09南海の勇者
こんにちはK島です。
風邪引いて予定が狂いました。
今回の話は短いです。
海賊船が接近する中、アルトやマーベルと共に船橋へとやってきていたセナトール小王子は、恐怖や不安の為に落ち着かない呼吸と鼓動に翻弄されていた。
今、彼が乗船する『タンホイザー号』はあくまで輸送船だと言うし、迫りくる海賊船は言うまでも無く戦闘用の船だ。
いくら全長差では圧倒的に『タンホイザー号』が勝るとはいえ、常識的に考えれば船種の違いはいかんともしがたいのではないか。
戦えば、彼の側近たちの様に、また被害が出るのではないだろうか。
そうした不安で、セナトール小王子の胃は縮み上がって弱い吐き気を覚えた。
もともとセナトール小王子は勝ち気な少年だった。
タキシン王国の直系であり、戦時中の混乱があるとはいえそれなりの扱いをされて育ってきた。
そんな中で、幼いながらも王族として出来ること、と考えた末の行動が、王太子派の兵士たちに対する慰問だった。
戦う力も、兵を指揮する手腕もないセナトール小王子だが、応援し、励まし、鼓舞するくらいなら出来ると思ったのだ。
かく言う訳で側近の近衛騎士や教育係のマドセン男爵を連れて城を出たセナトール小王子であったが、結局彼の思惑は果たされずに終わった。
目的地であった駐屯地へたどり着く前に、刺客に追い回され、最終的にはるばるレギ帝国西部方面まで逃げる羽目になった訳だ。
その過程でマドセン男爵をはじめとした側近たちは次々に倒された。
そんな経験は、セナトール小王子の小さな心に、大きな影を落としている。そして今まさに、その影をかき混ぜる様な出来事が眼前まで迫っているのだ。
こちらに向かってくる海賊船。
接舷され、蹂躙される様が、小王子の脳裏にまざまざと幻視される。
「また僕のせいなのか?」
潮風が耳元でビュービュー吹く中でつぶやいた。
タキシン城を出てから、こうも身の回りで人が死んでいく様を見てきたせいもあり、セナトール小王子には自分が不幸を呼び込む死神のように思われてならなかった。
だがそんな風に掻き消えるような呟きを耳ざとく拾ったのは白い法衣を潮風になびかせる細い目の女神官だ。
名は確かモルトと言ったか。
モルトはやわらかい笑みを浮かべつつセナトール小王子の肩にそっと触れる。
「心配せんでも大丈夫や。ほら」
そう言ってモルトが指差したのは、船橋の窓から見下ろす甲板上の少年だ。
腰に差すのは身幅広く重ね厚い剛刀。船上の為か身軽な詰襟服だが、額にはいつの間にか鉢金を巻いている。
この度、港街ボーウェン太守ベイカー公爵より、セナトール小王子の護衛として雇われた冒険者のうちの一人、アルトと言う名の『傭兵』である。
アルトはこの状況の最初、海賊船の襲来を伝えるため、一緒に船橋へやって来た。
その時はセナトール小王子と同じ様に蒼い顔で、時折震えている様にも見え、その有様がさらにセナトール小王子の不安をあおったものだ。
護衛なのに頼りなさそうだ。とも思った。
10歳である自分と大して変わらぬ小ささであるマーベルの方が、よほど堂々としていて頼りになりそうだった。
そんな気弱そうな『サムライ』がいったいどれほどのものか、とセナトール小王子は怪訝そうに眉を寄せて、その少年の姿をよくよく見る。
だが、そこにいたのは、先ほどまで隣で青くなっていた者と同一人物なのか疑いたくなるような、鋭い眼光と口元にうっすらとした笑みを湛える、まるで歴戦の勇者を思わせる自信に満ちた表情のアルトだった。
「ま、ここはアッくんに見せ場を譲るにゃ」
船橋内を振り向けば、ねこ耳童女も、酒樽の様な体型のドワーフ楽師も、はたまた『タンホイザー号』の乗組員たちも、誰も不安な顔ではなかったことに気付いた。
なぜだ?
なぜこの者たちは、このような切迫した状況で落ち着いているのだ?
