01サイコロが見つからない
いくつものサイコロがテーブルの木版を跳ね回る甲高い音がする。
同時に聞こえるのはいくつもの笑い声と話し声。
そこはどこにでもある安アパートの一室。なにやらお洒落でハイカラなカタカナの長い名前が付いているが、住人にとっては住所が長くなるだけであまりありがたくない。
ある金曜日、春先の宵。まだ朝夕肌寒い季節ではあるが、さすがに狭い八畳間に6人もの人間が集まれば、それは暑苦しいことこの上ない。
その上、みながみな楽しげで、軽く興奮しているようでもある。
「どうですか、みなさんキャラクターは出来ましたか?」
上座といっていいだろうか。テーブルの一番奥に陣取り、手前に広げたノートを隠すようなスクリーンを立てた男が一同に問う。丁寧で物腰柔らかな言葉とは裏腹に、光り輝くスキンヘッドのいかつい中年だ。
「はーい! マーベル・プロメテイト。『ケットシー』の『精霊使い』だよ。ねこ耳にゃーにゃー」
真っ先に応える元気のいい女子、長い髪をポニーテールにくくった活発そうな高校1年生だ。
「アルト・ライナー。『傭兵』だ。武者修行の旅をしている」
次に応えるは少し内向的な雰囲気ではあるが、その眉に意思の強さを感じる高校2年生。男子。
「私はカリスト・カルディア。『魔術師』であり、『学者』でもある。街住みの『エルフ』だ」
眼鏡をくいっと上げた神経質そうな青年は社会人。プログラマーらしい。
「ウチはモルト・レミアムやでー。『聖職者』、サブとして『警護官』をとっとるでー。『ハーフエルフ』やでー」
缶ビールを片手に、すでにほろ酔い加減な、明るい色の髪をハーフアップにした女性。年齢は教えてくれなかったが大学生だそうだ。一見お嬢様風だが、言動はあまり上品とはいえない。
「レッドグースと申します。『ドワーフ』で旅の『吟遊詩人』ですぞ」
最後に名乗ったのは少腹の出た中年。自営業と言っていたか。話し口調からして、すでにロールプレイは始まっているようだ。
名乗りと実際の身分がまるで一致しない、また年齢も性別もバラバラなこのグループ。ネットで知り合い、テーブルトークRPGをやる為に集まった、ほぼ初対面な一同であった。
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テーブルトークRPG。
それは紙と鉛筆とサイコロ、そして想像力を駆使して遊ぶゲームである。
GMが用意した世界・シナリオ・ルールの中で、各プレイヤーがその世界の住人になりきって冒険をする。
また、D&D、ガープス、クトゥルフの呼び声、などなど、商品としてもさまざまな世界観、ルールが販売されている。
日本では90年代に最盛を誇った高度なごっこ遊び。今でも各出版社から、様々な世界のルールブックが発売され続けている。
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GM役のスキンヘッドは回想する。
今ではすっかりプレイ人口も減ってしまい、これだけのメンバーを揃えるのだって一苦労だった。
その苦労も今日ここに実り、ついにプレイ日を迎えたわけだ。感慨深い。涙だって出てきそうなものである。
しかしいつまでも喜びをかみ締めている訳にもいかない。そう思い立ち、そろそろと物語を始めることにする。
「さて、それじゃ早速、まずはイントロダクションを…」
だが無常にも彼の言葉は先をさえぎられた。『誰か』によってではない。それは天災である。
窓の外で何かが光ったような気がした。山の手の方だ。その瞬間、頭上にある蛍光灯のヒモが、テーブル上のジュースが、小刻みに跳ねる。
「地震だーっ!」
やはり真っ先に立ち上がるのはマーベルと名乗った少女だ。ただその表情に不安の影はない。どちらかと言うと台風でワクワクしてしまう質なのだろう。
しかし彼女にとっては残念だっただろうか、小さな地震はすぐに落ち着いた。
「おいおい地震なんて珍しくも無いだろ?」
アルトと名乗った少年は余裕ぶった態度で、キョロキョロと周囲を見回すマーベルを諌める。今にも『やれやれ』とでも言いそうな得意げな顔だ。
確かに彼のいう通り、昨今、地震なんて珍しくも無い。
