09商人と公国軍とゴブリンと
前回のあらすじ
商人との交渉決裂により兵糧調達が失敗に終わったニューガルズ公国宰相キャンベルは、最終手段として商人から兵糧となる小麦の接収を決行するよう命じた。
下命されたのは首都ニューガルズ市を守る『首都防衛連隊』だ。
ところがアルト隊の活躍で、この接収のための襲撃は退けられた。
その後、「また襲撃されたら市街ではやりにくい」として、アルト隊は小麦商人たちを連れて市外へと脱したのだが。
さて。
1人、少年が昼の林を覚束ない足取りで駆ける。
まだ13、4才くらいのあどけない顔つきが、今は必死の表情だ。
商人に付き従う丁稚の様な風体だが、どこか品があり、物腰柔らかな少年は、今、追われているのだ。
「待つにゃ、曲者め」
林の中のゴツゴツとした粗末な小路を急ぎつつ、追手との距離を確認しようと少しだけ振り返ったその時、声と共に飛来した矢が少年の頬をかすめた。
「ひっ」
薄皮一枚切っただけだが、普段、怪我などとは無縁の生活をしていた彼の背筋は、その瞬間、縮まる思いだった。
追いかけてくるのはねこ耳を生やした童女だが、その姿形に惑わされてはいけない。
相手は行商人たちの護衛を勤めている冒険者なのだ。
少年は、気持ちの上ではより一層、足の回転を速めて脱兎の如く逃げ出した。
まぁ、実際には大してスピードは上がっていない。
普段、運動をし慣れていない者がいきなり全力疾走など出来るものではないのだ。
そう言うわけで、もつれる足を前に出しながら、少年は何とか林を脱するのだった。
少年を取り逃がしたねこ耳童女マーベルが林の中に築いた拠点へと戻ると、アルト隊の面々が彼女に注目した。
「密偵君は無事逃げおおせたかい?」
「もう少しで当たる所だったにゃ。あぶにゃいあぶにゃい」
仲間の1人、黒衣のカリストが問うと、マーベルはペロリと舌を出して答えた。
そう、林の中を逃げていた少年は、『ラ・ガイン教会』の司教が放った密偵であり、先ほどはワザと逃がしたのだった。
「ベネッセ殿は、あの少年が密偵だとよく判りましたな?」
と、こう疑問をあげるのは、酒樽紳士のレッドグースだ。
問われた女商人ベネッセはおどけて肩をすくめた。
彼女は『小麦商組合』の幹部であり、この度の行商人たちをとりあえず指揮している人物である。
なお、幹部は他にも2名いたはずだが、彼らは揉め事を避けてベネッセにこの仕事を押し付けた、という経緯がある。
ベネッセはレッドグースの疑問に答える。
「なに、行商人の見習いってのは、たいてい食い詰め農民の小僧がなるもんさ。だけどあの少年は農家の小倅にしちゃ、やけに品が良かったからね。たぶん、見習いは見習いでも『聖職者』見習いなんだろうよ」
この言葉に、聞いていたアルト隊の面々は「なるほど」と頷いた。
「でも、逃がしちゃって良かったのか?」
そこで話の根本に切り込んだのは少年サムライ、アルトだった。
そもそも、ベネッセが密偵に気づきアルト隊に相談したところで、「上手く追い立てて逃がしてしまおう」と提案したのはカリストとレッドグースだ。
ところがその提案について、あまり詳しい説明はされていなかった。
「せやけど、あんないたいけな少年をどうにかするんは、ちょっち寝覚め悪いし」
と、これはモルトだ。
アルトの疑問ももっともだが、かといって上から指示されただけの『聖職者』見習いの小僧さんを始末するほど、彼らも剣呑にはなりきっていないのだ。
もちろん、これにはアルトも曖昧な表情でうなずいた。
「ま、あの少年殿が知っている事など、この林の位置くらいのものですからな。むしろ相手にそれが伝わってくれた方が話が早いと言うものですな」
「逃げないでいいにゃ?」
「そこはこれから説明するよ。みんなにも動いてもらうしね」
そうして、行商人たちを交えた最後の作戦会議が始まるのだった。
ノイマン軍曹の招集で、各隊がニューガルズ市壁の外に整列を果たしたのは、すでに昼飯時をしばし越えた頃合だった。
戸惑いながらも集合したのは、全部で3個小隊18名。またの名をノイマン中隊の面々だ。
