだ。
いや、あえて言うなら、生暖かい笑顔を向ける錬金師弟が犯人に違いない。
だが、それをアルトが言い出すより早く、マーベルが声を上げた。
「最後まで残っていたのがアっくんにゃ。アっくんが何かやってくれたにゃ!」
「うひゃー、さすがアル君や。後で頭なでなでしたるで!」
そこにモルトまでが賞賛の言葉を混ぜるもんだから、もう収拾がつかない。
他の誰もが「よくやった」「ありがとう」などと言い出した。
ひどい濡れ衣だ!
とアルトは大声で叫びたかったが、背後に回ったウォーデン老に止められた。
「まぁ良いではないか。そんな事より、ほれ。早うトドメを刺さねば」
言われ、彼の視線を追えば、狼狽えつつも気を取り直しそうなヴァナルガンドが見えた。
そうだ、何が何だかわからないけど、このチャンスにアイツを叩かねば。
アルトが使命感に眉を引き締め、そして草原に放り出されていた『蛍丸』を拾い上げる。
「みんな、喜ぶのはまだ早いぜ。今度こそみんなでアイツを仕留める!」
アルトのそんな言葉で賞賛の騒ぎはピタリと止まり、そして各々は各々の得物を手に立ち上がり構えた。
誰もが、ヴァナルガンドに喰われた恨みがあるのだ。
誰の目にも、必殺の念を込めた光が宿っていた。
ヴァナルガンドは困惑していた。
記憶が確かなのはアルセリア島の北東外れで爺どもと戦い、そして『束縛機構』とやらに捕らわれて永遠の獄に繋がれようという寸前までだ。
この草原がどこなのかわからないが、忌まわしい雷の檻がないところを見れば、どうにか危機を脱したのだろう。
だが、あの獄によって受けたダメージは大きく、このまま再びウォーデンとやり合って、果たして勝てるのかどうか。
たとえウォーデンもまた、多くの力を失っている状態だったとしてもだ。
なにせあの爺は100近い二つ名を持つ万能者であり、彼の世界の主たる神なのだ。
ともかく、欠損した記憶を取り戻さねば話にならない。
冷静にそう判断し、ヴァナルガンドは多次元記録領域へアクセスすることにした。
多次元記録領域とは、ヴァナルガンドの父神であるフヴェズルングの発明の一つである。
様々な悪知恵と悪事によって、時に投獄され時に追われたフヴェズルングは、己がいかなる状況下になったとしても判断を見失うことのないようにと、自らの記憶や状態の記録を己以外に保存し、読むことが出来るようにと失われることのない特異次元に置いた。
それが多次元記録領域である。
これをヴァナルガンドもまた、元の世界から逃げ出す際に用いた。
世界が変われば何が起こるかわからない。
ゆえに弟妹より勧められたのだ。
以来、ヴァナルガンドのあらゆる万象は、多次元記録領域に記録されている。
ただ、これにアクセスするのは大きな力を代償とされ、そしてそのくせ、すべてを読み取ることが難しいのだ。
ヴァナルガンドは心を精いっぱい落ち着けようと呼吸を深く吐き、そして多次元記録領域へ接触した。
脳裏に甦るのは、元の世界を出てからの様々な出来事。
新宿駅におけるキヨタヒロムとの出会い。
あの世界から逃げたがっていたギャリソンを拾ったこと。
キヨタの言葉を採用し世界を創造したこと。
この数百年で実に様々なことがあった。
だが、最も彼の脳裏に、強烈にフラッシュバックしたのは、そのどれでもなかった。
彼の脳を揺さぶった記憶、それは直近にあった少年アルトとの会話であった。
様々なことを思い出し、そして改めて周りを見る。
力の大半を失っている仇敵ウォーデン。
その弟子であり『束縛機構』の起動制御装置でもあるハリエット。
そして多くの力ある人間たち。
どの顔も、ヴァナルガンドを弑てやろうという気概に満ちていた。
『神は死んだ』
またアルトの語った言葉が彼の脳裏に甦る。
神は不滅である。
であるからこそ、彼ら悪神は傍若無人に振舞える。
だが、この世界において神は永遠の存在ではなかったとしたら?
