19迂回探索
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして氷原の魔狼ヴァナルガンドは、この世界を自らの糧とする為に創りたもうた。
だが、彼を追い異世界から来たウォーデン老とその弟子ハリエットにより窮地に立たされたヴァナルガンドは、彼の忠実なる僕である人狼ギャリソンによって造られた迷宮『グレイプニル』へと逃げ込む。
そしてヴァナルガンドとの戦いで深い傷を負ったウォーデン老は、迷宮の攻略をアルト隊に託した。
いくつもの敵や罠を破り、アルト隊は第5階層へとたどり着く。
だが、第5階層ではスタート直後に『レッサーマミー』が大量に押し寄せ、アルト隊、アスカ隊ではこの数の暴力に抗しきれず全滅を喫する。
拠点へ戻った探索チームは、ウォーデン老が新たにスカウトしてきた『放蕩者たち』通称ドリー隊を新たに迎えて作戦会議を開く。
そして翌3月14日、3隊合同にて第5階層に挑んだ。
彼らの建てた作戦とは、隊の大部分が遅滞戦闘を行いつつ、一部の者たちが怪物群を迂回し偵察を行うことであった。
「上手くいくかな?」
押し寄せるミニ恐竜『ペディサウルス』の猛攻を捌きつつ、大太刀『蛍丸』を振るうアルトが呟く。
その心配は言葉とは微妙に違い、迷宮の先へ探索に向かった仲間たちの安否を気遣うものだ。
「大丈夫ですよ。皆を信じましょう」
そんなアルトに優し気な言葉をかけるのは、彼の隣で『両刃の長剣』を振るう、亜麻色の髪の少年剣士アッシュだ。
アッシュの『円形の盾』と『両刃の長剣』を駆使した戦いは『教会警護隊』で習う戦闘術であり、警護隊の名の通り、守りに主眼したものだ。
すなわち、今回の作戦には打って付けと言える。
彼ら前衛部隊の先頭で大きな『凧型の盾』をかざすアスカもまた同じである。
その点、アルトと、アッシュの向こう隣りで『両手持ち大剣』を振るう長身の細マッチョ戦士ドリーは、ダメージを蓄積させることを目的とした『傭兵』であり、守りの戦いはやや苦手だ。
とはいえ、『警護官』も『傭兵』も前衛職であることは変わらず、隊の盾となることに依存も躊躇もない。
そういう訳で、前衛4人は不退転の決意をもって小型恐竜どもを押し返し、そして斬り捨て続けた。
さて、同ラウンドを過ごす迂回部隊はどうなったのか。
彼らの目的は『無限湧き』する怪物の止め方を探ることなので、言わば「最悪、死に戻り」する覚悟の特攻偵察である。
とはいえ、それぞれが怪物を迂回する術を持ちながらの探索であり、危険は少ない。と見積もっていた。
だが、飛び立った『空飛ぶ庭箒』にそれぞれ載る2人は、早速その目論見を崩されることになる。
「前方から何か飛来する! ねこ耳、見えるか?」
『空飛ぶ庭箒』1号に搭乗する白磁の魔導士カインが目を凝らして進行方向の空を睨みつける。
気味の悪い紫色の雲と空の合間から、何やら薄白い物体が高速で飛んでくるように見えた。
呼びかけられた『空飛ぶ庭箒』2号に搭乗のねこ耳童女マーベルは、その遠目の利く瞳を見開いてその物体を追った。
「…風に舞うビニール袋にゃ?」
それが彼女の率直な感想だった。
もちろん、その回答には困惑しかない異世界現地人カインである。
だが、困惑に対して新たな回答を求める暇も、判った新たな見解も、言うより早くそれは2人の眼前までやってきた。
それはまるでハロウィンの安価な仮装の様な、『白シーツのお化け』であった。
「む!」
カインはすぐさま接敵と判断し、腰に差していた『短杖』を抜く。
マーベルも同様にいつでも『精霊魔法』を放てるよう身構える。
だが、現れた『白シーツのお化け』はスピードを緩めることなく、螺旋を描くようにして2人の脇をすり抜けた。