『首都防衛連隊』がその名の通り、ニューガルズ市の防衛を任とする部隊と考えれば、この参集は遅すぎるとも言える。
もしこれが何者かによる首都襲撃に対する防衛であれば、すでに市壁を敵に越えられている可能性大である。
だが、彼らの面子を擁護させていただければ、今回の集合については仕方が無い、とも言えるのだ。
昇進したて、中隊長に成り立てのノイマン軍曹にとって、初めての中隊指揮だったこともある。
それにも増して、今回の「市外へと出た行商人集団から小麦を接収せよ」などという任務は、そもそも彼らの規定外任務なのである。
もう少し詳しく述べるとしよう。
彼ら『首都防衛連隊』は、敵襲来が無い平時においては、首都ニューガルズ市の治安維持活動に従事している。
平たく言えば警察組織の様なものだ。
それが、任務外の仕事で、隊の半数をかりだされた訳で、通常業務の引継ぎなど、煩雑な手続きが必要だったのである。
まぁ、ぶっちゃけると「緊急配備」の命が出されれば、何を置いても参集できる体制ではあるのだが、新任の中隊長殿がそもそも乗り気でなかった為の仕置きであった。
ともかく、冬の弱い日差しが最も強くなる真昼間、彼らノイマン中隊はニューガルズ市壁外に整列した。
後は中隊長であるノイマン軍曹の命を待つばかりである。
「傾注!」
立ち並ぶ16名の中隊員を前に、副官役を仰せつかった中年の隊員が声を上げる。
彼は元々、ノイマン小隊において、ノイマン小隊長を除いて最年長の隊員であった。
そもそも、『首都防衛連隊』における中隊とは3個小隊を束ねるものであり、その3個小隊18名と、隊長副官を足して総勢20名となるはずだ。
ところが先日、中隊長であったヤーコブ少尉とその副官が急に退役してしまった為、小隊長であったノイマンが中隊長に繰り上がり、中年隊員の彼が副官を勤める破目になった訳だ。
そして当然、その分の補充は無い。
したがって、この新生ノイマン中隊は総勢18名であり、中隊長ノイマン軍曹は、ノイマン小隊の小隊長も兼ねるという有様だった。
さて、副官の声で整列する隊員各位は気を引締めてノイマン軍曹に注目した。
ノイマン軍曹は、脇に副官を従えて隊員たちの前に立ち、各隊員を見渡した。どの顔もあまりやる気に満ちているとはいえなかった。
「諸君、今回の仕事は市外へと出た行商人たちから、小麦を接収することである。この小麦は隣国の内乱を収める為に派遣される部隊の兵糧となる、大変重要な物資だ。この大事な物資を、行商人達はあろう事か自分たちの儲けの為、市外へと持ち出した」
ここまで言うと、次第に各隊員の表情が険しくなるのがわかった。
皆、この任務の建前ではなく、本音部分を薄々解かっているのだ。解っているが故、朗々と述べられる新任中隊長の言を訝しく思わざるを得なかった。
ノイマン軍曹にしても、その気持ちは良くわかる。
実際、述べている自分も、この言葉の誠意真実をちっとも信じてはいなかった。
なので、雰囲気を張り詰めたものから一転、溜め息をついて言葉を続けた。
「…という事になっている。まぁ実際はどうあれ、公国に忠誠を誓う我々は、命を下されればやるしかない。各員、それぞれ思うところもあるだろうが、まぁ、折り合いをつけて行こうじゃないか」
この言葉で、各隊員もそっと溜め息をついた。
「嫌な任務だ」というところで、ノイマン中隊の心は一つになった。
「兵糧担当の司教殿は任せろなどと言ってたようだが、さて、行商人どもの動向はつかめているのか?」
中隊隊員たちに出発の準備を整えさせつつ、ノイマン軍曹は副官にこぼした。
この任務を下された後、情報収集の為に話を聞いた司教の顔を思い出す。
商人との交渉を決裂させたのはこの司教であり、だからこそかの司教は商人達を悪し様に罵った。
その上で「密偵を紛れ込ませたから、ここからはすべて筒抜けよ」と自信満々で言い放ったものだ。
副官はノイマン軍曹に応えて口を開く。
「その密偵が先ほど逃げ帰って来ましたので、今日午前までの動向はわかってます」
「逃げ…いやはや、たいした密偵だな」
