02一発生成
身の丈5メートルはあろうかという魔狼・ヴァナルガンドが、その巨体に似合わぬ疾風のような速度で白髭の老人に迫る。
迫り、その大きな口をバガリと開けて襲い掛かった。
常人であればこの時点でその恐怖と圧力で身動きさえ出来ないだろう。
だが対する白髭の老人・ウォーデンは、これまで座って移動に使っていた『宙に浮くザル』の上に立ち上がり、飛翔した。
「え、そのザル、そんな使い方も出来るの!」
その様を見て思わず声を上げたくなったのはアルトだけではないだろう。
これまでの様子から、皆がそのザルは「移動が億劫な老人の補助具」くらいにしか思っていなかったのだ。
ところがこのザルの速度も魔狼ヴァナルガンドに負けていない。
ウォーデンはザルで自在に飛翔しつつ、上下から閉じ来る顎からするりと抜ける。
すり抜け、その巨大な横っ面に自らの拳を叩き付けた。
「ぐぬぅ、貴様、まだそんな力が残っているのか」
ヴァナルガンドもさすがに然程のダメージを受けてはいない様だが、それでもそれなりに痛かったらしい。
一瞬よろめいた四肢を大地でしっかりと固定してから、憎しみと歓喜を込めた眼をギロリと向けた。
「ほんの小手調べじゃ」
ウォーデンはというとあまり余裕は無いのか、いくらか肩で息をしながら減らず口で返す。
両者相立ち、第2ラウンドに向けて睨みあった。
「拳かよ…」
そんな戦いを横目で追っていたアルトは呟くが、こちらはこちらで敵が迫っていた。
「アルト君、そんな悠長な場合ではないよ。さぁ、あいつらを食い止めよう」
「おう」
黒衣の魔導師カリストから軽く叱咤され、アルトは気を引き締める。
彼の左肩から背負われる長い太刀。これを『蛍丸』と言う。
アルトは右手を伸ばして柄の根元を握ると、まるで前方へと投飛ばすかの様な勢いで全身を使って一気に『蛍丸』を引き抜いた。
刀身から淡い黄金の燐光が散る。
その『蛍丸』を、アルトは腰構えに添えた。
「さぁ来い」
「ヴァナルガンド様への挑戦者風情が『来い』などとは、まったく礼儀を弁えないお方ですな」
対するはこのラウンドで一気に距離を詰めてきた初老の男だ。
丈の長い黒背広を着た執事風のその男は、手だけを大狼のそれに変え太くも鋭い凶悪な爪をアルトへと振り下ろした。
その身のこなしは、何故か優雅ですらある。
「ちぃっ」
アルトは腰構えから振り上げた『蛍丸』でその攻撃を受け止め、つばぜり合いの要領で押し返した。
これには初老の高位の人狼も多少は感心したようで、互いに間合いを取ってからその爪の手を胸に当てた。
「ふむ、ここまで来るくらいですから、腕に憶えはあるようですな。いいでしょう。私の名はギャリソン、お相手つかまつりましょう」
「格好付けやがって、オレはアルト・ライナー。舐めた口をきけなくしてやるぜ」
「ウチらも忘れたらイカンで」
「そうにゃ!」
アルトが名乗れば、さらにその後ろから小柄な『草原の妖精族』と『半妖精』の乙女が名乗りを上げる。
そして小柄なねこ耳童女マーベルが、右手を挙げて世界に向けて宣言した。
「『プレサモン』の『勇気の精霊』解放にゃ。『アインヘリアル』!」
「承認します」
彼女のベルトポーチに鎮座まします薄茶色の宝珠を通して世界がその言葉を認めると、影に隠れていたコブシ大のミツバチが宙に八の字を描くよう飛翔する。
アルト隊の頭上から降り注ぐのは、彼らに勇気の一押しを与える魔法の燐粉だ。
ここで戦闘になるのは大体判っていたので、マーベルはスキル『プレサモン』で予め『勇気の精霊』を召喚済みだったのだ。
続いて彼女らと並んでいた漆黒の『外套』を翻す『魔術師』が、自らの眼鏡をクイと上げる。
「僕は最初からクライマックスだぜ。『魔法強化』、暗黒『ブリザード』!」
「承認します」
「おお、何が暗黒なのか解りませんが、とにかく凄い自信ですな」
暗黒と言う言葉に特に意味は無い。カリストはただその場の思いつきのノリで言っただけである。
