07飛行偵察隊
第9章のここまでのあらすじ
タキシン王国の内戦に、王太子派としての参戦を余儀なくされたアルト隊は、『王太子派軍』総司令官であり、タキシン王国騎士団長でもあるハーラスの指揮下で動くこととなった。
『王太子派軍』は王太子下のタキシン王国軍とレギ帝国からの援軍の混成軍だ。
病に臥せっているタキシン王の為の薬を研究することになったハリエットたちを首都タキシン市へ残し、アルトたちを含む『王太子派軍』は、『王弟派軍』とエルデ平原にて会戦に臨む。
ところが会戦は思わぬ奇襲を受け、『王太子軍』は大きく被害を出す。
対する『王弟派軍』は、一撃を加えた後、無傷で戦場を離脱した。
会戦後、負った『麻痺』から回復したハーラス団長は、全軍にて『王弟派軍』を追撃することを主張。
対し、帝国軍は罠や伏兵の存在を匂わして一時撤退を提案する。
互いの意見がぶつかり会議が停滞しかけたところで、アルト隊参謀、黒魔導師カリストが、アルト隊による偵察行を申し出た。
カリストは「こんな事もあろうか」と、『錬金術師』ハリエットから『空飛ぶ庭箒』を借り受けていたのだ。
かくして、『空飛ぶ庭箒』にて、アルト隊は飛行偵察に赴くことと相成った。
ここでカリストが取り出した、まさかの『空飛ぶ庭箒』に、アルトは僅かばかり動揺を見せつつ仲間を見渡した。
「箒は2本、って事は偵察に出るのは2人って事だよな? だ、誰が出る?」
この言葉に、皆、無言で互いの顔を見比べる。
だが『空飛ぶ庭箒』を用意した本人であるカリストは、余裕の表情でこの意見に口を挟んだ。
「いや、『空飛ぶ庭箒』は2人乗りが可能だから4人まで行けるよ。つまり1人だけお留守番だ」
行かないで良いのは1人か。と、アルトはゴクリと固唾を呑んだ。
正直言って『空飛ぶ庭箒』を使うのは吝かでない。
南海を航海中に判った事だが、空を飛ぶと言うのはアルトにとって存外怖いものではなく、むしろ楽しかった。
だが今回は遊びではなく、敵地かもしれない場所での哨戒任務である。
上空からの偵察、と、ある程度は安全が担保されているとはいえ、それでも何があるか判らないのが現状だ。
当然だが、出来れば行きたくはない。
しかし、アルトが留守番を決め込めば、残りの皆がすべて行く。となれば、それはそれで手を上げるのに躊躇してしまうのだ。
隊において前線を張る『傭兵』であるアルトだ。
いざ戦闘となれば、彼がいないことで隊が被る害は大きくなるだろう。
ところが、そんな彼の迷いはすぐさま断ち切られた。
「アルト殿はキマリ。ですな」
「な!」
その言を発したのは酒樽紳士レッドグースだ。
迷っていたゆえ、そう断言されると反抗したくなる。そんな心理からアルトはレッドグースの髭面をマジマジと睨み付けた。
ところが隊の面々は「あたりまえやろ?」といった風でそんな様子を眺めるばかりだ。
そして「アルトが偵察隊決定」の根拠は、小学生然としたねこ耳童女が答えた。
「『ライディング』持ってるのはアっくんだけにゃ」
馬のみならず、馬車や戦車の操縦技術も含むスキル『ライディング』。これには当然、『空飛ぶ庭箒』の騎乗技術も含まれるのだった。
「そーだったぁ」
ため息交じりのマーベルの言葉に、アルトは天を仰いで頭を抱えた。
そんなアルトの肩を軽く叩く者もいる。
「なに、言い出したのは僕だからね。こんな事もあろうかと残しておいたスキルポイントを使って、今、『ライディング』を取得しようじゃないか」
と、もう1人の偵察隊員がカリストに決定した。
「いいよねGM?」
「ええ。確かにスキルポイントも残っているようですし、承認します」
