10あわれなる王女
最終章 ここまでのあらすじ
真なる創造主にして氷原の魔狼ヴァナルガンドは、この世界を自らの餌とする為に創りたもうた。
だが、ヴァナルガンドを仇と見るウォーデン老とその弟子ハリエットは、アルト隊を伴い、ついにはかの魔狼を追い詰めた。
ウォーデン老とハリエットは、大規模錬金術式『束縛機構』により、ヴァナルガンドを異次元へと閉じ込めようとするが、後一歩のところで邪魔が入る。
ヴァナルガンドの忠実なる僕・ギャリソンだ。
彼は主から授かった世界の創造力の一端を使い、また、『束縛機構』を利用して、ヴァナルガンドが逃げ込み時間稼ぎをする為のダンジョンを創り出した。
迷宮『グレイプニル』の誕生である。
ヴァナルガンドと共に大半の力を失ったウォーデン老に代わり、アルト隊はダンジョンアタックを開始する。
さまざまな難関を乗り越え第3階層へと降り立ったアルト隊。
そこは地下迷宮でありながら空や大地が露見する理不尽な空間、『歪んだ妖精界』であった。
探索を開始した彼らは、そこで『妖精王国の王女アン』と名乗る女妖精に出会うのだった。
妖精王女アンが名乗りを上げたところで、黒い『外套』のカリストが、ビシィという音を立てるかのごとく、集中線を背負って眼鏡をクイと上げた。
「話は聞かせてもらった。この世界は滅亡する!」
その言葉に、アルト隊の面々はポカンとして彼を眺める。
話しも何も、まだアンは名乗っただけで、それ以上の何も言っていない。
「ええと、なんだって?」
何とも言えぬしばしの沈黙。後にアルトがこめかみをホジホジと突きながら眉をひそめた。
ところが、だ。
言われた当の妖精王女アンは、カリストの言葉にたいそう驚いたようで、目を見開いて彼を見た。
「何と言う慧眼よ。さてはおぬし、名の知れた賢者であるか」
「ええ?」
アンが言うや否や、アルト隊の面々は顔に縦線を入れながら慄く。
対してカリストはウンウンと頷きながらドヤリングである。
「なんや、ホンマにこの世界? は滅亡に瀕しとるんか?」
『世界』と言っても、おそらくはこの迷宮内に発生した、歪んだ異世界のことと思われる。
『妖精王国』とやらがあるなら、それは歪んだ妖精界なのかもしれないが。
もっとも、迷宮外の世界もまた、魔狼王ヴァナルガンドによって滅亡しようとしているとも言えるのだが。
まぁそれはともかく。
白い法衣の乙女神官モルトの問いに、妖精王女アンは鷹揚に頷いて答えた。
「うむ、そこな眼鏡の言うとおりよ。この妖精王国の平和を支えておった力ある宝石が、欲をかいた馬鹿者によって盗まれてしもうての。おかげで封じられていた大悪魔が蘇ってしまったのじゃ」
「なんか古いコンピュータRPGっぽいストーリーじゃね?」
アンの語る話は、正しくアルトが言うように、古のパソコンゲームに有りそうな陳腐な話であった。
ねこ耳童女マーベルは、ここまでの1、2階層の事を思い出しつつ、呆れたように呟いた。
「またなのにゃ」
「そう、またなんだ」
マーベルの呟きを拾ったのは、先ほどまでドヤっていたカリストだ。
彼もまた呆れたように首を振り肩をすくめる。
「まぁアレですな。つまりこの第3階層の目的は、その宝石とやらを取り返し、大悪魔を倒す事、ということですかな」
「どうやらそのようですね」
後ろの方で聞いていた酒樽紳士レッドグースは、話を総括して納得気に頷き、それに相槌をうつ様に薄茶色の宝珠氏が同意した。
そしてそれを聞きつけて、妖精王女アンの表情がパッと明るくなった。
「おお、話が早いの。やってくれるか勇敢な若者・ジムよ」
「いやジムじゃねーし。それにソレ、オッサンだし」
そんなアルトのツッコみは、誰の心にも届かなかった。
ちょっと相談します。
などと言ってアンから少し距離を置き、アルト隊の面々は額を寄せ合った。
「おっちゃんが言うたよーに、その大悪魔はんを倒せば第3階層クリアちゅーことやったら、引き受けるしかないんやない?」
まっとうに考えればそうなるだろう。という意見をモルトが言う。
一同は半分頷きながら頭をひねった。
そこには「罠ではないだろうか」とか、「もっと手っ取り早い方法はないだろうか」と言う心情が潜んでいる。
そしてそれをまず声にしたのはアルトだった。
「いやモルトさん。この『歪んだ妖精界』? が滅亡するってことは、放って置けば厄介なミッションが消えるんじゃないか? そしたら何も無い第3階層ももっと楽に抜けられるかも」
