46銀の鍵
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして異世界の悪神ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追いやはり異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
全8階層に及ぶ迷宮攻略を進め、迷宮攻略の期限である3月21日、アスカ隊、ドリー隊、ルクス隊を加えて合同4隊となった一行は、ついに最後の階層へと身を投じる。
どれかがヴァナルガンドに通じるとされる4つの扉を別れてくぐったそれぞれの隊は、その先でそれぞれが強敵たる怪物に出会い、そしてそれぞれの戦いが始まった。
真っ赤なスライム状の奇妙な生物『メッサージエロ』に遭遇したアルト隊は、初めに覚えた楽勝感とは裏腹に苦戦を強いられた。
『メッサージエロ』はただのスライムではなく、こちらが属性攻撃を加えるたびに変化する、不定形の怪物であったからだ。
あれからのアルト隊はと言えば、変身した『メッサージエロ』の弱点を探り、突いてはまた変身されるという不毛な戦いを繰り返していた。
ちなみにルールブックには記載のなかった『ケルベロス』の弱点は『甘い菓子』だった。
「どこ情報にゃ?」
「……神話情報、かな」
弱点というか、好物である。
ともあれ、女性陣が隠し持っていたカルメ焼きのような焼き菓子をあらぬ方向へ渋々投げると、『ケルベロス』はそれを追って背を向けた。
おそらく本能的な反射だったのだろう。
『メッサージエロ』はそこで「こいつはダメだ」と判断したようで、ぐにゃりと歪んで姿を変えた。
それからは先に述べたように、イタチごっこの繰り返しである。
そして今、『メッサージエロ』はアルト隊の前で巨大なスズメバチの姿を現した。
「怖い怖い怖い!」
「おお、なんかアっくんのトラウマ刺激したにゃ?」
「子供のころ追いかけられでもしたんやろなぁ」
ただでさえ攻撃的で恐ろしいフォルムのスズメバチだが、これが人間の子供ほどのサイズになるともはや芸術的ですらある。
が、アルトには死の象徴とすら見えた。
子供のころ一度刺された後、親から散々に『アナフィラキシーショック』について吹き込まれた結果だ。
もう彼の中では「もう一度スズメバチに刺される=死」という図式が出来上がっているのだ。
「スズメバチの弱点てなんにゃ? めんつゆトラップ?」
「それはコバエやろ。確かミツバチは『熱殺蜂球』でスズメバチ退治するって聞いたことあるで」
「なにそれカッコいいにゃ」
「『熱殺蜂球』とはミツバチが群がって蒸し殺す、捨て身の戦法だよ」
「虫だけに蒸し殺すのですな。ふふふ」
腰を曲げて刺し針を突き出してきた巨大スズメバチと必死の攻防を交わすアルトの後ろで、仲間たちはそんな会話を繰り広げた。
「ちょ、みんなそんな暢気な! オレそろそろスタミナ切れるからマジ助けて!」
そう、彼らと『メッサージエロ』との戦いが始まってから、すでに10ラウンドも台も後半に突入していた。
彼の言う通りなら、当然スタミナ切れ間近だ。
スタミナが切れれば戦闘のような全力行動には著しいペナルティが発生し、さらに蓄積すれば身動きすらできない状態に陥る。
ところがそんなアルトの必死な訴えは、他の者たちからは「?」という表情で迎えられた。
「ああ、そうか。ごめんアルト君。僕らは休み休みやってたから」
と、カリストからそんな言葉が返ってきた。
実はルール上、スタミナ切れ前に1ラウンドでも戦闘から外れれば疲労の蓄積がリセットされるのだ。
なのでアルト以外のメンバーは、ローテーションで広間の壁際まで下がって「戦闘から離脱します」などと宣言して了承されていたのだった。
ちょっとインチキ臭いがシステムが了承したのだから仕方ない。
これはドラスレ階で行った『24時間戦えますん作戦』の応用である。
「ずるい!」
アルトは思わず声を上げる。
こればかりは彼の言葉も仕方ない。
アルトは思う存分泣いていい。
そりゃ後衛たちが暢気に構えているはずだ、とアルトは釈然としない気持ちを抱えながらも、必死にスズメバチの刺し針を『蛍丸』で捌いた。
「とう言うか、ね」
そんな温度差の違う前後衛間を超えて、カリストがのほほんとした言葉をアルトにかける。
「なんですか!」
時に『木の葉打ち』や『ツバメ返し』を挟みつつ、アルトが返答する。
カリストは言葉を選ぶように「あー」とか「うーん」を挟んで核心を述べた。
「アルト君、下がっても大丈夫だよ」
「え?」
とはいえ、その内容はどんな言葉で述べられたとしても、アルトには疑問としかならなかった。
大太刀を捌きながらも疑問符を増やし続けるアルトに言い聞かすのを諦めたか、カリストは小さく溜息をついてから視線をその先のスズメバチへと向けた。
