08海戦
海賊襲来。
『空飛ぶ庭箒』で遊んでいたアルトたちからの急報を受け、大型輸送帆船『タンホイザー号』は緊迫感に包まれた。
とはいえ、混乱がない所を見ると、船員はよく訓練されているのだろう。
「ふむ、『骸骨旗』ですか。他に何か特徴はわかりますか?」
『タンホイザー号』の中央にそびえ立つ船橋にて、キリリと眉を引き締めた小太り中年がアルトたちを振り返る。
白いネイビージャケットに身を包んだ船長、メイプル男爵だ。
彼の前で並びこの報を伝えたアルト、マーベル、セナトール小王子は一瞬互いに顔を見合わせて、気づいた点を思い思いに告げた。
「く、黒かった」
「あんなに遠くなにのに、ゴブリンより臭かったにゃ」
「マストは2本。でも『船員ギルド』の装甲帆船よりは大きいと思う」
3人それぞれの所見を聴き、メイプル男爵は鷹揚に頷きながら数歩前に出る。そこは船橋から前甲板を見下ろせる位置であり、すでに各船科の長たちが指示を待って整列していた。
「船足を半速まで落とせ。それから砲射班は1、3番砲塔に『大型弩砲』準備。手の空いている者は手伝いせよ。白兵隊も準備を怠るなよ」
大きな声だ。
普段の温厚そうなメイプル男爵からは想像もつかない様な大声が甲板に降り注ぎ、各員は命令拝領の印に短く敬礼を掲げると、すぐさま駆け足で散った。
そしてメイプル男爵は指示を終えるとくるりと振り返り、傍らに控えていた目の細い士官を見る。
「副長、しばらくここを頼む」
「は、指揮権を一時、引き継ぎます」
彼は『タンホイザー号』に乗り込んでいる数少ない帝国軍士官であり、名をグレイ中尉と言う。
またこの船に乗る2人の帝国騎士位、その内の1人だ。
ちなみにもう1人は白兵班の隊長である。
ともかく、そうしてひとまずの仕事を終えたのだろう、メイプル男爵はアルトたちに目礼を送ると、そのまま船橋から出てどこかへ行ってしまった。
「えと、オレ達はどうしたら?」
「海賊やっつけるにゃ」
突然の軍船然とした雰囲気にアルトは戸惑い、すぐ横の女子小学生風ねこ耳童女はやる気を見せ付ける様にシャドーボクシングを始める。
勢い余ってアルトの尻をぺしぺし叩いてしまっているのは、まぁ愛嬌だ。
「やっつけるって、だ、大丈夫なのか?」
と、これは青い顔をしたセナトール小王子だ。
だが彼の声は忙しそうに動き出した船員たちの喧騒でかき消されるのだった。
「海賊やって」
「ファンタジー物で船旅と言えば、巨大海生生物と並んで定番ですからな」
「そうですね。この遭遇は必然です」
『タンホイザー号』側舷で車座になっていたモルト、レッドグース、そして薄茶色の宝珠は、慌ただしくなった甲板上で未だのんびりとしていた。
はるか先に目を凝らしても、まだ当の海賊船は形が良くわからない程度にしか見えないし、未だ実感が湧かなかった。
とはいえ、その海賊船がまき散らす悪臭は風に乗ってかすかに届いたので、モルトは少しばかり眉を寄せる。
「なんでこんなに臭いんや」
「うーん、私は鼻がありませんので匂いとか判りませんが、そんなに臭いならあちらは『ガレー帆船』なのでしょうね」
誰に言うでもなく白い法衣の乙女が文句を漏らすと、すぐさま薄茶色の宝珠が頷くように言葉を返す。
「『ガレー帆船』とは、つまり手漕ぎと帆を併用した推進方式の船ですね。そして漕ぎ手は鎖に繋がれた奴隷たちです」
「昔読んだ本によれば、奴隷たちの糞尿は垂れ流しらしいですからの。その本では『相手が風上なら数キロ先からでも匂いでわかる』とありましたな」
「ばっちい話やわ」
ちなみに鎖でつなぐのはあくまで自殺防止であり、奴隷たちはイメージほど酷い扱いは受けなかった、と言う説もある。
まぁ今回は相手が海賊船なので、その説もどれほど当てになるかわからないのだが。
ところでこの場に登場しなかった黒衣の『魔術師』カリストはどうしたたかと言えば、座談の輪からこっそりと抜けて船橋外の陰にいた。
そして懐から取り出だしたるは対角幅5インチ程度の、長方形の薄い石版だった。