「後ろか!」
カインはそれでも油断せず反応し、半身をひねって『白シーツのお化け』を捕えようと追った。
いや追おうとした。
『空飛ぶ庭箒』は『ライディング』スキルによってコントロールする。
そのスキルのままに、カインは反転を身体に命じ、追おうとしたのだ。
とこがどうしたことか、イメージ通りに身体が回らないし、箒が前に、いや後ろに進もうとしない。
「無いにゃ!」
と、その時、同じ症状に瞬間悩まされていたマーベルが叫びをあげる。
そう、気づけば2人が載っていたはずの『空飛ぶ庭箒』が消え失せていた。
「バカな!」
当然、2人に与えられていた仮初の飛行能力は消失し、身体はむなしくも自由落下を始める。
墜落しながら2人が見たのは、2本の『空飛ぶ庭箒』を抱えたまま飛び去る『白シーツのお化けであった。
飛行していた、とはいえ、高度をあまり取っていなかった2人は、魔法を使う暇もなく、眼下で待ち受けるペディザウスルの群れに呑まれるのだった。
そんな墜落した2人の姿は、スキル『シャドウダイブ』で影の中に潜んで移動するシノビ少女ヒビキにも見えていた。
「なんだあれは…」
あっという間の出来事であり呆気にとられたが、すぐに首を振って自分の任務を思い出す。
今は仲間とは言え、所詮は金のために繋がっただけの輩である。
それどころか、今墜落したうちの一人であるマーベルは、彼女が討ちたいと思っていた仇でもあった。
今は仇討の気もかなり削げてしまったが、それでも憎い気持ちがなくなったわけではないのだ。
だからこそ、「別に助ける気もなければ義理もないだろう」と、ヒビキは気を取り直して先を急いだ。
大量に現れる小型恐竜どものおかげで、渡る影に不自由はしない。
もっとも、通路を仕切る壁もあるので、その影を伝えばこの階層ならどこへでも行けそうだった。
ともかく、そういう訳で彼女の探索は邪魔されることなく順調に進んだ。
小屋があった広場に続く通路に入り進む。
通路はしばらく何度か曲がり、そして10坪程度の広場へと出た。
そこからはまたいくつかの通路が先に続いていたが問題はそれではなく、広場の中央にあるそれだ。
それとは何か。
それは碑石のようだ。
高さ2メートル、幅1メートルで、ただ特に碑文の様なものは書かれていない。
代わりに、中央に何かモヤモヤとした紋様が書かれていた。
「これは、何だ?」
影の中から慎重に部屋を見上げる。
部屋にはまだ数匹の怪物がいたが、どれも通路を出て小屋の方を目指すようで、しばらく身を潜めているうちにいなくなった。
「よし今のうちにもう少し調べてみるか」
ヒビキは意を決し、スキルを解除して影から這い出ようとする。
「お待ちくだされ」
と、そこに虚空から声がした。
それはもう一人の迂回部隊員である『盗賊』技能を持つドワーフの声だ。
確か名をレッドグースと言ったか。
そう考えをめぐらすうちに、虚空から赤いチェックのベストを着たドワーフが姿を現す。
『盗賊』のスキル『ハイディング』を解いたのだろう。
「ワタクシが先に調べますので、ヒビキ殿はしばしそこでお待ちくだされ」
そう言ってヒビキを影の中に押し止め、レッドグースは腰袋からいくつかの工具の様なものを取り出して碑石に近づいた。
その時だ。
碑石に書かれていた紋様が蠢いたかと思うと、そこから黒い影の様なものが碑石表面に広がった。
広がり、その影から小型恐竜ペディザウルスが現れた。
「なんと、どうやらこの石が無限湧きの原因のようですな。破壊か、何かで塞ぐことができれば良いのですが!」
まろびでたペディサウルスとレッドグースが正面で出会い瞬間にらみ合う。
睨み合いながら、レッドグースはそのような事を叫んだ。