「本職ではなくて『聖職者』見習いだったようで」
「それでよく、あの司教は自信あったな」
恐るべきは素人である。と、2人は大きく溜め息をついた。
「ま、まぁ午前までの動向がわかっているならいいだろう。今から追いついてもそう変わりあるまい。それで、行商人達は何処に?」
気を取り直しノイマン軍曹が問い、副官がこれに答えた。
「はっ。行商人の集団は、纏まって街道を北西方面へ逸れ、すぐの所に広がっている林に入ったとのことです」
「纏まっているか。接収するには都合がいいな。では急ぎ出るとしよう」
かくして、ノイマン軍曹率いる中隊は、一路、行商人たちの後を追って出発した。
ノイマン中隊は歩兵なので、文字通り徒歩で進む。
とは言え、ノンビリ散歩しているわけではないので、早足と駆け足の中間程度のスピードだ。
そうしてしばし街道を進み、情報に従って林へ向けて街道を逸れる。
ちなみに「林」と「森」の違いとはなんであろうか。
この話には諸説ある。
林は語源が「生やし」であり、人の手が入った木々の集りを「林」。自然の場合を「森」と呼ぶ。
また別の説では森の語源が「盛り」であるとし、起伏のある土地に木々が集り、遠くから見ると盛り上がって見える場合を「森」。平地に木々が集ってる土地を「林」と呼ぶと言う。
この度、行商人が侵入し、またノイマン中隊が追って目指す林は、上の両説において「林」であった。
つまり、ニューガルズ市周辺に住む人々にとって、暮らしの糧を得る為に手を入れた「林」であり、また平地に広がる「林」である。
したがって、この林には粗末ながらも道がある。所によっては、小型の馬車も通る事が可能だった。
中隊が街道を逸れてしばらく進むと、そんないくつかある林の入り口たる小路が見えてきた。
「隊長、何か様子がおかしいですよ」
と、見えてきた途端、遠目の効く隊員たちがざわめき出した。
言われてよく目を凝らせば、行商人の馬車と思われる数台が、林の入り口付近で何かに襲われているようだった。
「誰か、あれが見える者はいるか」
ノイマン軍曹が腰に差した『両手持ち大剣』の鯉口に触れながら、足を止めて声を張り上げる。
答えるのは斥候行を得意とする隊員だった。
「隊長、あれは…ゴブリンです!」
隊員たちのザワメキは一層大きくなり、同時に低下しきっていた士気がV時回復を果たした瞬間であった。
そも、行商人から強盗の如く小麦を奪うより、妖魔に襲われる行商人を救う戦いの方がやる気が出るのは自明の理である。
「我が中隊はこれよりゴブリンどもを蹴散らし、商人を救出する。総員抜剣。突撃!」
ノイマン軍曹の号令一下、隊長含めた18名が汚らわしい妖魔どもに向けて、疾風の如く駆け出した。
その、抜剣し横隊を組んで駆けて来る『首都防衛連隊』所属のノイマン中隊を確認し、行商人の馬車を襲っていたゴブリンの長はニヤリと笑った。
ゴブリンの長、と言ったが、彼は他のゴブリンよりひと回り大きく、さらにボロながらも立派な『長衣』と『外套』を羽織っている。
何を隠そう、彼こそはニューガルズ公国東部のゴブリン社会にて権勢を誇る、『ゴブリン王』、ゴブライ・ゴブルリッヒ3世であった。
「むふふ、キヨタの言う通りやって来たゴブね。全ゴブリンに継ぐ、作戦通り、慌てずゆっくり退却するゴブ」
かの『ゴブリン王』の言葉で、やる気無さそうにホロ馬車を得物でガジガジと削っていた10数人のゴブリンたちは「いえー」と声を上げて彼に従った。
波が引くよな見事さであっという間に撤退を始めたゴブリンの背を、件の馬車主である商人たちは小声で見送った。
「何言ってるかわからんが、気をつけてなー」
どうにも暢気なものである。
それもそのはず、実の所、これは公国兵を引き付ける演技であった。
ノイマン中隊の面々は、まんまとこの演技に騙されたのだ。
意気軒昂たる様子でノイマン中隊が商人の馬車の下にたどり着いた時、ゴブリンの集団はすでに林の中へ向けて遁走している所だった。
「ふん、所詮はゴブリンか。それで、商人たちは無事か?」
