02ランダムエンカウント
メリクルリングRPGにおいて、プレイヤーが選べる職業は9種類ある。
『傭兵』『警護官』『盗賊』『魔術師』『精霊使い』『聖職者』『弓兵』『学者』『吟遊詩人』である。
プレイヤーはイベント、ミッションの達成、戦闘などによって得た経験点を使い、複数の職に就くことが出来る。『経験点を支払って職業のレベルを買う』と例えると近いだろうか。
例えば『傭兵』兼『弓兵』、『魔術師』で『学者』というキャラクターを作ることが出来る。
もっとも各職には特徴や役割だけでなく制約もある。
『精霊使い』は例外を除き金属製品を使用してはならないし、『盗賊』は軽量の非金属鎧を着なくてはならない。
その為、職を併用すればするほど制約が増え、役立たずの器用貧乏になってしまうこともあるので注意が必要である。
ある日、テーブルトークRPGで遊ぶ為に数人の初対面同士が集まった。
だがなぜか、気づくとそこは、遊ぶ予定だったRPGの世界の中だった。
『傭兵』を選んでキャラクターを作成。名前はアルト・ライナー。ところがどうしたことか、いくら頭を捻っても、思い出せない事がある。
『アルト』が『作成したゲームキャラ』という自覚はある。なのにそのプレイヤーたる自分の名前がわからない。そもそも、今この世界では、このアルトこそ自分なのだ。
理性ではこの忘却がとても大事なことだと理解できる。なのに不思議と、気持ちの上では全く重要に感じないのだ。
なのでアルトは、ひとまずこの件は棚に上げておくことにした。
考えるべき事はいくらでもあるのだ。
集まったのは確か金曜日の夜だった。今がそれからどれくらい経っているのかわからない。
もしすでに週が明けて月曜日となれば、彼は学校に行かなければならないはずだ。
しかしこうなっては学校どころではないではないか。
『仕方ない』などと考えつつも、少し気が楽になった。アルトという少年に取って、学校は憂鬱な場所でしか無かったから。
「どうしてこうなったのかわかりません。原因も理屈も全く不明です」
アルトの手にある薄茶色の宝珠から声がする。これはどうやらあの部屋の主でもあったGMのようだ。
「しかし原因不明だとしても、ここがメリクルリングRPGの世界ということは、間違いがないようです」
「そう…なのか」
淡々と語るGMになんと答えていいかわからず、ひとまず相槌を入れる。
「どういう仕組みか、私からはアルトさんの姿以外に、アナタのステータスを見ることが出来ます。職業『傭兵』2レベル。スキル『サムライ』ランク1と出てますね」
「…うん。間違いないな」
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『スキル』はメリクルリングRPGにおいて、職業ごとに習得できる様々な『技』のことである。
例えば『傭兵』1レベルとなった者は『片手武器修練』『両手武器修練』『サムライ』『デュエル』という4種類のスキルから1つだけ修得することが出来る。
『片手武器修練』は『両刃の長剣』などの片手武器、『両手武器修練』は『戦斧』などの両手武器、『サムライ』は『無銘の打刀』をはじめとする刀系武器を使用する時にボーナスを得ることが出来る。
『スキル』には習熟度を表す『ランク』がある。1から5までの数字で表され、2種類の条件でランクアップすることが出来る。
ひとつは『職業』のレベルが上がった時。もう一つは使用回数が規定の回数に達した時である。
また『職業』のレベルが上がった時、ランクアップせずに『別のスキルを身につける』という選択肢も存在する。
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「キャラクターはみんなあの場で作りましたし、さすがにこんな手の込んだ悪戯を即興でやる、なんてのは無理でしょう? なら状況的に『ここがメリクルリングRPGの世界』であると考える方が自然です」
「そうかな、そうかも」
納得はしたくない、が納得するしか選択肢がない。そんな状況のようだ。
元の世界に帰るにしても、原因も仕組みもわからない、手がかりもない、ないないづくしの状況である。何か一つ、仮定でもいいから確実と思えることがないと、先に進むことすら出来やしない。