ともかく、酒樽紳士レッドグースの言葉も関係なく、余裕をかまして礼をしていた執事風のキャリソン氏を中心とした魔の吹雪が襲う。
もちろん、その周囲に従うように着いていた2匹の大狼、スコルとハティも吹雪の圏内だ。
「ぬぅ、これは中々」
だが、これでもまだギャリソン氏には余裕がありそうだ。
そこへ、手番待機のモルトに代わってアルトが突っ込む。
八相の構えから幾分刀身を肩に担ぐように倒し、上半身を倒し込む仕草で『蛍丸』を振り下ろした。
「喰らえ、『ツバメ返し』」
「承認します」
刀身から散る燐光が尾を引くように軌道を彩る。
数々の敵を屠ってきたサムライ・アルトの斬撃が、余裕の初老紳士の頭上へと迫る。
しかし、ギャリソンはツイと右足だけ下げて半身だけでかわした。
「だがまだだ」
袈裟斬りが空振りに終わっても、これで終わらぬのが秘剣『ツバメ返し』たる所以である。
通り過ぎたはずの刃は、まるで慣性など存在しないかの如き速さを持って、今度は下段よりギャリソンを襲った。
「ほう!」
一瞬驚き、そして賞賛するような笑みを浮かべたギャリソンは、まだ人間らしい姿を保っていた左手もまた大狼のものへと変化させ、斬り付ける『蛍丸』を受け止めた。
「なん…だと?」
受け止め、余裕の笑みを再び浮かべた老紳士は、無造作に投げ捨てるかのごとく、アルトと『蛍丸』を押し返す。
「終わりですか。ふふ、私めの相手をするには、まだ10年早すぎますな」
「いかん、返り討ちに遭いますぞ!」
言い捨て、レッドグースの警告にアルトが反応するより早く、ギャリソンの持つ大狼の爪が再び閃いた。
「え、なんで。このラウンドの攻撃はさっきので終わりなんじゃ」
「いえこれは…『警護官』の『ネメシスブレイド』に似たスキルの様です」
迫る爪にアルトが叫び、それに元GM氏が答える。
『ネメシスブレイド』は自動反撃スキル。攻撃を受けたら、そのラウンド中の手番とは関係なく反撃が打てるという御業である。
だがその回答は、今危機に瀕したアルトに対しては何の意味も無い。
「きひひっ、地獄へ堕ちろ! 地獄へ堕ちて死んじまえ!」
それまで紳士然としていたギャリソンの顔が、一転して狂喜に変わる。
迫る鋭爪。アルトは避けるすべも無く、交差する爪による十字傷を刻まれた。
「こいつはヤベぇ。爺さんが魔狼野郎を倒すまでなんて、とてもじゃないけど保たないぜ」
HPをごっそりと持って行かれる慣れた激痛に耐え、アルトは胸の傷跡を撫でるようにしながら呟いた。
「それは確かに無理でしょう。なぜなら、ヴァナルガンド様が勝つのですから」
ギャリソンの返答は、まさにアルト隊の面々に悪夢を思い起こさせるものであった。
そんな絶望を相手に、アルト隊は良く戦った。
4ラウンド。
すでに満身創痍ながら、全員生きて終えたその40秒の後に、事件は起こった。
「ぬう、まさかこれほどとは…」
「くっくっく、俺がこの世界の体感時間で、どれだけ力を蓄えてきたと思っているんだ。すでに半身の無い爺ィなど、敵ではないわ」
アルト隊の隣で行われていた、互角かと思われた頂上決戦にて、ついに老神ウォーデンがヒザを地に付いたのだ。
「お、おい、爺さん負けそうだぞ?」
「GM,HPの残りはどんなもんなんや? 回復に行ったほうがええんか?」
「ええと、残念ながらウォーデンさんのHPは、見ることが出来ないようです。権限が無いのか、あるいは…」
その様子に、ここまで戦闘に集中していたアルト隊も動揺し始める。
何せこちらもすでに満身創痍であり、ウォーデン老が早々に勝ってくれないと、逆転もままならない、と言う状況なのだ。
「むむ、これでは全滅エンドもありえますな。ここは一つ…」
と、酒樽紳士が得意の『ハイディング』で一人逃亡を謀ろうかと知恵を巡らせたところで、苦しげにしていたウォーデンが密かにニヤリと笑った。
「まぁ、ワシもこのまま力で押し切れるとは、ちょっとしか思っとらんかったしの。仕方がない。奥の手じゃ」
