33縞瑪瑙の迷宮
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして氷原の魔狼ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追い異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
迷宮攻略の期限は3月21日。
それは昼と夜が釣り合い、糧となる世界からヴァナルガンドに及ぼす影響が、最も高まる日である。
迷宮攻略の途中、アスカ隊、ドリー隊、ルクス隊を加え合同4隊となった一行は第6層の攻略を進める。
もはやタイムリミットも身近に迫る中、ようやく第6層も大詰めとなり、残す敵は緑の成竜と化け蟹となった。
検討した末、まずはドラゴンへ挑むと決めた冒険者たちのうち、黒衣の魔導士カリストが奥の手、『理力の塔』を発動。
供給される無限の魔力を用いて、魔獣召喚魔法『プロスクリスィ』を極限強化した。
その結果として彼らの援軍に現れたのは、最凶と呼ばれる灼熱の古竜、シャイニングスターであった。
シャイニングスターは思わぬ反撃を受けつつもグリーンドラゴンを撃破。
そして彼は善戦したこの若いドラゴンを気に入ったらしく、殺しはせずに引きずって迷宮を去った。
いよいよ、第6層も最後である。
召喚魔法『プロスクリスィ』の効果終了と共に消えていった火竜シャイニングスターを見送った一同が、唖然とした表情から戻るのに10分ほどの時間を要した。
最初に気を取り直したのはねこ耳童女マーベルで、彼女は顔を上げて叫びをあげる。
「蟹漁にゃ!」
この階層の順番の法則からすれば、もうあの化け蟹も恐れる必要がないはずだ。
それを聞いてさらに数人がハッとした。
今、正気に戻ったメンバーは、おおよそ食い意地の張ったメンバーと言えるだろう。
ともかく、次第に皆が次の目標に気を向け始めたわけだ。
「化け蟹か。さすがもう、一撃とは言わずとも勝てるよな?」
考え込む風で不安を口にするのはサムライ少年アルトだ。
現状で残っているメンバーからすれば、彼の大太刀『蛍丸』から繰り出される必殺のスキルは、最高火力の一端と言えるだろう。
そのもう一端である彼の義兄が軽い口調で肩をすくめる。
恐怖バッタ怪人、ファルケである。
「もう保存食がないから今日にも帰る必要があるんだけど、蟹捕れればもう一日くらい行けるかな?」
そんな彼の言に、アルトは眉を寄せて問う。
「食うのか?」
「食わんの?」
返す方も「お前は何を訊いているんだ?」とばかりに言うものだから、アルトは化け蟹への恐怖とは別の不安を感じて他の仲間へ振り返る。
すると、おおよそ半分くらいはそのつもりだったらしく、アルトの視線から目を背けた。
「もう500年以上生きているでありますが、蟹はまだ食べたことないでありますな」
「500年と言っても、大半を寝て過ごしてるデスよ。クーヘンたちはまだまだピチピチデス」
「蟹さんは美味しいのかしら。出来ればマカロンに持って帰ってあげたいですね」
と、暢気に会話を交わしているのは、小さな人形サイズの少女たち。
『機械仕掛け』のティラミス。
『探索の目』のクーヘン。
『癒しの手』のエクレアの3名だ。
もう一人、この軍団に参加していた姉妹の一人、『魔操兵士』プレツエルは、すでに戦線離脱している。
ともかく、そんなこんなで割と多くが蟹の実食を楽しみにしているようである。
が、アルトや、『理力の塔』起動の反動で身動き取れないカリスト辺りは、そう言った期待をまったく持っていなかった。
では彼らが他に比べ食に対して理性的なのか。
と言えば、そういう訳ではない。
単に彼らはこの階層の特性をよくよく把握して理解していただけのことである。
いや、他のメンバーも把握していなかった訳ではないのだが、なぜかこの時、皆が都合よく忘れていたと言えるだろう。
「期待しているところ悪いんだけど」
と、アルトがおずおずとその事実を口にしようと言葉を紡ぐ。
「ここの怪物、倒すと消えるからな?」
そう。消えるのである。
それを聞いて、各々は絶望顔で砂浜に膝をついて嘆くのだった。
そこからさらに数分が経ち、「さぁ蟹退治に向かおうか」と再び皆が立ち上がったころ、それは起こった。
彼らの頭上に広がる青空が墨を垂らして掻き混ぜたかのように黒く染まり始めたのだ。
「なんや、もう夜やろか」
「いや、まだ昼食前ですぞ」
ポカンと空を見上げ、のほほんとした風でそう述べる白い法衣のモルト嬢と、そんなボケに対し冷静にツッこむ酒樽紳士レッドグース。
他のメンバーたちも、アワアワしたりポカンとしたり、それぞれの思いを巡らせながら空を見つめる。
青空は、数秒もしないうちに黒に染まった。
が、それは夜の空ではない。
少ないながらも毎晩少しずつ増えていた星が、そこには全く見えなかったのだ。
「なんや大魔王でも出てきそうな雰囲気やね。最後やから蟹はんが大サービスしとるんやろか?」
首を傾げて呟くモルトに答えられる者はいない。
皆、押し黙ってそのまま空を眺める。
すると、ふいに黒い空の真ん中あたりに文字が浮かんだ。
「G?」
それはアルファベットだった。
まるでテキストエディタのカーソルの様に点滅する白い短棒に続いて、その文字列は姿を現す。
GROORY YOU WIN.
