50冒険者の全滅
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして異世界の悪神ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追いやはり異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
全8階層に及ぶ迷宮攻略を進めながらアスカ隊、ドリー隊、ルクス隊を加えて合同4隊となった一行は、迷宮攻略の期限である3月21日、最後の階層へと身を投じる。
しかしアルト隊以外の者たちはたちまち敗北し、ヴァナルガンドの腹へと消えた。
残ったアルト隊も戦いを挑むが、その絶望的な実力差をまざまざと見せつけられる。
このまま戦っても勝ち目はない。
そう判断したカリストは、自分の身を挺した転移魔法を使い、アルトたちを迷宮の外へと逃がした。
だが超魔法の影響ですでに指一つ動かすことが出来ないカリストを始めとして、追ってきたヴァナルガンドによってアルト隊の面々は次々と消えていく。
マーベルは転移した森より命からがら逃げたのだが、さて。
アルトが飛ばされたのは見慣れぬながらも知っている気がする草原の真ん中だった。
「え?」
戸惑い、遠くに見える山を見渡しながら、ふと思い出す。
この景色は見たことがある、と。
それもそのはず、そこはアルトが初めてこの世界に踏み込んだ場所であった。
あの時はこの世界のことを何も知らず、まさかという思いでいたところに元GMであった薄茶色の宝珠に語り掛けられて驚きもした。
が、今はもう1年もこの世界を旅し、いくばくかの森羅万象を把握しているのだ。
「そうか、カリストさんの魔法か……」
これまでの経験とあの時の状況を思い出し、そう腑に落ちた。
状況を理解できたとは言え、では如何すればいいか判断できるかはまた別問題で、アルトは途方に暮れるようにまた遠くの山を見た。
今回はあの時とは違い元GM氏は彼のバックパックにいないのだ。
おそらくマーベルのベルトポーチにいるのだろう。
と、順に思考を巡らせて、また以前の記憶がよみがえった。
確かあの時はゴブリンに出会って戦闘になり、その最中でマーベルと合流したのだった。
そう思いだすと、途端に一人が不安になった。
今更ゴブリンなどに恐れはしないが、あの大狼がいつやって来るか知れたものではないのだ。
ゴブリンには余裕で勝てるだろうが、『ヴァナルガンド』に勝てる道理が見つからない。
皆で掛かればあるいは、と思っていたのだがあの為体である。
だからこそカリストはアルトたちを逃がしたのだろう。
そんな『ヴァナルガンド』に一人で遭遇した日には、推して知るべしだ。
1年前と今の状況を見れば、隊メンバーはそれぞれがあの時、この世界に落とされた場所にいるに違いない。
「なら、マーベルが近くにいるはずだな。確か森で目が覚めたとか言ってたような」
おぼろげな記憶を辿りながら視線を巡らせると、向こうに広そうな木々の群れが見えたので森に違いない、とアルトは頷いた。
頷いて、すぐに首を傾げた。
どうも草原の向こうにただずむ静かな森にしては様子がおかしいと感じたのだ。
どうおかしいのか。
空は雲が悠然と流れるいい天気なのに、森のあたりだけ真っ白な霧で霞んでいるし、その霧でよく見えないが大きな何かが蠢いているようにも見えるのだ。
「ええと、巨人族とかじゃないよな? 森だからグリーンジャイアントかな?」
森の巨人と言えば正解は『フォレストジャイアント』であったが、まだ日本にいた時にテレビで見たCMが頭の片隅にあったため間違えた。
まぁどうせ『学者』の『ズールジー』を持っていないので、初遭遇の怪物名を正しく発声できないのだが。
まぁ、そんなことはどうでも良く。