ブルリと全身が震えた。
氷原の悪魔とも呼ばれることもある北限で生まれた大狼が、凍るような背筋の閃きに震えたのだ。
「死ぬ、だと? 俺が?」
彼はこの時、明確に死への恐怖を自覚した。
そしてヴァナルガンドは、もう化け物ではなくなってしまったのだ。
ヴァナルガンドが戦意を喪失したことで戦いは終わりをつげ、世界は救われた。
拍子抜けも良い所だ、などと思うものはここにはいなかった。
これまで長い苦労の連続であり、戦いの矢面に立ってきた冒険者たちにしてみれば「やっと終わったか」という思いの方が先に立ったからだ。
そして、戦いが終わったとなれば次に頭に浮かぶのは報酬のお話である。
というわけで、草原の真ん中にて、ハリエットを取り囲んだ面々によって報酬の相談会が開かれている。
ニューガルズ公国の王族に連なる血を持つ黒髪の剣士ドリーなどは、自分が喰われた間に滅びたアルパの街の保証などについても何とかしてもらおうと息巻いていた。
アルトは、そんな相談を隊メンバーに任せ、これまた金勘定は弟子に一任しているウォーデン老の肩を掴んで気分的に日陰となる場所へとコソコソ連れ出した。
気分的に、というのがミソである。
木でさえまばらにしか無い草原で、彼の求める日陰など存在しないのだ。
「なんじゃ、ワシは金などもっとらんぞ? 跳ねとくか?」
「いやカツアゲじゃないから」
暢気な物言いに脱力しつつ、アルトは本題を切り出す。
「で? いったい何やったんだ」
「ふむ?」
が、すぐ聞かれていることに心当たり無し、とばかりに首をかしげる。
アルトはじれったい気持ちを抱きつつも、心を落ち着けるように深呼吸して問い直した。
「だから、全員喰われたはずなのに、なんでオレたち生きて外に出てんだ、ってこと」
「おお、それな」
このすっとぼけ爺が、と思わんでもないが、それでも助かったのはこの師弟のおかげであるはずなのでグッとこらえる。
こらえて、視線だけでジッと返答が来るのをひたすら待った。
ウォーデン老はしばし考えるようなそぶりをしてから諦めたようにため息をついた。
「ヴァナルガンドの戦意を挫いたのは、まぎれもなくお主から聞いた話のようじゃし? 殊勲一等ということで良いじゃろうに」
そう呟いてから、懐から薬袋のようなものを取り出した。
「これを使ったんじゃよ」
袋を渡されたアルトは「?」と表情に浮かべつつ開いてみる。
中には直径5センチメートルはあろうかという大きなピンク色の錠剤が一つだけ入っていた。
「これは?」
「なんじゃ知らんのか。ハリエットは一度おぬしらに頼まれて作ったと言っておったがのう」
そう言われても、ちっとも記憶に引っかからなかったので、アルトは大きな錠剤を透かして見たりしながら眺めた。
ウォーデン老は静かにその錠剤のことを話し出した。
「それの名前は『ウルザブルン』と言ってな、特定の場所や人物の重ねて来た時間を、少しだけ巻き戻してなかったことにしてしまう錬金術の秘宝の一つじゃな」
言われて、アルトもピンときた。
以前、アルトたちが港町ボーウェンに着いたばかりのころの話だ。
仕事でアスカ隊と組むことになったところで、アルトの致命的失敗から金髪の魔法少女マリオンをぶっ刺してしまったことがあった。
命に関しては助かったが、それらで発生した諸々を解決するためにハリエットが作成したのがこれであった。
ついぞその姿や名前をきいていなかった為、分からなかったのだ。
「あー、あれか。でも材料にたしか……」
そう、『時戻りの秘薬』を作るためには、『アヴァロンアバルの葉』が必要であったはずだ。
だが以前アルトたちが採取に使ったその木は、古エルフのぐーたら姫アルメニカが妖精界を閉じたことで失われたはずだった。
