14北の再会
第9章のここまでのあらすじ
タキシン王国の内戦において、アルト隊は『王太子派軍』の協力者として参戦することとなった。
『王太子派軍』は王太子下のタキシン王国軍とレギ帝国からの派遣軍の混成軍だ。
病に臥せっているタキシン王の為の薬を研究することになったハリエットたちを首都タキシン市へ残し、アルトたちは戦場へと向かう。
ところが『エルデ平原会戦』『ロイデ山攻略戦』と、負けるはずの無い戦に『王太子派軍』は立て続けで敗北。
また、その敗戦により、『王太子派軍』は多数の王国兵と総司令である騎士団長ハーラスを永遠に失い、首都タキシン市へと戻った。
そして手負いの『王太子派軍』は起死回生の一手『鋭い矢作戦』の展開を決定する。
その作戦とは、本隊にて『ロイデ山』の敵を引きつけつつ、アルト隊が敵本拠地『ロシアード市』にて敵首脳を討つというものだ。
王太子アムロドとの腹を割った話し合いの末に無事報酬も決まったアルト隊は、作戦の『弓』役ともいえる海防艦『ヴォルフラム号』の待つ湊町ポルトへと向かった。
レギ帝国海防艦『ヴォルフラム号』。
『大型弩砲』を計5門装備しているこの艦は、アルセリア島南部を広く治める帝国の海を守るための戦闘艦だ。
とは言え、まだ衝角同士をぶつけ合うような海戦が主流のこの世界では、相手はせいぜい海賊船や密航船である。
過剰戦力といえないまでも無いこの艦だが、しばらく前に反乱を起こし、同帝国所属の輸送艦『タンホイザー号』に鎮圧された経緯がある。
当時『タンホイザー号』の主戦力として活躍したのは、すでに物語で述べた通りアルト隊の面々だ。
その海防艦『ヴォルフラム号』を、タキシン市から徒歩で半日ほどの場所にある湊町ポルトの人々は口を開けて眺めた。
「でけえ船だな」
「帝国の軍艦らしいぜ」
「海で戦とは恐れ入る。こんなんじゃ海賊もひとたまりもあるめぇ」
湊町ポルトにいるのは小さな商船や漁船だけであり、全長45メートルの頑強そうなこの艦は、誰もが始めてみる威容の艦だった。
そんな湊の人々の後ろから、これまた物々しい集団が歩み寄ってきた。
金緑色に輝く『ミスリル銀の鎖帷子』の背に大太刀『蛍丸』を担いだ若サムライ・アルトを先頭にしたアルト隊、そして王太子アムロドから追加支援を要請されて『ヴォルフラム号』を呼び寄せた後方支援の長・メイプル男爵だ。
「たしか帝国の海防艦て、この艦だけやったんちゃう? これが来てまって帝国は大丈夫なん?」
白法衣の上から『胸部鎧』を着込んだ乙女神官・モルトが首を傾げる。
確かに、彼女たちが『タンホイザー号』で旅をした時、その様に聞いた。
まだ海戦という思想が浸透していないこの世界では、戦闘艦の存在意義が問われている最中であり、帝国の所持する海防艦も『ヴォルフラム号』だけだったはずだ。
だが、人の良さそうな中年紳士・メイプル男爵はにこやかに首を振る。
「確かにあの時は『ヴォルフラム号』だけでしたが、先日、同型2番艦が就航されましたので。ついでに言えば3番艦もすでに着工しております。だからこそこの艦の派遣が可能となったのですよ」
この答えに、アルト隊の面々は「ほへー」と感心気に頷いた。
『ヴォルフラム号』だけでも過剰戦力と言われたものだが、反乱と『タンホイザー号』戦での敗北で、帝国は3番艦の製造を決定したそうだ。
大きな戦力が反乱した時、それを止める戦力が無いでは話にならない、との論議が成されたとか何とか。
と、その様に歩きながら話すアルト隊の目に、狭い湊で無事停艦を果たした『ヴォルフラム号』から、6人の帝国軍人が降りてくるのが見えてきた。
「あれ? 確か『タンホイザー号』にいた、ニルギリ少尉じゃないかな」
「名前は忘れたけど、確かに見た顔にゃ」
額に手をかざして言う黒の魔導師・カリストの言に即座に頷いたのは、種族的に最も遠目の効く『草原の妖精族』、ねこ耳童女・マーベルだ。
