01天嶮を越えて
アルセリア島は中央大陸の南方にある。
唐突だが、鎌倉名物・鳩サブレを思い浮かべて欲しい。
その想像の中で、尻尾を右に向けて少し長くしてから、顔だけ尻尾の方に振り向かせると、だいたいアルセリア島の輪郭である。
その島を南北に別けるように長々と横たわるのが『天の支柱山脈』。
『天の支柱山脈』は、いわゆる難所であり、文字通り、南北それぞれにある国の交流を妨げている。
山脈中央には暴虐なる火竜、シャイニングスターの住処もあり、人間にとってはほぼ完全なる禁足地だが、長い山脈の東には、まだ人が通う程度の山道が存在する。
その、『天の支柱山脈』東山道の峠に、旅の一団がちょうど今しがた、たどり着いたところだった。
人影を数えると9つある。
そのうちの5人は見るからに薄汚れた冒険者だ。
『傭兵』『聖職者』『精霊使い』『魔術師』『吟遊詩人』。
最後の1名を除けば、なかなかバランスの良い隊構成と言えるだろう。
この5名の内、サムライ風情の『傭兵』少年がいるが、彼の頭にちょこんと乗る、摩訶不思議な人形少女を加えた6名が、ご存知、アルト隊の面々だ。
「やっぱ人間、平地が一番だな」
『ミスリル銀の鎖帷子』に剛刀『胴田貫』を差した少年サムライ・アルトが、峠から見下ろす北の風景を眺めつつ、そう吐露する。
「そうでありますか? 偶には山も良い物であります」
応えて、頭上に乗る人形少女、世界に7体の貴重な『人工知能搭載型ゴーレム』が四女のティラミスが首を傾げた。
「人の頭に乗ってるだけの癖に言いやがる」
「兄貴殿はティラミスに歩けと言うでありますか!」
頭の重みには慣れたが、それでも登山と言う負荷に足されると、やはり僅かな重さがズシリと響くもので、アルトもつい愚痴りたくなった。
だが当のティラミスは、いかにも心外そうに抗議の声をあげた。
身長が14センチメートル程度しかないティラミスが、人間の歩調に合わせられないのは道理である。それがわかっているから、アルトもそれ以上追求せずに口をつぐんだ。
「にゃ」
そんな2人の下に現れた仲裁者は黒猫だった。
「おお、ヤマト殿。ではサムライの兄貴殿、ティラミスはここからヤマト殿と行くでありますよ」
アルトにはわからないが、この黒猫と人形少女はなぜか会話が成り立っているようで、今のやり取りからティラミスは、乗騎をひょいとアルトから黒猫ヤマトに変更した。
「僕もアルト殿に同意だ」
アルトと人形と黒猫の様子が一段落した所で、冒険者ではない同行者の1人がシミジミと言いながら歩み寄ってきた。
綺麗な金髪を短く切り揃えた10歳くらいの品の良い少年だ。
名をセナトールと言い、これから向かおうと言うタキシン王国の王族である。
「同意、と言うと?」
彼の言葉に一瞬ピンと来なかったアルトは、あまり考えずに訊き返す。登山疲れで頭を働かせる余裕が無いのだ。
セナトール小王子は子供らしくない肩をすくめたポーズで息をつく。
「人は平地に住むべきで、山に踏み入るものではない」
なるほど、とアルトは頷く。
ティラミスとの会話の入り口で呟いた、「平地が一番」に対する相槌なのだ。
「ウチも賛成やなー」
これに対してさらに賛同してきたのは、やはり「登り道はもううんざり」と言う表情をしている、白い法衣を着た『聖職者』の乙女・モルトだ。
「モルト君は元女子大生だろ? 山ガールとか流行ってたし、アウトドアはやらなかったのかい?」
呆れた様に会話に入って来たのは、黒い『外套』に黒いズボン、日の光を反射して目元を隠す眼鏡、と言う見るからに最も怪しい風体である『魔術師』の青年・カリストだった。
「『元』ってなんや。向こうに帰ればウチはまだ女子大生や」
ジロリ、と半眼で睨みを利かせながら、モルトは溜め息を付く。
向こう、と彼、彼女らの生まれた世界を言い表したが、実際の所、どうなっているのかトンとわからないので、「帰ればまだ女子大生」という言葉も売り言葉に買い言葉でしかない。
