07洋上飛行
アルセリア島南岸沿いに、大型輸送帆船『タンホイザー号』が往く。
良く晴れた冬の青空の下、その甲板上をねこ耳童女マーベルがつまらなそうに散歩していた。
彼女の草色のワンピースは、青い大海原にも青空にも良く映えるが、その表情は微妙にすぐれない。もっと詳しく言えば不満顔である。
「ヘンダーソン値って何にゃ」
マーベルから少し離れた所では、モルト、カリスト、レッドグースといった大人組が、未だヘンダーソン値についてあれやこれやと話していた。
ヘンダーソン値については前回すでに述べたが、その内容についてはあまり物語りに関係ないので繰り返すのをやめておこう。
ただその理論はあくまで非実践的な理屈であり、どちらかと言えば感覚志向であるマーベルには、いまいちしっくり理解しづらい話であった。
彼女の不満をぶっちゃけると「だから何なのだ」という所である。
なのでその話が盛り上がるにつれて退屈になったマーベルは、絶賛船酔い中のアルトを冷やかそうと座を離れて甲板を彷徨っている。
だが、甲板を1周ぐるっと回って見たのにも拘らず、アルトの姿は一向に見つからなかった。
「アっくんどこ行ったにゃ? 船室で寝てるのかにゃ?」
呟いて見ても応える者は無く、ただ船上を吹く海風が彼女の頬を撫でるだけだった。
仕方なく、マーベルは興味を他に向けてみる。
実は甲板を回っている間に気になった物があるのだ。
しばし歩を進めて、その物に近付いてみる。
それは直径2メートルほどの円形台座だ。
台座周りには甲板より一段低い、幅50センチメートルほどの浅い溝がぐるりと囲っており、小さな操舵輪のようなハンドルが一つ取り付けられていた。
また台座中央には軸棒と見受けられる突起が生えている。
これと同じ物が、この船の両舷に計6つほど設置されていた。
マーベルは特に気後れもせず、好奇心のまま溝に飛び入りハンドルを回してみた。
ハンドルは思いのほか軽かったので、ちょっと回しただけでおよそ3回転する。と、同時に、台座中央に生えている軸棒が連動して幾らか回転した。
「にゃるほど、この為のハンドルにゃ」
納得気味に頷いてみる。が、ではこの軸棒が何のために回るのかという所までは解らなかったので、マーベルは気にもせずハンドルをグルグル回し続けるのだった。
「マーベルさん、あまりいじりすぎて壊さないで下さいよ」
しばしただ回すルーチンを楽しんでいたマーベルの頭上から声が降る。
見上げてみれば、甲板上から白い水兵服の少年が彼女を心配そうに見下ろしていた。
もちろん心配なのはマーベルの事ではなく、彼女がいじ繰り回している謎の回転装置の方だ。
「ちょっと遊んでただけにゃ。壊さないにゃ」
機嫌が良くなった所を邪魔されて、マーベルが口を尖らせる。
不満げではあるが、少年が何者であるかについてすでに知っているマーベルは、大人しくハンドルから手を離す。
年齢はアルトとそう変わらないだろう小麦色の肌のこの少年は、この『タンホイザー号』の航海士の1人である。
合せて約70名いる船員の中、彼は最も若いグループの一員で、言わば雑用係だ。そのため、この航海中は船長であるメイプル男爵から、アルト隊の面々の世話係に任命されていた。
たしか名はホーンとか言ったか。と、マーベルは少年を見上げるが、逆光気味でその顔はあまりよく見えなかった。
「不都合や疑問があれば何なりとお訊き下さいね」
世話係、とは言え、彼にも仕事はあるので、その合間合間にこうして御用伺いなどをしているのだ。
マーベルはふと、何か訊く事あったか? と首を捻ってから口を開いた。
「この装置はなんにゃ?」
「お答えしかねます」
即答だった。
「疑問があったら何でも訊けと言ったにゃ!」
すぐさま抗議の声を上げるマーベルだったが、ホーン少年は平然とした表情でさらに言葉を返す。
「何でも訊けとは言いましたが、何でも答えるとは申しておりません」
マーベルはこの言い草を聞き、返す言も無く「ぐぬぬ」と唸った。
この融通の利かなさや頑なさはまるで軍人の様だが、実はただの軍属である。と、言うか、この船の人員のほとんどは軍人ではない。