結果を言ってしまえば、その巨大な蠢くものはジャイアントなどという可愛い存在ではなかった。
彼らにとって、そしてこの世界にとって悪夢でしかない絶望の使者、大神『ヴァナルガンド』であったのだ。
そして飛び出さんばかりに目をむくアルトの視界に入る小さき者がある。
これが今しがた森から飛び出して一目散に駆けて来る、ねこ耳童女ことマーベル・プロメテイトだ。
「マーベル! こっちだ」
「アっくん見つけたにゃ!」
大声で呼びかければ、向こうも向こうでパッと笑顔を咲かせて声を上げた。
アルトは「見つけたのはこっちだ」と言いかけた。
だが、それどころではなかった。
かのねこ耳童女の背後から、かの悪神が追ってきているのだ。
「こいつはマズいぜ」
アルトは急ぎ、肩から背負った『蛍丸』に手を置いて、走り出しながら抜き放った。
揺れる草原に不思議な大太刀からこぼれ出る淡い燐光が散り注ぐ。
全力で駆け寄り合うアルトとマーベル。
その相対速度を考えれば合流するまで左程の時間もかからないだろう。
だがしかし、である。
『ヴァナルガンド』の疾走速度も並ではない。
さすがに巨大な狼だけあり、歩幅のリーチはそこらの生物では比にならない。
戦闘行動での敏捷度とはまた違った速さがそこでは発揮されるのだ。
アルトから見れば真正面に向かってくるマーベル。
見ればもう、そのマーベルのすぐ後ろまで『ヴァナルガンド』が迫っていた。
「マーベル、もっと速く走れ!」
アルトの言葉で背後の様子を悟ったマーベルだが、スピードなど言われて上がるものでなし。
「うおー」と叫べば能力が上がるヒーローアニメではないのだ。
「むりにゃー」
マーベルは泣きそうな顔で叫ぶ。
アルトは焦り、何とか自分の足の回転数を上げようと力み、だが上手くいかずにもつれそうになった。
かろうじて転びはしなかったが、それでも大幅にスピードダウンだ。
再び駆け出すアルトだが、それでも距離が遠すぎて、マーベルを保護するにはまだ数十秒はかかるだろう。
「くそ、もっと、もっと速く動け」
アルトの悲痛な叫びも空しく、二足歩行の彼のスピードは、敏捷度由来の走行速度を超えることはない。
そして未だ手が届かぬ彼の視界の中で、マーベルは背後からバクンと一口で飲み込まれた。
その瞬間、アルトの耳に音が届かなくなり、永遠の静寂の中に突き落とされたかのように、目の前は真っ暗になった。
別にそういうデバフを受けたわけではない。
怒りが、絶望が、そして得も言えぬ恐怖心が彼の音をすべて奪い去ったのだ。
現代風に言えばストレス性の急性難聴とでも言おうか。
いや聴覚だけではない。
視覚さえも何か真っ赤なフィルターを通してみるかのように、色彩が歪んで脳へと伝えられた。
「よくも……よくも、よくもぉ!」
アルトが叫ぶ。
冷静さをすっかり失ったアルトは、叫びながら『蛍丸』の峰を肩に担ぎ、疾風のごとく駆け、そして『ヴァナルガンド』の懐へと飛び込んだ。
「今すぐ腹を掻っ捌いてやる。『ツバメ返し』!」
心が冷静さを失いつつも、刀を握るその身体は戦いに対して冷静だ。
逆上した頭は最大級の打撃力を誇る『トンボ斬り』を使いたいと主張していたが、これは受ける反撃も最大級となるスキルである。
戦闘技能を正しく使おうと主張する身体は、仲間の支援がない今、『トンボ斬り』を使うべきではないと判断した。
すなわちここで『ツバメ返し』である。
『ツバメ返し』はリスクはなく、それでいて強力な斬撃技なのだ。
そして、アルトが低レベルのころから愛用してきた、言わば相棒とも呼べる長い付き合いのスキルでもあるのだ。
大狼の腹の下まで潜り込んだアルトは、斬っ先を頭上後方まで倒した『蛍丸』を前方へ向かって勢い良く振るう。
いくら硬い毛に覆われた獣神とはいえ、腹の毛は柔らかいと相場が決まっている。
