44小休止と勝ち目の見えた者
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして異世界の悪神ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追いやはり異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
全8階層に及ぶ迷宮攻略を進め、迷宮攻略の期限である3月21日、アスカ隊、ドリー隊、ルクス隊を加えて合同4隊となった一行は、ついに最後の階層へと身を投じる。
どれかがヴァナルガンドに通じるとされる4つの扉を別れてくぐったそれぞれの隊は、その先でそれぞれが強敵たる怪物に出会い、そしてそれぞれの戦いが始まった。
皆が扉の向こうへ去ったことで、第8階層スタート広間はシンと静まり返った。
「途端に寂しくなったでありますな、黒猫の兄貴殿」
「にゃぁ」
誰もいないかと思いきや、そんな小さな声が広間に響く。
見る者がもしいたなら視点を下げてみると良いだろう。
そこには深緑色のスリムなドレスを着た人形サイズの少女ティラミスと、その傍らでうずくまる黒猫ヤマトがいる。
この2人は範囲攻撃などを受けたとき、真っ先にHPが尽きることを考慮してお留守番係を拝命したのだ。
「いつものことでありますが、こういう時は暇でありますな」
「にゃぁ」
考えてみれば生みの親である古代魔導士デピスがその姿を消してからしばし独りぼっちで浮遊転移基地『ラズワルド』の番をしており、エネルギーが尽きた後は何百年と眠りについていた。
独りにはすっかり慣れた気になっていたが、ここ最近行動を共にするアルトの兄貴を始めとした面々の騒がしさにほだされ、こういう時に心細さがつのるようになった。
デピス卿が何年も浮遊転移基地『ラズワルド』を訪れなくなり、「彼はもういないのだ」と悟らざるを得なかった、あの時のように。
「にゃ」
そんなティラミスの気持ちを察したように、黒猫は彼女をそっと尻尾で包み小さな肩をテシテシと撫でた。
「そうであります。今は黒猫の兄貴がいるでありますな」
ティラミスは少しほほえみを取り戻してそう頷くと、自分を抱くようにもたれ掛かる黒い尻尾を優しく持ち上げて立ち上がる。
「兄貴たちはすぐ帰ってくるはずであります。今のうちに荷物の整理でもするであります」
半分はカラ元気交じりで、腰に手を当てて威勢よく宣言し、ティラミスは自らの背に負っている鞄を下した。
中にはいつもの冒険セット以外に、錬金少女ハリエットから託されたいくつかの品も入っているのだ。
「にゃぁ」
黒猫ヤマトは息を漏らすような声を上げると、肩をすくめて組んだ前足に顔をうずめた。
まるで「それは私の仕事じゃないから、あとはよろしく」とでも言っているかのようだった。
「これは、MP回復薬でありますな。これは幽霊除けのお札。……はて、これは何でありましたか?」
いくつかのアイテムを鞄から取り出して床に並べる。
ふとそこに、記憶からすっぽりと抜けた薬ビンが出てきたからティラミスは首を傾げた。
人間の手の平にちょうど収まる大きさで、ピンク色の液体の入った小ビンだ。
ちなみに彼女の背負っている鞄もハリエット嬢の作品であり、名を『多次元鞄』というそうだ。
鞄の大きさは人形サイズなのに、人間の鞄と同じだけの量が入るという不思議な鞄である。
材料が貴重すぎてこのサイズでしか作れないと言っていたので、ティラミスをはじめとした『人形姉妹』だけに配られている。
ともかく。
ティラミスが入っていた謎の薬品に首をかしげていると、すぐ傍らで目を瞑っていた黒猫ヤマトが耳をぴんと立てた。
「にゃ」
続き、片目を開けて小さく声を漏らすので、その指し示す方向を察して視線を向けてみれば、4つある扉の一つがゆっくりと開いた。
そこから出てきたのは、まず疲れ切ったように肩を落として『両手持ち大剣』を引きずる求道者然とした青年剣士ルクス。
その後からもぞろぞろと彼の仲間が続いて出てくる。
「何が『避けタンク』だ。ファルケ兄が避けた竜巻、全部後ろに飛んできてるじゃねーか。おかげで後衛までボロボロだぜ」