船長を兼任しているメイプル男爵が率いる『レギ帝国西部方面軍後方支援隊』は、約60名からなる部隊だ。
またその3分の1は『衛生部隊』であり、輸送、補給に係る人員は約40名となる。
その為、この『タンホイザー号』を動かす70名の船員をまかなうには至らず、仕方なく『船員ギルド』から募って「軍属」として雇っているのである。
それはともかく、結局どうあっても答える気はなさそうなので、マーベルは諦めてホーン少年から視線を水平線へと移した。移して、その視界に入った妙な物に眉を寄せた。
「アレは何にゃ?」
「あれ、とは?」
空を指差すねこ耳童女に、ホーン少年も右手で陽光を遮りながら目を向け、そしてぎょっとした。
端的に言おう。彼、彼女らが見ている空の上では、アルトが箒に跨って飛んでいた。
目の良いマーベルにはアルトがすぐ判ったので、新たな玩具を見つけたとすぐに瞳を輝かせる。
「アっくん、アっくん! 何で飛んでるにゃ」
はしゃぎ、船縁まで寄ってピョンピョンと飛び跳ねながら大きな声を上げるが、残念ながらその声はアルトまで届いていない様で、アルトは何事も無く平然と空を往くのであった。
「ひゃっほう、こりゃ凄い。確かにこれなら船酔いしてる場合じゃねぇ!」
一方、その空を飛ぶアルトは満面の笑みで飛行を楽しんでいた。
速度で言えば30キロ時も出ていないが、それでも箒が出して良い速度ではない。と言うか、普通、箒は自走しないし空も飛ばない。
これは『錬金術師』ハリエットが作った『空飛ぶ庭箒』であった。
シルエットは日本人にも馴染み深い竹箒に似ているが、素材は当然竹ではない。この島では竹は自生していないのだ。
柄は白樺の木、毛の部分はホウキモロコシというイネ科の植物だ。
普通、白樺の庭箒と言えば、毛の部分も白樺の小枝を集めて作る。ホウキモロコシは室内箒の毛に使われる素材なので、柔らかすぎて庭使いには向かない。
だがこの『空飛ぶ庭箒』は別に箒本来の使い方をしないので、ビジュアル的に拘ったハリエットにより、今の材料が選定されたのだった。
お陰で漫画やアニメで見かける、いわゆる『魔女の箒』の如く、毛の部分は柔らかそうにフサフサとなびいていた。
海上から約50メートル上空を行ったり来たりと飛び回る。時に急降下して海面に触れるか触れないかの所から旋回急上昇してみたりもする。
この様な見た目危険な飛行をしてみても、アルトは特に危なげなく安定して『空飛ぶ箒』のコントロールを行っていた。
これも彼が持つスキル、『ライディング』の効果であった。
『タンホイザー号』のマスト上で帆の操作をしていた船員達は、驚きと興味の視線でアルトを眺め、時に手を振る。
アルトもこれに答えて、即興で曲芸飛行の様な真似をして遊んだ。
「いいにゃ、いいにゃー」
空を飛び回るアルトを羨ましそうに目で追いながら、マーベルがしきりに声を上げる。その彼女の後ろから歩み寄る人影があった。
「アルト君もなかなかやるネ」
その人影は言いながらマーベルの横に立つ。誰あろう、『空飛ぶ庭箒』の製作者であるハリエットだ。
「アタシならもっと上手く乗るにゃ」
何の根拠も無く戯言を吐きながら、マーベルは妖しい『錬金術師』を仰ぎ見た。
金色混じりの刈上げヘアを風になびかせた眼鏡の少女ハリエットは、その傍らにもう一本、『空飛ぶ庭箒』を携えている。
マーベルは無言でその柄をシッカと握った。
「マーベル君も乗りたいのカナ?」
「乗りたいにゃ!」
言葉を被せるかのごとき即答である。が、続いて別の声もまた上がった。
「待て、僕も乗りたい!」
振り向いてみれば、そこにはタキシン王国王太子が嫡子、セナトール小王子がいた。
これまで船室で静かにしていたが、さすがに飽きて気分転換にと出てきたところで、マーベル同様にアルトの飛行っぷりをポカンと眺めていたのだ。
頭の回転が速い彼であったので、マーベルが縋ったハリエット女史こそが、この飛行を司っていると理解しての行動だった。
「ダメにゃ、アタシが先にゃ」
「ずるいぞ。僕も乗りたい」
途端に2人のにらみ合いが始まった。
これまで行儀よくしていたが、セナトール小王子も所詮は10歳児である。目前に他に類を見ないおもちゃがあれば、他に譲る気などサラサラ無い。