アルトの『蛍丸』は燐光を振りまきながら、比較的白い『ヴァナルガンド』の腹の毛を血の色に染めつつ振り抜かれた。
そしてここから『ツバメ返し』の『ツバメ返し』たる由縁が大狼を襲う。
身体ごと素早く反転したアルトは『蛍丸』が再度、今度は後ろから前へ向けて振るった。
振るい、斬撃を終えると、アルトは頭上から返り血をかぶりながらすぐに『ヴァナルガンド』の腹の下から転がり出る。
そのまま潰されでもしたらたまらないからだ。
アルトは顔を塗らす獣の鮮血を拭い、「やってやったぜ」という目で振り返り見る。
だがそこには、何ほどの痛みも感じていないかのような巨大な狼が、変わらず彼を見下ろしていた。
「くははっ、さすがこの島随一のサムライ刃よ。なかなか痛かったぞ?」
その言葉には、明らかな格下に対する余裕が感じられる。
「くっそ!」
アルトは正しくその感情を読み取り、焦りからさらに攻撃に移ろうと『蛍丸』を八相に構えなおし、そして駆け出した。
いや駆け出そうとした。
駆け出そうとして、当然、足や身体が止まった。
「!?」
アルトは一瞬驚き、そしてこの世界の法則を思い出した。
今更である。
そうとう頭に血が上っていたようだ。
この世界は現実世界である。
現実世界であるが、『ヴァナルガンド』の力を使ってキヨタ氏がデザインしたゲームのルールが適用されている、歪な世界なのだ。
戦闘において、例外を除いて各々の戦闘行動は1ラウンドに1度である。
つまり、アルトがこのラウンドに『ツバメ返し』を放ったなら、ラウンドが変わるまで戦闘行動はできないのだ。
「そして俺の番というわけだ」
悠然とした歩調で寄って来る『ヴァナルガンド』は、おもちゃでも選ぶかのように「次はどのようにして攻撃してみるか」と考える。
とは言え、所詮と言っては何だが彼は狼である。
出来ることは人間ほど多くない。
『ヴァナルガンド』はよく考え、少々面倒になり無造作に前足を上げてアルトを撫でた。
彼の感覚からすれば間違いなく「撫でた」のだ。
ところがアルトからすればそれはもう「弾き飛ばされた」と感じた。
強烈な横薙ぎの犬パンチである。
ゆえにアルトは吹き飛んだ。
とは言え、「撫でる」にノックバックなどという付帯効果があるわけもなし。
アルトは垂直に吹っ飛び、そして草原の地面にズシャァと音を立てて落下した。
もうこれだけでHPの多くが消し飛んだ。
こんなの、勝てるわけがねぇ。
自分の一撃を「なかなか痛かった」で済まされ、そしてこっちは一撃で瀕死である。
バフをつけてくれる味方も、回復してくれる味方もいない。
そもそもソロで叶う相手ではないのだ。
草原に叩きつけられた後に起き上がる気力も生まれず、アルトは心折られて大の字になった。
いろいろ諦めるともう怖さもどこかへ行き、呆れたように呟いた。
「あんた、強すぎるわ……」
言われた『ヴァナルガンド』は怪訝そうに首をかしげ、無言でアルトを見下ろす。
褒められれば誰でも嬉しい、とはよく言われるが、はるかに脆弱な存在に褒められたからと言って感情が動かされることはない。
例えるなら、大人なら出来て当たり前のことを幼稚園児から褒められてうれしいと思うのか、ということである。
「ふん、そもそも俺は神だぞ。人間風情が何を当たり前のことを」
であるから、『ヴァナルガンド』も呆れたように鼻を鳴らした。
アルトは「ははは」と力なく笑い、そして色々と思い出しつつ、ぽつりと呟く。
「でも、そんな強いあんたも、あんたの世界で他の神様に負けたんだろ?」
別に煽るつもりもなく、ただ事実確認のような発言だった。
かの大狼は少しだけ眉間にしわを寄せてから、もう一度鼻を鳴らした。
「そうだ。俺は奴らにコテンパンに負かされ、這う這うの態で逃げ出したのだ」
鼻を鳴らし、これまでの辛苦を思い出すように目を閉じて語る。