「いやースマンスマン。途中から避けるのに夢中でつい」
「昆虫の兄上はタンク向きではないでござる」
無口な先頭のルクスと違って、後に続いた面々はやいのやいのと騒がしい。
広間は途端に照度がいくらか高くなったような気がした。
「エル、と、その兄貴たち。お帰りであります」
「今、帰ったでござる」
ティラミスがにこやかに微笑みかけると、プレツエルをはじめとしたルクス隊の面々が相貌を崩して思い思いに挨拶を返す。
よく見ればあちこちに焼け焦げた跡が散見され、扉の向こうでの激闘が察せられた。
「アルトの所のちっこいの。俺たちが最初か?」
ティラミスたちがいる広間の中央付近まで来て、床にドカリと腰を落ち着けたルクスが、自分の剣を点検しながら口を開く。
「ちっこいのではなくティラミスであります! アルトの兄貴の兄貴たちが最初であります」
『ちっこいの』呼ばわりに少し憤慨しつつも、質問にはすぐ答る。
ルクスもそれに満足して「そうか」と短く言ってから、また装備の点検に集中しだした。
「他の救援に行った方がよくないか?」
と、すでに床に根を張ったかのように動く気配のない長兄を呆れたように見て、赤毛の魔導士エイリークが肩をすくめながらそう提案した。
この広間から続く、あと3つの扉の向こうにはそれぞれ強敵がいて、他の仲間たちがまだ戦っているはずなのだ。
「そりゃそうだが、連戦にならない程度に休憩してからじゃないと、俺たちだって役に立てねーよ」
その提案に応えたのは次兄である異形のバッタ怪人ファルケだ。
彼の言う通り、このメリクルリングRPGの世界では、戦闘という極限の集中状態を数分程度しか持続することが出来ない。
彼らこの世界で生まれ育った者たちには、そうしたルールを説くGMのような存在はいない。
が、それでも長年積み重ねられた傭兵の知恵や経験でそうしたルールが存在することは知られていた。
具体的に言えば個人差はあるがおおよそ18ラウンド、つまり3分程度が限界だ。
それ以降は大幅なペナルティが課せられ、それでも集中状態を続けると、最悪行動不能に陥ることもある。
ただこれは集中力や全力行動による筋力の持続に問題があるためなので、その後、数分の休憩を挟めばまた行動可能となる。
我々の住む世界と違うところは、休憩さえ挟めば常に全力が出せるというところだろうか。
ともかく、そんなファルケの言葉にルクスも無言で頷いたので、エイリークも渋々といった表情で床に腰を下ろした。
「まぁまぁ兄上はアルト殿が心配なのでござろうが、かの御仁も一角のサムライでござる。やすやすとやられることはござらんよ」
「べ、別に心配なんかじゃねーよ」
結局、意図せず発したプレツエルのそんな言葉のおかげで、この場はまた静かになった。
静か、とは言え、周りに人がいる空気というのは寂しいものではない。
ティラミスは小さな笑みを湛え、また黒猫ヤマトに背もたれながら荷物の整理に戻っていった。
さて、話は1~2分という短い時間をさかのぼる。
そこはドリー隊が飛び込んだドアの向こうだ。
「『ファタモルガナ』」
白磁の魔導士カインがマナを集中して唱えると、最前線で冒涜的な骸骨『スケリトルファルチェ』と対峙していたシノビ少女ヒビキのすぐ隣に、なにやら光の粒子が集まり始めた。
「なんだ!?」
驚いたのは当のヒビキであり、いつものクールぶった雰囲気ではなく、つい素っ頓狂な声が出る。
それでも対する『スケリトルファルチェ』の揺らぐ炎の瞳は、ヒビキを捉えて離さなかった。
ところが、だ。
次の瞬間、その炎が困惑ゆえに左右に揺らいだ。
カインの魔法によって現れた光の粒子が、紺装束を纏ったヒビキそっくりな人型を取ったからだ。
「お、カイン得意の幻影魔法か」
その様子を見取り、つい爽快な気分になって黒髪の少年剣士ドリーは声を上げる。
あげて、すぐカインにたしなめられた。
「馬鹿者、ネタを大声で晒すヤツがあるか」
「ご、ゴメン」
叱られてすぐ口をつぐんだドリーだったが、とは言え、この異形の骸骨が人語を解するとは思えない。
実際、理解している様子はなくただ二人に増えたターゲットに戸惑っていた。
「よし、ヒビキ。『忍法・影潜り』していいぞ」