直後にマーベルのベルトポーチに納まる薄茶色の宝珠とのそんな会話を経て、瞬間、光粉の様なものがカリストの身を包んだ。
これにて、カリストは晴れてスキル『ライディング』を身に着けた。
絶望風の表情のアルトに比べ、カリストは不自然なまでに良い笑顔であった。
「黒装束を着て箒で飛ぶて、まるで『魔女』やなぁ」
「魔女にゃ? でもカーさんは男にゃ?」
「いや、ウィッチに『魔女』と言う和訳をつけたのが、そもそもの間違いでしてな。本来のウィッチには男もおりますぞ」
「そーなんにゃ」
などと暢気な会話をしているうちに、あれよあれよと偵察人員は決定し、彼らは留守居役を残して空へと舞い上がった。
「組み直しを要求したい!」
『エルデ平原』の上空へと躍り出た直後、『空飛ぶ庭箒』2号の機上にてカリストは精一杯の悔しさを表現しつつそう叫んだ。
「ああ、カリスト殿の狙いはそこでしたか」
と、納得して頷くのは、2号機の後部に跨るレッドグースだ。
つまり彼は、アルト隊の花、モルト嬢とのタンデム飛行を密かに狙っていたのだ。
ところが組み合わせは、1号機を駆るアルトの後部にモルト。カリストの駆る2号機にはレッドグース、という具合にサクッと決まってしまった。
カリストの嘆きも推して然るべきだろう。
ちなみに、愛とか恋とかそういう意識はまったくない。単なるスケベ根性である。
「何やっとんやろなぁ」
そんな2号機の様子を少しはなれたところで呆れた風に見ているのは、1号機のアルトとモルトだ。
少しばかりの距離と上空を吹く風とが相まって、カリストの叫びは都合良く聞こえなかったのだが、それでも不穏な雰囲気を察して、モルトは少しばかり冷たい視線を彼らに送った。
「ははは、何でしょうね?」
ただアルトなどは、グラマラスなモルトを背中に感じながら緊張に喘いでいたので、気の効いた返事など出るはずもない。
「アホにゃ」
地上で見送るマーベルもまた、声こそ聞こえないモノのカリストの野望を何となく感じ取り、そう呟いた。
かくしてアルト偵察飛行隊は、『王太子派軍』に見送られつつ『エルデ平原』より北東方面へと飛び去った。
さて、会戦場となった『エルデ平原』の北東側に何があるか。
まず『天の支柱山脈』の東端。
もうここまで来ると「山脈」と呼べるような連峰はなく、標高も2~300メートル程度の低山が散見される程度の場所だ。
このいくつかの低山にもそれぞれに名前がついているが、地元民は大体纏めて『ロイデ山地』と呼ぶ。
そしてその低山地帯『ロイデ山地』を抜けると、小さな平原と林をいくつか挟み、『王弟派』の本拠地である芸術都市ロシアードへと至る。
『エルデ会戦』後に退いた『王弟派軍』がどこへ行ったかと訊かれれば、大まかに言えば先に述べた道のりを踏破してロシアード市へと向かっているはずと思われた。
と言うのも、王国首都タキシン市からロシアード市までは、この経路で街道が繋がっているからだ。
まぁ、街道とは言え、ニューガルズ公国東西を結ぶ大街道や、レギ帝国の帝国街道に比べれば山道も同然の粗末な道ではあるのだが。
それでも道なき道を行く労を考えれば、格段に早く進むことが出来るのだ。
その街道、『ロイデ山地』裾野の森に差し掛かる少し手前を、アルト隊の4人を乗せた『空飛ぶ庭箒』が飛んで行く。
「寒すぎる」
そして『空飛ぶ庭箒』の操縦に集中しつつも、アルトは俄かに鼻水をたらした。
おおよそ高度100メートル程度ではあるが、地上でも寒い真冬なので、これはもう異常に寒い。
本日の地上はと言えば風もなく、太陽さえ出ればそれなりに暖かくさえあったのだが、空に出るとその様相は途端に変わる。