アルトは一種、同情的な気持ちになり、彼もまたしみじみとした口調で頷いた。
「こんなに強いのになぁ。あっちの神様ってのは化け物か」
いや化け物はあんたか、とはさすがに言わなかった。
「……負けたからには、復讐せねばならぬ」
矮小な人間から崇拝や恐れ以外の気持ちを向けられ、『ヴァナルガンド』は少々変な気分になった。
だから、少し現状を思い出すようにあえてそんなことを言う。
「復讐かぁ。ああ、親父殺されたんだっけ?」
アルトは少し興味深げになり、大の字から胡坐へと座りなおす。
そしてかなり前にカリストやウォーデン老から聞いた話を思い出そうと宙に視線を向けた。
が、そんなアルトの言葉はすぐ否定された。
「死んではおらん。俺ともどもあの世界から逃げたのは確かだがな」
「え、生きてんのかよ」
「とはいえ、俺とは別の世界に行ったからな。どこで何しているやら」
そこまで言って、アルトが自分のことをジトっとした目で見ているのに気づく。
この愚かなる人間は復讐の根拠に不満でもあるのか。
「なんだ、貴様も『無益な復讐など何になる』などとほざく口か」
そんなことを言うということは、他にも誰かから言われたのだろうか。
キヨタヒロムだろうか。
「いや、言わないよ」
そんな疑問を小さく首を振って忘れると、アルトはため息をついてかの神の問いを否定した。
「そりゃ負けりゃ悔しいもんな。オレだって今、悔しいし。でもそんで、そっから逆転して勝てば、そりゃスッキリするしな」
素直に、今の心境を述べてみた。
確かにそうなのだ。
はじめは恐怖や怒りを抱いていた。
マーベルが食われ、たぶんカリストや他のみんなも同様の運命をたどったのだろう。
それを考えると胃の臓物を吐き出したくなるくらいの怒りが湧いたし、同時に仲間をひとのみにして来た悪神に恐怖も抱いた。
だが、事ここに至り、あとしばらくすれば自分も『ヴァナルガンド』の胃の中に納まるのだ。
そう考えると、もうあらゆる感情が静かになったのだ。
だからとても平坦で素直な気持ちが、彼の口から流れ出た。
それを聞いて、『ヴァナルガンド』はまたもおかしな表情をさらす。
これは困惑なのか、拍子抜けなのか、そんな顔だ。
「スッキリする、か。ふふ、面白いことをいう」
しばしアルトを見て、諦観の境地にいる若者にふっと笑いが込み上げた。
だが彼には目的がある。
ここで和んでいる場合ではないのだ。
「そうだ。白黒つけてスッキリさせねばならん」
ゆえに、『ヴァナルガンド』は今一度キリリと眉間を整え、そう言葉を吐いた。
自分を散々な目に合わせ、何百年という流浪を味合わせたあの神々を、同じ目に合わせてやらなければならない。
そのために彼はキヨタの口車に乗ってこの世界を創り上げ、そして今日喰らうのだ。
「はは、やっぱあんた強えーわ」
「何?」
そんな中でアルトの一言が妙に刺さり、またも怪訝そうに首をかしげる。
アルトはブルリと肩を震わせて、ポツポツと心情を吐露する。
「だって怖いだろ。一度は負けた相手に、また挑むんだ」
「何が怖い? 相手の強大さか?」
理解ができないという風で、『ヴァナルガンド』はさらに眉間の困惑が深まる。
「もちろんそれもあるけど、怖いのは『死ぬこと』だよ」
様々な感情は静かになった。
が、それはなくなった訳ではない。
今もってなお、アルトは死ぬのが怖かった。
だがそれすらも、『ヴァナルガンド』は理解できなかった。
「死? それが恐ろしいものの正体か? 俺は死んだことないからわからんがな。はは」
『ヴァナルガンド』は少々おかしげに笑い、こう続ける。
「無知だな。俺は神だぞ? 神に死などあり得ぬ。あの爺だってそうだ。あれだけボロボロになったって、どうせ数百年もすれば元通りになるのだ」
これを聞き、アルトはおかしいと思った。
神は、死なない?