逃げ行く背を視線だけで見送り、ノイマン軍曹は配下の隊員たちに訊ねる。すでに隊員たちは商人たちの被害調査に乗り出していた。
とは言え、引き馬も商人たちも特に怪我はなく、馬車が幾らか傷ついただけだった。
馬車は4台で積荷は小麦。市外へ脱した小麦商人の一部であることは間違い。
「お前達、運が良かったな。我々の到着がもう少し遅ければ、命ごと失っていたかも知れんぞ」
対ゴブリン不戦勝で気が大きくなった隊員がそう言いながら笑うと、商人たちも微妙な表情で愛想笑いを返す。
「さて中隊長殿、どうしましょう?」
「ふむ」
ゴブリンから救ったは良いが、結局この馬車の積荷は公国宰相の名の下に接収される運命である。
まぁ、命があっただけマシと思ってもらうしかないだろう。などと、ノイマンはどう言って良いか思案した。
と、そこへ年配の商人がやってきて頭を下げた。
「隊長さんとお見受けします」
「いかにも」
ノイマン軍曹は短く答えて、商人に言葉の先を促す。
「お察しの通り、私たちは『小麦商組合』所属の行商人です。こうなってしまってはもう逃れようもありませんので、小麦は差し上げます。ただ…」
恐縮した様子で項垂れる商人だが、ノイマン軍曹としても幾らか申し訳ない気分だ。
なにせ本来なら対価を払ってしかるべき物資を、接収という言葉だけで召し上げようというのだから、差し出す商人の今後の生活を思えばいたたまれない。
そんな思いを抱きつつも、ノイマン軍曹は「ただ」といいかけた続きが気になった。
「ただ、なんだ?」
「ええ、実は他の行商人たちが、先ほどのゴブリンたちが向かった先へと逃げておりまして」
この言葉で、ノイマン軍曹は厄介そうに額を手の平で叩いた。
逃げる商人から小麦を接収するのも厄介だが、そこへ対ゴブリン戦まで重なってしまったわけだ。
「とりあえず接収は後回しだ。総員、ゴブリンを追撃するぞ」
ところが、副官がこれに異をとなえた。
「この行商人の監視、いえ護衛が必要かと」
「ふむ」
確かに、とノイマン軍曹は思案する。
せっかく確保した小麦だが、目を離せばまた逃げるかもしれないし、逃げなかったとしても隙を突いてゴブリンが再度やって来るかも知れない。
「仕方ない。オルヴァ小隊はこの商人たちの護衛につけ」
「は、オルヴァ小隊6名にて、商人の護衛につきます」
こうして、ノイマン中隊から1小隊を残し、ゴブリンを追って林へと入った。
「作戦通り、人間の軍隊は我々を追って林に入ったゴブ」
ゴブリンの軍団をひとり抜けたゴブライ・ゴブルリッヒ3世は、彼らの知る近道を使ってアルト隊へ報告にやって来た。
その報告を聞いて頷くのは、翻訳魔法『インテルプレス』を使う黒魔道士カリストと、過去の接触時に『妖魔語』を学ばされたアルトだった。
「よくやってくれた。報酬は話したとおり用意するから」
「鹿肉15頭分、約束を破ったら酷いゴブよ」
そう、ゴブライ・ゴブルリッヒ3世率いるゴブリン軍団が、この作戦に参加しているのは、キヨタ時代にコネクションを持ったカリストの依頼あってこそだった。
ただ、このやり取りを聞いてアルトは首を傾げた。
「仕事してくれるのは助かるけど、お前ら的には小麦奪って逃走するってのもありだったんじゃないか?」
鹿肉15頭分というのも解からないでもないが、小麦を馬車4台分も相当なものだ。
アルトが悪党でゴブリンの立場であれば、そう言う選択肢もあるのでは、と想像した故の疑問だった。
だが、ゴブライ・ゴブルリッヒ3世は怪訝そうに眉をひそめてアルトに言った。
「小麦? あんな粉の何が美味いのか理解できないゴブ。人間の味覚はおかしいゴブ」
「いやでも、お前らパンは食うだろ?」
先ほど、昼食を採りながら打ち合わせをしたので、彼らがパンを食べる所は見た。その上でアルトもまた怪訝そうに首を傾げた。
「パンはスカスカしてて歯ごたえ無いゴブが、嫌いではないゴブね。でもそれと小麦に何の関係があるゴブか?」
アルトはこれで納得とばかりに、ポンと手を叩いた。
つまり、かの叡知あるゴブライ・ゴブルリッヒ3世でも、パンが小麦から作られることを知らなかった、という訳だ。




