26ヤギはいつも山に登る
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして氷原の魔狼ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追い異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕しもべである人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
途中、ウォーデン老が各地でスカウトしてきたアスカ隊、ドリー隊を加え、いくつもの敵や罠を破り先へ挑む。
そして彼らは第6階層へとたどり着いた。
第6階層のスタート地点は小さい島であり、数キロ先に大きな陸が見える。
ともかくこの海を渡るため、錬金師弟ウォーデン老とハリエット嬢から『瓶詰めの船』を預かり、そして船出した。
海中から出現した巨大化け蟹を何とか撃退したアルトたちは、なんとかスタート島の対岸へと上陸を果たした。
小屋のある小島より魔法の船にて打ち出でてたどり着いた対岸は砂浜であった。
一応、粗末な木製の桟橋が深さがある場所まで伸びているため、上陸に関して苦労はなかった。
「さて、この大地が島なのか大陸なのか」
3隊合同メンバーがすべて上陸を果たし、とりあえず撃退した化け蟹についての思いを吐露した後に、白磁の様な美少年魔導士カインが考える風に髪をかき上げながらつぶやいた。
この砂浜はさほど広くはなく、波打ち際から50メートルも進めば荒れた赤土の露出する大地へと変わる。
その大地の奥に視線を移せば、小高い丘のようになった茶色い山が、山脈の様に横へと連なっているのが見える。
ただこれはあまり高くは見えないので、超える為の苦労はかからないだろう。
その視線に、何やら複数の動く影が飛び込んできた。
「おっと、この大地を探る前に、ひと仕事ありそうですな?」
桟橋にて船を瓶に戻していたドワーフ楽師レッドグースが、カインに続いて目ざとくその影を見つけ、ニヤリと笑った。
この男、自分が矢面に立たないこともあり、割といつも楽しそうである。
彼らのつぶやきを拾い、鉄乙女アスカや、黒髪剣士ドリー、そして亜麻色の髪の神官剣士アッシュがすかさずメンバーをかばう様に前へと出る。
ところが、アルト隊の面々にすれば見慣れた姿が、いつまでたってもそこに出てこない。
「アルくんは?」
「逃げたにゃ?」
猫耳童女マーベルや白い法衣のモルトは、怪訝そうに眉を寄せて辺りを見回した。
すると、傍らにがっくりと膝を落とし砂浜に両手をつくサムライ少年アルトの姿があった。
前衛3人が警戒を続ける中、アルト隊女性陣の2人はアルトへと歩み寄る。
そして目に入ったのは、彼が黄昏る目前に横たわったひと振りの大太刀であった。
大太刀『蛍丸』。
淡い燐光を未だ発する長い刀身は、ちょうど真ん中からポキリと二つに折れている。
化け蟹との戦いで『致命的失敗』が発生した結果である。
長く愛用した『胴田貫』とは違い、まだ付き合いの短い刀だったが、それでも自分の命を預ける業物であることは間違いない。
これをダンジョンの中で失うのは、さすがにショックが大きかった。
「これはしゃーない」
「困るにゃ」
モルトはアルトの心情を慮って同情し、マーベルが盾が1枚減ったことに眉を寄せた。
情が薄い訳ではないが、アルトには割と厳しい猫耳童女である。
そんな2人とアルトに気づいた後衛たちのうち、黒い『外套』のカリストが歩み寄る。
「ああ、そうか『蛍丸』か…」
歩み寄り、思い付き考える風に顎を撫でる。
それは「刀が折れた」という事を今思い出したようでもあり、また別のことを思いついて思案している様にも見えたので、女性陣2人は彼が言葉をつづけるのを待った。
カリストはしばし言葉を選びながら、砂浜へと崩れ落ちたままのアルトへ声をかける。
「アルト君、ちょっと試してほしいんだけど」
かの言葉を聞き、アルトがのそりと顔を上げる。
その目は生気無く光を失い、虚ろにカリストを見る。