「オーケー。ここがゲームの中なのは解った。オレが『傭兵』なのもね。ならこの後どうしたらいい?」
「それはわかりません」
「あんたGMだろう!」
あまりにアッサリとしたGMの物言いに無責任さを感じ、アルトは思わず激高する。カッとなり、そしてすぐ後悔した。
考えてみればさっきGMは『さすがにこんな手の込んだ悪戯を即興でするのは無理だろう』と言った。ならそれはGMにも無理なのだ。
である以上、GMだからと言って『この状況の責任などない』ということで、怒りをぶつける先がお門違い、ということだ。
「いやいや申し訳ありません。こんなことになろうとは、さすがに私も予想しておりませんでした。不徳のいたすところで」
それでもGMは大人だ。アルトの苛立ちをやんわりと受け止める。
「それから正確を期すなら、私は『元GM』となります。どうやらこの世界に対するメタ情報は持っていますが、行く末に影響を与える術はないようです」
テーブルトークRPGにおいて、GMは度々『神』に例えられることもある。ルールを管理し、モンスターや世界の住人の行動を決定し、プレイヤーに手心を加えたり、誘導したりすることも出来るからだ。酷いGMになると、キャラクターを死に追いやることを楽しみにするような者さえいる。
だがこのGMは言う。すでに自分はGMではないと。
ならこの世界のGMは誰なのか。何が目的で、どうすればミッションクリアとなるのか。
すべてが不透明。アルトは、足元があやふやで不安定な場所に立っているような感覚に襲われた。いままでプレイしてきたゲームの主人公たちも、いつもこんな思いをしていたのだろうか。
「なんだこれ、意味もわからずフィールド上って、ファミコン時代かよ」
「おやファミコンなんてよく知ってますね。レトロゲームがお好きなんですか?」
アルトのつぶやきに、あくまで暢気な返答のGMだ。彼はあまりこの事態を深刻に捉えていないのだろうか。
「ありましたねー。ワルキューレもハイドライドもいきなりフィールドでした。破邪の封印なんか視界も狭くて投げ出したくなりましたよ。そう考えるとドラクエは画期的でしたよね。始まりが王様の間で、明確な目的が語られますし」
まさに年代ジャストミートのGMは饒舌に語る。しかしアルトはもう相槌すらうたなかった。
その時だった。
背後の森で下生えの草木が音を立てた。
この場で足音を立てることが出来るのはアルトのみ。そのアルトでない足音ならば第三者の登場としか考えられない。
アルトは緊張で身を固くし、直後、希望的な思いが去来した。
この世界がメリクルリングRPGなら、あの部屋に集ったプレイヤー仲間があと4人いるはずだ。ならこの足音はその誰かではないだろうか。
しかしその期待はすぐさま破られた。
茂みから現れたのは背の低い化け物だった。
耳と鼻が異形らしく長く折れ曲がり、肌は吹き出物や垢でガサガサしている。背丈は人間の子供くらいで、何よりも恐ろしく臭い。そんな化け物が1人、いや1匹といった方がいいのだろうか。
「ゴブ…っ!」
言いかけて言葉が詰まった。
アルトは『ゴブリン』と言おうとした。それはもはやファンタジー系のゲームをやる者ならお馴染みの雑魚モンスターの名前である。
しかし言いかけて、言葉が詰まった。言いよどんだ訳ではない、文字通り、声が出なかったのだ。
「そうかアルトさんは『ズールジー』スキルを持っていないから」
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『ズールジー』は『学者』のスキルの一つで、この世界の動物・怪物に関する『ロール』を行うことの出来るスキルだ。
『ロール』とは成功・失敗を判定する為にサイコロを振る行為で、例えば怪物に会った時、『ズールジー』スキルを使用し、ロールに成功すれば『その怪物の名前や生態を知っていた』ことに出来る。
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「どういうことだってば」
「要するに『アナタ自身の知識』で『ゴブリン』を知っていても、キャラクターであるアルトさんは『知らない』ことにされているんです」
アルトはギョとした。
それはテーブルトークRPGなら当たり前の会話だったが、この世界で肉体を持ってしまったアルトにとって、違和感ばかりが募る話だ。