もちろん、高度100メートル程度で天気は変わらないが、とにかく風が強いのだ。
「これはたまらないな。アルト君、少し速度を落とそう」
少し離れて飛んでいたカリストも、これには弱音を吐いて『空飛ぶ庭箒』を寄せて言った。
モルトなどはアルトの背に隠れるように、必死に身をかがめて風を除けているし、カリストの後部に乗座するレッドグースも同様だ。
アルトはカリストの言葉に素直に頷き、飛行速度を緩めることにした。
「はぁ、やっと息付けるわー」
スピードが落ちれば相対風力も当然緩むので、アルトの背にしがみ付くモルトも、やっとと言う態で顔を上げた。
その頬は、寒さのせいでかなり赤く染まっている。
いや、寒さのせいばかりではない。
彼女の左手には、ニューガルズ公国でせしめて来た蒸留酒の小瓶が握られていた。
アルトもまた一息ついて隣の箒を見た。
「『王弟派軍』、見えませんね」
と、その視線の先の黒魔導師はなにやら今まで見たことない複雑な表情でこっちを見ていた。
まぁ、ぶっちゃけると羨ましさを精一杯表現した顔だ。
「カリスト殿。表情、表情」
「おおっといけない」
レッドグースに注意され自分でも気づいたのか、カリストはいつも通りの表情に戻ってアルトの言に頷いた。
「すでに先へ進んでいるのか、それともどこかに隠れているのか。とりあえず裾野の森あたりを重点的に見てみよう」
「了解です」
そう言葉を交わし、2機の『空飛ぶ庭箒』は軽く身を傾けてして高度を下げ森へと向かった。
上空から見る森は、冬だと言うのにまだ蒼い木々と紅葉を終えた茶色い木で、彩度を落としたモザイクの様な景色を作り出していた。
また、鬱蒼と生い茂る木々を分けるように山へと伸びる道、それとは別に、森の手前で分岐した山地の迂回路が見えた。
どちらにも人の影は見えない。
「ふむ、小動物らしき影しか見えないでありますな」
『空飛ぶ庭箒』2号機後部のレッドグースの、そのベレー帽上に乗座する人形サイズの人工知能搭載型ゴーレム少女が言う。
今日はいつもは頭上に着けている魔法のゴーグルを、あるべき場所に掛けていた。
このゴーグルは『赤外線視覚ゴーグル』であり、熱を視覚化することが出来る。
すなわちこうして森を見渡すだけでも、どこに体温を持つ生物がいるかを見つけることが出来ると言うわけだ。
もっとも、視力が上がるわけではないので遠いほど判らなくなるし、また変温動物や小動物は見つけ難くなったりもする。
それでも人間が集まっていれば、それだけ熱源も大きくなるので、かなり信用できる情報となるだろう。
「ティラミス君からもそう見えるのなら、『王弟派軍』が森に潜んでいるということはなさそうだね」
「後は罠があるかどうかやなー。どうやって探すん?」
その情報を判断したアルト隊の面々は、森の上空で一時滞空状態にて会議を開く。
と、その瞬間、アルトとモルトを乗せた『空飛ぶ庭箒』1号機が急加速した。
もちろん操縦しているのはアルトだ。
「アル君、急にどないしたん!」
前から襲い来る風と急加速による慣性の力に吹き飛ばされそうになりつつ、モルトはアルトの背にしがみ付いて一種抗議めいた悲鳴を上げた。
だがその意が通じたのかどうか、アルトはまっすぐに森の一点を見つめたままに言葉を返した。
「何か、大きな物が森の中で動いた!」
彼の行動は反射的なものだった。
探索・捜索・偵察といった任務に送り出されたことに対する緊張もあったのだろう。
とにかく何かを急ぎ見つけなくてはならない、と言う焦りにも似た感情が、この時、アルトを突き動かした。
「うかつですぞアルト殿、もし罠だったら…」