滅亡するってんなら滅亡させとけ、とは乱暴な意見ではあったが、一理ある、と各員は深く頷いた。
ただ、これに異を唱えるのは元GMたる薄茶色の宝珠だった。
彼が隊の話し合いに口を挟むのは、最近では珍しい。
「この階層が古のパソコンゲームのパロディとしてデザインされたと考えるなら、この『歪んだ妖精界』? はいつまでたっても滅亡しないかもしれませんよ」
「どゆことにゃ?」
そんな話にアルトやマーベルは興味深げに耳を傾ける。
「ほとんどのコンピュータRPGにおいて、時間経過によってイベントが進行することはありません。フラグが立って初めて進行するのです」
「?」
ところが、薄茶色の宝珠氏の話は端的すぎて、特に猫並みの脳みそに成り下がっていると疑われるマーベルには理解されなかった。
「たとえばだよ?」
そこに差し伸べられる救いの手は、カリストによって出された。
「とある港町で『怪物に襲われている女性を助けると船が手に入る』というイベントがあるとしよう」
「ん?」
「ええから続きを聞こ」
そして唐突に始まった話にアルトが首を傾げたが、モルトによって疑問を遮られ、言う通りに耳を傾ける事にする。
「ただコンピュータRPGの話だから、画面上では街の片隅で女性のドットキャラが怪物のドットキャラに囲まれているわけ。しかし勇者たちが悠長に他の人と会話しても、買い物しても、宿に泊まっても、一向に女性は何ともならない」
「ははぁ、なるほど」
そんなシーンに憶えがあるのだろう。
レッドグースは顎鬚を撫でながら感心気に頷いた。
「結局のところ『女性が怪物に実際に襲われる』と言うイベントは、女性に『話しかける』というトリガーを引かないと開始しない。つまり、怪物との戦闘は、話しかけて初めて始まるものであり、放置していればいつまでも現状維持ってことかな」
「えーと、つまり、この階層も、大悪魔とやらを倒さないと、クリアにならないってこと?」
たとえ話を噛み砕き、アルトは首をかしげながらカリストの解釈を確認する。
するとカリストは満足そうに頷いた。
「もちろんそれが正しいと確認する術はないけどね」
と、最後にカリストは念を押すようにそう言った。
「いや、もしかすると確認できるかも知れませんぞ」
そんな逃げにも似た話の締めに、レッドグースがニヤリとして口を挟む。
一同は彼の口上の続きを待ち、聞いて納得。
そしてその日はそのまま迷宮探索を終了した。
すなわち、彼らの話し合いが終わるのを待っていると思われる妖精王女アンを放置して帰ったのであった。
「そ、そんなひどい」
とアンが言ったかどうかは定かではない。
迷宮グレイプニルから出て帰ると言えば、もうお馴染みとなった教会風の2階家だ。
持ち主が判明したので、ここは改めて『リルガ王国女王別邸』と呼んでもいいだろう。
ともかく、アルト隊の面々が別邸へと帰還すると、五体不満足化したウォーデン老がいつもの居間兼食堂のテーブルで彼らを出迎えた。
その老人の表情はいつもに増して優れない。
「じいちゃんどうしたにゃ? お腹痛いにゃ?」
そんな様子を見て、ねこ耳童女マーベルは特段心配した風でもなく訊ねる。
この老人ときたら、半身が吹き飛ぼうが簡単に死ぬタマではないという事がすでに判明しているので、ちょっとやそっとの体調不良など、心配の慮外なのである。
「おお、おぬしら、待っておったぞ。少々相談事があっての」
だが、どうやら体調不良ではなく、心配事の方であった。
言われ、アルト隊の面々は少々戸惑いつつも顔を見合わせてテーブルに着いた。
そういえば錬金少女ハリエットが見当たらないが、訊けば街まで食料の買出しなどに出かけているとのことであった。
さて、ウォーデン老は語る。
「ヴァナルガンドめがいつまで時間稼ぎをするつもりなのかが、おおよそ推測できた」
これは深刻だ、と額にシワを作ったのはカリストとレッドグース。
他のメンバーはいまいち事の重要性が解らずキョトンとしている。
かまわず、ウォーデン老は続ける。
「ヤツがこの世界を自分の力とする為に喰らうつもりである、という話はすでに知っておろう?」
ますは前提からの話に、一同は黙って頷き、先を促した。
「だがヴァナルガンドはなかなか世界を喰い始めなかった。何故か?」