その文字列は、静かにそう語った。
「え、どういうこと? これで終了ってことなの?」
キョトンとした表情で、それでいてどこか不満げに言うのは、金髪の魔法少女マリオンだ。
そんな彼女の言と思いを同じくする各メンバーもまた、微妙な表情で空を見つめる。
加え、黒い空に浮かんだカーソルは、さらに2行目の文字列を表示し始める。
YOUR WINNING CODE [AKUEOYIP].
「うぃにんぐこーど…。この後、必要になる暗号か何かか?」
口元を紺の布で隠すシノビ少女ヒビキが、その文字列を素早く書き留める。
そんな様子に、他の者たちも慌ててメモを取り出そうと荷物をあさり始めた。
しかし、その行動は一歩遅かったようで、頭上の文字列は黒い空と共に掻き消えてしまった。
視線の先に残るのは、無機質な灰色の石壁に石天井。
つまり第6層はステージクリアということになったらしい。
「なんでや、まだ蟹はん倒してないで?」
「そうにゃ、蟹さん食べてないにゃ」
「だから食えないって」
フィールドの敵をすべて倒せばクリアだと思っていただけに、そこに残った者の半数は釈然としないながらも気の抜けた表情を晒していた。
残る半数は、おおよそホッとしたような顔だった。
「アスカ、何が起こったかわかる?」
「む」
釈然としない気持ちを抱えた者の一人であるマリオンが、最も事情に詳しそうな鈍色の戦乙女アスカへと問う。
彼女はここ第6層の元ネタと思われる古いゲーム『勇敢なるパーシアス』を知る者だったからだ。
まぁ、そのゲームとやらも別世界の話なので、マリオンはあまり意味を解ってはいない。
精々「マイナーな伝説か神話か何か」程度の認識だ。
そんな問いにアスカは少し考えこんで、だがお手上げとばかりに首を振った。
「前も言ったけど『勇敢なるパーシアス』については、本当にさわりくらいしか知らないんだ」
「考えられるのは」
と、返答をあきらめたアスカに続けて、マーベルのベルトポーチから薄茶色の宝珠氏が声を上げる。
皆、彼の言葉に傾注する。
「ラスボスが二択式だったということでしょうか。実は星座とは別に、画面の端に妙なマークがあったのですよ」
「画面てなんだよ」
彼の言葉に、眉をしかめるのはアルトだった。
「画面、というのはまぁ私の視界を例えた表現でして」
それに対し、苦笑いするかのような声色でそう答え、元GM氏は続けた。
「ともかくですね、ドラゴン戦の前にはそのマークが2つだったのですが、ドラゴン戦後には3つになってました。おそらく、12星座をそろえるか、このマークを3つそろえるか、どちらかが勝利条件だったのでしょう」
それを聞いてほとんどの者は「なるほど」と頷いた。
そんな、GMにしか見えないマークの事までは、誰も把握できないので彼の言葉を信じるしかない。
というか、皆の心境を言い合わらすように、マリオンが肩をすくめた。
「ま、今となってはどうでも良いことね」
そう言うことなのであった。
ここにいる者たちからすれば、先に進めるなら別に謎の解明とかどうでも良いのだ。
どうせ正解を知っているのは迷宮製作者である人狼ギャリソン氏だけなのである。
そうして謎に一応の解釈が付いたところで、昆虫顔のファルケが降り階段に目を向ける。
「今日中に第6層を抜けよう、なんて考えてたけどまだ昼前だ。半日残ってるが、さて、どうする?」
すでに保存食はほとんどない。
まぁ昼食位は少ない保存食を分け合えば、足りないながらもなんとかなるだろう。
ただ、現状残っているのはとてもフルメンバーとは言えない。
この状況で、果たして第7層へ進むべきなのか。
その判断を皆に問いているのだ。