「その刀、とりあえず鞘に納めよう。ああ、その折れた先の方も一緒にね」
この男は何を言っているのか。
そう思いつつ、アルトは空虚な瞳でゆっくりとカリスト、『蛍丸』を交互に眺め、言われた通りにのそのそと動き出した。
疑問には思ったが、かといって考えるだけの気力が無かった。
刀の扱いにはさすがになれたもので、数秒も経たぬうちに折れた刃共々に『蛍丸』は長い鞘へと納められる。
その様子をしばし眺め、カリストは何の感慨もないように軽く頷いた。
「じゃぁ、抜いてみて」
「は?」
「ははーん」
皆、眉を歪めて精一杯に疑問を表すが、一人だけ、レッドグースは「合点がいった」とばかりに頷いた。
あんぐりと口を開けていたアルトは、頭の上に疑問符をいくつも浮かべながら、言われた通り、渋々と『蛍丸』を抜きにかかった。
長い鞘から鯉口が切られると、ポロポロと淡い燐光がこぼれ出す。
ゆっくりと、そして滑らかに抜き放たれた『蛍丸』は、いつも通りにスラリとした美しい刀身を衆目に晒した。
「は?」
アルトも、モルトも、マーベルも、目を皿のように見開いた。
そう、折れていたはずの『蛍丸』は、何事もなかったかのように、傷一つない美しい刀身を晒したのだ。
「え、あれ? どうなってんの?」
頭上の疑問符をさらに増やし、アルトが『蛍丸』をあちこちの角度から見定めようとする。
が、どこにもさっきまで折れていた様な痕跡は見つからなかった。
「すごい手品にゃ」
皆が「どういうこと?」という表情でカリストを見る。
当のカリストは満足そうに頷いてから皆の期待に応えて口を開いた。
「『蛍丸』には、南北朝時代の戦で破損した刀身が勝手に修復されたって伝説があるんだ。もしやと思ったけど、どうやらその刀、まさしく『蛍丸』だったようだね」
聞いた皆が感心気に頷いた。
頷き、ハッとして前衛に視線をはせる。
そう言えばのほほんと感心している場合ではなかった。
すでにこれだけで数分が過ぎていたが、しかし前衛とその先の戦況は、全く変わりが無かったようだ。
「どうなってる?」
復活した『蛍丸』を手に、アルトが前衛3枚看板へと合流しつつ声をかける。
3人とも、アルトの遅参を咎める風でもなく、視線だけは遠くのままに構えた剣や盾を緊張から少し解いた。
「こっちに来る様子はないみたいだ」
最初に口を開いたのは鈍色の女偉丈夫アスカだ。
アルトもまた彼らの視線を追って見れば、砂浜が途切れた向こうの荒れた陸に、水色の全身鎧を着た戦士風の人影が何体か歩き回っているのが見えた。
そう、言葉通り「歩き回っている」のだ。
しばし観察すればわかることだが、その水色鎧は、一定の距離を歩くとまた戻って行き、そしてまた同じコースを歩くのだ。
「あそこに何かがあって、それを守る番兵なのかも」
「それにしちゃ、こっちを全く気にしないのは変じゃないか?」
亜麻色の髪のアッシュが自分の考えを述べるが、それはすぐ黒髪のドリーに新たな疑問をかぶせられた。
それらに対し、アスカは目をそらしながらぼそりとつぶやいた。
「いや、そういうルーチン組まれてるだけだと思う」
「だろうな」
たぶん、純粋なこの世界の住人には理解されないだろう、と目を伏せながら同意するアルトであった。
気を取り直しアルトは、徘徊する水色鎧たちを怪訝そうに眺めるドリーたちに声をかけた。
「あれは人型だけど、ゴーレムみたいなもんだと思った方が良いんじゃないかな。決まった動きしかしないみたいだし」
「ああ、なるほど」
この説明で、彼らはすんなり納得したようだ。
「ならばあれらに接近するより、先にこの陸の概要を探索することを優先しないか?」
という、後衛にいたカインの言葉に一同は頷いた。
さて、簡単な話し合いの末に、彼らはまず海岸沿いに進んでみることにした。
島なのか大陸なのか、それを知るのが第一である、という結論に至ったためだ。
もっとも、ここが大陸ほどの広さを持つのであれば、探索には何日もかかるだろう。
そうなれば、それだけでもうタイムアップだ。
そういう意味で、アルト隊の面々は、「おそらく大陸ではないだろう」という予想を立てていた。