「案外、世界に愛着が湧いたんちゃう?」
「ふむ、面白い意見ではあるな。養豚場の主人は豚に愛着を持ってはいるが、時期が来れば出荷するものじゃ」
「うちら、豚さんかい」
モルトがつい入れた茶々で、少々和みはしたが、おかげで他の面々にはわずかばかりの考える時間が出来た。
そこで、アルトが思いついたことを口に出す。
「つまり、熟すのを待っていた?」
「おそらく、その通りじゃ」
そして、その考えはすぐに肯定された。
皆、この話に嫌な予感と興味を抱き、前のめりになる。
「して、その世界が『熟す』季節とは?」
その皆の聞きたいことを代弁するように問いたのは、レッドグースだった。
「世界の組成を紐解き、計算してみたのじゃがな。次の『光と闇が釣り合う日』であろうと推測される」
「春分点…ですか」
ウォーデン老が発したのは予言じみた言い回しであったが、黒の魔導師カリストはその結論にすぐ至った。
ウォーデン老はこれにいたく感心しつつ、深く頷いた。
「カーさんカーさん、『しゅんぶんてん』って何にゃ?」
2人して解り合った風で視線を交わす青年と老人を交互に見て、ねこ耳童女マーベルが首をかしげた。
その問いの答えは、背の高さこそ同じだが見た目の年齢が著しく違う、酒樽紳士レッドグースによりもたらされた。
「春分点でも解るかもしれませんがの。もっと判り易く言うなら『春分の日』。つまり『昼と夜の長さが同じになる日』ですな」
いまいちピンとこないアルトとマーベルに比し、『太陽神の一派』の神職でもあるモルトは慌てて聞き返した。
春分の日、および秋分の日は、それぞれ『太陽神の一派』にとっては、先祖を祭る日だった。
いわゆる『お彼岸』である。
「なんやて? い、今、何月や?」
春分の日、という名からも判るように、それは春の一日だ。
すなわち、冬が終わり、暖かくなりつつある今、ちょうどこの時期の季日のはずなのだ。
「3月6日じゃな。そして今年の春分点は、3月21日じゃ」
この世界の滅亡まで、あと14日。あと、14日しかないのだった。
その現実を知ったことによるショックから、各々が我を取り戻すまで数分の時間を要した。
もちろん、それでショックを払拭したわけではないが、ともかく何とか持ち直し、動揺に鈍ってはいるものの思考することを思い出した。
そんな中、重々しく口を開くのは、アルト隊内でもっとも肝の据わった男。レッドグースだ。
年の功である。
「……とてもじゃありませぬが、あと14日で迷宮攻略は無理がありますな」
ここまで、第2階層突破までに9日を要している。
その上で、カリストの探索魔法を信じるなら迷宮は全8階層であり、あと6階層は突破しなければならないのだ。
単純計算でも、とてもじゃないが無理な話である。
「そこでワシ、ちょっとあちこちから助っ人をスカウトして来ようかと思うんじゃが」
話の重さに比べて軽い調子でウォーデン老が言い放った。
つまり、彼は人海戦術で迷宮を攻略させようと言う魂胆なのだ。
悪くない。と、アルト隊の面々も思考する。
だが、それでも無理がある。
「スカウトと言うけど、近いところにいる実力者と言えばアルト君の義兄弟たちくらい。それで足りますか?」
カリストが、その懸念を口にした。
それはスカウトに掛かる時間の事だ。
このアルセリア島内でさえ端から端まで行き来すれば、足の速い船などを使ったとしても1ヶ月程かかるだろう。
迷宮探索の日数が足りないのに、スカウトの日数がそれを超えては本末転倒である。
「うむ。さすがのモウロク爺も、それくらいはわかっておる。なので、そなたにコレを借りようかと思っての」
そう言って、ウォーデン老はテーブルの上に小さな禍々しくも輝かしい、赤く丸い玉石取り出した。
ハッとして、カリストは自分の胸元を探り、そして目を疑って玉石と自分の胸元を、何度か交互に見やった。
それは黒の魔導師カリストの胸に埋め込まれていた玉石だ。
だが、今はウォーデン老の手にあり、カリスト胸の中心には、玉石が抜けた穴だけがぽっかりと開いている。
この赤い玉石こそ、カリストが『理力の塔』から大量の魔力を引き出す為の端末であった。
「これほど大きな魔力が使えれば、何とかなるじゃろ」
「まさか、転移魔法!」
玉石がいつの間にか抜き取られた事にも驚きだったが、それ以上の驚きがカリストを襲った。