各々、腕を組んだり、口元に手をやったりで考える風な仕草をする。
もちろん誰もがちゃんと計算して考えているが、その決定に対する発言を慎重に控えていた。
いち隊の問題ではなく、合同隊のことであるがゆえ。
ひいては、彼らの双肩に世界の命運がかかっているゆえの慎重であった。
そして、彼ら彼女らの控えめな視線は、自然と一人の少年に集まった。
「え、オレ?」
慌てて見まわして自分を指さすのは、この迷宮に初めからかかわっていた隊のリーダー、アルトだった。
仕方なしに、アルトは溜息を吐いて決断を口にする。
「じゃぁここで小休止と早めの昼食取って、それから第7層に降りよう。もう時間があまりないし、死んでもどうせ上で復活するんだ。多少無理でも下の様子を出来るだけ探るのが良いと思う」
アルトがそう言い、そういうことになった。
残った少ない保存食を等分に割って空腹を誤魔化し、一同は大きな『凧型の盾』を構えた『警護官』アスカを先頭に階段を下る。
第3層までのパターンで言えば、その下にはスタート小屋があるはずである。
アスカも、続くメンバーたちも半ばそれを想定しつつ進む。
しかし階下から目に飛び込んできたのは、目にも眩しい黄色の壁であった。
「なんだこれは?」
階段を下りきり、警戒に視線を周囲へと這わしながらアスカが呟く。
そこは、壁、床、天井、すべてを黄色く塗り揃えた、10メートル四方ほどの部屋であった。
壁や天井、床は、色が違うだけで石造りのようだ。
そしてその部屋からは黒い扉が5つ、てんでバラバラの方向に取り付けられていた。
明らかにこれまでとは様子が違うので、皆一様に困惑の表情を浮かべる。
「これはアレじゃないのか? 色が違うだけで、1、2層と同じ形という」
部屋を見回し、そう考えを述べたのはバッタ怪人ファルケだ。
そんな彼の言にマーベルは「昆虫の色覚って人間と同じなのかにゃ」と余計なことを呟いたが、それはともかくレッドグースが胸を張って前へ出た。
「そうなりますと、久々にワタクシの出番ですかな」
言いつつ、指をコキコキと鳴らしながら、バックパックから『盗賊の小道具』を用意する。
彼は『吟遊詩人』ではあるが、サブ職業として『盗賊』も取得しているのだ。
もっとも、レベルは未だに1しかないし、「あくまで生存処世術の一環」と言ってはばからない。
続いてアスカが自分の鎧下についているフードから、一人の人形少女を取り出して床に下す。
「クーヘンにも頼む。そこの酒樽と一緒に探索をお願い」
「お任せされたデス。このダンジョン、クーヘンが隅々まで解き明かして見せるデス」
黄色と茶が組み合わされたチェックのインバネスコートを着た鹿追帽の人形少女は、懐から虫眼鏡を取りだして、右腕で小さくガッツポーズを取った。
そしてテトテトとレッドグースへと駆け寄り、ヨジヨジと深緑のベレー帽上まで登った。
そこには先客として、同『人工知能搭載型ゴーレム』の姉妹、ティラミス嬢が待っていた。
「久々のコンビ結成でありますなぁ」
「よろしくデス」
2人は仲良さそうに微笑み合い、そして台座と化したレッドグースは頭から振り落とさないよう、そっとそれぞれのドアへと歩き出した。
それからドアや壁の探索は3名に任せ、他のメンバーは階段から部屋の中央あたりに進出した。
先ほど、階段を下りる前に食事と小休止を取ったばかりだったが、することが無いので再び小休止だ。
とは言え、周り一帯がすべてまっ黄色に塗られているので、休めと言われても落ち着かない。
ともかくそうして部屋の真ん中あたりに居を決めて荷物を下ろし始めると、ふと黄色の床に文字が見えた。
最初に気づいたのはアルトだった。
