チバリヨウ
歌う事が好きだ。
そういうと、男のくせにと笑われる。ナルシスト? なんて言われることもある。
俺の周りだけかな?
とにかくそういう時は笑って冗談だって流すしかできないんだけど。
でも俺は小さい頃からずっと歌ってきた。親父がいい年してバンドのボーカルなんてしているせいもあるかもしれない。
物心ついたときには、歌っていた。
――だから、将来は歌手になりたいんです。
そう言ったら、目の前のこいつはどんな顔するんだろうな。
―― チ バ リ ヨ ウ ――
「所田! 明日までにそれ、書いて来いよ」
「……はい。それじゃ失礼しましたぁ〜」
後ろ手に進路指導室のドアを閉める。重い重いドア。ドアが閉まると同時に、今まで詰まっていた胸のムカムカをため息にして吐き出した。
「……ふぅっ」
将来歌手になりたいです、なんて……言えるかっつーの。
この世に歌が好きな奴がどれだけいることか。そしてその中から歌手になれるものがどれだけいることか。
誰に言われるまでも無くわかっている。
歌手になんてなれるわけない。
親父だって。無理だってわかってるから、趣味でバンドを続けているんだろう。
俺もあと20年もすればそうなるだけって話。
――そう、そんだけの話……。
窓の外はもう、オレンジ色に染まっていた。
やっぱりフケて帰ったほうが良かったかな。
とにかく苦痛でしかない『進路相談』という名の説教から解放されただけでも、まず良しとしよう。
最近の流行歌を口ずさみながら、早足で教室へと戻る。
さっさと帰ろう。
最近、皆授業が終わるとすぐに帰ってしまう。
クラスのほとんどの奴らが予備校に通っているのだ。『受験』に向けて。
右手の中でくしゃくしゃになった白い用紙をゆっくりと広げる。
――進路志望書。
隣の席の奴らの書き込んでいるのを覗き見ると、皆有名大学名を書き連ねていた。
俺も、そう書くべきなのかもしれない。この進学校では、就職や専門学校を目指す奴なんて皆無なのだ。
まして歌手になりたいなんていう奴など、『変人』扱いされるのが当然。
大学名でも書いておくか。適当に。そう思ってシャーペンを握り締めた。
だけど、書けなかった。白紙のまま……提出した。
本当はただ逃げただけってのはわかっている。この進学校から、叶わない夢から、情けない自分から。逃げているだけだと。
それでも俺は飽き足らず、『逃げている』という現状からも逃げている。
このまま逃げ続けたところで、歌手になれるわけでもないのに。
「こーんな世の中ーだ〜からっ!」
ガシャン!
誰もいないだろうと思っていた教室に、人がいた。
俺は、彼女を驚かせてしまった……のか? 恐らくそうだと思う。思い切り歌いながらドアを開けたのと同時に、彼女の文房具が床に落ちたから。
だが彼女……確か青葉さん、は微動だにせず俺をまっすぐ見つめている。その態度に驚きなんて微塵も見当たらない。
謝るべきかどうか悩んでいると、彼女が先に口を開いた。
「歌。すごい上手なんだね」
突然の彼女の言葉に頬が熱くなる。
俺は青葉さんから思いっきり目線をそらした。
歌、聞かれていたのか。そりゃあんだけでかい声で歌えば……。
でも何より、褒められた。
教室で、しかもクラスメイトに堂々と歌を褒められるのなんて初めてだ。
それが嬉しいと同時に気恥ずかしい。
「あ、ありがとう……青葉さん何してるの?」
進路志望書をポケットに突っ込んで、青葉さんの席に駆け寄る。そして落ちた文房具を拾った。下を向いていれば赤い顔も悟られないだろう……なんてずるいこと考えながら。
それほどに彼女のカウンターパンチは見事に決まったのだ。
拾ったペンケースを差し出す。
「ありがとう。私は……占ってるの」
彼女はペンケースを受け取りながらそう答えた。
確かに、彼女の机には四枚のカードがダイヤ型に並べられている。
へぇ、こうやって直に占いしているところなんて、初めて見るかもしれない。
カードをまじまじと見つめながら、何を占ってるの? と聞こうとした時だった。
「所田くんのことをね」
「えっ? それって……」
どういう意味? 俺はその言葉を飲み込んだ。
青葉さんが、カードに手を伸ばしたからだ。
俺は隣の席の机によっかかって、その様子を見守る。
占いはあまり信じる方じゃない。でもこうやって自分のことを占っているなんて言われたら、気になってしまう。
俺のことねぇ。これで将来歌手になれます、なんて結果が出たらどれだけ嬉しいだろう。
青葉さんの顔は、長い黒髪に遮られて見ることができなかった。
彼女の手が、一番上にあるカードをめくる。
右手に集中していると、意外にも彼女の指がペンダコだらけなのに気づく。
パタン。
「所田くんの今。進路指導室で説教」
ドキッとする。確かにその通りだ。