そこまで思い出して、もう一つ近い記憶が浮かんだ。
「そうか。第3階層で似たようなの見つけて、ハリエットさんに渡したっけ」
「正解じゃ」
「なるほどなぁ。いざという時の為に『時戻りの秘薬』を作り、そして皆が負けたタイミングで飲ませたというわけか」
ふむふむ、とスッキリ納得した顔で頷くアルトだったが、なぜかウォーデン老はついと目をそらした。
特に話におかしな点はなかったよな、と思いつつ、アルトは目線で老人を追う。
ウォーデン老は仕方ないと観念して気まずそうな理由を口に乗せた。
「ワシらが飲ませたんじゃない。お主がな、その、お主の荷物に入ってたんじゃよ」
「……『時戻りの秘薬』が!?」
なぜ! と疑問を口にして、直後にピンときた。
アルトはつまり、『時戻りの秘薬』を喰わせるためのエサとして使われたわけだ。
まぁ、結果的に助かったのだから文句も言い辛い。
ここまで作戦のうちなら大した策略家だ。
「それにしたって、よくそんな都合良くいったもんだ」
結果は大成功と終ったのでいいが、もしヴァナルガンドがグルメぶって身包み剥いでから喰ったら効果は発揮しなかったはずなのだ。
と、その疑問には、いつの間にか背後にやってきたレッドグースが答えてくれた。
「ま、そこはワタクシが喰われる前に『英雄ポイント』使いましたからな」
「ひーろーぽいんと?」
聞き返すこの声は、アルトと、そしてウォーデンのモノが重なった。
レッドグースは自分の仕掛けで誰かが驚くのが楽しいらしく、満足そうにうなずいて答えを口にした。
「ほれ、最後の日の朝に『吟遊詩人』10レベルになった、と言ったでありましょう?」
「ああ、オレは『もっといい使い方しろよ』って言ったような気がするな」
話を聞きながらアルトは今朝のことを思い出す。
最後のアタックを前に経験点が配布され、彼らは各々がレベルアップしたのだ。
「10レベルというのはこの世界では『英雄』と呼ばれる、他とは一線を画す存在だ、話しましたな?」
「ああ、聞いた気がする。そりゃ強い奴が讃えられるのは当たり前だし。それが?」
「メリクルリングRPGにおいて10レベル超の『英雄』とは、アルト殿の言う栄誉あるという意味での英雄ではないのですな」
この説明に、怪訝そうに眉をひそめたアルトはなんとなしに解かった気がした。
そう、『メリクルリングRPG』の名が出たからだ。
つまりルール上、『英雄』には何か特典があるということなのだろう。
「察したようですな。
そう、ワタクシ、ヴァ様に喰われる直前、『英雄ポイント』を使って願ったのですな。
『最後には逆転しますように』……と」
ヒーローポイントの歴史は意外と古い。
最初にこのシステムが採用されたのは1983年に登場した『ジェームスボンド007RPG』である。
このシステムは、つまり主人公たるプレイヤーがシビアなサイコロだけで行く末を決定されることに対し、主人公らしい活躍をさせるための能力だ。
言い換えれば『主人公にとって主人公らしいご都合主義的な活躍ができる』ということである。
例えば、非常に難しいスナイピングを、ここぞという時に絶対成功させる。
例えば、超難解な謎解きを神がかり的なひらめきと推理で解き明かす。
そこでレッドグースはメリクルリングRPGにも実装されていた、この『英雄ポイント』を使い、ダメ元で願ったのだ。
果たして、その願いは『英雄ポイント』を消費すると引き換えに、このような形で大団円へと導いたというのだから侮れない。
「マジかよ……」
アルトは、何か釈然としないまま大きなため息とともに肩をすくめた。
メリクルリングRPGのルールに縛られた歪な世界、恐るべし。
