第1章 異世界へ 1
転生前 1
気がついたときは、真っ白な世界にいた。
全て覚えていた。
そして今、真っ白い世界の中で、自分の体も何も見えずにただ意識だけがあるのが分かった。
全てを覚えていたので、自分が恐らく死んだのであろうことに気付いた。
ただ、なぜ自分が何の焦りも恐れも抱かずにいるのかが不思議だった。
その時、声が聞こえた。
「君の心が今止っているからですよ。」
ふと気がつくと、隣に薄青色の光の珠のようなものが漂っていた。
今の声はこれが…?
「そうです。」
声とともに光の珠が一瞬濃くなった。
どうやら声が聞こえるときに光が濃くなるらしい。
私は自分が喋っていないことに気付いた。
そもそも体がないのに喋れるのかと悩んでいると、
「あなたが考えることは私に伝わってきますから大丈夫ですよ。」
と、光の珠が答えた。
「今あなたがどうなっているかわかりますか。」
さらに重ねて尋ねられ、私は考えた。
あの状況であれば、私は死んだのだろう。
ここはいわゆる死後の世界で、あなたはお迎えなのだろうか。
「さすがですね。大体の状況は把握されているようです。おっしゃる通り、あなたは死にました。ここは世界と世界の狭間で、私は管理者です。」
管理者。
死神とは違うのだろうか。
「あなたが想像している死神とは少し異なります。いま私はあなたの記憶の中から言葉を借りて表現しているので全てを伝えることはできないのですが、大まかに説明させていただきます。
転生後 1
気がついた時、達也は広い広い草原に立っていた。
何が起きたのか分からず混乱する頭に、つい先ほどの真っ白な世界で聞いた言葉を思い出した。
「転生後、君の前世での記憶は原則いったん封印される。魂の傷に負担がかからない範囲でね。もちろん全ての記憶を封印してしまったら、生まれたての赤ん坊のようにまっさらになってしまう。だから、君の記憶の中で感情を伴う記憶を中心に封印される。ここでの会話もほとんど忘れることになる。」
さっきは全く見えなかった自分の両手と体を見下ろした。
自分自身に変わりがないことはなぜか分かっていたが、いつの間にか服装は変わっていた。
厚手の灰色の長袖のシャツに同じ生地のズボン。
シャツは何箇所か体の正面でひもで結ばれており、ズボンも腰の部分でひもで結ばれていた。
足には何かの皮のようなものでできていたサンダル。
革ひもで足首で結ばれていた。
「転生ねえ。」
達也はつぶやいた。
何が起きて自分が死んだのか達也は全く分からなかった。
それどころか達也は自分が死ぬ前に何をしていたのかを全く思いだすことができなかった。
「これが記憶の封印ってやつなのか…。」
自分が何を覚えているのか考えてみた。
俺は神埼達也、18歳。
高校3年生。
そこから先が全くの白紙だった。
その事実に直面し、達也はしばしのあいだ呆然としていた。
あの真っ白な世界で誰かと何かを話していたのは覚えているのだが、覚えている内容が前世の記憶が原則封印されるってことだけ。
感情を伴う記憶が封印されてるってことは、残ったのは感情を伴わない記憶だけってことなんだろうけど、それってどうなのよ。
ほんの断片的な一部の知識しか残ってねえんじゃねえのか。
強く意識することで、単語が連想ゲームのように浮かんでくることは気付いた。
高校のことを考えると、バスケ部という言葉が浮かんできた。
バスケッてバスケットボールのことだよな。
俺はバスケットボール部だったのか?
バスケ部のことを強く考えていると、明日は全国大会決勝と言う言葉につながった。
全国大会ッて、バスケのか?
しかし、だんだん頭が痛くなってきた。
全てを思い出すのは厳しいようだ。
こんな草原のど真ん中で一体どうしろってんだよ。
そもそもいったいどこだよここ、何だよこれふざけんじゃねえよ。
こんなとこに放り出して何しろってんだよ。
「とりあえず何とかして人のいるところに辿り着かないとどうにもならねえか。まさか野性の肉食獣なんかいねえよな、洒落にならねえぞ。」
天気はよく、太陽はかなり高い位置にあった。
夏にしてはそれほど気温も高くなかった。
どっちに行ったものやらさっぱり判断がつかなかったが、いつまでもここにじっとしているわけにもいかなかった。
とりあえず南と思われる方向に歩きだしてみた。
生えている草は脚のすねあたりまでで、起伏もそれほど大きいわけではなかったが、道のない草原を歩く経験は達也にとってもちろん初めての経験だった。
3、4時間ほど歩いただろうか。
太陽はゆっくりと傾き始め、達也は疲れ果てていた。
元々部活で鍛えていた身体、体力には自信があった。
だが、未知の場所、水も含め一切の食料がない状況、そしていくら歩き続けても変わらない景色。疲れ果てた達也は突然自分が道路に立っていることに気付いた。
道幅は2m程だろうか。
何の舗装もないただむき出しの地面を踏み固めた道だった。
太陽が沈んでいく方向から見て、大体東西に向かう道になるのだろうか。
どちらを向いても道しか見えない。
「まあ、ようやく民家に向かえる手掛かりってとこか。相変わらずどっちに行ったもんかわからないが…。」
これほどの道幅があるのなら、まさか獣道ってこともないだろう。
と言って、獣道なんて達也は見たことはないのだが。
道には轍のような跡もある。
車にしては車幅が細い気もするが、人が通っているのは間違いないだろう。
ほんの少し希望がでてきた事に達也はほっとした。
日が沈むまではまだ時間があった。
が、達也は少し休憩を入れることにした。
道の真ん中に大の字に寝転がって目を閉じた。
この草原に転生とやらを行ってからの事を考えてみた。
そもそも本当に自分は死んだのか。
達也はいまだに実感がなかった。
死んだ時の記憶が全くない達也にはそこからが大きな疑問だったのだが、記憶がない以上いくら悩んでも当然のように結論は出なかった。
その時達也は、強い風と日が陰った事を閉じた瞼の外に感じた。
次いで生じる鈍い音と、地面の揺れ。
ふいごがゆっくり唸るような音に加え、急激に高まる暑さ。
そして体が縛りあげられるような恐怖感。
震える体で寝転がったまま、達也は何か大きな生き物が自分の足元の方向にいることを確信した。
達也は生まれて初めて、死の恐怖を感じた。
恐怖に動けない達也に、明らかにいら立った声が届いた。
「いつまで寝たふりをしているつもりだ。さっさと起きろ。」
人の声。
混乱する頭の中、達也はゆっくりと目を開け、足元に視線を向けた。
そこには炎に包まれた女性が立っていた。
達也は自分が何を見ているのか全く理解できていなかった。
気がついた時には体を起こし道に座り込み、目の前の女性を凝視していた。
体に炎をまといながら、燃えていないように見える女性を。
「なんだこれいったい、3D映像?」
達也は自分が何をしゃべっているのかも気付いていなかった。
「なんだはこっちのセリフだ。やってくれるじゃないか、全くの予兆なしに5本指の私に隷属契約をしかけるとは。しかも目視不可能な遠距離からの。完全にしてやられたよ。それほどまでの魔法使いがこんな田舎に来ていたとはな。」
明らかに努力して抑え込んでいると分かる声だった。
目の前の彼女が言っていることの意味はさっぱり分からなかったが、彼女が怒り狂っていることだけは理解できた。
そして今自分が感じている恐怖が、彼女が発する殺気だと達也はようやく気付いた。