彼らは元いた日本から連れてこられた、この世界においては異世界人であり、漂流者であった。
「ま、川原で『BBQしながらビール』やったら大歓迎やけど?」
モルトは、肩書きに対する抗議をあげつつ、後半への返事を続けた。
「いいですなー。ぜひやりたいですな。BBQ」
そこに口を挟んで相槌を打つのは、酒樽体型の大地の妖精族、『吟遊詩人』のレッドグースであった。
「おやっさんって、オタクだけど、結構アウトドアオヤジでもあるよね」
「人生は楽しまねば損ですからな」
カリストが『おやっさん』呼ばわりする事でもわかると思うが、レッドグースはこの冒険者たちの中では最年長であり、また野外活動の経験も豊富であった。
すると、レッドグースの少し後ろでノンビリと歩みを進めていたねこ耳童女がピタリと足を止めた。
「にゃら、支度するにゃ」
そう言って、腰から下げていた雉を手に掲げた。
先ほど登山の片手間とばかりに藪へ入って、彼女手ずから狩って来た獲物である。
すでに血抜きも終え、軽く塩もみもしてあり、後は焼くばかり、と言う状態だ。
「いや、日々の糧を得る食事ではなく、行楽としてやりたいのですがな」
一同は揃って溜め息を付き、その後は時間もちょうど良い頃合だったので、いそいそと野外料理の準備を始めた。
「ハリエットや、飯はまだかいの?」
「おジイちゃん、今、みんなが作ってるヨ」
「誰がお爺ちゃんか」
少し離れた所でおなじみになったやり取りをしているのは、アルト隊の同行者2名の爺孫コンビだ。
いや、本当に孫か、と言われると確認していないので不明だが、こうした会話を聞いていると、師弟と言うよりは爺孫である。
では実際に確認された情報で2人が何なのかといえば、アルトたちとはまた別の世界よりやって来た異世界人。そして『錬金術』と言う、未知の学問を修める師弟だ。
老人の方がヴォーデン。娘の方がハリエットと言う。
「しかし、あのヨボヨボ爺さん。山脈越えなんか無理だろ、と思ったけど、アレは反則だわ」
しばらく休んだことでスタミナが少しばかり回復したアルトが、そんな2人を見てこぼすと、皆は同感の意を込めて大きく頷いた。
見れば、ボーデン老は歩いていない。
ではいかにして旅路を進んでいるかと言えば、座布団サイズの大きなザルに胡坐をかいて浮いているのだ。
あの『浮遊するザル』も『錬金術』の産物だというから呆れる他ない。
「『錬金術』マジ万能にゃ」
半眼でジトっと眺めつつマーベルが呟けば、金髪混じりの眼鏡少女ハリエットはクルリと振り向いた。
「いやー『錬金術』も万能ではないんダナー」
「どの口がっ」
瞬間、これまで散々『錬金術』の規格外さを見せつけられて来たアルト隊は、揃って叫んだという。
さて、簡単なカマド造りから始まり、続いて野外用の携帯鍋を使った雉料理がじきに完成した。
もちろん料理人はスキル『チャーチディッシュ』を取得しているモルトだ。
今回は野外と言う事もあり、雉肉と山菜、キノコを使った薬膳鍋だった。ただの鍋でなく、薬膳鍋になってしまうのは、まぁ『教会料理』スキルのせいだろうか。
「ふむ、今日も美味そうじゃ。旅の食事が美味いのは助かるのう」
「おジイちゃんもハリーさんも、料理はてんでダメだカラなー」
「ケーキは出来るのに、不思議なもんじゃのう」
早速、各々適当な席を作り、各自持参の携帯食器によそって食べ始めた。
「憎きヴァナルガンドを追って来た異世界じゃが、食事の美味さは嬉しい誤算じゃ」
普段はとぼけた爺さんだが、食事となると眼の鋭さが違う。また食べる勢いは、そのうち喉を詰まらせて窒息するんじゃないかと、見ている方が不安になる様だった。
あまりのギャップにアルトなどは「コイツ、いつもは演技じゃないのか?」と、疑いの眼差しで見てしまうほどだ。
「お爺ちゃん元気やねぇ」
自分の料理を褒められて悪い気はしないモルトは、ガッつく老人を苦笑いしながら眺める。いつもならここで「誰がお爺ちゃんか」と反論する所だが、それすらない。
