49大きな者vs小さき者
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして異世界の悪神ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追いやはり異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
全8階層に及ぶ迷宮攻略を進めながらアスカ隊、ドリー隊、ルクス隊を加えて合同4隊となった一行は、迷宮攻略の期限である3月21日、最後の階層へと身を投じる。
しかしアルト隊以外の者たちはたちまち敗北し、ヴァナルガンドの腹へと消えた。
残ったアルト隊も戦いを挑むが、その絶望的な実力差をまざまざと見せつけられる。
このまま戦っても勝ち目はない。
そう判断したカリストは、自分の身を挺した超魔法を使い、アルトたちを迷宮の外へと逃がした。
だが超魔法の影響ですでに指一つ動かすことが出来ないカリストはヴァナルガンドの胃へと収まり、さらに逃げた先へ追ってきたヴァナルガンドのせいでモルトは小さな街と共に壊滅した。
さて、後の残りは。
アルパの街とニューガルズ市を結ぶ街道の途中。
巨大な大狼が血痕だらけの砕石舗装路を見下ろしながら鼻を鳴らした。
「なかなか手間をかけさせてくれたな」
一種に感慨深そうなつぶやきであったが、難戦に勝利した満足感もまた垣間見える。
そこに広がる血痕はといえば、大半は街道沿いの村や町を巡回しながらアルパの街へ向かっていた『ラ・ガイン教会』の教会警護隊と巡回聖職者のものである。
この聖職者はなかなか徳が高かったようで、大狼『ヴァナルガンド』にはそれなりの美味だった。
そしてなんと言っても最も美味だったのは、教会一行をけしかけてきたドワーフ楽師レッドグースだ。
「音楽家などと侮っていたが、なかなかどうして。レベルが高いというのはそれだけで強者の理力に満ちているということか」
しばし、思い出すだけで脳裏に浮かぶ恍惚感を反芻し、そして大神は少しだけ悲しげな表情に変わる。
視線の先は、街道にひときわ大きく広がる2輪の血痕の花。
それは強化人狼ギャリソンと共に、もっとも彼への忠誠心が高かった大狼、スコルとハティのものだった。
レッドグースはアルパの街を脱した後、あちらこちらと虚実織り交ぜながら逃げた。
この逃走路が散々に『ヴァナルガンド』を惑わしたわけだが、そこで『ヴァナルガンド』は自らの弟分といえるスコルとハティを投入したのだ。
さすがの逃げ足を持つレッドグースだったが、3つの獣の鼻から逃れることはできなかった。
あわや、というところでレッドグースは巡回聖職者の一行に出会う。
出会い、簡潔に事情を話して3頭の大狼にけしかけたのだ。
とはいえ、教会警護隊の面々にはレベルが足りず、聖職者本人はそこそこ高かったが打撃力足りえず。
結局はレッドグースが後ろに付き『呪歌』でフォローしつつ、有効戦術を後ろから指示するという戦いとなった。
おかげでこちらの命と引き換えに、スコルとハティを討つという大殊勲を上げたのだからあながちヘボでもない。
そしてレッドグースと巡回聖職者の一行、さらにスコルとハティはすべて『ヴァナルガンド』の血肉となった。
「さて次は……『ディグフィーデン』。少し向こうの…森がある辺りか」
彼は自分の嗅覚と、そして黒魔導士カリストから奪った技術と知識を元に、
さらなる獲物を探した。
『ディグフィーデン』は4レベルの緒元魔法で、よく知る物品が今どこにあるかを示す魔法だ。
カリストの記憶から猫耳童女マーベルの持ち物を利用し、彼女の大まかな位置を特定したというわけだ。
そうして『ヴァナルガンド』は、次の獲物に向け街道を元来た方へと駆け出した。
マーベルは落ち葉の香りに包まれながら目を覚ました。
「ここどこにゃ?」
不快そうに眉をひそめ、半身起こしてあたりを見回す。
彼女が寝ていたのは影深い森の中のようで、日中でなお陽の光がまばらにしか届いてない。
ゆえに落ち葉の絨毯も乾ききらず濡れたまま折り重なっている。
つまり、そこに寝ていた彼女の背はジンワリと湿っていた。
マーベルの不快さはここから来ているのだった。
さて、ここがどこか、である。
まったく思い当たらないマーベルであったが、何とはなしに見覚えがあるような気もしたので、しばし腕を組んで首をかしげてみる。
もちろんポーズだけでなく、思考も巡らせている。
そして長く1分も考え、ようやく答えにたどり着いた。
