バラエティは【命懸け】が多すぎる。命の重みを分かってますか?
ダチョウに蹴られたら、本当に死ぬのか?答えは、イエスだ。
ライオンをも殺せるキック力だから、ひ弱な人間など、ひとたまりもない。
ダチョウの危険性を改めてネットで検索していた時、偶然見つけた記事に信じられない観念が書かれていた。
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなったという話だったが、首を捻った。
(上島竜兵さん?はて?誰だ?読み方、「りゅうへい」さんで合ってる?)
ダチョウ倶楽部という名前は聞いた事がある。
しかし、人の名前までは知らない。
顔も分からない。
写真が一枚載っていたので見た。
(……ああ、いた気がする……)
この感想しか持てなかった。
しかし、記事には、こう書かれてあった。
『5月11日、朝から衝撃的なニュースが飛び込んできた。ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなったというのだ。日本中の人々が驚き、言葉を失い、悲しみに暮れた。』
これを読んで思わず大声を上げた。
「えええええっ!?日本中の人々!?今日、初めて知ったけど!?」
非常に申し訳ないが、何せ初耳だから言葉は失っていない。
悲しみに暮れてもいない。
しかし、驚きは続いた。
『 「惜しい人を亡くした」といったありきたりな言葉では表せないくらい、上島さんの抜けた穴は大きい。彼は後輩芸人たちから「太陽様」と呼ばれ、慕われていた。世界を明るく照らす太陽が消えてしまったような寂しさを、私たちはこれからどこまでも抱えていくことになる。』
もはや声に出さずには読めなかった。
「えええええっ!?私たち!?どの私たち!?あ、後輩芸人たちの事か。それなら納得。けど、さっき日本中の人々って言ったよね!?これからどこまでも抱えていくことになるって言われても、知らんがな」
「太陽様」を全く知らない人間にとっては、勝手に抱えて下さいなって話だ。
だから、その点は大した問題じゃない。
「世界を明るく照らす太陽!?はあああっ!?名前すら知らなかった人間が、ここにいるのに!?世界ですか?流石に、誇張し過ぎ。消えてしまったような寂しさ!?いや、全く?」
贔屓目も甚だしい。
日本を照らすなら、まだ分かる。
現実には違っても、この記事を書いた人物は、そう評価しているのかと理解は出来る。
しかし、お笑いに全く興味がない人間からすれば、世界に太陽は一つだ。
そう思う人間が、実際ここにいる。
大好きな人が死んだら誰だって途轍もなく悲しいので、寂しい気持ちは察する。
しかし、次の文章を読んで頭にきた。
『 かつては、熱湯風呂に入って熱がったり、バンジージャンプをして怖がったりすることは、芸であるとは思われていなかった。「ただ苦しむだけなら誰でもできるだろう」と考えられていたのだ。
だが、実際には、同じことでもやる人によって面白さは変わる。そこで笑いを生み出すにはさまざまな創意工夫が必要なのだ。その点で、リアクションは紛れもなく芸であると言える。』
人が熱湯風呂に入って熱がったり、バンジージャンプをして怖がったり、人が苦しむ姿を見る事の、一体何が面白いのだろう。
不治の病に苦しむ人を見て、笑う人がいるだろうか。
もしいたら、非常識だと非難される。
何より思いやりの欠片もないと軽蔑される。
人の苦しみに軽傷はない。常に重症だ。一体、何が面白いのか。
人の苦しみを笑いのリアクションにする事がバラエティなら、今後一生見なくていい。
記事が続くので、仰天は続いた。
『ダチョウ倶楽部は、それをテレビなどの表舞台で大々的に語った初めての芸人だった。
一時期のテレビでは、彼らが「熱湯風呂」や「熱々おでん」を面白くするためにどういうことを考えているのか、というのを自分たちで解説するような企画があった。そこで明らかになったのは、一見単純そうな彼らのリアクション芸が、実は緻密に計算された伝統芸に近いものだということだった。』
伝統芸ときたか!「熱湯風呂」や「熱々おでん」を面白くする!?
これが本当なら、ふざけ過ぎだ。酷過ぎる。
彼らは知っているのだろうか、この世には、大火傷を負って病院に運ばれる人を助ける職業がある事を。
彼らは想像すら出来ないのだろうか、病院に運ばれた人を必死に助ける人たちの気持ちを。
火傷の具合が、死なない程度だから問題ないと思っているのなら恐ろしい話だ。
人として大いに問題がある。
『リアクション芸に必要なのは「技術」と「覚悟」である。技術はある程度までは努力で身につけられるのかもしれないが、覚悟はそうはいかない。リアクション芸の面白さの決め手となるのは「絶対にこの状況を笑いにしてやる」という覚悟である。
一歩間違えば大怪我をするかもしれない。格好悪いところをさらけ出して恥ずかしい思いをしたり、子どもにも見下されて馬鹿にされたりするかもしれない。それでも、やる。笑いのために体を張り、命を張る。』
思わず目を剥く記事だった。
「えええええっ!?笑いのために体を張って、命を張る!?お笑い好きの視聴者は、人の悲鳴を聞いて面白がるの?サドじゃん!普通は人の大怪我なんて見たくないけどね!?全然笑えないんだけど!笑いのために命を張る覚悟を褒めてんの!?一歩間違えば大怪我をするかもしれないって……最低な企画」
現実を見て欲しい所だが、芸能界にいるから気付けないのかもしれない。
【命を張る】という言葉は、自衛隊員や救急隊員や、命を救う人たちが使う言葉だ。
そして、彼らは訓練されている。
「命を張るを、バラエティで使うなよ!訓練されてない人間が、命を簡単に張るな!親から貰った命だぞ!日本のバラエティは、マジで腐ってる!」
怒鳴らずにはいられなかった。
お笑いに全く興味のない自分が、こうまで熱くなったのは、応援しているダンスグループの冠番組を見て驚愕したからだ。
【命懸け】というテロップの、何と多い事か!実際、危険すぎる企画だった。
飼育員さんが、危なくなったら本気で逃げて下さいと言って、自分も柵の中に一緒に入ったが、ダチョウの足の速さは、時速80キロらしい。
逃げられるわけがない。追い付かれて終わりだから、無意味な喚起だ。
そもそも、どこへ逃げるのだろう?
