冬はつとめて
どこからともなく聞こえてきた水音に、夢と現の狭間をたゆたっていた私の意識は浮上しました。身体を包んでいた布団からゆっくりと身を起こせば、途端に刺し貫くような冬の冷気が纏わり付いてくるようです。私は視線を巡らせて、布団の上にかけてあった羽織に手を伸ばしていました。
現世のあらゆる命が眠りについてしまったかのような静寂の中、夢の中で聞いたあの水音が再び私の意識を刺激しました。よくよく耳をそばたてていれば、年若い少女の笑い声のようなものまで聞こえてきます。私はそっと、障子を開きました。
そして、私は目の前の光景に一瞬、息をすることさえ忘れてしまったのです。
淡い藍色に染められた景色の中、降り積もった雪が仄かな明かりを放っていました。私が休んでいた六畳間の向こうにある池の中に、見覚えのある少女の姿がありました。
「由希子、ちゃん……」
思わず姪の名を口にしてしまった私の声音は、池の中で無邪気に水遊びをしている彼女には届かなかったようです。由希子ちゃんは私が凝視していることにも気付かぬまま、人形のような手で池の水を掬い取り、空中に放って降り落ちる水の雫を剥き出しの肌に受け止めていました。
こんな時間に、それも雪が降るような寒さの中、水浴びするなど正気の沙汰ではありません。しかしながら、今年14歳になる由希子ちゃんの心は幼い子供のまま、決して成長することがない病に蝕まれてしまっているのです。
止めなければ、と私の中の私が警告を鳴らしました。このままでは由希子ちゃんは間違いなく風邪をひいてしまいます。そうなれば、彼女を誰よりも可愛がっている私の母はひどく心を痛めてしまうことでしょう。
何より、このことが病を抱えた実の娘を疎ましくさえ思っている亮平義兄さんの耳に入るようなことがあれば、由希子ちゃんはおそらくひどい折檻を受けてしまいます。
しかし、どうしたことか私の身体はまるで凍り付いてしまったかのように指一本、動かすことができなかったのです。今すぐに駆け寄って、由希子ちゃんを水からあげ、身体を拭いて暖かな着物で包んであげなければならないのに、私の意に反して固まったこの身体……この眼は、一糸纏わぬ姿の由希子ちゃんからほんの一瞬でさえ意識を逸らそうとはしないのです。
着物の代わりに無邪気な笑顔を纏い、手入れの行き届いた見事な庭と共に雪化粧を施されていく、若く瑞々しいその肉体。彼女が頭を揺らせば、艶やかな鴉の濡れ羽色の髪がサラサラとなびきます。
細い首筋に一房の髪がかかり、白く滑らかな背に舞い落ちた雪の結晶が、肌の熱に触れて水へと姿を変えました。その雫が伝い落ちていくその背に走る傷跡に、私は目を奪われてしまっていたのです。
白磁のような肌に似つかわしくないその傷跡は、まるで赤い蛇のようでした。まるで亀の甲羅のような模様を描き出すその長い蛇は、彼女の背に幾重にも巻きつき、やがて細い腰を抜けて桃のような双丘の奥へと消えていきます。
胸の奥が焼けるようでした。このような淫らな気持ちを最後に抱いたのはいつのことだったでしょう。私の身体は自然と汗ばみ、腰の奥深くに決して逃がすことができない熱が灯ったのを感じました。時を忘れ、季節はずれの水浴びを楽しむ由希子ちゃんを眺めていた私は、やがてどこからともなく聞こえてきた人の声に我に返りました。
私は反射的に障子を閉めていました。和やかに新年の挨拶を交わしていた中年の女性の声が、幾らもせぬうちに切羽詰った声音に変わります。そして聞こえてくる荒々しい足音は、私の部屋の近くから庭へと降りていきました。女中たちの混乱したような金切り声と、楽しみを邪魔された由希子ちゃんの不機嫌な声音が聞こえてきます。
私は、身の内にどうしようもない罪悪感と、そして冷めやらぬ熱を宿したまま、しばらくその場から動くことができずにいました。夜着の合わせから胸元へと差し入れた手が、やけに冷たく感じられます。鼓動は、早鐘のように鳴っていました。肌蹴た裾から覗く脚が、妙に艶かしいのは気のせいではありません。
私は、今は離れた場所にいる夫の顔を思い浮かべていました。
ここまで読んでくださって誠にありがとうございました。
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矢岳先生、笑って許して~♪