絶対にクリアできない、というズルはしないだろう、という一種の信用を、彼らは迷宮創作者ギャリソンに抱いていた。
ともかく、隊列を組み、一行は警戒しながら進んだ。
海を見れば、時々浮上してはしばらくして沈んでいく化け蟹が見え、陸を見れば、いくつかの種類の怪物や、人型の姿を遠めに確認することができた。
海岸沿いは砂浜ばかりではなく、断崖や岩場になっている所もあり、容易に進めない場所も多々あった。
時には怪物に行きあたることもあったが、探索を優先して避けて通れば、襲ってくることもなかったし、出合頭の場合でも、急いで距離を取れば追ってくることはなかった。
「なぁ、『メリクルリングRPG』って、戦闘から逃げられないんじゃなかったっけ?」 そんな様子にアルトが首を傾げ、薄茶色の宝珠に疑問を投げかけた。
訊かれた元GM氏は、そんな彼の疑問に答える。
「正確に言えば『逃亡が成功し難い』であって、絶対できないわけじゃありません。戦闘ルール上、逃亡側が著しく不利なだけで、追う側に追う気が無ければ問題ないのです」
そう聞いて、アルトは何か釈然としない風で頷いた。
その日は外の時間で夜になるまでかかり、ようやく元の砂浜まで戻ってきた。
当然ながらダンジョン内では昼も夜もなく明るかったが、一定時間ごとにマーベルが「お腹空いたにゃ」と言い出すので、そこから導き出した推定でおおよその時間がわかるのだ。
「どうやら『島』で間違いなかったようだな」
少しホッとした態でカインが言えば、皆一様に頷いた。
外周がおおよそ20~30キロメートルと言ったところだろうか。
大陸でなかっただけマシとはいえ、今日を抜けばあと5日で大狼ヴァナルガンドをどうにかしなければならない。
そう考えればかなり厳しい日程で探索することになるだろう。
「できればこのまま探索を続けたいね」
そうした事情を考慮して、カリストがつぶやく。
その言葉を拾って、モルトは自分の背負いカバンを覗いた。
「一応、何日か分の携帯食料あるんやし出来んことはないで」
一行はここで「うーん」とうなり声をあげながら迷った。
ここまでの探索は毎日ダンジョンを出て地上の拠点にて寝泊りしていた。
各階層のスタート地点までたどり着くための時間が、これまでそう変わらなかったからだ。
とはいえ、もう第6階層であり、またこの第6階層が今まで以上に広いと来ている。
差し迫った締め切りを見つめても、往復にかかる数時間が惜しくなってきたわけだ。
「とりあえず、一戦してみてから考えないか?」
皆がそれぞれの顔色を見ながらどうすべきかを考えている中、考えることはすべて他に任せた、と言わんばかりに暢気な表情を晒していたアスカがそう言った。
いや、行動指針を他に任せきりなのは彼女だけではなく、彼女を含む『シュテルネンハオフェン』のメンバーは皆そんな雰囲気であった。
ともかく、アスカの意見は承認された。
「では一戦するとして、何と戦うかだが」
割と仕切りたがりなのだろうか。
白磁のカインが一同の顔を見渡しながらそう議題を投げかけた。
まぁ多人数になればなるほど、こうして纏める人がいなければ話が進まないのも事実なので、皆、彼の仕切りを無言で受け入れているのが現状だった。
「はい」
いかにも会議、と言った雰囲気を察し、アルトが発言権を求めて手を上げる。
カインはそんな様子を認めて頷いた。
無言だが「発言を許可する」という態だったので、アルトもまた頷き返してから、キリリと眉を引き締めて意見を放った。
「できるだけ弱い敵が良いと思います」
「さすがアっくんにゃ」
ところどころから呆れたため息も聞こえたが、この意見はおおむね好意的に受け入れられた。
特に矢面に立つ前衛からすれば、軽い威力偵察で損害を出すのは馬鹿らしいという気持ちがある。
様子見なんだから、様子見で済む相手を求めるのは、彼らからすれば当然であった。
「では、そうだね…」
この意見を受け、カリストやレッドグースが今日これまでに見た人型や怪物を脳裏に思い浮かべる。
その中でもっとも弱そうな敵とは、と脳内で検索する。