「ここ、『古エルフの森』にゃ」
彼女が結論付けたこの答えは正しく、ニューガルズ公国首都から東、タキシン王国との境付近までまたがる『古エルフの森』であった。
なぜそんなところに見覚えがあったかといえば、この森こそが、マーベルがこの世界で初めて目覚めた場所だったからだ。
「そうするとアレにゃ……」
過去、たった数時間しかいなかった印象の薄い森のことを思い出せたので、マーベルは何やら得意気にさらに思案してみる。
あの時、初めてこの世界で目覚めた後に何があったかを、である。
確かあの時は、背をゴリゴリと引きずる不快感で目覚めたのだ。
正確に言えば気を失っていたマーベルが、そのまま森のゴブリンに引きずられていたわけだが。
「この森、ロクなことないにゃ?」
思い出し、したり顔からまた眉をしかめるマーベルであった。
こうしてロクでもない思い出に座ったまま浸っていても、スカートの湿りが広がるばかりなので立ち上がることにした。
立ち上がり、背や尻についた土汚れをパンパンと軽く叩き落としながら細い木漏れ日の方をみる。
この明るさから言えば、まだ昼にもなっていないだろう。
さて、どうしたものか。
確か『ヴァナルガンド』の間で戦闘中だったはずだが。
おそらくカリストの魔法で強制的に逃亡させられたのだろうけど。
それにしても辺りを見るに、他のメンバーとはバラバラなのだろう。
命が助かったにしても不親切この上ない。
「ともかくアっくんたちと合流しにゃいとにゃあ」
落とし物がないか確認しながらそんなことを呟いた時だ。
彼女の足元から数10センチメートルも離れていない場所に、どこからか飛来した矢が刺さった。
マーベルは落ち着いた気持ちのままに身を引き締め、いつでも動けるように姿勢を少しだけ低くする。
「誰にゃ? ヤる気にゃら相手になるにゃ」
マーベルとて前衛職でないまでも『精霊使い』7レベルの手練冒険者だ。
HPは低い彼女だが、生半可な相手の攻撃ならレベルに付随するダメージ減少ボーナスで弾くことが可能なのである。
囲まれた木々に視線を巡らせ相手の気配を探りつつ、マーベルは精霊を召喚する。
「『マグヌスフェルス』を召喚にゃ」
「承認します」
いつものように呼び出す精霊の名を口にすると、これまたいつものように彼女のベルトポーチから声が返ってきた。
当然といえば当然だが、かの薄茶色の宝珠氏はいつも通りマーベルのベルトポーチに収まったままなのだ。
いたの! と言いたげに自分の腰を凝視したマーベルだったが、それも一瞬だ。
すぐに気を取り直して召喚陣を宙に描く。
天を突くような鋭角的な模様を多く含むその陣は森を意匠化したものだ。
『精霊使い』の手仕事として普段から慣れているだけはあり、数秒もしないうちにその陣は完成。
そして召喚陣に呼応して、森の闇からそれはノソノソと現れた。
一言でいえば巨大な猪だ。
中東辺りで大人気の、ロングボディなワンボックスカー程もの巨大な猪である。
立派に突き出た牙一つを見ても『両刃の長剣』並みである。
古い森に住まうという、上位の精霊『マグヌスフェルス』だ。
7レベルで使用可能な精霊魔法の助力者であるが、特性上、森以外で召喚することが出来ない為、強力であるにもかかわらずプレイヤー側からすれば使用頻度が極端に低いという精霊なのだ。
「主様、だとぅ!?」
その姿を見て、マーベルに矢を放ったと思われる者が隠れるのも忘れて呻いた。
いや彼だけではない、実は気づいていなかったが、マーベルを包囲するように配置していた者たちも次々に呆然としながら木陰から姿を現した。
その数は10人。
年若い者から壮年の者まで、どれも森の妖精族であった。
人数には気づいていなかった為にギョッとしたマーベルだったがそれも一瞬。
すぐに気を取り直して、傍らまでやってきた『マグヌスフェルス』の背に手を置いた。
こうするだけで『精霊使い』は精霊と意思疎通ができる。
これでいつでも精霊魔法を行使できるということだ。
『マグヌスフェルス』に力を借りるような精霊魔法なら、よっぽど手練相手でない限りは、この人数差などものともしない。
『マグヌスフェルス』召喚で皆が驚いているところを見れば、彼女に匹敵するレベルの者はいないようなので安心である。
しばし対峙したままザワついていたエルフたちだったが、どうやら初めの目的を思い出したようで気を取り直して代表面した弓持ちの男が数歩前に出た。
「迷いし忌子よ。この森は我らが領域。早々に立ち去って欲しい」
なんだか以前にも聞いたセリフだ。