また、マーベルの外見年齢が同年代に見えるのも、子供っぽさをさらけ出した理由だった。
仕舞いにはマーベルが「じゃんけんで勝負にゃ」と言い出し、じゃんけんがわからず困惑する小王子と言う絵面になったところで、ハリエットが割って入る。
「まぁまぁ、それならハリーさんに考えがあるヨ」
そう言って提案し始めるハリエットの顔は、とてもいい笑顔だった。
「冒険者って、見てて飽きないな」
また、様子を一歩引いたところで眺めていたホーン少年は肩をすくめてそうもらすと、翻って自分の仕事に戻るのだった。
ハリエットから渡された『空飛ぶ庭箒2号』が宙に浮かび上がる。その柄に跨るのはセナトール小王子とマーベルの2名だ。
本来は1人乗りのつもりで作られた物だったが、両名とも身体が小さく軽いので、ハリエットがゴーサインを出したのだ。
ちなみに2人が跨る柄には、2枚の座布団を並べて括り付けられている。
材質的にはただの白樺の棒なので、体重を預ける様に乗ったら股が痛いのだ。良く見ればアルトの駆る『空飛ぶ庭箒1号』にも、同様の座布団が付いていた。
「ふおおお、凄いにゃ。パにゃいにゃ」
「ちょ、脇腹を掴むな」
後ろに座ったマーベルはご機嫌いっぱいだが、『空飛ぶ庭箒』の操縦役となるセナトール小王子はまだ飛行を楽しむ余裕無く叫ぶ。
「にゃーどこ掴まれって言うにゃ。文句があるなら操縦代わるにゃ」
「だってお前、馬にも乗ったこと無いんだろうが。無理だろうが」
空に浮いても2人の言い合いは変わらなかった。
ただマーベルにしっかと抱き付かれて、セナトール小王子の頬は少し上気して赤くなっていたので、このぶっきらぼうな物言いは照れだったのかもしれない。
その赤い頬も海上を吹く冬の寒風ですぐ冷まされたので、気付く者はいなかった。
ちなみにセナトール小王子は『ライディング』スキルを持っているので、操縦自体に特に危なげな所はない。マーベルは『ライディング』を持っていなかったので、後座に付く事を渋々了承した。
『渋々』なので、チャンスがあれば操縦役を奪う気満々だった。
しばし「洋上散歩」という言葉が似合う程度の低速低空で2人は『タンホイザー号』の外周を飛ぶ。
「お、あれ獲るにゃ!」
少し離れたところで海面近くに魚の群れが見え、マーベルははしゃいで手を伸ばした。途端、真っ直ぐ飛んでいた『空飛ぶ庭箒』が傾いて落ちそうになる。
「おい、大人しく掴まっててくれ」
慌ててセナトール小王子が逆側に体重をかけたので事無きを得たが、マーベルは全く気にかける様子も無く、次の興味ごとに視線を向けて小王子の背中をバンバン叩く。
「にゃー、にゃー!」
マーベルの呼びかけは興奮ですでに言葉ではない。
セナトール小王子が眉を八の字に寄せながらマーベルの指す先を見ると、遠くで大きな魚が跳ねた。いや、それは魚ではなく、イルカだった。
「あれが、イルカか」
王宮蔵書の図鑑で知っていたが、実物を見るのは初めてだ。
頬を切る寒風は正に冷たかったが、それをはるかに上回る興奮と感動が、この洋上散歩には詰まっていた。
2人は黙って、ただ水平線に向かって去って行くイルカたちをしばらく眺めた。
「お、マーベルも来たか。それと、…王子?」
イルカを見送り少し静かになった『空飛ぶ庭箒2号』を訪ねて、アルトの駆る箒が近付き、そして少し困惑気味につぶやいた。
マーベルはいい。だがセナトール小王子にどう接して良いか、アルトはまだ掴みあぐねていたのだ。
なにせ元々、王侯貴族などには縁が薄い日本の庶民生まれで、さらにこの世界でもあまり馴染みが無い。
こうなると目の前の王族をどう呼んで良いかすらわからなかったのだ。
冷静に考えれば「セナトール殿下」や「王子殿下」と呼べばいいのだろうが、そんな簡単なことも、慣れていないから咄嗟には出てこない。
だがそんなアルトの思いを汲んでか、小王子は気さくに微笑んだ。
「アルト殿、であったか。見事な飛行だった」
そもそも彼が『空飛ぶ庭箒』に乗りたい、と思ったのも先に飛んでいたアルトを見たからだったので素直に褒め言葉を口にする。