「ですよね? 『メッサージエロ』さん」
そんなカリストの言葉を受け、巨大スズメバチは素早い動きでアルトの攻撃圏から飛び退り、そして小さく肩をすくめるような仕草を見せる。
正真正銘昆虫の身体なので肩も何もないが、そう見えたのだ。
「え、マジ、どういうこと?」
これまで何度も斬り結んだ蜂の刺し針が突然退き、アルトは『蛍丸』を振り下ろしたままに呆然と呟いた。
互いの陣営に、しばしの沈黙が流れる。
それはそれぞれが現状を理解し飲み込むための時間だった。
が、当然、アルトには全く理解が出来ない。
今の今まで剣を合わせていた敵がカリストの言葉を聞いて素直に退き、そしてそのまま様子見という雰囲気でもなく時間を持て余しているように見えるのだ。
「……遊んで、いるのか?」
ようやく何となく思いついたアルトの呟きに、カリストは深く頷く。
「たぶんね。後衛からだと明らかに手を抜いているのが良く見えたよ」
ゆえに、後衛があれほど弛緩していたのか。
と、アルトはようやく合点がいった。
近くなくては見えないものもあるが、近すぎて見えないものがあるのだ。
今回の事象はそういう事柄なのだろう。
「でもなんで?」
「さぁ」
さすがに理由までは解らないので、カリストは肩をすくつつ首を横に振った。
振って、そのまま視線を巨大スズメバチへと固定する。
「よろしければ、何が目的なのかお話しいただけませんかね。『メッサージエロ』さん?」
それまで落ち着きなくフラフラしていたスズメバチの複眼が、その言葉でぴたりと止まる。
昆虫の視線などいまいちわからないが、義兄との付き合いで慣れたアルトはその目がカリストに向いているように思えた。
そして、巨大なスズメバチはまたもグネグネと肉の塊に変形し、その後、徐々に人型を取り始めた。
数秒もすると肉塊の形は安定し、浅黒い肌で長身痩躯の成人男性になった。
服装はと言えば、様々な幾何学模様で彩られた腰布に緑や黄の縞柄のベルトを着けている。
その上に、シルクの「布」をゆったりと幾重にも纏っていた。
「無知蒙昧な人の子にしては察しが良い。誉めてやろう」
男は尊大な態度でそう言い、まるで見下ろすかのようにアルトたちを眺めて鼻で笑った。
するとアルトたちを目に見えない重圧にも似た空気が襲う。
いやそれも正確ではない。
とにかく、そんな風のような何かを浴びた途端、アルトたち全員の心に言い知れぬ恐怖が押し寄せた。
気を抜いて恐怖に飲まれれば、たちまち気狂いにでもなりそうな、そんな恐怖だ。
アルトやモルトはたちまち上下の歯をカチカチと鳴らし、マーベルやレッドグースは隠れる場所を探して右往左往した。
そんな中、カリストだけが変わらず平然と立っていた。
否。
実際には平静ではない。
そう見えただけで、今にも気を失いそうなところを耐えていた。
ただアルトたちに比べ、カリストは精神的な苦痛耐性が高かったのだ。
なぜか。
プログラマー時代のブラックな職場環境が彼の強気心を培った。
訳ではない。
いやそれも一部影響しているだろうが、彼の耐性の大部分は、狂人キヨタ氏に囚われていた時に造成されたものだった。
ともかく、「アルトたちよりはマシ」という状態のカリストは思った。
「このままではマズい」
と。
今、正体を現した浅黒い肌の男は当然ながら人間ではない。
もっと高次元の生物だろう。
いや生物とも呼べないかもしれない。
ともすれば神、邪神の類である。
それはこの迷宮攻略のきっかけとなった異世界の悪神『ヴァナルガンド』に匹敵するか、もしくはそれを凌駕する威風を纏っているように感じた。
なぜこのような者が『ヴァナルガンド』に従っているのか。
「別にあの狼神の配下ではない」
男はそんなカリストの内心をすんなりと読み解き、面倒そうに答えた。
当然、カリストは驚愕の余りに震えた。
が、眼前の男が神格を持つ者であれば不思議はない。
そう思いなおして持ちこたえる。
そんな様子にまた鼻で笑うと、男は続けて口を開いた。
「少し遊びに付き合った礼に、疑問に答えてやろう。疾く問うがよい」
「お前は、いったい……」
いくらか落ち着きを取り戻したアルトがそう言いかけた。
だがカリストがすぐに遮る。
怪訝な顔のアルトを手だけで宥め、カリストは男の前に膝をついて頭を垂れた。
「偉大なる御方におきましては、いったいここで何をしておられるのでしょう?」
まるで王に言上するかのような態度と物言いに、アルト隊の他の面々はギョッとしつつ従って膝を折った。
何が何だかわからないが、そうでもしなければ次の瞬間に消滅してもおかしくない。
そんな気分にさせられたからだ。
男はいつの間にか背後に現れた玉座へとゆったりと腰を下ろし、頬杖をつく。
「お前が良く知るキヨタとか言う小僧に呼ばれてな。面白そうだから少しだけ付き合ってやることにした」
「キヨタ氏が?」
カリストの記憶にこの男のことはない。