そのせいもあり会話が続かなかったので、後は黙々と食事を続けた。
それから一行はさらに2日ほどかけて山を降り、タキシン王国首都であるタキシン市にたどり着いた。
「首都と言う割にはパッとしないにゃ」
税を払って街の門をくぐり、マーベルがまず口を開いた。
街内に立ち並ぶ建物は石造りでどれもシッカリしているが、最近はあまり整備していないのかどこも砂埃まみれと言った風情であった。
また、街行く人々の表情にも活気が無く、門前の目抜き通りの喧騒もどこか寂しげだった。
「僕はこんなタキシン市しか知らないが、以前はもっと華やかだったとマドセンが言っていた」
ねこ耳童女に並んでいた、金髪児童セナトール小王子が視線を少し落として呟く。
マドセンとは、今回の逃亡劇でセナトール小王子に付いていた、彼の教育係だ。
すでに故人であり、セナトール小王子にしてみれば父である王太子より身近な身内であった。
「まぁ内戦も長くなってきましたからね。国民の疲弊は推して知るべし、でしょう」
この2人の会話に応えたのは、マーベルのベルトポーチに納まっていた薄茶色の宝珠だ。
セナトール小王子も初めはこの喋る宝珠の存在にビックリしたもんだが、もうすでに慣れっこだった。
元GMたる薄茶色の宝珠の言う通り、このタキシン王国はすでに数年に及ぶ内乱中だ。
この首都タキシン市を拠点とする王太子と、さらに半島を北東へ進んだ芸術都市ロシアードを拠点とする王弟が次期王位を争っているのだ。
では当代の王は何をしているかと言えば、その間、ずっと熱病で床についている。
ちなみにその王太子が、今共にあるセナトール小王子の実父である。
と、その様に、セナトール小王子以外は観光気分でタキシン市を見回していると、明らかに市民ではない揃いの武装をした者たちが駆け寄ってきた。
鈍色の『鎖帷子』に『円形の小盾』と『両刃の長剣』という出で立ちで、その数3人。
「セナトール王子、よくご無事で」
先頭に立っていた亜麻色の髪の少年剣士は、アルト隊の顔がわかる距離まで来たところで表情を綻ばせた。
少年剣士は駆け寄り、そのままセナトール小王子の下で膝をつく。後に続く、彼よりは少し年長の剣士たちも、倣って膝を突いた。
「出迎え苦労。確か父の側近だったか?」
それまで子供の顔をしていたセナトール小王子も、さすがに国許である事にある種の気を引き締め、臣下の礼を取った者たちに対して大仰に頷いた。
亜麻色の髪の少年はセナトール小王子の元気そうな声に安心したか、そっと息をついてから応えた。
「は、冒険者のアッシュと言います」
「冒険者?」
この返答に、アルト隊の面々はつい、眉根を困惑に歪めた。てっきり近衛騎士や護衛兵士だろうと思っていたからだ。
しかも冒険者と言う割に、よく教育された臣下らしい態度なのだ。
ここで、アッシュと名乗った少年もまた、胡乱なものを見る様にアルトたちに視線を向けた。
向けて彼は驚きに目を見開いた。
「あなた達は…」
いかにもアルトたちを見知っている、と言う反応に、アルト隊の面々も首を傾げつつ彼の顔をまじまじと見た。
「あ」
そしてアルトとモルトはその顔を思い出して小さく声をもらした。
確か半年ほど前、アルトたちがニューガルズ公国西のレナスと言う街で、『ラ・ガイン教会』法王暗殺の濡れ衣を着せられ牢に繋がれた時に会いに来た、法王の護衛をしていた『警護官』の少年だ。
あの時はアルトたちに対し嫌悪の表情を露にして、法王暗殺の非を責めたものだ。
「あの時は、私の認識違いから失礼な態度を取りまして、申し訳ありませんでした」
アッシュはバツが悪そうに目を逸らしつつではあったが、しどろもどろと、そう謝罪の言葉を告げた。
アルトたちからすれば、彼もまた現法王キャンベルに騙された仲間であり、今更特に気にはしていなかったので、素直に謝罪を受け入れた。