そしてその様子に満足したカインがぞんざいに言った。
ヒビキは釈然としない気持ちを溜息一つで抑え込み、「承知」と一言返してから自らの影へと沈んで消えた。
その後は簡単だ。
水晶の柱が無数に生えた薄暗い部屋なので、渡る影には困らない。
ヒビキは囮役を幻影に任せて、そのままカインたちのいる後方まで下がった。
「お疲れ様、ヒビキさん。後はしばらくこっちに任せてもらっていいと思うよ」
姿は見えないまでもそんなヒビキの移動を察した神官剣士アッシュは、優しい声でねぎらいの言葉をかける。
先ほどから飛んでくるカインの指示にいくらかささくれ立っていたヒビキだったが、彼の言葉でいくらか落ち着く。
お気楽そうなドリー。
口が悪く居丈高なカイン。
そして当たりの柔らかいアッシュ。
なるほど、この隊はある意味バランスが取れているのだな。
ふと、そんな場違いな納得をして少し可笑しくもなった。
さて、その後はカインが指先をクイクイと動かしつつ幻影を操作して、『スケリトルファルチェ』を水晶の森からドア前の平地まで釣り上げた。
こうなれば両手剣を修めたドリーの攻撃も真骨頂を発揮する。
「よっし任せろ、『バンディッドストライク』」
気勢を上げ、黒髪をなびかせたドリーが『両手持ち大剣』を構えて叫ぶ。
すると水晶ばかりが淡い光を放つ薄暗い部屋に雷鳴がとどろいた。
『バンディットストライク』が呼び寄せた凶事をはらむ雷だ。
その雷を大剣に纏い、振るわれた一閃が暴風を生むかのように『スケリトルファルチェ』を襲った。
カインが生んだ幻影さえ歪む威風の中で、禍々しき異形の骸骨もさすがに無視できなかったのか、炎の瞳がゆらりとドリーへと向く。
その視界の中で数歩、ドリーが遠ざかった。
いや、遠ざかったのは自分の方、すなわち『スケリトルファルチェ』自身である。
『バンディットストライク』はその威力もさることながら、追加効果でノックバックが発生するのだ。
『スケリトルファルチェ』は背後に繁る水晶の森へと激突し、そして破片が飛び散った。
その破片が骸骨のそれなのか水晶のそれなのか。
とにかく辺りにキラキラと降り注いだ。
眼孔の奥にある炎が、ひときわ大きく燃え上がる。
「怒ったか? なら、来い!」
ドリーが手で招くように挑発しながら言えば、言葉は通じなくても意味は解ったらしく、『スケリトルファルチェ』は猛然と彼へと突進を始めた。
まるで昆虫のように複数の足をせわしく動かし、『スケリトルファルチェ』は途端にドリーへと迫る。
迫り、振り上げた4つの鎌が同時にドリーへと襲い掛かった。
ゲーム的に考えればいわゆる『4回攻撃』だが、上下左右から別の生き物のように襲い掛かる4つの鎌を避けるのは容易な話ではない。
それでも何とか2本はかわし、左と下から薙ぐように襲ってきた2本の鎌に掬い上げられた。
身体が反るほど跳ね上げられ、そして数歩後ろに頭から落ちる。
これでドリーのHPも半分以上が持っていかれた。
もし4つの鎌をすべて浴びていれば、即死も免れなかっただろう。
「アッシュ、回復魔法だ」
「任せて」
焦りの声色を隠しもせずカインが叫べば、待ってましたとばかりに一歩飛び出した神官剣士アッシュが短い言葉で聖なる御業を行使した。
「『キュアライズ』」
かの言葉を天は聞き入れ、吹っ飛ばされたダメージから立ち上がろうとするドリーの足元に青色の聖印が浮かび上がった。
上に矢印のような笠をかぶった十字の紋章。
アッシュが崇めるアルセリア島の土地神、『ラ・ガイン』の御印である。
たちまち青白く暖かい聖なる光がドリーを包み、そして彼のHPは危険域を脱した。
「サンキュー、アッシュ。助かったぜ」
スクっと立ち上がったドリーが親指を立てて笑顔を向けると、アッシュもホッとしてサムズアップを返した。
「ドリー、どうだイケるか?」
少しだけ表情の片隅に心配そうな色を隠しつつ、カインが問う。
これにもドリーは不敵に笑って答えた。
「なに、一撃で俺を殺せないなら大したことはない。余裕だヨユー」
この言葉を受け、笑みを漏らしたカインは大きく頷く。
「よし、ならこのまま畳みかけるぞ」
「おう」
そして彼らは身を削りあう戦いへと突入した。