セナトール小王子は困惑と焦燥が入り混じった瞳で、もう一度甲板を見下ろした。
その後、大型輸送帆船『タンホイザー号』と海賊船が、海上で目まぐるしい位置争いと言う名の前哨戦を行った訳だが、これは『タンホイザー号』が勝利したと言っても過言ではなかった。
船首の衝角を正面からぶつけて白兵戦に持ち込もうとした海賊船の狙いは、逆S字に舵を切った『タンホイザー号』の操船により狙いを外され、ならば『タンホイザー号』右舷に衝角で風穴を開けてやれ、とばかりに面舵を切ったのに、同じように面舵を切った『タンホイザー号』によってまたまた避けられた。
上空から見る者がいれば、位置を奪い合いくるくる回る様が、まるで2隻がワルツでも踊っているように見えただろう。
そうして気づけば『タンホイザー号』と海賊船は、右舷同士を合わせて接舷する状態である。
さらに言えば、これまでに『タンホイザー号』からは2門の『大型弩砲』2斉射があったし、ガレー帆船である海賊船の右舷側から突き出た15本の櫂は、右舷至近に侵入した『タンホイザー号』の船体によって、多くを叩き折られた状態だ。
おそらく櫂を操っていた奴隷たちは、凄惨な事になっているに違いない。
これを勝利と言わず何と呼ぶのか。
だが前哨戦はあくまで前哨戦だ。
接舷したからには、ここから互いの近接戦闘部隊が激突する白兵戦が始まるのだ。
「野郎ども、突入しろ!」
海賊船から野太い声が上がると、揃いのボーダーシャツを着た三下どもが数枚の長板を担いで駆け、海賊船と『タンホイザー号』の間に渡す。
「迎え討て!」
負けずに『タンホイザー号』側から声を張り上げたのは、白兵隊隊長のニルギリ少尉である。
ニルギリ少尉を含む6名の白兵戦小隊が、すぐに置かれた渡し板に群がった。
各々が斬り結ぶ甲高い金属音が響き始める。
「届くかにゃ? 『アインヘリアル』」
「ギリギリ届きますね。承認します」
そんな中、『タンホイザー号』船橋から、声と共に金色の燐粉が白兵戦小隊とアルトの頭上に降り注いだ。
同じ船橋にいたセナトール小王子がすぐさま声の主に振り向けば、コブシほども大きなミツバチが、ねこ耳童女マーベルに従って飛び回っていた。
味方の戦意を鼓舞して戦闘力を強化する『精霊魔法』だ。
「魔法? そんな…」
自分と然程変わらない年齢と思われる童女が魔法を使ったことに目を見張る。正確に言えば『精霊魔法』だが、それにしたってセナトール小王子からすれば、魔法使いと言えば大人しか見たことが無かったので衝撃だった。
さて、渡し板を挟んで6人の白兵戦小隊の面々に対するのは、やはり6人の海賊兵だったわけだが、その後ろにはさらに6人の海賊兵が詰めていた。
たった今、斬り結んでいる連中が敵を押しこんだら、すぐに乗り込んで来ようと待ち構えているのだ。
だがニルギリ小隊に出遅れ、やはり彼らの後ろに付いたアルトは向こうの連中とは違って、ただ戦況を待つだけではなかった。
「とう」
混戦になった渡し板を迂回するように駆けたアルトが、海賊船に飛び移ったのだ。
その様子を見て、後衛待機中だった海賊兵たちはギョッとして、慌ててアルトに殺到した。
抜打ちされた6枚の白刃が、方々からアルトに襲い掛かる。
「当たらなきゃどってことねぇぜ」
そんな台詞が船橋のセナトール小王子にも聞こえたが、同時に起こったことまでは良く見えなかった。
キンキンキン、と甲高い金属音が数回響いたかと思えば、未だ腰に差されたままだったはずのアルトの『胴田貫』は、いつの間にか抜き放たれ、対する6人の海賊兵は、セナトール小王子同様に目を見開いてこの若サムライを見た。
「ほほう、さすがに7レベルともなれば、海賊三下など雑魚も良い所ですな」
「ふふん、ザコ中のザコ。選ばれしザコにゃ」
後ろから聞こえた声にセナトール小王子が振り返れば、そこには酒樽の様な体型の、背の低い中年が顎ひげをなでていた。ドワーフ楽師のレッドグースだ。
7レベルだって?
言葉の意味を理解してまた目を見開く。あまりに何度も見開くせいか、目が酷く乾く。いや乾くのは目だけではなく喉もだ。
7レベルと言えば、小国であるタキシン王国では騎士団長クラスだ。
セナトール小王子が見たことがある自国の騎士団長は、もうすぐ50歳になろうと言う壮年世代である。
つまりは長い騎士団生活で剣を磨き続け、数十年でようやくたどり着けるかもしれない境地。それが7レベルと言う重みだ。
それを、眼下で白刃煌めかせる若サムライがすでに到達していると言われれば、世間を知らぬわずか10歳の小王子でも、非常識と感じられた。
そんなセナトール小王子の気持ちを察したのだろう。
操船の指揮をひとまず終えた船長メイプル男爵は、まるで自慢でもするかの様に誇らしげに言った。
「あれが『ライナス傭兵団』団長の養子にして、ボーウェンきっての手練剣士、『南海の勇者』アルト・ライナーさんです」
「『ライナス傭兵団』…!」
セナトール小王子もその名は知っていた。
と言うかタキシン王国内で知らぬ者はいない。
『英雄団長』と名高い『傭兵』が率いる傭兵団であり、つい最近まではセナトール小王子の父が率いる王太子派の重要な戦力でもあった。
『英雄団長』についてはセナトール小王子も、もう少し幼かった時分に遠目で見て、その威風堂々とした武者振りに目を輝かせた記憶がある。
「そうか、あの英雄の養子だったのか」
そう納得気味に呟いて甲板を見下ろせば、当のアルトは囲まれつつも鋭く振り回した剛刀で、海賊を1人斬り伏せるところであった。
一刀両断との言葉が瞬時に脳裏に浮かぶような、そんな鮮やかな戦いぶりだった。