伊達に『学者』技能を持っていない。というところだろうか。
「文字か。なんて書いてあるんだい?」
アルトの小さな言葉を拾い、未だ身体が動かず運ばれてい状態の黒の魔導士カリストが訊ねる。
アルトは読めはするが意味の解らないカタカナの文字列を読み上げた。
「『イロイッカイヅツ』」
「……それは『ズ』じゃなくて『ヅ』なのかい?」
聞いて、再びカリストが問う。
日本語として「ずつ」でも「づつ」でも、実はどちらでも正しい。
が、現代ではおおよそ「ずつ」が使われるので、カリストは少し確認のためにそんなことを訊いたのだ。
答えは「正」であり、アルトはもう一度『ヅ』であることを強調した。
カリストは少し考え、そして口元をニヤリと歪める。
「僕、この階層の答え解ったかも」
それからカリストはニヨニヨしながら口を噤み、小一時間が経った。
ドアや壁を調べ終え戻ってきたレッドグースも、カリスト同様に口元の髭をニヨニヨ動かす。
「罠や錠はありませんな。向こうに物音もありませぬ」
笑いながら、彼はまずそんな報告を上げる。
皆が気味悪げに聞いていると、レッドグースの帽子の上の少女たちもまた表情を歪めていることに気づく。
「ガチョウの兄貴が先からこの様子で気持ち悪いであります」
「酷い言われようですな」
が、ティラミスがそんなことを言っても、レッドグースはニヤけたままだ。
それにピンときて、やはりニヤけたカリストが口を開く。
「あ、もしかおやっさんも判っちゃった?」
「ドアにはそれぞれ『イロハアカ』などとありますからな。判りましたとも」
男2人、ニヤニヤの相乗効果で他の連中は一層気味悪がるのだった。
しばしして2人が落ち着き、その口からこの階層について彼らが判ったことが語られる。
「この第7階層の元ネタは、日本初のファンタジー・コンピュータRPGと言われる『ウツロの縞瑪瑙』だと思われる」
口火を切ったのは眼鏡を怪しく光らせたカリストだ。
そう言われても、他のメンバーの殆どがそんな名を聞いたことが無い。
「『イロイッカイヅツ』や『イロハ~』というフレーズは、そのRPGのダンジョンで有名なフレーズでしてな」
と、補足を入れるのはレッドグースだ。
「また『元祖』か? この迷宮は『元祖』縛りなのかね」
ふと、そんな呆れ声をあげたのはアルトだった。
彼の思い付きにカリストやレッドグースは感心して「なるほど、そうかもしれないね」と頷く。
「元ネタとか知らんし。そんなんより、どうしたらこの階層抜けられるん?」
すこし長くなった小休止に痺れを切らし、モルトが口を尖らせてそう訊いてくる。
全面真っ黄色の部屋がカラーセラピー的に、彼女の精神へ影響を及ぼしてイライラさせているとも考えられる。
いつもお姉さん然としたモルトから、そうピシャリと言われたので男2人もニヤニヤを止めてすかさず正座だ。
その態度にモルトも「なんで正座やねん」と思わず頬を緩めた。
ともかく、正座の2人が続きを話す。
「『ウツロの縞瑪瑙』の迷宮の最後の謎と言えるのが、このカラーダンジョンだ」
再び解説を始めるカリストに、一同もまた耳を寄せて聞く体制となる。
「正しい順番で色の着いた回廊か部屋を抜けていくのが正解でね、その色の順番というのが……」
言いかけ、そこからカリストとレッドグースが声を揃えて回答を述べた。
「赤、紫、緑、青、黄、白、なんだよ」
「白、黄、青、紫、赤、青、ですな」
前述がカリストで、後述がレッドグースの弁であった。
「2人とも、違うとるやんか。しかもおっちゃんの方、青2回あるし」
モルトの白い眼が、2人の胸を貫くのだった。
縞瑪瑙は英語でオニキスと言います。