「いや、でもオレの住んでた世界じゃ『神は死んだ』なんて言われてたぞ?」
哲学者フリードリヒ・ニーチェである。
その意味は社会の近代化で宗教の持つ役割は無くなった、とかそういう意味で使われる。
が、アルトは聞きかじっただけなので、そのままの意味でとらえていた。
「だから当然オレも、オレの世界の神様なんて見たことないし、オレの世界じゃ『神様を見た』なんて奴は気狂い扱いさ」
「なん……だと」
これには『ヴァナルガンド』も驚きを隠せない。
彼にとって、少なくとも彼の世界の神々にとって、「神は不滅である」とは赤子でも知る常識であったからだ。
だが彼はアルトの言葉から、世界が変われば常識も変わるのではないか? という疑念を持った。
持ってしまった。
「お前の世界の神は、なぜ死んだのだ?」
だから、『ヴァナルガンド』は聞かずにいられなかった。
とは言え、アルトもそんな問いの答えを知らない。
だから素直に答えるしかない。
「そんなの、知らねーよ。いや待てよ?」
と、答えてから、何か引っかかりを覚える。
――は死んだ! 何故だ!?
なんか聞いたことがあるな。
「坊やだからさ?」
何かのアニメのセリフである。
だが、アルトは若さゆえに、そのアニメを見たことはなかったし、あまり興味もなかった。
だから、そのセリフもどっかで聞きかじっただけだ。
そのセリフを、そのままなんとなしに口に乗せてしまった。
『ヴァナルガンド』はまた、驚きに目を見開いた。
「坊やだから? まだ若い神だから消滅もある、そういうことか?」
聞き、そして自分の仮説を声にして考える。
アルトの世界の神は若さゆえに力が安定せず、死、つまり消滅した。
そんなことが異世界であるならば、この世界でもまたあり得るのかもしれない。
そして自分もまた、生まれて数千年の若い神である。
ならば、もう一度、神々とぶつかった時に……。
「いや」
『ヴァナルガンド』不愉快な回答が出かけたところで、記憶を打ち払うかのように大きく首を振る。
「なに、ならばこそ、お前を、この世界を喰わねばらなぬ。喰って、確固たる力を養うのだ」
そうだ、そもそもの目的が『力の為、この世界のすべてを糧にする』であった。
「ふん、俺もまだまだだな。人間風情の言葉に動揺するなど」
『ヴァナルガンド』の揺らいだ心が徐々に静まっていく。
そんな光景を見て取り、アルトはいよいよ自分が喰われる時が来たのだと悟る。
「出来れば、あまり痛くない方がいいなぁ」
「ふふ、それは知らぬな。だができるだけ丸飲みで済ましてやろう。咬まない分、マシなんじゃないか?」
実際にはかみ砕かれるのと、胃液で溶かされるの、どっちが嫌だろうか。
アルトはそんなことを考えたが、なんとなく『ヴァナルガンド』の声が好意的に聞こえたので、特に反論もせずに頷いた。
「じゃぁ、それで頼むわ」
実際『ヴァナルガンド』はこの人間の少年に少しだけ親しみを抱いていた。
これだけ多くの言葉を交わした人間などこれまでいなかった。
ほとんどの人間は「仰せのままに」という従属の言葉ばかりを述べるのだ。
たまに反抗する人間は長くは立っていない。
すぐに喰われるからだ。
それゆえ、『ヴァナルガンド』はアルトに少しばかりの親しみを覚えた。
だが、だから喰わぬなどという理由には、彼の場合ならなかった。
「では、死ね。俺の力となり、永遠となれ」
『ヴァナルガンド』はそんなことを呟き、そしてアルトを一飲みにした。
ただ広い草原に『ヴァナルガンド』だけが残った。
だが彼は寂しさなど感じない。
それより、今しがた得た、手練れの少年サムライが彼により強い力を与え、その思いの他大きかったエネルギーに、満足そうに何度もうなずいた。
その時だった。
「ふふふ、喰ったネ?」
突如、少女の声が彼の耳に届く。
気配など一切感じなかった。
だから『ヴァナルガンド』はいくらか驚き、そして振り返る。
背後には、彼の仇敵であるウォーデン老と、その弟子ハリエット嬢。
それから見知らぬ馬頭の悪魔が立っていた。
『ヴァナルガンド』はゾッと背筋に冷たい稲妻が走ったような気になった。
何か、あの仇敵に致命的な罠にかけられたのではないか。
そう思ったからだ。
仇敵、異世界の主神ウォーデンは、そんな彼の考えを、肯定するかのようにニヤリと笑った。
マーベルとアルト、戦・線・離・脱。
さて……