6人の帝国軍人は揃いで毒々しい赤黒の『硬革鎧』を身にまとい、腰からは反り返った片手用軽量刀『カットラス』下げている。
またその面差しは皆黒々と日焼けしており、「俺たちゃ海賊」と言われても不自然ではない。
「よお、久しぶりだな。『南海の勇者』殿!」
ニルギリ少尉たちもこちらに気付き、大きな声を出して手を振った。
この厳つい海の戦士たちに注目していた湊人たちは、途端にアルト隊へ視線を戻す。
衆目が集まる中、特に気にした様子の無いニルギリ小隊とアルト隊の面々と、妙にオドオドしたアルトが歩み寄り、互いに再会の握手を交わした。
「なんで『タンホイザー号』のおっさんたちがここに来たにゃ?」
「たいした理由じゃない。元々『ヴォルフラム号』にいた白兵戦隊は2小隊だが、追加派兵に際して『そんなにいらんだろ』と1小隊に減らされたのさ。ついでに『どうせ1小隊送るなら、アルト隊と面識のある連中の方がいいだろう』って事になってな」
訊かれ、ニルギリ少尉は肩をすくめて答えた。
そんな理由で寒い時期に寒い北海を航海する羽目になったニルギリ小隊に対し、アルトはなんだか申し訳ない気分になって肩を小さくすぼめた。
帝国からここタキシン市にほど近い湊町ポルトへ来るにはどういう海路になるかと言えば、タキシン王国がある半島の北海をぐるりと回る必要がある。
近海用の海防艦にとっては、なかなかの長距離航海だ。
「なに、偶には海外旅行も良いものだ。気にするな」
その様子に気付いたのか、ニルギリ少尉はすぐアルトの肩を叩いて笑った。
以前の航海ではあまり会話をしなかったが、イメージにある気の良い『海の男』といった風情で、アルトはホッとして頷いた。
そうしてニルギリ小隊とアルト隊が友好を深める様に世間話を始めると、続いて艦から降りてくる人物があった。
海の男にしては少々線の細い真面目そうな男だ。
どこかボーウェン治安維持隊の胃痛副隊長・エスプリ中尉を思い出させる雰囲気を纏っている。
たぶん苦労人なのだろう。
彼はまっすぐメイプル男爵の元まで歩いてくると、数歩前で停止し、直立姿勢で敬礼をする。
「帝国騎士ゲプハルト以下、海防艦『ヴォルフラム号』、ただいま着任いたします」
「ご苦労様、ゲプハルト少佐。君が新艦長に就任したんだな」
「いえ、ヴァカンテの後任と言うことで中佐に昇進しました」
「そりゃ目出度い」
メイプル男爵はいかにも親しそうに肩を叩く。だがゲプハルト中佐は少々嫌そうに表情をゆがめた。
別にメイプル男爵に隔意があるわけではない。ただ自分の昇進を心底迷惑に思っていると言う態だ。
「全然、目出度くないですよ。陸戦畑の私にいきなり海戦指揮などと言われても、正直言って困ります。しかも配属が反乱汚名艦ですからね」
「気持ちは分かるが、帝国騎士にはまだ海の経験者が足りない。がんばって先駆者になってくれたまえ」
「はぁ。まぁ任を受けた以上は、微力を尽くしますが」
愚痴をこぼして少し気が楽になったか、ゲプハルト中佐はため息混じりにそういってから、今度はアルト隊の方へ向く。
「君たちが『南海の勇者』か。この度は決戦と言える作戦に抜擢されてしまったとか。心中お察し申し上げる。せいぜい足として頑張らせてもらうよ」
「我らは冒険者ですからな。報酬が頂ける以上は何でもやります。ただし国家の命運などは知ったことではありませんがな」
「違いない」
案外フレンドリーな声掛けに、深緑のベレー帽をかぶった酒樽紳士・レッドグースがそう答えると、二人は顔を見合わせて皮肉気に笑った。
「詳しい作戦についてはこちらに書いてある。準備が整い次第、アルト隊を乗せて出航して欲しい」
場が和やかになったところで、少々キリリと眉を強めたメイプル男爵は、懐から取り出した蝋封書をゲプハルト中佐に渡す。
王太子アムロドから『王太子派軍』総司令になってしまった帝国騎士ジャム大佐を経由した、『鋭い矢作戦』に関するゲプハルト中佐への命令書だ。
「受領いたします」