彼ら王族からすればアルトなどは『平民風情』なのだが、それでもある種の尊敬を込めて『殿』とつけるあたり、やはりセナトール小王子は良い意味で「育ちが良い」と感じられた。
突然褒められたアルトは焦って首を振る。
「いやいや、大したことありません。王子もなかなか上手いじゃないですか」
「そうかな?」
「ええ」
王族に対する口の聞き方は判らずとも、とりあえずの丁寧語と謙遜が出るあたりは日本人らしいと言えるだろう。
こうしてアルトとセナトール小王子の間には、のほほんとした柔らかな空気が流れ始めた。
が、それをぶち壊す者がいた。
『空飛ぶ庭箒2号』の後座におわすねこ耳童女様だ。
「ふん、アっくんになんか負けないにゃ。今から勝負にゃ」
言いながら、誇らしげに操縦者セナトールの背をポンと叩く。小王子は「青天の霹靂だ」とでも言いたげな表情でマーベルを振り返った。
こう自信満々に言い放つが、別にマーベルに根拠があるわけではない。ただの軽口である。
一瞬呆気に取られたアルトだったが、その辺りは心得ているのですぐに頷く。
「よーし、いいぜ、相手になってやる」
「コースはあっちに見える小島まで行って帰って来るにゃ」
かくして2本の箒によるレースが開催される事になった。
片側の操縦者であったセナトール小王子はたいそう困惑気味な表情で「えー」と小さく呟かれた。
その様子を甲板から見ていた手空きの船員が、興に乗って信号用の旗を持ち出しレース旗代わりに振る。
すると2本の『空飛ぶ庭箒』は、一路、船から離れて猛ダッシュを開始した。目指すはマーベルが指定した『タンホイザー号』斜め前方に見える小島だ。
小島、と言っても人によっては「岩だろ」と判断する程度の、海上にちょこんと顔出しただけの突起である。
この辺りの漁師からすれば、「丁度良い目印」程度の存在だった。
さて、スタート直後こそ、ほぼ同速度と見えた2本だったが、500メートルも進むと僅かにアルトの駆る箒がリードを始めた。
どちらの箒もハリエットが同時期に製作した物で、飛行に関するスペックも全く同じと言って良かった。
ではこの差がどこから出たのかといえば積載重量である。
片や一般的よりちょっとスマートな高校生体格と、片や子供とは言え2人乗りだ。足し算すれば『空飛ぶ庭箒1号』の積載量が僅かに下回った。
ここがアルトがリードを広げた訳である。
「ひゃっはー、何人たりともオレの前は走らせねぇ」
などとアルトが調子に乗って叫ぶ。が、いいタイミングで彼の横を海鳥がついーっと追い抜いていく。
最高速度を出してもせいぜい30キロ時程度なので、最高7、80キロ時を出すと言う海鳥には敵わないのだ。
なんとも言えず、アルトはその後、しばし無言になった。
とは言え、さらにその後方をひた飛ぶのがセナトール、マーベル組である。
「何やってるにゃ、もっとスピード出すにゃ」
「無理言うな。いや、暴れるな落ちるだろ!」
ただでさえ重量的に負けているのに、マーベルがバタバタするので余計に遅くなるのだった。
そうして数分もしないうちに、かの小島が眼前まで迫った。
「折り返しのコーナリング勝負にゃ。神岡ターンにゃ!」
後座からねこ耳童女が発する半分意味不明な発言に、いつしかライディングに集中していたセナトール小王子は俄かに頷いて身体を前傾に倒す。
空気抵抗が減り、僅かだがスピードが上がる。
「行くにゃーっ」
が、スピードに乗った『空飛ぶ庭箒2号』は、前方で急停止した『空飛ぶ庭箒1号』を追い越して遥か先まで突出する結果になった。
「え?」
「なんにゃ?」
不審気に『空飛ぶ庭箒2号』をノロノロと停止させ振り返る。そして2人が見たのは、真剣な面持ちでさらに遠く前方を望むアルトだった。
「アっくんどうしたにゃ? お腹、痛いにゃ?」
「いや、船が、いる」
遠見に集中しているのか、途切れ途切れに応えたアルトの様子に、近付いたマーベル、セナトールもまた彼の視線を追った。
確かに、その遠く前方になにやら剣呑な雰囲気を持つ黒い船が見えた。
今、その船を眺める中で最も遠見に長けたマーベルには、その船の掲げる旗模様がくっきりと判る。
旗には黒地に白い図案で、微笑む骸骨が描かれていた。