するとキヨタと彼が接触したのはもっと前の時代なのか。
そう疑問が浮かんだが、そうした細かいことより重要なことがある。
彼がここで何をなすつもりなのか、という事だ。
「と、言いますと?」
だから、先を促すように首を傾げた。
男は「ふむ」と少し考えてカリストの意を読む。
そしてカリストの求める答えを口にした。
「キヨタが用意したゲームだよ。私の勝利条件は『ヴァナルガンド』なる獣神にお前たちを食わせることだ」
これにはカリストだけではなく、アルトたちも首を傾げた。
それが目的であればこんなところでアルトたちの相手などせず、『ヴァナルガンド』のもとに行かせればよいだろうに。
だが彼の話はまだ先があるようだ。
「やってくる人間を次々に食わせる。
だが、あまりに多くを一度に寄越すと『ヴァナルガンド』が逆に食われてしまうかもしれないからな。
だからこうやって邪魔して、時間差で送り込むのだ」
これで合点がいった。
男にとってアルトたちの相手をするのは、本当にただの暇つぶしでゲームなのだ。
自分自身が負けるなどとは露とも思っていない
だが自分がうまく調整してやらないと『ヴァナルガンド』は簡単に死ぬと思っているのだ。
そんな訳はないと思うが、そこは「アリと象の戦力差」が理解できない超越者の視点なのだろう。
「さて」
話を理解し愕然としたアルトたちから視線を背け、男はどこか遠くを見る。
「どうやら他は私の化身を退けて先へ進んだようだ。もうしばらくしたらお前たちも行くがいい」
と、男はそう言って、もう興味を失ったようにため息をついた。
「このまま『ヴァナルガンド』とやらを利するだけというのもつまらんか」
だがまた何かを思いついたようでニヤリと笑う。
そして懐からおもむろに銀色の小物を取り出した。
男はチェーンのついたそれを手の先にぶら下げる。
見れば10センチメートル超で複雑な模様を施された銀色の鍵のようだった。
「まさかあれは、カーター先生の『銀の鍵』……」
「知っているのかおっさん」
レッドグースから思わず出た、驚きに満ちた呟きをアルトが拾う。
だがレッドグースはその後も「まさか」「そんな」「あれは創作で」とつぶやくばかりだった。
その呟きを拾ったのはアルト隊ばかりでなく、男の耳にも届いていたようで、彼は小さく頷いた。
「この鍵の力を使えばお前たちは元の世界へ帰ることが出来る。望むなら帰してやるが、さて、どうする?」
男はアルトたちの反応を楽しむように見渡し、これ見よがしに銀の鍵をチャリチャリと振った。
関心が無いのか表情が変わらぬ者。
苦悩が見て取れる者。
苦笑いを浮かべる者。
それぞれが別の反応を示す中、一人、ねこ耳童女マーベルだけは怒りをあらわにしたような表情で床を強く踏んだ。
「帰るにゃ!」
皆がハッとして彼女を見る。
そりゃそうか。
と、アルトなどは納得気な目を向ける。
元の世界の家族や生活について、誰もがなるべく語ろうとしない中、彼女だけはたまに自らの父や母について平然と語っているのを何度も聞いていた。
マーベルは、帰れるなら今すぐにでも帰りたいのだろう。
とも思う。
だが、次に瞬間マーベルからはアルトの予想とは全く違う言葉が紡ぎだされた。
「……ただし、ヴァ何とかをプチのめしてからにゃ」
これには一同唖然とし、そして男は盛大に笑い声をあげた。
「これは面白い人の子……いやバステトの眷属か? ならこれは『ヴァナルガンド』を下した時の景品にしてやろう」
つまり、これで彼らは『ヴァナルガンド』を倒しさえできれば、元の世界に変えることが出来ることとなった。
彼の『銀の鍵』がはたして本物であれば、の話ではあるが。
アルト隊のうち何人かの目が得物を狙うように光る。
「では行くがいい。そろそろ良い頃合いだろうからな」
男は笑い終えるとそう言って王座ともどもかき消えていく。
残されたのは広間に横たわる闇だけだ。
アルトたちはしばしそれぞれの思案に没頭し、無言でうなずき合う。
かくして彼らは、世界の存亡と自らの帰郷をかけて、異世界の悪神へと挑むべく、『メッサージエロ』の部屋を辞した。
ウィザードリィに『フラック』という人気モンスターがいます。
多くの人はピエロのような姿の彼を見たことがあるでしょう。
ですがあれはあくまで末弥氏のデザインで、初期アップル版では赤いスライム状のモンスターでしたし、別の移植版では髑髏だったりします。
また『フラック:Flack』という言葉には『広報官』という意味があります。
様々な姿を持つ広報官。
このことから「フラックのモデルは、もしかすると有名な『暗黒のファラオ』さんなのではないだろうか」と思うようになりました。
ウィザードリィって結構節操なくネタ盛り込んでますしね。
まぁどうでもいいK島の妄想話でした。
『暗黒のファラオ』について知りたい方はググってどうぞ。