ゲームデザイナー・キヨタヒロムの面目躍如と言ったところか。
そうして、こちらの種明かしが終わるころには、報酬の話し合いも無事終わった。
誰もが納得気味のホクホク顔なところを見れば、満足のいく割り勘が出来たのだろう。
そうして一つの勘案事項が終われば、どうでも良いことにも気が向いてくる。
次に皆が注目したのは、一人はぐれていたアルトのことだ。
いったい彼が何をしていたのか、少しだけだが興味を引いた。
「それでアルト君、いったいウォーデン老と何を話していたんだい?」
代表するようにカリストが訊ねると、アルトはつい言い淀んでしまった。
正直に話せばいいものを、なんとなく自分の手柄にされた話の真相は言い辛かったのだ。
それを察してか、ウォーデン老はずいと前に出る。
「なに。ワシらはこれでワシらの世界に戻るがの? 希望があればお主らも元の世界に帰ることが出来そうじゃな、と話していたんじゃ」
この言葉にアルトはギョッとした。
なぜかと言えば、アルトたちに「ヴァナルガンドを下したら、元の世界へ帰してやろう」と言ったのは迷宮の奥深くで会った『メッサージエロ』だったからだ。
なぜそのことを知っているのか、と疑問に思いつつも、アルトはこの老人の正体を思い出して「まぁ不思議はないか」と納得した。
ウォーデン老はアルトたちの世界とはまた違う異世界の神なのだ。
また、ウォーデンの言葉で目を見開いたのは、アスカもまた然りであった。
ここにいる異世界人と自覚している者の中で、「帰ることが出来る」と聞いたのが今、初めてだったからだ。
ただそれは元々この世界の住人だった者たちには関わりのない話なので、ルクス隊やドリー隊のメンバーは「そうか」と興味を失って、また他の話を仲間たちとし始めた。
「興味なさすぎやない?」
その様子にモルトは苦笑いを浮かべるが、これには彼らのGMである薄茶色の宝珠氏が見解を述べる。
「それに関してなのですが、おそらくこの世界の人々には意識的フィルターがかかっているのではないでしょうか」
「意識的フィルター?」
アルトやマーベルが首をかしげる中、何とはなしに察したカリストやレッドグースは物知り気に頷いた。
「つまりですね。彼らの近くで異世界の話をしても、無意識下で無視するようになっているのではないかということでして」
「なんでそんなことを?」
そのまま疑問をぶつけるアルトに、薄茶色の宝珠氏は思考を上手く言語化するために少し考え、そして続けた。
「たぶん、この世界の人々が必要以上に異世界への興味を持たないようにだと思います。誰がそんなことを、と言えば、おそらくはキヨタ氏でしょうね」
「へぇ、いろいろ考えてるんだねぇ。ゲームデザイナーってやつは」
アルトは大仰に感心して頷いた。
いかにも、元の世界への帰還には興味がない、といった風情だった。
「アっくんは、帰らないにゃ?」
「ん?」
そんな様子を変に思い、マーベルがおずおずと訊ねる。
が、やはりアルトは興味なさげに肩をすくめるだけだった。
「ワタクシは帰らせていただきますかな。そろそろ会社が心配ですぞ」
妙な雰囲気を払拭するように、レッドグースがワザとらく明るく言う。
それにカリストは便乗して言葉をかける。
「なんだいおやっさん。倒産の心配かい?」
「いいえ、乗っ取られる心配ですな。うちの事務方、妙に野心的でしてなぁ」
2人してわははと笑い合い、それを見てマーベルもまた大きくうんと頷いた。
「アタシも帰るにゃ。きっと、おとーちゃんが心配してるにゃ」
彼女の答えについては誰もが納得するものだった。
迷宮の底で『メッサージエロ』に、真っ先に「帰る」と言ったのは彼女なのだ。
その気持ちはだれよりも強いに違いない。