ゲプハルト中佐は恭しく礼を挟んで受け取った。
と、一通りの話が終わったところで、アルト隊の背後から彼らを呼ぶ声が聞こえた。
「おーいアルト君とその仲間タチ。ハリーさんたちも舟に乗せておくれヨ」
振り向けば、金色混じりの髪を後頭部で刈り上げたショートカットの眼鏡少女、『錬金術師』のハリエットが駆けて来るところだった。
すぐ後ろには、長い白髭をたくわえたつば広帽子を被る老人が追っている。
ハリエットの師、ヴォーデン老だ。
もちろん、ヴォーデンは相変わらず座布団サイズの大きなザルに胡坐をかいて浮遊している。
2人はここしばらく、ドクター・アビスの精製した『インフェルヌフェブル』と言う『錬金術の毒』の解毒剤を作るために王宮に篭っていた。
謎の熱病と思われていた寝たきりのタキシン王が『インフェルヌフェブル』に侵されていたからだ。
「2人がここに来たって事は、解毒剤は完成したんだね?」
「今頃、王様もゾンビの様に起き上がってるところダネ。いやー、苦労したカナー。さすがアビス老のレシピは一筋縄じゃいかないネ」
「我が弟子ながら、毒には一家言ある男だからの。惜しい男を亡くしたわい」
カリストの問いに2人はそれぞれ答える。
2人の顔には明らかな疲労の色と、その原因となる仕事から解放された明るい色が織り交じって見えた。
かくして、合流した『錬金術師』たちと共に、アルト隊と『ヴォルフラム号』は補給と休息を急ぎ終えて1日後に湊町ポルトを出航した。
海防艦『ヴォルフラム号』の艦上でゲプハルト艦長により開かれた命令書によれば、この艦はロシアード市へ繋がる上陸地点として、ある湊町を攻めることになる。
王弟派本拠地であるロシアード市は、タキシン市と同様に海に面した街ではない。
だが、やはりタキシン市と同様に河川によって海まで出ることができ、また、その河口付近には湊町ポルトと同じ様な湊町が栄えている。
目標の湊町までは半島の岬を回って約2日程度の航海になる。
ゆえに、準備の時間を見ても丸1日は暢気な航海が許されると言うことだ。
「つっても、寒すぎんよ」
そんな中、景色でも見ようと甲板に上がってみたアルトは、あまりの寒気温に自らの肩を抱いて震え上がった。
遠く右手に見えるタキシン王国のある半島は、冬の山景色と空気の層が相まって黒く見えるし、左手に見えるニューガルズ公国北領湾は所々に流氷が見える。
これはどうにも寒々しいではないか。
「そりゃ1年でもっとも寒い季節に北海ですからな。寒くて当然ですとも」
などと、震えるアルトに言を差し込むのは、脂肪の厚さのためかあまり寒そうにしていない酒樽紳士レッドグースだ。
「北が寒いって言うのはイメージ的に分かるんだけどさ、たびたび話に出てくる中央大陸ってアルセリア島の北にあるんだろ? 人住めるのかよ」
別に本気で心配しているわけではない単なるボヤキだ。
アルトからすれば元の世界における北海道のさらに北、シベリアの大地などを想像させる。
まぁそう考えればシベリアにだって人は住んでいるのだから、中央大陸が寒かろうが心配することもないのだろうが。
ただこの話にはレッドグースが手にしていた薄茶色の宝珠が続いて答えた。
「この世界の気候分布と、元の世界の気候分布を一緒に考えない方がいいですよ」
「ん? どういうこと?」
「アルセリア島の南方が温暖で北方が寒冷なのは地軸などの関係ではなく、精霊力の偏りによる物なのですよ。島の北方の海に氷の上位精霊が陣取っていたり、帝国にあるガイグル砂漠には、炎の上位精霊が住んでいます。この世界の気候は、こうした原因によるのです」
つまりは「全部魔法のせい」とか「すべて天狗の仕業」のような、さすがファンタジーと言える王道設定である。
「んな無茶な」
ただ、いくらか常識人のつもりでいるアルトからすれば、やはり滅茶苦茶と言わざるを得なかった。