「何?」
つぶやきが僅かに聞こえたのか、さしものヴァナルガンドも警戒色を露にする。
だが、想像力に難のある魔狼には、ウォーデン老の次の手など、及びも付かない。
そして次のラウンド、ウォーデン老は傷ついた身体を精一杯に動かして天に向かって叫びを上げた。
「『束縛機構』起動じゃ」
そしてその言葉に従って、後ろに控えていた無表情なハリエット嬢が動き出す。
「命令受領。これより『束縛機構』を展開します」
いつもと違う無表情。そしていつもと違う流暢で平坦な声が響いた。
するとどうだ、彼女の耳にかけられていた眼鏡が吹き飛び、その両目から天に向かって黄金の光が立ち上る。
光は雲を呼び、雲は渦巻き、そしてついには大きな束縛の輪が出来上がった。
その輪はあまりに神々しく、そして巨大で、皆、唖然として空を見上げるだけだ。
「あんな物でこの俺を…、いやダメだ。あれではさすがに俺でも…」
ヴァナルガンドは勝利を半ば確信していた。
ウォーデン老が何をするにしても、悪あがき以上の何物でもないだろうと、そう思っていたのだ。
しかし、ここに来て『束縛機構』とやらに危機の予感がビンビンと押し寄せる。
彼の瞳から余裕が消え去り、焦燥と恐怖が見え始める。
「くそ、くそ、くそ! ギャリソン、ヤツを止めろ。俺が逃げるまで、死んでも何とかしろ」
「はっ! ご命令とあらばこのギャリソン、すべてを賭けましょう」
巨狼ヴァナルガンドが踵を返し、ウォーデンと彼の間にギャリソンが入ろうとした。
「させるかよ。お前の相手はオレたちだ」
「知らにゃいのか? アルト隊からは逃げられにゃい!」
しかしそこでギャリソンの進路を塞ぐのは、アルト隊の面々だ。
実際、満身創痍とは言え、アルト隊はギャリソンは戦闘中だ。
そこから隣の戦闘領域へと割り込もうと言うなら、システム的にはアルト隊との戦闘から一度『逃亡』する必要があったのだ。
だが、今までにも述べた通り、対面戦闘からの『逃亡』は、メリクルリングRPGでは簡単に出来ない仕様なのだ。
ゆえに、アルト隊は簡単に、『逃亡』を試みるギャリソンを補足することが出来た。
そしてその間にもヴァナルガンドが『逃亡』を謀る。
だが、これもまた同じ理由で容易に行かないのだ。
「すでに『束縛機構』は起動しておる。ヴァナルガンド、お前はもう終わりじゃ。このグレイプニルからは、全盛期のワシでさえ逃げられんのだ」
攻守逆転。
勝者と敗者の構図は、まさについ数十秒とは真反対のものとなった。
渦巻く束縛の輪と化した大きな雲から、ラグビーボール程もある雹が降り注ぎ、ヴァナルガンドの行く手を塞ぐ。
続いて雷鳴が轟き、神の怒槌がヴァナルガンドを閉じ込める格子の如く周囲に突き刺さった。
「こんなもの、こんなもの!」
慌てふためき、魔狼ヴァナルガンドが牢格子に噛み付く。
が、これはそもそも雷が化けた姿だ。
たちまち彼の牙から大地に着いた脚へと向かい、強烈な電撃が突き抜けた。
恐ろしく強靭な肉体を持つ魔狼であるが、それでも何百万ボルトと言う電圧と何千何万アンペアと言う電流が、彼の体神経を焼くに不足なわけが無い。
ヴァナルガンドが雷の牢格子に囲まれたまま、地に転げる。
「こんなところで…、ここまで来て…。もう少しなのに、あと少しで、あの世界のすべての神を凌駕する力を手に入れられるはずだったのに」
黒く焼け爛れる全身の激痛に、ヴァナルガンドは息も絶え絶えと言う態で呟く。
その言はすでに意識さえ朦朧としかけた中からの、彼の恨み言だった。
「よしトドメじゃ。ヤツめを無限牢獄の果てに閉じ込めてしまえ」
「命令受領。『束縛機構』最終シークエンスを開始します」
そして最後の命が下る。
『錬金術』の祖・ウォーデンが設計し、数々の共同研究者や弟子と共に編み上げた巨大な術式『束縛機構』。
そのすべてが一番弟子ハリエットの身体中と脳に刻まれているのだ。