言って、マーベルが他を見回すと誰もがアルトに注目していた。
アルトはちょっと困った顔で頬をかきながら言う。
「いやオレは別に帰らないよ。元の世界とか、用事ないし」
この言葉にマーベルは少なからずショックを受けた。
一緒に帰りたい、とは思っていないが、当然、皆帰りたがっていると思っていたからだ。
だが、ここにいる誰もが忘れている話ではあるのだが、つまり、アルトはあの迷宮で死にすぎたのだ。
迷宮の亡霊となったギャリソンは言っていた。
「死ぬたびに、元の世界の記憶を少しずつもらいましょう」と。
つまり、常に全線で戦ってきて、誰より多く迷宮で死んだアルトは、もう元の世界への興味を持てるほど憶えていなかったのだ。
そうとは知らず、だがいくらか共感する者もいた。
それは黒衣の魔導士カリストだ。
彼は逆に最も死を経験していない一人ではあったが、それでも帰る気はなかった。
「帰っても、あたあのデスマーチをして暮らすかと思えば、こっちで冒険者生活する方がまだいいかな。せっかく高レベルになったことだしね」
偏見と言われることを覚悟して述べるが、ほとんどのプログラマーは不眠不休の作業を経験しているものだ。
カリストもまた、多くの修羅場をくぐり抜けたエリートIT土方であった。
そしてそんなカリストは、この世界では7レベルの『魔術師』である。
これは世界有数の大魔導士と言えるだろう。
しかも500年以上前に栄えた大魔法文明の知識を少なからず継承しているのだ。
これは帰って一介のサラリーマンと埋もれるのは少々勿体ない。
「私は帰るよ。命のやり取りは、もうコリゴリさ」
そうため息交じりに言ったのは鈍色の戦乙女アスカだった。
彼女は元の世界にいた時、たくさんの本を読みながら心躍る大冒険を望んでいたものだった。
この世界では確かにそれらは叶えられたが、世界の滅亡をかけた此度の戦いでお腹いっぱいだった。
もう帰って余生をのんびり暮らしたい。
まだ10代にしてそのような心境に至っていても、誰も責められないだろう。
ただ、アスカの言葉に彼女の隊メンバーであるナトリやマリオンは肩を落とした。
「そう故郷へ帰るの。それは寂しくなるわね……」
「向こうでも元気で」
それぞれ、精一杯残念そうに別れを惜しむ様を見せるが、それどころではない者たちもいる。
アスカを「姉」と慕う、人工知能搭載型ゴーレムの姉妹、クーヘンとエクレアだ。
「姉ちゃま! どこか行っちゃうなんて嫌デス」
「そんな急にお別れだなんて。エクレアも着いていくわけにはいかないのですか?」
彼女らは創造の父である大魔導士パーン・デピスに置いて行かれた過去がある。
ゆえにまたおいて行かれることに、過剰に声を上げた。
アスカもまた、この空気には沈痛な表情を見せる。
「なら連れていくが良い。人形の一つや二つ、我は気には留めぬぞ」
と、突然虚空を割って現れたのは、この草原のど真ん中においても偉大なる王の風格を損なわぬ浅黒い肌の男、『メッサージエロ』であった。
「ほう、お主が……のう」
ウォーデン老が少し眉を上げて彼を見たが、『メッサージエロ』は意にも介さず小さな姉妹を見やった。
「なら、エクレアもお姉ちゃんと一緒に行きます」
「クーヘンもデス!」
その返答に満足そうにうなずいた『メッサージエロ』は続いてまだ答えを出していない者へと目を向けた。
白い法衣の乙女神官モルトだ。
彼女は迷っていた。
実は元の世界にすでに母は亡く、父は元々どこの誰とも知れず、帰っても彼女は一人であったから。
だがこの世界で大事な仲間を見つけ、その中でも放っておいては心配なメンツが残るというのだ。
「ほな、ウチも残ろかな」
「そうか。なら帰るのは3人と人形の娘っ子であるな。我に任せて大船に乗った気でいるがよい」