と、どうでもいい話で多少はまぎれた寒さだったが、ごまかしが効くほど軟な寒さでもなかったので、アルトとレッドグースはしばらく冬の海を堪能した後に船室に篭った。
篭り、アルトはいつも通り船酔いに襲われるのだった。
翌日の晩、アルト隊を載せた『ヴォルフラム号』は、件の湊町沖に停泊する。
夜ゆえにより冷え込む空気の中、アルト達や白兵戦部隊であるニルギリ小隊、また艦長であるゲプハルト中佐は、各々の装備の上から厚い綿入れなどを着込んで甲板に立つ。
「それでゲプハルト艦長、どのように攻めるかと言う絵図は出来てるんですか?」
沖から見る湊町の明かりはすでにかなり消えている。
それでも何かを待つような態のゲプハルト艦長に、カリストは疑問を口にした。
暗い海上において漆黒づくめのカリストは、すっかり夜闇に溶け込んでいる。
「ああ、もちろんだ。ただ今は遂行前の情報を待っているところさ」
対して、ゲプハルト艦長は湊町の方へ視線を向けたまま頷き答えた。
「情報? 諜報員でも潜入しているんですか」
「そう、湊町ポルトへ行く前に、ここで降ろして行った諜報員が、そろそろこちらに気付いて戻るはずだ」
静かに聴いていたアルト隊の面々は、なるほど、と頷き、艦長に倣って波間へ視線を向けた。
そうして皆で眺めることしばし。
僅かな星明りにぼんやりと黒い舟影が見えてきた。
何より暗い為に詳細は不明だが、小さな手漕ぎボートに2人の人影が見て取れる。
「あれが諜報員にゃ?」
「おそらくそうだろう」
などと軽い確認の会話を交わしていると、小船の人影の内一人がスクッと立上る。
かと思うと「とう!」などという掛け声と共に小船から跳躍した。
残されたもう一人は慌てて「お、おい」などと声をかけるがもう遅い。
小船を蹴るようにして跳んだ人影は、そのまま宙に大きく弧を描く。ものすごい跳躍力だ。とても普通の人間の成せるものではない。
『ヴォルフラム号』の甲板から見ていた面々の殆どは唖然として口を開き、そうでない内の一人であったアルトは少しばかり嫌そうに口元を歪めた。
そんな各々の一瞬の変化の後、宙に跳んだ人影は、音も立てずに充分な膝のクッションを利かせてフワリと甲板に膝をついて降り立った。
星明りに照らされるのは、柔らかい服の質感ではない。
まるで甲虫を思わせる硬質な鈍い光を湛えたあちこち節くれ立った全身は、深緑に少しだけ茶を足した様な「蓬色」と呼ばれる色で染まっている。
また頭部にある大きく赤い2つの複眼はおぞましくも禍々しい。
どう見ても人類では無い。怪物、魔獣、いや怪人と呼ぶのが相応しいだろうか。
「やっぱりお前か、ファルケ」
降り立った異形に恐れ戦き警戒色を露にするニルギリ少尉。それとは対照的に落ち着き払った様子のゲプハルト艦長に、アルトはこの異形の怪人こそ、彼の放った諜報員であることを察した。
この異形、恐怖飛蝗男こと、名をファルケという。
アルト隊と『錬金術師』ハリエットの活躍で葬られた『悪の錬金術師』ドクター・アビスの造った合成獣にして、『ライナス傭兵団』出身である少年アルトの義兄だ。
ドクター・アビス死後も人間に戻る術なく、怪人の姿のままに『レギ帝国西部方面軍』の参謀本部にて、臨時職員をやっていたはずである。
「やあ義弟よ。こんなところで会うとは奇遇だね」
立上った怪人はその姿に似合わず陽気な声で言いつつ、気安くアルトの肩をたたく。
まるで手甲を着けたかのような固い感触に、アルトはため息を付いた。
「ボーウェンは確か人手不足だったろ。こんなところまでしゃしゃり出て来て、大丈夫なのか?」
そう、港街ボーウェンを治める首脳部や駐屯する『西部方面軍』は、ドクター・アビス事件のせいで何かと人材不足に陥っていた。
だからこそ、彼のような怪しい人物が臨時で雇われたのだ。
「大丈夫なんじゃない? 街の皆さんは快く送り出してくれたよ」
ただ、当の怪人ファルケはあくまでも軽い調子でそう答えた。