これが何かというと、『ファンファンフォン』と言う名の『魔法道具』だ。
スマートフォンを彷彿とさせるそのフォルムは、『大魔法帝国時代』に作られたアイテムであり、同アイテムを持つ者同士で会話が出来る。
『大魔法帝国時代』では普及品なので、会話相手を選択する為は相手の『ファンファンフォン』に割り振られたコード番号を入力する必要があったりする。
すなわち携帯電話と同じ機能を持つ優れものであった。
ちなみに名前から想像される方もいるかもしれないが、開発当時は子供向けのおもちゃだったと言う。
「えーと、『1000-10-0』と。あーもしもし、僕だ」
『やぁ兄君かい? ふふふ、声が聞けてうれしいよ』
『ファンファンフォン』を耳に当てそう言うと、その石版から返事があった。
果たして、通話の相手が誰であるか。それは残念ながらカリストにしかわからないが、様子からしてなかなか親しい相手の様である。
そして、ひとしきり和やかな挨拶を終えるとカリストは本題を切り出した。
「それで、そっちの準備はどうだい?」
『ふふ、兄君はなかなかせっかちだね。まだしばらくはかかるよ。でも、急ぐかい?』
「そうか。いや事故が怖いから余裕を持って進めてくれ。じゃ、また連絡する」
『うん、わかったよ。兄君がそういうなら。…また、連絡待ってるよ』
短い会話だったが要件は互いに通じ合っているようで、静かな少女の声を最後に通話は途切れる。
カリストは小さく息をつき『ファンファンフォン』を懐にしまうと、再び物陰から日の降り注ぐ甲板へと戻った。
「アレはまだお預けか。今回は『タンホイザー号』のお手並み拝見と行きましょう」
そしてはるか先で少しずつ大きくなる海賊船の姿を眺めつつ、静かにそう呟いた。
船内を忙しそうに船員たちが行き交う中、アルトたちは未だ成すべき事を見つけられず船橋でその様子を眺めていた。
そもそもアルト隊とセナトール小王子は『タンホイザー号』においては単に乗船客でしかない。
『タンホイザー号』の任務は、遠征軍へ補給品を輸送することであり、セナトール小王子の護衛役であるアルト隊はその航路に便乗しているだけだ。
なのでこのまま戦闘になったとしてもアルトたちが出しゃばる筋合いは無いわけだが、それでも『タンホイザー号』が鹵獲、撃沈でもされようものなら、逃げ場の無いアルトたちの運命は一蓮托生だ。
この複雑さが、特にアルトが行動するに際して判断しかねている理由だった。
そんなアルトの気も知らずに、と言うか、そもそも知る気も無いマーベルは、少々興奮気味に甲板を見下ろしている。
その眼下では、『空飛ぶ庭箒』に乗る前のマーベルが首を傾げつつ弄っていた回転台座が、今、正にその役割を露見させていた。
左右舷合計6基あるその台座の内、右舷側の前2基に、大きな『十字弓』が数人の船員によって設置されているのだ。
いや、マーベルの知識では『十字弓』としか言い様がなかったが、それこそが先にメイプル男爵の指示にあった『大型弩砲』だった。
攻城戦や軍船の武装として活躍する『大型弩砲』の矢は、『弓兵』が普段使う様な矢の数倍も太く、またテコの原理を利用した機械式の巻き上げ機で無いと引けないほどの強力な弦から生み出される威力は、500メートル先の盾板を撃ちぬく事ができる。
火薬がまだ威力を持たないこの世界では、魔法を除けば最大の殺傷力を持つ兵器と言えよう。
その『大型弩砲』が『タンホイザー号』には2門積載されている。戦闘時の状況次第で6基の砲座のどこかに据え付けて使用するわけだ。
「おお、アレはああなってたのにゃ」
手際よく設置調整されていく『大型弩砲』を眺め、マーベルは感心して何度も頷く。爛々と光るその瞳は、いかにも「アタシも撃ちたいにゃ」と語っていた。
「それぞれの経過はどうか」
「は、全戦闘準備はあと1分で完了します」
そうして『大型弩砲』の準備がすっかり整った頃、メイプル男爵が再び船橋に現れ、グレイ副長と短い確認の言葉を交わした。