それどころか、この地方は近くに活火山もあり、数十年も前から『いまに大地震が来るぞ』と言われ続けている。
「GM、テレビをつけてもいいかい?」
眼鏡の青年・カリストは、落ち着き払った無表情でテレビのリモコンを探す。だがリモコンはすでにGMの手元に握られていた。
「ええ、そうですね。地震速報を見ましょう」
ひょうひょうと言葉を返し、リモコンの赤いスイッチを押す。小さくブンッと音がして、画面からバラエティー番組の雑多な音がし始めた。
その時だった。
ゴゴゴゴゴ…
遠くの空で何かが大きく鳴動した。それは不安を掻き立てる、巨大な何かがうねるような音。そしてその音と共に始まった小さな揺れは、徐々にエネルギーを開放して大きく大きく育っていった。
その震度の上昇っぷりは、いつ反転するのかわからぬ右肩上がりの比例グラフのようだ。
「ぎにゃー!」
女性らしからぬ叫びを上げる者、突然のことに身を硬くして動けぬ者、手当たり次第の座布団を集め出す者、同じ様に缶ビールを集める者、カバンから取り出したウクレレをかき鳴らす者。この安アパートの一室は一瞬にして混沌の渦へと急転直下だ。その直下ぶりときたら、マイナスの値を与えられた比例グラフのようだ。
いや、この部屋だけではない。この地震の影響下にある、街のあらゆる場所で、同じような混乱は広がっていることだろう。
経験をした事がない激しい縦揺れ。テーブルの上の物は跳ね上がり、紙コップは倒れ、スナック菓子は飛び散る。外からは大小さまざまな破壊音と破砕音。
そして頭上からもミシミシ、ギシギシときしむ、この安アパートという楽園の終焉を予感させる不吉な音がした。
それは富める者も貧する者も、健やかなる者も病める者も、すべて等しく押しつぶす、狂気じみたイントロダクションだった。
鼻先をくすぐる何か綿のような感触に、アルトは眠りから覚めた。
目を開けると青い空に雲がゆっくりと流れていた。
関節の節々がギシギシと音を立てそうなくらい身体が重い。そのせいもあり、目覚めもあまり気分が良いとは言えなかった。
覚醒のきっかけとなった感触は、風に運ばれてきたらしいタンポポの種子のようだが、アルトが目を覚ますと、通りすがりの風にすでに攫われた後だった。
「え?」
はるか向こうに林や丘、そして草原と地平線が見えた。
背後には森、その向こうに山脈が見えた。
「え?」
それは見慣れぬ草原。だが冒険小説を読んでは幻想した大草原。
「えーと? オレ、どうしてこんな所に」
少し言葉を思い出したように疑問を形にしながら、アルトはゆっくりと半身を起こす。
やはり、身体が重い。まるでたっぷりと水を含んだ襦袢でも着込んでいるかのように、憂鬱な重みが彼の半身にのしかかっていた。
結論から言うと『まるで襦袢を着ているような』ではなく、実際に着ていたのだ。
ただしそれは襦袢などではない。リング状の金属を互いに組み合わせ、身体を覆うように編み上げたシャツだった。人それを『鎖帷子』と呼ぶ。
「ですよねー。こんなの着てたら、重いですよねー…て、おい!」
半ば投げやり気味にノリ突っ込み。当然、近くには誰もいないのでエア突っ込みだ。
カチャン
むなしくも空ぶるはずだった突っ込みの手が何かに触れた。それはアルトの腰に佩かれていた。
反り返った1メートル弱の刀身に、両手で持つことを想定された長い柄。人それを日本刀と呼ぶ。自分で差した覚えはないのだが、反った刃を上に向けて差しているところを見ると、江戸時代頃主流だった『打刀』というタイプの刀だろう。アルトは時代劇で興味を持って、ネットで調べた事があるので、ちょっとだけ知っていた。
それにしたってアンバランスだ。刀は言わずと知れた日本の『打刀』、しかし鎧は西洋風の『鎖帷子』である。まるでハリウッドあたりで作られた、勘違いサムライ映画のようじゃないか。
状況に対するツッコミと、そんな場合じゃないという自分に対するツッコミと、とにかくアルトの頭を中でグルグルと、よくわからない太いウネリが鳴門海峡のように渦巻いていた。
意味がわからない。どうしたらいいかもわからない。アルトは胡座をかいたまま、ポンと自分の膝を打った。そう、こんな時に言うセリフは決まっている。