アルトは「ホントかよ」と呟きながらも口をつぐむ。彼がゲプハルト艦長の送り出した諜報員だとすれば、これ以上の私語は迷惑だろうと判断したからだ。
「さてファルケ君、湊町の様子はどうだった?」
義兄弟の再会とあっては微笑ましく見守っていたゲプハルト艦長だが、ひと段落といったところで「ここからは仕事の時間だ」と表情を引き締めて問う。
怪人ファルケもまた、従ってアルトの肩から手をどけた。
「静かなものだよ。まさかこれから襲撃されるとは思ってないみたいで、僅かに警邏兵がいるだけ。警戒は無いと言って良い」
「こっちの艦には気付いてるんやろ?」
そんな報告会に口を挟んだのは、夜闇の中でも映える白い法衣のモルトだ。
怪人ファルケは異様に大きな赤い目を差し向けながら肩をすくめる。
「そりゃ夜でも『ヴォルフラム号』が沖にいれば気付くよ。でもまぁ、寄港しないまでも、沖を大陸船が通ることも稀にあるし、あまり気にされてないよ」
そう答えを聞き、一同は「そういうものか」と納得して頷いた。
「よしよし、では作戦通り、我が『ヴォルフラム号』はアルト隊を降ろしてから湊町へ奇襲をかける。アルト隊の諸君は騒ぎにまぎれて『ロシアード市』へ向かってくれ」
それらの言葉を聞きゲプハルト艦長は満足そうに頷きながら言う。
「ここでは戦わなくていいにゃ?」
「君たちはあくまでも『ロシアード市』で王弟閣下にして反逆者のアラグディアを討伐するのが仕事さ。ここは我等に任せて先に進みたまえ」
キリリと眉を引き締めたゲプハルト艦長が言えば、後ろのニルギリ少尉も頷く。
アルト達はホッとしつつも先に控えた難事に思いを馳せ、敬礼を返した。
「あー、ちょっと待ってくれ。まだ話は終わってないんだ」
と、出撃前の引き締まった空気を弛緩させる様なノンビリとした声色で怪人が割って入る。
何事かと眉をしかめてそちらを見れば、丁度、小船に乗っていたもう一人が甲板に引き上げられているところだった。
それは長い赤毛を後頭部で無造作に縛り上げた16、7歳くらいの小柄な少年だ。
『ライナス傭兵団』出身でファルケと同じく少年アルトの義兄弟、赤毛の『魔術師』・エイリークだ。
また、彼こそはアルトに対して呼び出しの手紙を送った張本人である。
「よお、アルト。ようやく来たか」
エイリークはニヤリと笑みをこぼしながら軽口を叩くのだった。
「彼は?」
赤毛のエイリークを見て怪人ファルケにそう訊ねるのはゲプハルト艦長だ。
この中では『ヴォルフラム号』の乗員は彼とは初対面ということのようだ。
「元『ライナス傭兵団』のエイリークだ。アルトやファルケの義兄弟って誼で助っ人に来たのさ」
問われたのはファルケや言葉を交わしたアルトだったが、彼は自らそう名乗りを上げ、堂々と艦長に握手を求める。
ただ髪の色と同じ赤い『長衣』から差し出されたその右手は、金緑色に輝く『ミスリル銀』で作られた義手であった。
その義手に一瞬ギョッとしたゲプハルト艦長だったが、何か思い当たるようで、すぐに視線を彼の左脚へと注ぐ。
するとやはりゲプハルト艦長の思ったとおりで、かの左脚もまた『ミスリル銀』製の義肢だった。
「おお、君が『ミスリルの魔導師』と噂の。心強いよ」
などと艦長は明るい声でエイリークの握手に応じた。
「おい、『ミスリルの魔導師』ってなんだよ」
傍らではアルトが怪人ファルケのわき腹をつついて小声で訊ねる。
「最近の傭兵生活で付いた二つ名さ。なかなか恐れられているようだぜ?」
「へぇ」
そして返って来たのはそんな答えだった。
『リルガ王国』と言えば赤毛のエイリークがアルトを呼び出す際に『待つ』と言っていた場所であり、タキシン王国の内乱中に独立建国された北方の都市国家だ。
どうやら王弟派は『リルガ王国』に対して、何度か派兵して撃退されているらしい。
「あ、そうや。アル君のお養父はんはどうなってん?」
久しぶりに会った顔に少々和んでいたアルト隊だが、そんな中で白い法衣のモルトが手を叩く。