ダチョウが何十羽もいる柵の中に入って卵を取るから、テロップが【命懸け】の作業になっていた。
卵取りに命を懸ける世界が芸能界だというなら、どこまでも恐ろしい。
心底ぞっとしたが、メンバーが無事で本当に良かった。
心から神様に感謝したが、バラエティは、もう二度と見ない。
この一件を大げさだと思う人は、大谷選手の爪の垢を煎じて飲んだ方が良い。
【命懸け】の企画に挑んだ人が死んだら、企画を考えた番組のスタッフたちは人殺しになるだろう。
しかし、自分たちが殺した、という感情は一切湧かないだろう。
「死んじゃった」、「気の毒に」、「運がなかった」
これで済ますのが、体を張った、命も張ったバラエティなのだろう。
まるで、ヤクザの世界だ。
マジでふざけるな!
【命懸け】や【命を張る】なんて重大な言葉を安易に使うなよ!
『私が知る限り、上島さんは、ほかの誰よりもこの覚悟を持っている芸人だった。だからこそ、リアクション芸のスペシャリストとして多くのテレビマンから信頼され、多くの芸人から尊敬を集めてきたのだ。』
腹が立って仕方なかった。
地震や事故のニュースを見る事と、一体何が違うのか。
殺害されたニュースを見るのと何ら変わらない。
「いやいやいや、命を何だと思ってる!?覚悟を持っている芸人だった!?いやいやいや、命に関わる危険な事を笑いに変えるな!死にたくなくても死んでく命が山ほどあるんだよ!どんな芸を見せられても、危ない事してんの見せられたら、一ミリも笑えねーんだよ!」
『上島さんはいわゆる「できる芸人」ではない。芸人の能力を分野別に評価するなら、できないことの方がはるかに多いだろう。ネタを考えたり、大喜利をしたり、司会進行をしたり、エピソードトークをしたり、というのは彼の得意とするところではない。
でも、笑いのためにすべてを引き受ける覚悟に関しては、彼の右に出る者はいなかった。その一点だけに特化して、上島さんは裸一貫で堂々と芸能界を渡り歩いてきた。
格好悪いところをさらけ出して恥ずかしい思いをしたり、子どもにも見下されて馬鹿にされたりするかもしれない。それでも、やる。
リアクション芸の面白さの決め手となるのは「絶対にこの状況を笑いにしてやる」という覚悟である。』
いやいやいや、子供に見下されるような事をやらないで欲しい。教育に悪い。
悪影響でしかない。
恰好悪いところをさらけ出すのは、本人の自由で自己責任だ。
褒められる所は、一つもない。
恥ずかしい思いをする!?自分で選んだ道じゃん!
世界を明るく照らす太陽と呼べるような人物が、この世にいるとしたら、その人は世界のスーパースター、野球選手の大谷翔平選手だ。
世界中の人が、名前を知っている。
野球を知らない人たちも、大谷翔平は知っている。
大谷選手は、本当に人格者で頭が下がる。
世界を明るく照らす太陽の代名詞は、大谷選手にこそ相応しい。
死者を冒涜したくはないが、バラエティ番組は、命の重みを知らない人間が寄り集まっている。
そうとしか思えない。
【命懸け】の作業とは、本来なら、人命救助の筈だ。
【命を張る】とは、本来なら、人の命を救う為にある言葉だ。
自分は、そう認識している。
人の死を笑いに変えないで欲しい。
『笑いのために体を張り、命を張る。』
この言葉が、お笑いに根付くきっかけを作ったうちの一人を「太陽様」と呼ぶのは個人の自由だが、押し付けのように思えて気分が悪い。
『日本中の人々が驚き、言葉を失い、悲しみに暮れた。世界を明るく照らす太陽が消えてしまったような寂しさを、私たちはこれからどこまでも抱えていくことになる。』
この記事を書いたライターが、『私たち』を本気で『日本中の人々』と思っているのなら、勘違いも甚だしい。
抱えていくことになるという自分勝手で断定な言い方が、特に腹立たしい。
言葉を失い、悲しみに暮れた?確かに、そうだ、日本のお笑いは終わっている。
おそらく、この憂えを『これからどこまでも抱えていくことになる』だろう。