『メッサージエロ』はそう応え、大仰に笑って見せた。
そんな笑いとは裏腹に、別れを惜しむ者と送られる者の間にしんみりとした風が流れる。
もう3月も下旬となり、暖かい風が混じりつつある春の風だ。
「ふむ、別れの時か。人の子には余韻が必要か」
『メッサージエロ』は顎を一撫でしてそんなことを呟いた。
呟き、どこからかアラベスク模様に彩られた銀色の鍵を取り出す。
迷宮深部にて、アルトたちが提示されたものと同じ鍵だ。
この鍵を誰もいない虚空へと掲げ、『メッサージエロ』が何事かを呟く。
すると20人の冒険者やウォーデンたちを取り巻く景色が一変した。
まるで舞台装置の景色絵が貼り替えられたかのように、一瞬の出来事であった。
遠くに山や森を望む草原は、遠くに白い2階家や岬を望む景色と変わり、そして辺り一面に咲き誇るピンク色の花を湛えた木々が囲んだ。
「ほほう、これは桜ですかな。いつの間にかこんなに咲く季節になったのですなぁ」
レッドグースが呟く。
そこは彼らがこの数週間過ごした、迷宮のすぐ近くだった。
だが、まさかすぐ近くにこんな場所があるとは誰もが知らなかった。
世界の滅亡を前に花を愛でるような精神的余裕はなかったから、いつの間にか満開になった花々に誰も気づいていなかったのだ。
それゆえ、皆が驚いてそのピンク色の花を見回し、そしてあらためて温かい気持ちに満たされた。
「サクラ? 聞いたことないな……いやこれは扁桃だ」
この国の行政にかかわる者として、土地の産物はそれなりに把握している白磁の魔導士カインがレッドグースのつぶやきを拾って答える。
それもまた、誰に言うでもない呟きのような返答だ。
「扁桃……アーモンドか! アーモンドの花が桜に似ているとは聞いたことあったけど、ここまでとは思わなかったよ」
その言葉を聞き、カリストが少し驚きそして感動したようにまた花に目を向ける。
「なんでもいいじゃないか。花がきれい、それだけでいいさ」
と、これはトノサマバッタと人間の『合成獣』であるファルケの言葉だ。
これに多くの者が賛同し、彼の兄であるルクスは「そうだな」と静かに笑った。
「さぁ、余韻は十分に堪能したか? では別れの時だ」
ピンク色の花の登場で皆の気持ちが少し浮き立ったところで、『メッサージエロ』が再び銀色の鍵を掲げる。
人の事情など顧みぬ神にしては珍しく気を使ったようだ。
彼なりに勝利した冒険者たちへ送るファンファーレの様なものだったのかもしれない。
ともかく、『メッサージエロ』が銀の鍵を振るうと、扁桃咲き誇る林の足元に黒い穴が開いた。
人間一人がくぐるにはちょうど良い大きさの穴だ。
「さぁ、帰る者は故郷を想いながらこの穴を降りろ。夢の世界を介して、お前たちの現実世界へと繋がるだろう」
そしてアスカ、レッドグース、マーベル。アスカに着いて行くエクレアとクーヘンが穴へと次々に飛び降り、これをもって彼らの大冒険は終わりを告げた。
その後、迷宮内に取り残されたままだった人形姉妹が一人『機械仕掛け』ティラミスと、カリストの使い魔である黒猫のヤマトが不満げな顔で戻ったのは、翌日の事だった。
そして、残ったアルトたちがどうしているかというと。
「アルト君、そろそろ着くころじゃないのかい?」
人が一人通れる程度の藪だらけな山道を3人の冒険者が進む中、最も後ろを疲れた顔で歩いていた黒い外套の魔導士が声を上げた。
『魔術師ギルド』ではそろそろ支部長に、と推されながらも冒険者家業を続けるカリスト・カーマインだ。
列の真ん中にいる白い法衣を着た乙女神官は、首をかしげて先頭へと目を向ける。