アルトはすかさず行動の確認を得ようと振り向き、そして言葉を失った。
なぜかといえば、再登場したメイプル男爵の姿が、先の真っ白な船長スタイルから、ネイビーブルーのいかにもな艦長スタイルにチェンジしていたからだ。
「男爵さん、まさか着替える為に出てったにゃ?」
同様に目を見開いたマーベルが訊ねれば、メイプル男爵は誇らしげな笑みを漏らしながら頷いた。
その後、甲板で邪魔になってはいけないと船橋まで引き上げてきたモルトたちとも同じやり取りを経て、メイプル男爵は海上前方に大きく見えてきた海賊船を見た。
「真っ直ぐ進んで来るな」
「間違いなく交戦意思がある、ということでしょう」
確認してグレイ副長と頷きあい、メイプル男爵は更なる指示に声を張り上げる。
「船足を第3戦速まで上げよ。測量士は距離を100メートル毎にカウント」
「アイサー」
船長、いや艦長と呼ぶに相応しい姿のメイプル男爵に、指示を受けた各員が短く返事を上げ、さらに部下へと指示を飛ばす。
アルトたちの目に見えて解った事と言えば、操帆手たちが半分程まで減らしていた帆をまた張り始め、それにつれて船の速度がグングンと上がった事だ。
そんな風景をポカンと口を開いて眺めているうちに、真正面からやって来る海賊船がどんどん大きくなり、それにつれて悪臭が強くなった。
「距離700」
測量士がレトロな雰囲気の計器の筒と前方を交互に見ながら叫ぶ。もっとも「レトロ」というのはアルトたちの感想であり、この世界の住人からすればそれでも最新鋭だ。
ここまで来るとさすがに相手船の様子もかなりよく判ってくる。
全長30メートルほどの黒い船体に2本マストと、左右舷で合計30の櫂が所狭しと突き出ている。
また、大型輸送帆船『タンホイザー号』とは違い、船首水面下に顎のような衝角が突き出ていた。
「うわー、あんなん突かれたらでかい穴開くやん」
「そりゃ、まぁ敵船に穴開ける為の装備ですから」
モルトが口に手を当てて眉をしかめる。対して薄茶色の宝珠が突っ込んだ。
海賊船は『タンホイザー号』のおよそ3分の1と言う大きさだが、白兵に特化したタイプの格闘船のだけあり、見るからに堅牢そうな造りだった。
「距離600」
そうこうしている内に、さらに距離が縮まり、ここでメイプル男爵が操舵手を振り返り声を上げた。
「取舵10度、敵船を右舷に入れ込め!」
「取舵10度、アイサー」
水兵服の男が応えて操舵輪を左に切り、少し遅れて船が大きく傾いた。そしてしばしそのまま進み、続けて船長の指示が飛ぶ。
「面舵10度、しばらく進んだら舵戻せ」
「面舵10度、舵戻せ、アイサー」
返事と共に左に切った操舵輪が今度は右に切られ、船もまた反対側に大きく傾いた。
こうして航跡が逆S字を描き終わると、正面衝突コースにいた海賊船の位置は、右舷前方に変わっていた。
これに対し、正面から衝角をぶつけるつもりだった海賊船も慌てて舵を切る。
向こうの甲板上では衝突からの乗船白兵を目論む海賊兵どもが、傾げる船体から放り出されないようにと、それぞれが近場の物にしがみつく様子が見えた。
ちなみに海賊兵どもはそろいのボーダーシャツと頭にはバンダナを巻くと言う、正しくステレオタイプの海賊三下風だった。
冬なのに半袖なのが寒々しい。
「距離500」
そしてついに『大型弩砲』の射程距離だ。
「よし、『大型弩砲』斉射!」
メイプル艦長の号令一下、右舷に設置された2門の『大型弩砲』が極太の矢を放つ。
ビュともゴウとも聞える発射音と共に飛び出した矢は、浅い弧を描いて飛翔し、旋回中だった海賊船の船首付近にガツンと突き刺さった。
『突き刺さった』と言ってもただ刺さっただけではない。そも元は攻城兵器の『大型弩砲』の衝撃は、船体を穴を穿って破壊した。
海賊船甲板上の三下どももこれには大騒ぎだ。
「『大型弩砲』急いで巻き上げろ。接舷までにもう一射するぞ」
「アイサー」
メイプル男爵が船橋窓から半身乗り出して砲射手たちに声を浴びせれば、受けた船員達は力強く返事を上げて『大型弩砲』の巻き上げ機に取り付いた。