何を暢気な! とヒビキは呆れ驚いたが、すぐに思い直す。
これは私に伝えるために言っているのだ。
そして、レッドグースはペディサウルスを睨みながらジリジリと数歩下がり、直後、回れ右をして駆け出した。
なぜか「レッドグースは逃げ出した」という言葉がヒビキの脳裏に浮かんだが、孤児院に助けらる前の記憶がない彼女には、その由来が判らなかった。
影の中から成り行きを目で追う。
逃げたとはいえ、ドワーフの鈍足ではどうしようもない。
そもそも戦闘中の離脱は簡単には成らないのがこの世界の常識だ。
それでもレッドグースはよく逃げた。
この碑石のある広場から通路に出て、そして角を曲がった。
ペディサウルスもその後を追う。これもあまり高い敏捷を持っていないのが、レッドグース遁走を助けたといえる。
だがどうやらそこまでのようだった。
「あー」
しばらくして、すでに見えぬ通路の向こうから、何やら気の抜けたレッドグースの断末魔の叫びが響き聞こえるのだった。
「南無」
憎い仇の一人とは言え、囮となってくれたことに感謝しつつ、ヒビキは小さくつぶやいて合掌した。
さて、気を取り直してヒビキは誰もいなくなった広場に、影から出て降り立つ。
「何かで塞ぐ、か」
ヒビキは、先ほどのレッドグースの言葉を思い出して呟く。
その瞬間、彼女の脳裏には、石壁で碑石を取り囲んでしまうイメージが浮かんだ。
だが、それは無理だ、と彼女は少しおかしくなってフフフと小さく笑う。
なぜそんな突拍子もない考えが描かれたのかはわからない。
が、どちらにしろ、周りに材料となるものも無ければ、非力なヒビキでは広場を囲う石壁を動かすこともできないだろう。
いや、通常の人間ならどれほど力持ちでも無理だろう。
せめて重機でもあれば。
そこまで考えて、ヒビキは意を決したように碑石の前で身構えた。
「ならば、破壊しかあるまい?」
右手に小太刀を。
左手にクナイを。
それぞれ逆手に持ち、今にも必殺の一撃を放てるように、そしてタイミングを計るように呼吸を整える。
石を斬る。などというのは常識的に考えて無理だ。
だが彼女には一つ試す価値がある考えがあった。
その瞬間を、ジッと待つのだ。
そしてそのまま数十秒が過ぎ、その時が来た。
碑石の紋様が蠢く。蠢き、黒い影の様なモノが碑石いっぱいに広がり始める。
「今!」
その時こそが、ヒビキが待つ時であった。
掛け声とともに彼女の四肢が加速する。
溜めに溜めた気と力が解放される。
「『セイバーアクセル』」
ヒビキが残像を引きながら刃を振るう。
小太刀から一閃二閃。
クナイからまた一閃二閃。
踊るように繰り返される連続斬が左右合計一〇閃だ。
以前、アルト隊と戦った時よりスキルレベルが上がってさらに鋭さを増した連撃が、小型恐竜がまろび出る隙を突くように碑石を襲い、そして黒い影を切り裂いた。
「やったか?」
言ってから「しまった」と自分の吐いた言葉を悔やみつつ、ヒビキは残心しながら一歩下がり碑石を観察する。
碑石に広がった黒い影は微塵となって消え去り、そして再び現れた表面にはモヤモヤとした紋様は消え去っていた。
口元を覆う布面を下げて息を吐く。
顔を隠す習慣が抜けずに今でもつけている覆面だ。
「『シャドウダイブ』」
左右に持った武具を収め、ヒビキは再び影に潜る。
そしてまたさっきと同じ時間だけ、そのまましばし碑石を眺めた。
だが、碑石が再び怪物を吐き出すことは、もはや無かった。
「ふう、これで成功。かな?」
ヒビキはもう一度、今度は安堵の息を吐き、怪物がいなくなった通路へと戻るのだった。
ヒビキが小屋のある広場に戻ると、そこに人の姿は見当たらなかった。