やおら立ち上がり、アルトは言った。
「な、なんじゃこりゃーっ!」
その心からの叫びは、青空に、森に、地平線に響き渡るのだった。
素数を数えること10分弱。アルトは再び平静を取り戻すことに成功した。
災害だろうが戦争だろうが、そこは平和ボケした日本の現代っ子。とりあえず身の危険が無いならば、どこか他人事なのである。
しかしいくら危険が無いとはいえ、前は草原、後ろは森。訳の分からなさにツッコミを入れるのはそろそろ飽きたので、他にやるべきことを考えてみる。そうだ、ひとまず身体検査だ。
怪我は無いようだ。ただ、なぜか腕や腿が張っている。
これはもしや筋肉痛の前触れか? と思い、マッサージがてら揉んでみて驚いた。明らかに覚えある自分の筋肉量じゃない。明らかに太いし硬い。
初めは重く感じた『打刀』や『鎖帷子』も、しばらくするとさほどの重さを感じなくなったのはこのせいかもしれない。
鏡が無いのでハッキリとはわからなかったが、手探りで感じたところ、髪型や背丈なんかは変わっていないようだ。
「『鎖帷子』に『打刀』ねえ?」
おもちゃやコスプレの類ではなさそうだ。『鎖帷子』は鎖が丈夫そうで重いし、『打刀』は素人目ながらにちゃんと刃が付いている。
「えと…いやこれ、まさか『無銘の打刀』か?」
ぼんやりと状況が見えてきた、ような気がした。
『鎖帷子』に『無銘の打刀』。この組合せには心あたりがある。
これはテーブルトークRPGで遊ぶために作ったばかりのキャラクターが、所持金をやりくりして購入した装備品だ。
すると傍らに落ちているナップサックの中身も想像できる。購入したのは携帯毛布・火打石・松明・保存食3日分だったろうか。
はたしてナップサックの中身はほぼ予想通りだった。
ほぼというからには予想外の物もあったわけで、そのひとつは財布だった。
中身は見たことがない柄の銀貨が12枚。購入した装備品でほぼ使い果たしていたので正確に覚えていた所持金と合致する。
「うわーゲームかよ」
しかしそんな事がありえるのだろうか。こんな状況、現実味が全くない。
これは誰かの悪戯で、寝てしまったアルトを連れ出し、仮装をさせて、草原に放り出しただけなのではないか?
想定してみて、やっぱり無いわ、と溜息をついた。
『無銘の打刀』も『鎖帷子』本物っぽいし、近所にこんな大自然チックな場所など心当りがない。だいたい日本で『地平線も見える大草原』なんて一体どれだけあるのだろうか。
「いやでも、え? ゲーム、なのか?」
他に考えられる可能性は? 思考数秒。全く思いつかない。
「いやちょっと、マジか」
「マジですね。どうやらゲーム、のようです」
頭を抱えて座り込むアルトのすぐ近くで声がした。
ハッとして頭を上げてあたりを見回す。だがどこにも人影はない。
幻聴か? もしかしてこの状況も幻覚で、実はアルトの頭がおかしくなっただけなんじゃないのか? そんな不安がじんわりと押し寄せる。
「ここですよ、多分ここはアナタの鞄の中です」
鞄の中。そんな所に人が入っていたら、それはテレビの超能力者である。
しかしアルトには根拠もなくピンとくる予感があった。
ナップサックに入っていた予想外の持ち物。意味不明だったので無視を決め込んでいたアイテム。それは薄茶色でコブシ大の宝珠だった。
無機物がしゃべっている、驚天動地だ。だがゲーム、しかもファンタジーだとすれば、それもアリだろうか。
というかアルトももういい加減、困惑にも驚くのにも疲れたので『宝珠がしゃべったー!』と言い掛けてやめた。
宝珠である。透き通ったまん丸でツルツルで、日の光を浴びてテカテカ輝いている。アルトはその輝きに何か既視感を感じた。
「ああ、あんたGMか!」
記憶とオーバーラップしたのは、あの部屋で見たスキンヘッド。
宝珠ゆえ、その表情は分からないが、それは小さく頷いたような気がした。
メリクルリングRPG。
まだ発売して間もないファンタジー系テーブルトークRPGである。
紙と鉛筆とサイコロ。そして想像力とプレイする仲間がいれば、手軽に冒険の旅に出ることが出来る。
あの日、あのアパートの部屋で、彼らがプレイしようとしていた世界である。