その為か、術式が完了へ向かうほどに、ハリエットの身体のあちこちから血飛沫が上がる。
瞳孔は開き、すでに正気とは思えぬ状態だ。
いや、彼女本人の意識があるのかも怪しい。
それでも、ハリエットの身体は、傍目には正常に、目的へと迷い無く動いているように見える。
徐々に、魔狼ヴァナルガンドを覆った牢格子が縮まっていく。
『束縛機構』最終シークエンスが完遂されれば、彼はどこへも逃れる事のできぬ異次元の牢獄へと繋がれるのだ。
「ええい、邪魔だ」
その様子に歯噛みしていた初老の執事ギャリソンは、自分を主の下へ行かせぬ様にと取り囲むアルト隊を睨みつける。
だが、ここでアルト隊の面々を皆殺しにして主の元へと駆けつけるには、いったいあと何ラウンドが必要になるのか。
これがこの世界に課せられたルールであり、そのルールを承認し創造したのが主である以上、彼にはどうしようもなかった。
「もうこうなれば、一か八かだ。このギャリソン、ヴァナルガンド様に授けていただいたこの力、今こそ使い切る」
これは決意の宣言だ。
力を出し切る、とは言うには易いが、本当にその様な事をすれば待っているのは自身の消失である。
つまりこの忠実なる魔狼の僕は、その命と引き換えに主人を救おうというのだ。
いや、救うところまでは行かないだろう。と自分でも解っている。
それでも、時間さえ稼げれば、後は主たるヴァナルガンド様が何とかするだろう。と言うのが、彼の信頼であった。
「何をする気だ」
「知らんにゃ。でも気をつけるにゃ」
ギャリソンを囲むアルトが、マーベルが気を引き締めつつ呟きあう。
しかし、これから初老の執事がやろうとしていることには、すでにそれは無意味であった。
「主には及ばぬが、及ばぬなりにやらせてもらおう」
戦闘姿勢を解き、ギャリソンが両手を広げて大地に着ける。
丈の長い黒背広が汚れるのもかまわず、力強く大地を押すかの如く気を込めていく。
「『天地創造』などとは言わぬ。だがこの半島の一部を何とかする程度なら、私めでも叶うであろう。さしずめ『大地』いや『地下創造』と言ったところか」
「いかん、ヤツを止めろ!」
何が起こるか、それは傍で見ている誰にもわからない。
それでも彼が『束縛機構』の邪魔をしようとしているのは、誰の目にも明らかだ。
ゆえに、ウォーデンは焦りと共に叫んだ。
その言葉を受け取るべきは、ここにはアルト隊しかいない。
「なんだか解らねーけど、ここはやるしかねぇ!」
「アっくん、援護するにゃ。『ブレイブレッシング』」
「承認します」
ねこ耳『精霊使い』から新魔法の宣言が響き渡る。
呼応し、すでに彼女の傍らにいた『勇気の精霊』が、彼女が指差す相手、すなわち少年剣士アルトへと向かい飛翔する。
コブシ大ほどのミツバチは高速でグルグルと舞い、その軌跡がアルトを包み込む。
すると彼の着込んだ『ミスリル銀の鎖帷子』が、金緑色の輝きから、さらに黄金の輝きへと上書きされた。
『ブレイブレッシング』は7レベル『精霊使い』の魔法だ。
対象は1人であり、この魔法を掛けられた者の防具は『勇気の精霊』の祝福を受け、HPへのダメージを50点分肩代わりしてくれるのだ。
続いて、カリストからは攻撃力増強魔法『ファイアアームズ』の加護を、そしてアルトが手番を最後にすることで、レッドグースからは呪歌『マーシャルソング』の加護を貰いうける。
「サンキューみんな。念のため、モルトさんも『回復魔法』の準備頼むぜ」
「おー、もうスタンバっとるでー」
アルト隊の皆から援護を受け、少年剣士アルトが両手で掴んだ『蛍丸』を右肩へと担ぐように構える。
「『ツバメ返し』じゃ届かねぇ。ここは最大火力で行くぜ」
その構えのまま、アルトが身を低くして駆け出し、そして叫んだ。
「一閃必殺『蜻蛉斬り』!」
肩に乗せられた『蛍丸』が黄金の燐光を引きながらクルリと翻る。
否、翻ったのは刃だけではない。