代わりに残されたペディサウルスたちが、標的がいなくなったせいか、互いに殺し合いを始めている。
「全滅したか。…なるほど、次に入ってきた時に怪物がいないのはこのせいか」
影の中でヒビキは納得気味に呟いて、その上で思案する。
このままペディサウルスを避けながら小屋に戻るか、それとも。
「いや、帰ればもう今日はここに来られなくなる。それでは時間の無駄だ」
昨日訊いたことによれば、この迷宮はあと1週間ほどで攻略しなければならない。
そして今、他のメンバーが死に戻りしている以上、今更急いで戻る必要もなくなった。
ならばMPが尽きるまで『シャドウダイブ』のままこの階層を探索すべきだ、とヒビキは心を決めた。
「では、行くとするか」
影の中で身を翻し、ヒビキは元来た通路とは別の通路へと向かった。
しばし通路を歩き回り、怪物が湧き出る碑石は計3か所見つけた。
また、他にも指輪や剣などのアイテムも落ちているのを見つけた。
剣はさすがにかさばるので拾わなかったが、指輪は拾うことにする。指輪ならポケットにでも忍ばせれば邪魔にもならない。
他にもカインとマーベルが『白シーツのお化け』に奪われた『空飛ぶ庭箒』も落ちているのを見つけた。
これも邪魔になるので拾わずに避けた。
そして探索を続け、ヒビキは階層の中央に大きな敵を見つけた。
「こいつが、この階層のボスか…」
ヒビキが影の中でつぶやく。
それは緑色の鱗に覆われた巨大な爬虫類生物。
デップリと太った胴体に、蝙蝠の様な翼と尻尾。そして3つの首長頭を持つ。
「これはドラゴン…いやヒドラか?」
『学者』の職業を持たぬヒビキでは特定することはできなかったが、一般的な知識からそうつぶやく。
これでこの階層の偵察はほぼ終わった。
そのせいか、ここでヒビキに欲が出た。
彼女には金が必要なのだ。恩ある孤児院の為、孤児たちの明日の食卓の為。
今回の迷宮攻略ミッションで、少しでも多く手柄を立て、より多くの報酬を得たい。
あわ良くば迷宮から得られる財宝も手にしたい。
そんな欲だ。
「さすがにコイツを一人で殺すのは無理だが、一太刀くらいは…。そう、これは威力偵察だ」
いくらか浮かび上がる慎重的で批判的な気持ちにそうして折り合いをつけ、ヒビキは影の中からひっそりと、巨大な爬虫類の後ろに這い出る。
広い場所だが、コイツがデカいせいで窮屈に感じる。
だが、それもこの場では利点だ。
なぜなら、この場でこの爬虫類は、おそらく自分の体が邪魔で回頭できない。
つまり、背後から一方的に攻撃できるというわけだ。
先に尻尾を斬り刻んでしまえば、怖いものはない。
ヒビキはそう舌を嘗めずり、最後のMPを注ぎ込むつもりで小太刀とクナイを構えた。
「『セイバーアクセル』」
囁く様な声が風に乗り、そして刃が加速する。
「もらった!」
避けるそぶりも見せぬ尻尾に、ヒビキは歓喜に笑いをこぼした。
だが、現実はそう甘くはなかった。
ヒビキの刃が尻尾に触れた、その刹那。
ヒビキの刃より速く尻尾が振るわれた。
ハエを払うような生易しいものではない。
まるで嵐でも巻き起こすようなフルスイングだ。
「そんなっ」
ヒビキは驚愕に目を見開き、成す術もなく吹き飛ばされる。
死を覚悟した。
これは欲をかいた自業の罰だ。
ヒビキはそう悟り、強く目をつぶった。
だが、訪れたのは全身を打つ激痛、ではなく、宙を舞う浮遊感のみ。
「吹き飛ばされただけなのか?」
不思議に思い目を開くと、そこは想像した通り通路を仕切る壁をはるかに超えた、紫色の空の中だった。
空中にあり足掻くことも許されず、尻尾に吹き飛ばされた慣性の赴くがままにヒビキは宙を飛ばされる。
そしていつしか彼女を飛ばす力は失われ、落下を始めた。
どこに飛ばされた?