「ワンダリングモンスターのようですね。反応は敵対。どうします?」
「何言ってるのかわかんねーけど、どうすりゃいい、逃げるか? 逃げられるのか?」
誰に言うでもなくアルトの口から漏れる。額に背に、冷ややかな汗がドッと噴き出る。
初めは出会いがしらに怯んだこの亜人間も、獲物を見定めたように手にした『短剣』をアルトに向けた。
「アルトさん、もはや無傷で逃げるのは厳しい状況ですよ!」
言われて気づくが、いつの間にもう1匹の妖魔が回りこんでいた。
「いや確かにオレ、『傭兵』だけどもっ」
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『傭兵』は戦士系職業の一つである。前衛にて、武器による攻撃で敵を殲滅する力に長けている。
またスキルを極めることで、強力な技を放つようにもなる。
ただし攻撃に特化する為、『板金鎧』のような重量級の装備を身につけることができないという制約もある。
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アルトは『傭兵』だ。手にした刀で敵を切り裂くのがその役目である。
しかしこの世界では『傭兵』だとしても、実際の武術経験は体育の柔道のみだったし、その経験すら、真面目にやった記憶が無い。
だがもはやヤルしか無いようだ。
「こんなことなら、もう少しまじめに授業受けるんだったぜ」
しぶしぶとアルトは『無銘の打刀』を抜く。構えは中段。木刀も竹刀も持ったこと無いアルトだったが、その立ち居はなかなか様になっている。
「アルトさんは『傭兵』2レベル。ゴブリンとなら互角の勝負ができるはずです」
メリクルリングRPGにおけるゴブリンは2レベルのモンスター。それは同レベルのキャラクターと互角であることを意味する。
「互角かよ! しかも相手2匹いるし!」
やけくそ気味に斬りかかるアルト。中段の構えより上段に跳ね上げてからの一閃。ゴブリンは咄嗟に避けることが出来ない。アルトの手に肉を切り裂く感触がリアルに伝わる。
「うへー、気持ち悪りぃ」
ゴブリンのダメージは小さく無いようで、後退りながら足元がふらついた。
「お、割とイケそう?」
初めて刃物で生物を切り裂いた。しかし相手が化け物でここがゲームの世界なら、と、特に罪悪感は感じなかった。それどころか自分の剣打が命中し、少なからずのダメージを出した事に軽い興奮を覚える。
「よしもう一発…」
アルトは調子づいて連撃を加えようと足を一歩踏みだした。いや踏み出そうとして足が止まった。これは先程『ゴブリン』と声を発した時と似た感覚だ。
「今度は何だってんだ」
「落ち着いて。ラウンド制バトルです。こんなところまでゲーム準拠とは」
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ラウンド制。またの名をターン制。ゲーム戦闘の一形式である。
コンピューターのRPGでもお馴染みの方式で、各自1ラウンドに1回ずつ、素早さの高い順に行動する。
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つまりアルトは2匹のゴブリンから、攻撃を1回ずつ受けなければ、次の攻撃ができないことになる。
「マジかっ」
「残念ながらマジですね」
アルトの背では冷や汗が止まらない。
気勢を上げながら、2匹のゴブリンがアルトを襲う。しかも片方は背後からの攻撃である。背後からの攻撃には『命中率』『ダメージ』ともにボーナスが付く。
ザシュッ ザシュッ
アルトの身体を錆びた短剣が二度、前後から切り裂く。『鎖帷子』のお陰で切り傷にはならないが、金属の棒状武器で殴られているも同然。痛いものは痛い。
「痛てーよ、めっちゃ痛いよ。かんべんしてくれ」
再び『無銘の打刀』を構えるアルト。興奮と焦燥で気付かなかったが、不思議と身体は問題なく動作している。恐れによる震えも、痛みによる鈍りもなかった。
だが程度の問題ではない。小学生以来何年もケンカなどしたことないし、前述の通り武術経験もない。それはすなわち、痛みに縁遠い生活を送っている事に他ならない。身体の動作に不自由がなくても『良し』とできるわけがない。