そう、赤毛のエイリークがアルトを呼んだ理由が『養父の居場所を掴んだ』であったのだ。
ちなみに彼らの言う『養父』とは、『ライナス傭兵団』の元団長にしてアルセリア島最強の『傭兵』と名高い男のことだ。
名をシュトルアイゼンという。
ただ、彼は謎の熱病に冒され、その隙にかの元副団長ベルガーによって『ライナス傭兵団』を奪われた経緯があり、その後、他の団員と共に行方不明であった。
後の情報や再会により、ベルガーは『王弟派軍』の将軍に、元団員たちは散り散りでやはり生死不明だということまでアルト達には知られている。
そんな状況でのモルトの質問なので、アルト隊の一同は回答に耳を傾けた。
答えてエイリークが口を開く。
「ああ、リルガ王国に義兄と共にいるよ。ただ、まだ熱病で意識混濁中だ」
その表情からは、謎の熱病に対する忌々しさと、養父に対する心配が見て取れた。
「熱病? そーすると、またハリーさんたちの出番カナ?」
だがその気鬱を払拭する人物がまた、アルト隊には同行していた。
そう、謎の熱病で寝たきりであったタキシン王国国王を無事治療した『錬金術師』師弟、ハリエット嬢とヴォーデン老だ。
いきなりの名乗りに怪訝な表情のエイリークだったが、港街ボーウェンで見覚えのある少女の顔にハッとした。
「治せるのか?」
「たぶんネ。聞いた話だとアビス老が関わってそうダシ、おおよそ王様と同じ毒が原因ダヨ」
「アビスは確かに優れた研究者じゃが、ワンパターンなところもあったからの。同じ毒じゃろ」
どんな医者もどんな神官も匙を投げた熱病に対し、あくまでも軽い調子の師弟であったから、赤毛のエイリークも疑ってアルトへ視線を送る。
だがアルトがいかにも大仰に頷くものだから、エイリークも信じる気になった。
「よし、そういうことなら俺が2人を『リルガ王国』まで運ぼう。なーに、少女と老人の2人なら担いでたってひとっ跳びさ」
そこへ名乗り出たのは異形のバッタ怪人ファルケだ。
いくら屈強な『傭兵』といえど、2人を担げばそれほどスピードが出せるわけがないが、そこはさすが強化された合成獣である。
「よし、話は決まったようだね。ではそろそろ作戦実行と行こうじゃないか」
少々立て込んだ義兄弟たちの会話が終わったところを見計らいゲプハルト艦長が口を挟む。
が、ここでまたしても腰を折る言葉が飛んできた。
声は酒樽紳士レッドグースの深緑のベレー帽、その上に鎮座まします人形サイズの少女ティラミスから上がった。
「待つであります。もうひとつだけ。エルはどうしたでありますか?」
彼女が言う『エル』とは、『人工知能搭載型ゴーレム』の姉妹の一人、『魔操兵士』プレツエルのことだ。
アルト達は「そういえば」と辺りを見回すが、どこにもプレツエルの姿は見えない。
彼女は圧倒的な威圧感を放つ2メートルを越す全身金属鎧姿なので、いれば判らない訳がない。
これには当然、同行者であった『ミスリルの魔導師』エイリークが答える。
「ああ、プレツエルが乗ると小船が沈みそうだったから、浜で待っているよ」
そういうことであった。
「よーしよし、これで話は全部だね? では作戦を始めよう!」
やっと終わった、とばかりに再び声を挟んだゲプハルト艦長に、アルト隊の面々はどこか気の毒そうにしながらも頷いた。
『南海の勇者』にして若サムライ・アルト。
ねこ耳童女・マーベル。
白い法衣の乙女神官・モルト。
酒樽『音楽家』・レッドグース。
黒の魔導師・カリスト。
『機械仕掛け』・ティラミス。
そして、『ミスリルの魔導師』・エイリーク。
『魔操兵士』・プレツエル。
こうして『鋭い矢作戦』にて放たれる『矢』が揃った。
王弟派の首魁、王弟アラグディアは、王弟派の中では『殿下』、それ以外では『閣下』と呼ばれています。
この作品において、『殿下』は「殿の下の身分」という意味で、国家元首|(国王など)に次ぐ王位継承権を持つ者につける敬称という位置づけだからです。