彼女は俺が呼び出されたことを知っているのか? だが担任は、掃除の時間に俺にボソッと告げただけだ。進路指導室に来るようにと。
担任曰く、他の者に知られないよう配慮したという事らしい。
そういうところで気を使われてもな、とは思ったが口にはしなかった。
とにかく、彼女が知っているとは思えないのだが。
彼女は俺の思惑に気づく様子も無く、二枚目に手をかけた。パタン。
「所田くんの悩み。進路」
これもその通り、だ。
青葉さんが、俺が進路指導室に呼び出されたことを知っているとはやっぱり思えない。
段々と心拍数が上がってくる。
まさか、とは思う。まさか、こんなの偶然だ。クラス中のやつら、いや日本中の高校三年生が今進路に悩んでいるに決まっている。
そう言い聞かせても、心臓は暴れ続ける。
俺の意識は完全に、三枚目のカードに伸びる青葉さんの手に集中していた。
指がカードの端を掴む。
パタン。
「所田くんの未来。……歌手、になりたい……」
絶句した。当たっている。ものの見事に。
俺はいつの間にか青葉さんの横に立ち尽くしていた。
彼女と話すのはこれが初めてだ。青葉さんはクラスでも大人しい方で、外見がかわいらしい分余計に何を考えているのかわからないタイプだ(と俺は勝手に思っている。)
なのに、どうして誰にも言った事のないことまで……。
ふと、彼女が俺のほうに顔を向けた。
黒目がちの瞳がしっかりと俺の目を捉えている。
「残りの一枚。これはカードからの助言。……めくる?」
青葉さんの手が、最後の一枚に伸びた。ペンダコだらけの指が、カードの淵をなぞる。
カードからの助言。つまり俺が歌手になるには、あるいは進路を決めるにはどうすべきかってアドバイスしてくれるってことだよな。
彼女の右手の周りに金色の光が見える。……ただの夕焼けとは違う、神々しい色が。
手の汗をズボンでふき取る。大きく息を吸って、吐いた。
俺の未来。教えてくれ、カード。
「……頼む」
青葉さんは優しく微笑んで、最後の一枚をめくった。
そこには女の人が描かれていた。しかし俺にはそのカードが何を意味するのか全くわからない。
彼女はカードに手を添えたまま黙り込んでいる。彼女の口から今にも不幸の宣告がなされそうな気がして、俺は身を固くした。
「カードのお言葉は」
ゴクリと唾をのみこむ。異様に口の中が乾いている。
相変わらず青葉さんの表情は見えない。彼女の輪郭は夕日に赤く縁取られていた。
俺の、夢、未来。進路。
激しく震える心臓に片手をやり、押さえつける。落ち着け俺。たかが占いじゃねぇか……!
青葉さんの右手がカードを持ち上げた。
高々と、彼女の頭上までそれを掲げる。掲げられたカードが夕日で紅く染まった。
すぅっと息を吸う音が聞こえた。
来る!
「『ちばりよー』です!」
チバリヨウ……?
カードのお言葉とやらは、誰もいない教室に気持ちよく響いた。
だが俺の頭の中には入ってこなかった。
チバリヨウ。生まれてはじめて聞く言葉。日本語なのだろうか。それとも、神の言葉……なんて、まさか。
「……『チバリヨウ』って? 何?」
カードをまっすぐ掲げたままの青葉さんに恐る恐る尋ねる。
すると彼女はきょとんとした顔で俺を見た。
「知らないの? ちばりよーっていうのは沖縄の方言で『頑張れ』って意味」
「それって沖縄の占いなの?青葉さんって沖縄出身?」
「……そんなわけないじゃない! 所田くんって面白いねぇ」
青葉さんは大きな声を上げて笑った。
俺、そんなに的外れな事言っただろうか。
でも彼女の笑う姿を見ていると肩の力が一気に抜けた。
まるでこのカードで将来が決まると思っていた自分が本当に間抜けに思える。
俺も笑った。
「さて、そろそろ行かなくっちゃ」
青葉さんがまだ少し笑いながら、カードを片付け始めた。
「どこに? 帰るの?」
「ううん」
彼女はカードや文房具を鞄にしまい、立ち上がって言った。
「進路指導室」
そう言って意地悪な笑みを浮かべて、じゃあね、と走り去っていった。
少し短めのスカートを翻して、風のように去っていく彼女の後姿を見送りながら、小さく呟いてみた。
「……チバリヨー」
頑張れ、か。
あの占いが本物だったのか。正直よくわからない。
けれど、カードの助言だけは信じてもいいかもしれないな。
ポケットの中から丸くなった進路志望書を取り出す。
ぐっしゃぐしゃだなあ。
掌で何度も何度も綺麗に伸ばした後、丁寧に四角に折る。それをポケットではなく鞄にしまって、俺も教室を後にした。
青葉さんが漫画家を志しているのを知る事になるのは、また後の話。
少しでも前向きな短編というしばりで挑戦してみましたが、やはり難しいです……。
今後のために、ご意見ご感想などが御座いましたら是非お聞かせください。
貴重なお時間、ありがとうございました。