一通りの謝罪や挨拶が済み、セナトール小王子共々王城へと招かれ歩き始めた所で、モルトがアッシュに話しかける。
「あんた確か『教会警護隊』やったろ? なして冒険者やの?」
『教会警護隊』は、ニューガルズ公国に根を張る『ラ・ガイン教会』の要人警護を目的とした武力部隊で、『警護官』を中心に編成された部隊である。
彼は前法王の護衛を任されていた事から見てもエリートだった筈で、現在、他国で冒険者に身を落としていると言うのは、モルトからすればいかにも不自然に感じられた。
アッシュは整った顔を苦々しく歪ませ、その問いに答えた。
「あなた方がクンバカルナ平原を通って脱出を果たした後、全てキャンベルの企みであったと知り正式に批難声明を提出しましたら、私もあなた方同様の濡れ衣を着せられて放逐されまして」
「アホにゃ」
ここまで聞いて、マーベルがつい言葉を挟んだが、アッシュは怒るでもなく、溜め息を付く。
「その通りですね。面目ない。それで、『放蕩者たち』と言う隊で冒険者になりまして、まぁ色々あって王太子殿下に雇っていただいてるのです」
「あんたも大変やったんやなぁ」
モルトが同情するように言うと、話を聞いていた一行は思い思いに頷いた。
彼や『放蕩者たち』にも紆余曲折の大冒険があったことは想像に難くない。半年前に見た彼に比べれば、今の彼はいかにも表情から苦労が滲むようだった。
「ではこちらの『警護官』殿たちが『放蕩者たち』のメンバーですかな?」
それぞれ一通り共感しあった所で、アッシュが引き連れていたあと2人の『警護官』を指してレッドグースが問う。が、アッシュはすぐに首を横にふった。
「いえ、彼らは『市中警邏隊』です。王太子殿下には私の『警護官』としての腕を買って頂き、冒険者としての仕事が無い時はこうして警邏の手伝いをおおせつかっているのです」
「アルバイトか」
「どこも人手不足は同じなんだねぇ」
と、アッシュの言葉にシミジミ頷いたのは、アルトとカリストだった。
その様にして世間話と身の上話などをポツポツ話すうちに、王城へとたどり着いた。
タキシン城は帝国首都や港街ボーウェンのベイカー城とは違い、上町の真っ只中、と言う感じではなかった。
城造り自体は堅牢そうでベイカー城などに引けを取らぬ感じではあったが、タキシン市はあまり上町下町が明確に区別されておらず、城下は一般庶民の住む長屋と、政府要人が住むような屋敷、商人の運営する商会が入り混じっている様子だった。
「我が息子の護衛、苦労だったな。まったく、世話をかけやがって」
入城してから然程待たされる事も無く案内された謁見の間で、王座の人物が早速そうのたまったので、アルト隊の面々は呆気に取られた。
彼がセナトールの父で、タキシン王国王太子である、アムロド殿下だ。
彼はタキシン王国国王の子であるから『王子』だ。
ただ筋骨隆々で、顎も頬も深く髭に覆われたその姿を見れば、『王子』と言う言葉のイメージとのギャップから首を傾げざるを得ない。
だがアルト隊の面々は、事前に三十路である事を告げられ、王子様イメージを崩壊させていたお陰で事無きを得たわけだ。
さて、謁見の間はレギ帝国外務大臣エックハルトの屋敷の広間とそう変わらぬ程度のもので、調度品は比べれば貧相なものばかりだった。
立ち並ぶ政府要人らしい文官武官の数は少なく、最も近い位置にはアルトと同じ金緑色の『ミスリル銀の鎖帷子』を着込んだ冒険者風の少年が立っている。
少年、と言っても、アッシュ共々、アルトの少し年上だ。
先のアムロド殿下の発言と良い、謁見の間の様子と良い、呆然として平伏す事すら忘れているアルト隊を諌める者がいない事と良い、少し頭が回っていれば、「ここはホントにやんごとない方がおわす場所なのか?」 と首をかしげたことだろう。
「いや、『戦時は儀礼が軽んじられる』とはよく言ったものだね」
カリストなどは、帝都でザルハント陛下より聞いた言葉を思い出し、そっと苦笑いをもらした。