すでにこの階層を隈なく探索して回ったヒビキは、様々なケースを想定しつつ視線を下へ向ける。
するとどうだ、自分が落下すると思われる先は、スタート地点である小屋の広場のようだった。
ホッとした。
これならMP尽きた身でも帰ることができる。
と、思った矢先に、考えが変わった。
やはり彼女を待つのは束の間の死だ。
眼下の小屋付近では、未だ争い合うペディサウルスの群れが見えたのだ。
ヒビキは本日二度目の覚悟を決めた。
ヒビキは夢を見る。
それは数年前、今よりも彼女が小さかった頃。
何かの事故で記憶を失い、とある司祭が出資する孤児院に拾われ、その生活にも慣れたころ。
彼女はその日、薄暗い廊下の掃除をしていた。
孤児院では子供も世話係として雇われている大人も、皆で様々な家事を分担して行うので、ただヒビキはその日、当番だったから掃除をしていたのだ。
そんな作業のさなか、誰もいない廊下に足音が聞こえた。
彼女は咄嗟に物陰に隠れた。
別に疚しいことがあったわけではない。ただ、何となく、今の姿を人に見られたくなかっただけだ。
なぜ見られたくなかったか、それも隠れてから考えると、自分でも解らなかった。
ともかく、彼女が隠れると同時に、そこへ2人の大人がやってきた。
一人はこの孤児院の出資者たる司祭キャンベル。
もう一人はキャンベルによくついて歩いている、腰巾着の助祭だ。
「このようなところ、頻繁に来ずとも良いではありませんか」
腰巾着男が言う。
この男はいつもここに来ると不満そうに、また汚らわしいモノを見るかのようにふるまう。
対してキャンベルは野心あるギラギラとした瞳とは裏腹に、聖職者然とした慈愛あふれる態度で孤児たちに接していた。
「お前は何もわかっていない」
失望したように首を振り、キャンベルは配下の助祭を振り向く。
「いや解っておりますとも。キャンベル様は忠実な手駒が欲しいと思われておられる。この孤児院のガキどもは、その一手なのでしょう? ですが、金を出して住む場所と食事を与えているのがキャンベル様であることは、ガキどもも重々知っているはずです。さすがに獣同様の平民の孤児だろうと、これだけの恩に背くことはありますまい」
「黙れ馬鹿者」
キャンベルは怒りの形相を浮かべ、助祭の顔をつかんだ。
つかみ、そのままかの助祭を持ち上げる。
この男は本当に聖職者なのか? 物陰からヒビキはそう驚きに目を見開くが、何とか声を上げずにこらえ、そして再び2人の会話に耳を傾けた。
「分別の付く歳にもなればそうだろう。逆に知恵のつく歳になればこちらを利用することを考える。ならば幼いうちはどうだ? 分別のない子供というのは感情で行動するのだ。だからこそ、今のうちから刷り込まねばならんのだ」
難しい話をしている。
だが、不思議と言っている意味はヒビキに理解できたし、そして共感を覚えるに足る理屈だった。
キャンベル司祭は何か野望を持っている。
その為に、手駒とするために孤児を養っている。
普段、彼ら、彼女らに振りまく優しさは、すべて打算あってのことだ。
だが、それを理解したうえで、ヒビキはこの時、心に誓った。
「死が別つまであの人に恩を返し続けよう。あの人が悪人だろうと、私を救ってくれたのはあの人なのだから」
今の自分の原点を思い出し、そしてヒビキは目を覚ました。
「そうかい、それが君の大事な思い出か」
覚醒したことを知り、ゆっくり目を開けると、初老執事風の男がこちらをのぞき込んでいた。
この男が話に聞いていたギャリソンという人狼か。
ヒビキはそう悟り、そして自分が迷宮で死んだことを理解する。
この迷宮では死は絶対でなく、死すると迷宮の入り口で蘇るのだと聞いていた。
まさか攻略初日から自分が味わうとは、思ってもみなかったが。と自嘲気味に笑った。
「君は日本人のようだけど、その記憶はすでにないみたいだから、この世界での記憶をもらうことにしよう。さぁ、もう一度お休み」
言われ、ヒビキはまた急速な眠気に襲われて落ちていった。
しばらくして目が覚めると、そこには共に迷宮へと赴いたメンバーが揃っていた。
「ずいぶん遅かったね。その様子なら情報もたくさん手に入れてきたんじゃないかい?」
黒い『外套』を羽織った眼鏡の『魔術師』が、妙に優しそうな声でそう言ってきた。
キモイ、とは思ったが、憎いとは思わなかった。
憎い?
ヒビキはそこで自分の思考に引っかかりを覚えて首を傾げる。
私はなぜ、この男を憎いと思っていたのか。
それだけじゃない、そこにいるうちの、若サムライ、ねこ耳、白法衣の女、にやけドワーフ。この者たちがさっきまで憎かったはずだ。
だが、なぜか今は、そんな気持ちは湧かなかった。
さておき、声を掛けられたのだからと、ヒビキは頭を振って応えた。
「ああ、あの階層はおおよそ見て回った。詳しくは拠点に戻ってから話そう」
一同は全滅という憂鬱な結果を振り払うように立ち上がり、次こそは、と決意新たに迷宮の扉を見上げて頷くのだった。