だが、多少は勢いが削がれた海賊船も、たかが2射では止まるわけも無く、ついにはこちらの右舷に衝角の狙いを定め、再び猛突進を開始する。
『大型弩砲』の斉射で諦めてくれれば楽であったが、こうなれば接舷、白兵戦は避けられぬものとなった。
「メイプル男爵、白兵戦ならオレも行けるぜ」
「アタシも行けるにゃー」
それまで呆然と眺めるしか出来なかったアルトが腰の差料をコツンと叩きながら、船橋中央で仁王立ちの中年に言う。倣ってマーベルも拳を振り上げたが、こちらは後ろからモルトに肩を掴まれ止められた。
アルト隊の面々がこの局面に参戦するなら、混戦になる戦場を駆けるのはアルト以外には無理だろう。
後は船橋から長距離射程で援護するのが精々だ。
「では頼みます。甲板にニルギリ少尉という男がいますので声をかけて下さい。その男が白兵隊隊長です」
「任せろ」
短く答え、アルトはひらりと身を翻して船橋から走り出て、急勾配の階段を3段抜かしで駆け下りて、たちまち甲板へと降り立った。
その間、背にした船橋方面から「斉射」「接舷準備」などの声が聞えたが、やる事の定まったアルトにしてみれば全て埒外と聞き飛ばした。
甲板を見渡せば、忙しそうに行き来する船員の中、少し風変わりな一団が片膝を付いて何かを待っていた。
水兵服ではなく毒々しい赤黒の『硬革鎧』と、反り返った片手用軽量刀『カットラス』を装備した6人の白兵小隊だ。
「ニルギリ少尉ってのは?」
海の日差しと潮風で焼けた黒い肌とあちこちに散りばめられた古傷。隣の海賊どもに紛れたら、どっちが海賊か判らないような風体のおっさん達で、そんな連中に声をかけるなど、アルトにとってはドキドキものであった。が、なんとか声を震わせずに虚勢を張って吐き出した。
すると小隊の先頭にいた男がギロリと鋭い視線をアルトに浴びせ、値踏みする様に無遠慮に眺めた。
「俺がニルギリだ。お前は…お客様の坊主か。何の用だ?」
低いしわがれた声でニルギリ少尉が言う。別に睨んでいるわけではないが、その視線は刺す様にアルトの小心を貫く。
「オ、オレも助太刀するぜ」
ぶるりと足が一瞬震えたアルトだったが、腰の『胴田貫』の鯉口だけ切って見せればその震えはピタリと止まり、縮こまっていた心臓もふてぶてしく鼓動を打ち始めた。
「ほう」
その様子に感じるところがあったのだろう。ニルギリ少尉はニヤリと微かに笑って肩の力を抜く。
「そうか、『サムライ』だったな。よろしく頼むぜ」
「お、おう」
聞けば彼は副長と共にこの船唯二の帝国騎士であり、こうした特務に長い事ついている関係で、冒険者と言うものをある程度知っているそうだ。
であるからして、少しばかり試しただけでアルトの事を「若輩」と侮るのをやめた。
そもそも帝国騎士といえど、手練冒険者であるアルトと戦力を比べれば、圧倒的にアルトの方が高レベルなのだ。
そのようにして、他の隊員とも挨拶を交わすうちに、『タンホイザー号』と海賊船は今にも衝突しそうな距離まで迫った。
このまま行けば海賊船船首の衝角が、『タンホイザー号』右舷に突き刺さる、という所で船橋から声が聞えた。
もちろん、船長メイプル男爵の指示だ。
「面舵いっぱい!」
「面舵いっぱい、アイサー!」
その直後、『タンホイザー号』は、今までに無かったほどにその船体を傾けた。急速に舵を切った為だ。
「少年、つかまれ!」
その衝撃にすぐさま甲板に伏せた白兵隊の面々は、対応に後れたアルトを引き倒す。したたか甲板に顔面を打ったアルトだったが、お陰で船から放り出されずに済んだ。
赤くなった鼻先をさすりながらアルトが顔を上げれば、衝突コースだった海賊船はいつの間にか『タンホイザー号』と右舷同士を接弦させてピタリと停止していた。
何が起こったのか、と混乱しかけたが、今はそんな時ではない。接弦したと言う事は、すぐにでも海賊どもがなだれ込んでくる筈だからだ。
なら今は考える必要はない。
アルトはニルギリ少尉たちと並び、急ぎ抜刀して右舷へと駆けた。