置いてけぼりとなった『空飛ぶ庭箒』2号機上からレッドグースが叫ぶ。
叫びつつも、アルトの目指す先を見極めんと、カリストと共に目を見張った。
すると確かに、彼の飛ぶ先に何かが蠢いている。
遠くて何かわからない。だが、その森の木陰から、何か黒い、人間よりは大きな丸い何かが、確かな圧力を放っているように感じた。
「カリスト殿、ワタクシたちも追いましょう」
「そうだね、おやっさん!」
次いで、すぐさま2号機も急加速に身を委ねる。
だがしかし、その直後に2号機上の彼らは驚きの為、目を見張った。
森から一閃の極太光線が立ち上ったからだ。
何事か、などと思うより早く、その光線はまっすぐにアルト達を襲う。
「アルト君!」
カリストが思わずと声を上げるが、かと言って何の効果があるわけでなし。
光線を浴びたアルト乗する『空飛ぶ庭箒』1号機は、途端にコントロールを失って自由落下を始めた。
「こらまずいわ」
ほろ酔い気分もあっという間に吹き飛び、落下から徐々に錐もみ状態へと移行しそうな1号機の後部でモルトは操縦者を心配して覗き込む。
アルトの身体には力なく、表情は驚きに目を見開いたまま固まっていた。
「『麻痺』状態です。まずいですね。このままでは落下ダメージが致命傷になりますよ」
飛び立つ前にマーベルから託された薄茶色の宝珠がモルトの懐からひょいと顔を出す。
彼こそはこの世界の森羅万象の導き手、元GMの成れの果てである。
元GMとは言え、あらゆるデータを閲覧する権限を持つ彼が言うのであれば、それは間違いなく『麻痺』なのであろう。
ならば、とモルトは急ぎ胸に下げた『聖印』を手に取った。
「ほな『メディパラライズ』いくで」
「承認します」
それらの宣言と共に、世界の奇跡が顕現する。
モルトの手にした『聖印』から、まるでホログラムの様に、虚空へと印が浮かび上がり、直後に光の粒子となってアルトを背から突き抜けた。
そしてアルトが動き出す。
「げぇぇ!」
「ビビってる場合やないでアル君。緊急着陸や!」
言われ、ハッとしたアルトは急ぎ『空飛ぶ庭箒』のコントロールを思い出す。
すでに地面は目の前だ。
「あふたーばーなぁ!」
まぁ、気分の問題である。
アルトは雄たけびを上げながら、操縦桿の如く箒の棹を手前に力いっぱい引く。
すると2人を乗せた『空飛ぶ庭箒』は地面スレスレで反転し、そして数メートルだけ上昇した。
激しい慣性の力が2人を襲うが、それでも数十メートル分の落下ダメージを受けるよりは、よほどましだ。
そしてアルト達は結局慣性に負け、上昇しきること叶わず尻餅をつく様に地面へと投げ出された。
「2人とも大丈夫か…い?」
急ぎ空を駆けてきた『空飛ぶ庭箒』2号機からカリストが問うが、返事より先に彼らの視界を塞ぐ様に現れた黒い影に絶句する。
いや、それが現れたわけではない。
それは元からそこにおり、アルト達がそれの前へと舞い降りたのだ。
直径3メートルはあろうかと言う黒い球体で、周囲に幾本もの触手をうねらせた禍々しき姿。
そしてその球体の中央からは巨大な眼がギロリとアルト達を睨み付けていた。
「こ、これはビホル…」
「おっとそれ以上はいけない!」
思わずカリストから漏れた言葉に、何故かレッドグースは、取り急ぎその口を手で塞いだ。
ちなみに7章13話「艦上爆撃」でカリストは『空飛ぶ庭箒』に乗っていますが、何も『ライディング』がないと乗れない、と言うわけではありません。
スキルがないと、失敗する確率がグンと上がる、と言う感じになります。
また、搭乗中に何度か余計にロールをする必要があります。