多分定型のコメントなんだろう。
そう思いながらも最後だけがちょっと丁寧になっているので、言われたマーベルは少しだけ微笑ましい気分になった。
つまり『マグヌスフェルス』の登場にビビっているのだ。
「だいじょーぶにゃ。すぐ出ていくにゃ」
鷹揚な気持ちになったので『マグヌスフェルス』の背を撫でながらそう言ってやり、手を振った。
せっかく召喚したが出番は無さそうだ。
そう思ったがせっかくなので森を出るまで御伴してもらおう。
結果的に、その判断が正解だった。
なぜか。
エルフたちの誘導に従って、マーベルが森から出ようとその場を歩き始めた時のことである。
ドオーンという地響きを伴う大きな音が森の向こうで起きたので振り向くと、森の木々でさえ跨ぐほどの大神『ヴァナルガンド』が土煙をまとってそこにいた。
おそらくどこからかジャンプして来たのだろう。
「なんだあれは……」
「おい、あっちは集落に近いぞ!」
「集落の連中だって気づいてるさ。それより逃げなきゃ」
エルフたちが動揺含みで口々に騒ぎ始める。
あの恐怖の大王を前にして冷静に行動できるものはいないようで、統制というものが全く取れていない。
それはそうだろう。
森の中で静かに暮らし、たまにある侵入者を追い出すだけの変化ない生活なのだ。
緊急事態に対する精神強度は、街に住む人なんかよりよっぽど低い。
ゆえに、誰もが実のある行動を出来ずにいるようだった。
だが『ヴァナルガンド』はそんなエルフどもに忖度などしない。
足がすくみ逃げ出すことも叶わない数人に愉悦の眼差しを向けると、彼は大きな口を開けてエルフたちへと迫った。
「そうはさせんにゃ!」
そこへマーベルが叫んだ。
「『マグヌスフェルス』頼むにゃ! 『シャッテンヴァルト』」
「承認します」
マーベルの言葉が世界に溶け、そして命ぜられた『マグヌスフェルス』がカッカッと威嚇の鳴き声を上げる。
するとかの獣の背から黒い霧が噴出した。
霧は見る見るうちに増えていき、そして食われかけていたエルフたちを覆うのだ。
「ふん、霧ごときで欺けるものか」
獲物を隠された『ヴァナルガンド』だが、せせら笑うように肩を震わせる。
そしてすぐに大きく息を吸い込んみ、獲物たちを覆った黒い霧を吹き飛ばさんと吹き付けた。
所詮は霧である。
『マグヌスフェルス』の力で生まれた黒い霧はたちまち吹き飛ばされ、森はつい数秒前の陽の射しづらい深い森へと戻った。
だがどうだ。
そのほんの一瞬隠された隙に逃げたのか、『ヴァナルガンド』の眼前にさっきのエルフたちはいなかった。
「おのれ、すぐ見つけてやるぞ」
大狼はあちこちに鼻先を向けてスンスンと嗅ぐ。
だが、彼の鋭い嗅覚をもってしても、先ほどの餌を見つけることが出来なかった。
「どうなっている?」
疑問に思い、少しずつイライラを蓄積した『ヴァナルガンド』が、もうすべて薙ぎ払ってから食い尽くせばいいか。
などと不穏なことを考えた始めたその時、森の木々の間を走る影が、ちらりと見えた。
「なんだ、いるではないか」
と、すぐさま木々をなぎ倒しながら駆け寄りパクリと行く。
だが、その牙が肉を食い破ろうという寸前に、そのエルフは黒い霞となって消えた。
「なん…だと……」
これこそ森の上位精霊『マグヌスフェルス』の力による7レベル精霊魔法『シャッテンヴァルト』の効果であった。
もう少し詳しく説明しよう。
『シャッテンヴァルト』は『マグヌスフェルス』を召喚できるほどの森で効果を発揮する魔法である。
黒い霧から派生する幻覚魔法だが、その本質は防御のための魔法だ。
まず敵から黒い霧で防御対象を隠し、霧が晴れた後は防御対象を模して形を成した霧が敵の目を惑わす。
霧を攻撃すれば上記の通り霞と消えるわけだ。
この黒霧による分体は10面体ダイス2個分現れ、すべての分体が消されるか、12時間が経過すると効果が終了する。
苛立ちに任せ『ヴァナルガンド』は幾人かのエルフに咬みついたが、いずれも霧と消えた。
一定の水準にイライラが蓄積したころ、ふと彼は冷静になった。
「弱者など喰うより、1人の強者を喰う方が幾倍も美味いか」
そして双眸をギラリとマーベルへと向けた。
マーベルはすぐさま反対側へ振り向き、一目散に駆け出した。
「エルフの人たちもすぐ逃げるにゃ!」
そう、森の住人への忠告を忘れずに。
「アっくんにゃら何とか……うん、にゃんともにゃらないにゃ」
ともかく、合流すべく。
レッドグースは前話と今回の間に戦・線・離・脱。
マーベルは果たして逃げ切れるのか|(棒)。