報酬の大半を使ってニューガルズ公国の酒蔵を買ったというモルト・レミアムだが、彼女もまた気ままな冒険者を続けている。
「アル君どうなん?」
モルトとカリストから問われ、先頭を歩く金緑色の鎖帷子を着こんだサムライ少年が足を止め、懐から地図を取り出した。
「うーん、たぶんこの辺りだとは思うけど、おかしいなぁ」
英雄レベルまであと一歩、というところまで来ているアルト・ライナーは、義兄弟たちの「傭兵団再結成しようぜ」との誘いを断り、これまた冒険者家業を続けていた。
「迷ったでありますか? アルトのアニキは相変わらず頼りないでありますなぁ」
「にゃぁ」
呆れたような声が足元から聞こえてくる。
黒猫のヤマトに騎乗した、人形姉妹の一人ティラミス嬢である。
「う、うるさいよ。大丈夫だよ。迷ってなんか……あ!」
と、言い返しかけたところで彼らの頭上から影が差した。
察して見上げれば、巨大な翼をもつトカゲが悠々と飛んでいるのが見える。
今回、駆除依頼を受けた亜竜種『ワイバーン』に違いない。
『あのような爬虫類。俺を出せばひと飲みにしてやるぞ?』
その時、アルトの脳裏にそんな言葉が聞こえた。
いや、正確には聞こえたわけではない。
それは発せられた声ではなく、アルトの脳裏だけに響く言葉だった。
「黙って見てな。あんたは大人しく封じられている条件だったろ?」
『ふん、爺はもう帰ったんだ。少しくらいバレやしない』
「ダメだって。オレたちの活躍を、とくと御覧じろってな!」
アルトが独り言を発していても、モルトたちはもう驚きはしない。
なぜなら、アルトの中にかつての悪神『ヴァナルガンド』がいることを知っているからだ。
結局、死の恐怖を初めて覚えてしまった『ヴァナルガンド』は、敗北を認めてウォーデン老に世界への帰還を禁じられたうえで封じられた。
その封印先こそアルトの身体であった。
将来、あと何十年か先にアルトが死んだ時、彼は解放される。
それまで人間の心や社会を学び、更生せよというわけである。
果たして品行方正とはいいがたい冒険者と共にあって更生するのかはさておき、『ヴァナルガンド』はこの共生生活を割と楽しんでいた。
アルトもまた、少しうっとおしいと思いながらも楽しんでいた。
「さぁ今日も行くぜ。カリストさん、やつを引きずり下ろす魔法、頼みますよ」
「任せて! GM、『マギスヒエリ』使うよ」
「承認します」
アルトは肩に担いだ大太刀『蛍丸』をするりと抜き放ち、カリストは大きな手ぶりで緒元魔法の準備を始める。
「おー二人ともがんばれー」
モルトは膨らんだ袂から小さなスキットルを取り出して、ニューガルズ公国の酒蔵から持ち出した蒸留酒を一口あおる。
彼女の役目は最近ではもっぱら回復役なので、誰かが傷を負わない限り出番がないのだ。
いやバフなどやることはあると言えばあるが、『ワイバーン』程度の相手には必要ないだろう、と観戦を決め込んだ。
カリストが大空に向けて手を広げると、目に見えない魔法の手が上空を飛んでいた『ワイバーン』を掴んで引きずりおろす。
「よし、一撃で決めるぜ。『ツバメ返し』!」
「承認します」
今やモルトのウエストバッグに酒瓶と共に収まる薄茶色の宝珠氏の声と、アルトの猿叫が重なり、そして『蛍丸』が敵を裂くべく宙を舞う。
彼らの冒険は、まだ、続く。
以上、『ぼくらのRPG生活』は全編終了と相成ります。
長い間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
今後のアルトたちにつきましては、皆さまのご想像の中で活躍させてあげてください。
たぶん来週あたり、後日談的な30行程度のSSを上げますので、それをもって完結済み設定をしたいと思います。
ではまた。




