4 闇夜にまぎれて
身の内に不快なものがある。琥春は牢の中で、血にのって全身を駆け巡る悪寒に耐えていた。これが西の呪者の力だとしたら、おぞましい力だ。それに自分は、まほろ以外を主にするつもりなどないのに。こんな契約、あってはならない。
でも明日には、まほろと契約できる。
――まほろ。
心の内で名を呼ぶだけでも、すこしだけあたたかな光が胸にともる。
西海国にいる間は、ずっと狼たちに見張られていた。狼は情に厚い。それに狼守りの一族の呪い――と狼は信じている――に苛まれて力の弱った彼らにとって、呪いを受けなかった琥春の力は必要なのだろう。たとえ彼らを裏切ってまほろを手助けしたとしても、琥春は殺されずに済んだらしかった。
彼らにもどってこいと願うような響きで言われると、琥春の心も揺れた。琥春だって、狼たちと戦いたいわけではない。だがそれ以上に、まほろのそばにいたいのだ。狼がまほろの敵になるのであれば、琥春はあの場にはいられない。
彼らはまほろが自分たちを縛る存在だと恐れている。そんなことはあるはずがないのだと、どうしたらわかってくれるだろうか。誤解さえ解けたなら、争いなんてしなくていいはずなのに。まほろは狼を縛ろうなんてすこしも考えていないのだから。
逃げた琥春を追ってきた狼たちと相対したときの苦しさを思い出す。途中からわけがわからなくなって、ひたすら駆けていた。どれだけ狼を手にかけたのか覚えていない。多くの命を摘んでしまったという罪の意識が心に巣食っている。
だが、こうしてまほろのもとに帰ってくることができた。いまはそれだけを考えたいと瞳を閉じる。依然として身の内の不快はあるが、いくらか気もまぎれた。
――それにしても逃げる最中、西の呪者にもどれと命じられなかったのは幸いだった。きっとそう命じられたなら、琥春はここにたどり着くことなどできなかっただろう。よかった。本当に……、本当に。
いや、本当にそうなのだろうか。
もどれと命じることはできたはずだ。それなのに、命じられる気配は一切なかった。自分は本当に逃げてこられたのだろうか。自分の意思で、いま、ここにいると言えるのか?
手の内の者を敵陣に送りこむことができたなら、戦況を有利に運ぶことができるのは明白だ。いまの自分は西の呪者の影響を受けている身、向こうの手の内の者と言えなくはない。その自分が御所にいてもいいのだろうか。
まほろに会うために、自分で決めて必死に御所まで来たはずだ。狼たちも逃がすまいと必死に追いかけてきていた。あの気迫に嘘はなかったと思う。琥春は自分の意志でここにいる。
だがもしもそれが、西の策だとしたら。すべて彼らの仕組んだことだったなら、どうだろう。もしいま、西の呪者が琥春に命じて、御所の内側にいる人間を屠らせようとしたなら――。
いや、それはない。
この牢にいる限りは結界がある。まほろたちだって西の呪者の力が自分に及ぶことを最も懸念しているはずだ。対策は万全のはずだった。ここにいれば、まほろたちに害をなすことはない。そのはずだ。だから大丈夫。
――どのみち、明日になればすべて片づく。
まほろと契約さえしてしまえば、西の呪者など取るに足らない存在だ。
そのとき、牢に近づく影があった。
音もなく入りこんできた影は、見張りをしていた兵のもとまで移動する。交代の時間なのだろうか。琥春は影を目で追った。兵もそう思ったのだろう。なんとなしに影を見た。
一瞬のことだった。
影は兵の口を押えて斬りかかった。
兵のくぐもった悲鳴が牢の闇に響いた。