「とりあえず人型は避けるべきじゃないかな。もしかしたら話が通じるかもしれないし」 と、これは神官剣士アッシュの言葉だ。
言われて各位は頷く。
この砂浜からも見える水色鎧をはじめ、この島には他にも人型の住人を散見した。
上半身裸で赤茶けた肌の蛮族風の者や、黒鎧の騎士風などだ。
まぁどれも武器を抜き身でうろついているので、おおよそ友好的とは思えないが、アッシュの意見もまた採用され、3隊の頭脳は改めて明らかな怪物型や動物型から検索を始めた。
「そうすると、やっぱりアレだな」
そんな中でいち早く答えを導きだしたのはアルトだった。
その回答に、一同は納得気に大きく頷いた。
「さすがアっくんにゃ」
その「さすが」がどういう意味かは、捉えるものによって解釈が違う事だろう。
さて。
すでに時間も時間なので、彼らは迅速に行動する。
これまで通り、島の外周を進みつつ、目標を探し、そして隊列を組んで接近した。
アルトが選び、満場一致で「最も弱そう」と判断されたのは、白いヤギであった。
「メェー」
近づいて聞こえてくるその鳴き声も、普通のヤギで強そうには聞こえなかった。
後ろに向って反った短い角。
一見笑っているかにも見える横長の目。
細い身体。
どれをとっても、8レベル『傭兵』であるアルトが負けるとは思えない風体であった。
「よし、やるぞ!」
アルトとドリーが3匹群れの白ヤギに向って突進を開始する。
威力偵察なので魔法掩護は無しと定め、このラウンドはまず前衛攻撃手2人、すなわちアルトとドリーによって幕開けすることとなった。
他のメンバーは順番後回しでその様子を見守る。
「いきなりスキル攻撃じゃ、様子見にもならねーからな。まずは通常攻撃だ」
アルトが白ヤギに駆け寄りながら抜刀し、修復された『蛍丸』を振るう。
淡い燐光が宙に軌道を残しつつ、常人がかわせる速度ではない斬っ先が白ヤギをとらえた。
その瞬間、ヤギの白い毛がたちまち赤く染まる、だろうと誰もが信じていた。
だが、アルトの手に「ドムッ」という弾力あるものを叩いたような感触が伝わり、観戦者たちは目を見開いた。
何が起こったか、その時、誰もが目にしていながら信じられずに唖然とした。
斬りつけたアルトでさえ。いやアルトが最も信じられなかったと言える。
か細くか弱そうに見えた白ヤギの肌は、毛ほどの傷もつかず、それどころか薄く見える筋肉の鎧が、彼の振るった刃をはじき返したのだ。
続くドリーの『両手持ち大剣』から繰り出される強打もまた、同じ結果となった。
「うそん」
アルトは思わず眉を八の字に下げ、弱気を口に漏らした。
その隙を見たか、白ヤギどもの横長目がギラリと彼を見た。
そして3匹の白ヤギがアルトへ殺到する。
頭を低く構えての突進が1、2、3発。
ドッ、ドッ、ドッ、と鈍くも決して小さくない嫌な音が聞こえ、そしてアルトはその場に崩れ落ちた。
「アル君に『キュアライズ』や」
急ぎ、後方で待機していた白衣の乙女神官モルトが数歩進み出て治癒魔法を投げかけようと構えた。
だが、我らがGM氏は無情な言葉を苦々し気に紡いだ。
「いや、手遅れです」
その言葉が後衛たちの耳に届くと、同時にアルトの身体が砂の様に崩れ、そして光の粒となって消えた。
これはこの迷宮内でHPゼロとなり、死亡判定がなされた時の症状であり、すでに見慣れたものでもあった。
「て、撤退。撤退ぃー!」
ドリーの頬に冷たい汗が流れ、彼は急ぎ反転して駆け出した。
その様子を見て後衛たちも急ぎ後退する。
この島の怪物は、交戦状態となっても一定距離を開ければそれ以上追ってこなくなるというのが、ここまでに見た特性であった。
とはいえ、ドリーは近すぎた。
第2ラウンド。
背を見せて逃げ出したドリーに、3匹の白ヤギが全速タックルをかました。
アルトの時と同様に、ドッ、ドッ、ドッ、と3つの頭がドリーを尽き、そして彼は光の粒となって消えた。
一足先に、迷宮門前へと帰っていることだろう。
安全距離まで逃げおおせ、後衛たちは滴る冷や汗をぬぐう。
「白ヤギ、パないにゃ」
誰もかれも、マーベルの呟きに、無言で頷くのだった。