勢い良く飛び出し、身動きできぬギャリソンへ迫ったその時、アルトの身体が刃に全身の体重を乗せるようにクルリと宙で前転する。
その剣速も、そこから繰り出された斬撃の破壊力も、『ツバメ返し』の比ではない。
これぞ高位に至った『サムライ』の必殺スキル。『蜻蛉斬り』である。
ただしこのスキルは、いわば諸刃の剣だ。
強大な威力と引き換えに、業を放った本人はしばし体制を崩し行動できず、さらには身体へと大きなダメージを負う。
具体的にはHPの大半を失う羽目になる。
まさに一か八かの大技と言えよう。
「キエエエェェ!」
アルトの口から出た猿叫と共に、『蛍丸』の切先は秒速で30メートルを越えた。
さしものギャリソンもこれをかわすにあたわず、『蛍丸』は彼の脳天からつま先までを一文字に斬り裂いた。
「出ましたな、クリティカルヒット。ここ一番に大殊勲ですぞ!」
思わず『手風琴』を奏でる手を止めたレッドグースの歓喜の言葉に、アルト隊の面々からも歓声が上がる。
ところが、だ。
当の斬られたギャリソンはと言えば、その表情がやり切った者のそれであった。
あまりの刃の鋭さに、真っ二つとは言え未だその身が形を残しているギャリソンは、死に逝く中で口を開いた。
「ははは、もう遅い。私めの役目は、とうに終わったわ。さらばだ人間どもよ」
「何?」
警戒を残しつつも彼の言葉を聞いていたアルトは、怪訝そうに眉をしかめる。
ギャリソンが何をしたのか。そして何が起こったのか。
アルトは一瞬思考を巡らせ答えを探したが、何かが彼の脳に閃くよりも早く、他の者からの声がその回答をもたらした。
「何やあれ!」
白い法衣のモルトが、雷の牢格子に囚われていたヴァナルガンドを指差す。
それに従い、皆がそちらに視線を向けた。
が、そこには魔狼の巨体はすでに無く、ただ彼を異次元の果てへ閉じ込める筈だった牢格子が、空しく雷の光を湛えているだけだった。
「どこに逃げたにゃ?」
「下だ、下に…」
マーベルが首をかしげると、すぐに気付いたカリストが声を上げる。
彼の言うとおり、ヴァナルガンドがいた場所に、黒い何かが広がっていた。
いや、それは影でしかなくその黒自体が何かと言うわけではない。
すなわち、大地には大穴が穿たれ、ヴァナルガンドはまんまとその深淵へと逃げおおせたと言うわけだ。
「追うしか、あるまい。ハリエットよ、『束縛機構』の進行状況はどうであったのだ?」
師ウォーデンの問いに、徒弟ハリエットが非正気モードのまま答える。
「進行状況92%でした。ヴァナルガンドの現状能力の85%は消失したままかと」
「そうか…」
それだけを聞き、ウォーデン老はドサリと音を立てて大地に伏した。
彼もまた、すでに余力など無かったのだ。
ウォーデンは息も絶え絶え、と言う様子で倒れたままにアルト達へ首を向ける。
「ヤツの言っていた『あと少し』とは、この世界を飲み込む時期の事であろうな。おそらくだが、ただ飲むにも良い時期があるのだろう」
ヴァナルガンドの恨み言の続きは「あの世界のすべての神を凌駕する力を手に入れられるはずだった」である。
つまり、以前聞いたとおり、ヴァナルガンドはこの世界を、彼の力の足しとして喰らうつもりで創造したのだ。
ヴァナルガンドにとって『喰う』とは、相手の力ごと飲み込み、我が物とする行為なのだ。
「この世界が熟すのが何時なのかは解らぬ。だが、そう遠くない未来なのだろう」
だからこそ彼の従者であったギャリソンが、その命を捨てて時間を稼いだのだ。
少しばかりは回復したのか、老人はゆっくりと半身を起こし、傍らに来たハリエット嬢に支えられる。
咳き込みつつ、ウォーデン老は今にも力尽きそうな身体で、それでいてギラ付を失わぬ片方だけ残った右目で、アルトたちを見た。
「少年たちよ。スマヌがあの穴からヤツを追い、そして討ち果たしてくれ。でなければ、ワシもおぬしらもこの世界も、すべてがお仕舞いじゃ」
ウォーデン老の言葉に、アルト達は戸惑いつつも頷くしか術が無かった。