とにかく正直言ってアルトは逃げたい気持ちでいっぱいだった。
逃げると言ってしまうか、でも失敗したらどうなるのだろうか。そんな事を考え始めた時の事だった。
森から何かが飛来した。
ヒュンッと鋭い音を発した細い『何か』は、見る間にアルト後方にいたゴブリンへと射線を延ばし、醜悪な妖魔の眉間に命中した。それは放たれた1本の矢だ。
「うお、すげー、なんだこれ?」
射抜かれたゴブリンは矢の勢いと共に後方へ半回転し、その一撃で倒れ伏した。どうやら絶命したようだ。
「ラッキー♪ クリティカルヒットぉ」
森の茂みから若い少女の声がする。それはあの部屋で聞いた声のひとつだ。
「マーベルか!」
仲間が一人現れた。それだけでアルトの心には安心感が広がった。残敵は1匹。2対1ならもはや負ける戦ではない。
アルトの2度めの一閃が、ゴブリンの頭上へを降り注いだ。
結果を言うと、実はあれから3ラウンドかかった。
手負いとはいえ、技量的に互角同士の戦いだ。攻撃だって当たりもすれば外れもする。そんな一進一退の攻防でゴブリンを仕留めはしたものの、アルトも相応にボロボロにされていた。
「おっつかーれさん♪」
茂みに隠れた声だけの少女が、陽気な言葉とともに姿を現す。アルトは少女に振り向きながら謝辞を述べた。
「いやー、マジで助かったぜ、マー…」
そしてアルトは少女の姿を見た。
年の頃は8歳くらいだろうか、アルトに比べれば、手足すべてが小さな女の子。児童といってもいい。彼女は草色のワンピースに『なめし革の鎧』を合わせ、流れるような金の髪をポニーテイルに結い上げてる。手には今しがた使った『小弓』と矢筒が下げられていた。
そして決定的なのは耳。本来の人間の耳の位置は髪で隠され、その代わり頭の上に尖った獣の耳が立っていた。
「…ベ…えーと、すんません人違いっした」
「違ってないにゃ。マーベルにゃ!」
うそだ! 喉まで出掛かった言葉を飲み込み、もう一度その少女を観察する。
確かマーベルは高校1年生だったはずだが、眼前の童女はどう見積もっても小学生にしか見えないし、その金髪碧眼は何を差し引いても日本人ではない。さらに付け加えて猫の耳に猫の尻尾である。つまり、あの部屋で隣に座っていた少女であるわけが無い。
「うそだ!」
一度飲み込んだ言葉だったが、やはり叫ばずにいられなかった。基本、アルトはそれほど我慢強くない。
「マーベルさんの種族は『ケットシー』なんですよ」
相互理解に救いを延べたのは、戦闘中に転がされていた薄茶色の宝珠、GMの言葉であった。
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メリクルリングRPGでプレイヤーが選べる種族は『人間』の他に『エルフ』『ハーフエルフ』『ドワーフ』そして『ケットシー』。
『ケットシー』はアイルランドの伝承にて『二本足で歩く猫の妖精』とされているが、この世界では『人間』らと同様の物質界の住人である。
草原や砂漠を寝床とする好奇心旺盛な旅人の種族で、容姿は人間によく似ているが、猫の耳と尻尾が生えている。また児童期より成長しないのも特徴的だ。
身体が子供並の為、『生命力』や『筋力』といったパラメーターで他に劣るが、その代わり『器用』と『敏捷』は非常に富んでいる。
またエルフ同様に精霊との親交も厚く、『精霊使い』としても優れた能力を得やすい。
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「キャクターシートを確認しました。マーベル・プロメテイトさんで間違いないです」
キャラクターシートとはテーブルトークRPGにおいて、各キャラクターごとのデータを書いた紙の事だが、この場合、彼にだけに見える各キャラクターのステータス表のことだろう。
「さーて、じゃぁ行こっか」
しゃべる宝珠を珍しげに拾いながら、マーベルは前置きもなくのたまった。
「え、どこに?」
未だに納得が脳に染み込んでいないアルトだったが、突飛な話題転換で反射的に言葉を返す。ここがどこかもわからないのに『行こう』も何もないもんだ。
「そりゃ決まってるっしょ。街にゃ♪」
あまりに唐突であっけらかんと言い放つものだから、アルトはしばらく口を閉じるすべを見失った。