「何がそんなにびっくりにゃ?」
「さぁ」
その様に、マーベルやアルトはピンと来なかったが、そこには薄茶色の宝珠氏が解説をもって述べた。
「転移魔法は、ファンタジー系の物語じゃ結構お馴染みですけど、実はメリクルリングRPGでは、限定的なものしかないんですよ」
「というと?」
ふむふむ、と正しく理想の聞き役に徹するアルトに、元GM殿は気持ちよく話を続ける。
「メリクルリングRPGにある転移魔法と言えば、短距離を跳躍する緒元魔法『メタキニシ』や、拠点と定めた1箇所のみに瞬間帰還する神聖魔法『トルナーレ』といったものだけです」
つまり、どこにでも好きな場所へと転移する。などという便利な魔法は、この世界には存在しないのだ。
「あれ? それって、おかしない? 確かティラミーのおった『浮遊転移基地』? の機能に…」
「呼んだでありますか?」
唐突に名前が出たので、レッドグースの帽子に潜んでいた人形サイズの人工知能搭載型ゴーレム、ティラミスがぴょこんと姿を現した。
モルトの疑問に、ティラミスが誇らしげに答える。
「確かにこの世界の住人の誰しも、『どこにでも移動できる』などという便利な魔法は使えないであります。だけど、例外があるであります。それが兄貴たちも会った、あの悪魔でありますよ」
「ああ、あの馬面悪魔!」
「あのさくらにく!」
思い出し、アルトとマーベルが声を上げた。
大魔法文明時代の大魔法使いパーン・デピス。
彼が大陸とアルセリア島を行き来する為に作ったのが『浮遊転移基地』であり、最大の目的こそが『転移ゲート』の維持であった。
その『転移ゲート』を管理していたのが、『時空の支配者の一族』である馬頭の悪魔オリュフェスだった。
つまりメリクルリングRPGには、『プレイヤーが使える便利な転移魔法』はないが、例外的にこの悪魔の一族が修める秘術があれば可能となるのだった。
「ってことは、爺さんもあの秘術が使えるって事?」
と、アルトが頷き合いから視線をウォーデン老へ向けると、老人はすでに何かの術を発動させようとしている真っ最中であった。
「エロヒムよ、エサイムよ、わが呼び声を聞け。出でよ汝、オリュバスに連なる者」
ウォーデン老が呪文を唱えれば、床に広がった光の魔方陣がさらにまばゆく輝きを放つ。
「あの魔方陣、見覚えがありますな」
そんなレッドグースの半眼混じりの呟きは誰にも拾われず、ついに魔方陣からは筋骨隆々の人影が姿を現した。
鍛え抜かれた2メートルを越す巨身。首から上には美しくも長い馬の頭。そのつぶらな瞳は赤くらんらんと光っている。
「異界の神よ。我を呼び出したはお前か。…ん? おやまた合ったな勇敢な兵児たちよ」
呼ばれた悪魔は正しく、以前アルト達が出会った馬頭の悪魔、オリュフェスであった。
そしてウォーデン老は、馬頭の悪魔オリュフェスを従え、彼の修める秘術『転移術』でどこかへと旅立った。
迷宮攻略10日目。
すなわち妖精王女を放置して帰宅した翌日。3月7日だ。
帰還後にあったさまざまを無言で飲み込み、アルト隊は迷宮へと潜り第3階層へと向かった。
いつも通りに2時間ほど掛けてこれまでのギミックを抜け、階段小屋を通って第3階層理不尽エリア、通称『歪んだ妖精界』へと降り立つ。
その後はまっすぐ、妖精王女が昨日いた場所へとすすむ。
するとそこには、昨日、アルト隊が「相談します」と言って放置した時と同じ姿勢で滞空している妖精王女アンがいた。
「お、やっと相談とやらは終わったか。では改めて訊こう。妖精王国を支える聖なる宝石を探し出し、邪悪なる大悪魔を倒してくれるな?」
一晩待たされた、などという事実はまるでなかった様に語りだすアンに、一同は少しばかり動揺する。
しないのは、これを予想していたレッドグースだった。
「ほれ、これこそ、『フラグが立たねば話は一向に進まぬ』という証拠であると、ワタクシは思いますがの?」
アルト達は困惑を隠しきれない様子ながらも、納得して頷いた。
ふと、興味からマーベルがポツンと呟く。
「これ、『いいえ』と答えたらどうなるにゃ?」
「当然、クエストは始まらず、この階層の危機とやらは現状維持。王女様はここで返事を待ち続ける。我々は先へ進めず。というところだろうね」
「王女様、哀れにゃ…」
カリストの返答を聞き、結局のところ、アルト隊はこの依頼を引き受けるしかなかった。




