3 目覚め
牢に連れていかれた二日後に、琥春は目を醒ました。
身体中を縛られ、呪者による札を張られた琥春が、まほろを見つめる。格子越しに琥春からただよう香りに、見知らぬ人間の匂いがわずかに混ざっていて気持ちが悪かった。
やっと話せるようになったのに、喜びの言葉を交わすことは許されない。
「琥春、ひとの姿になって。変化するのはつらいかもしれないけれど」
力ない様子でうなずいた琥春に、まわりにいた呪者や兵たちが細心の注意を払って拘束をほどく。姿がひとの形に変わると、また手足を縛っていった。この姿のほうがひとを傷つける力がないから、呪者たちもどこかほっとした様子になる。
――ああ、琥春だ。
琥春の傷は山吹の術である程度癒してあったが、全快には遠い。やつれた琥春の様子に、まほろは彼に駆けよりたい気持ちで胸が埋まった。だがいまはこらえるしかない。近づいて襲われでもしたら困ると、女宮に止められていた。
琥春の瞳をじっと見つめる。そこに敵意はない。なにかを隠す様子もない。
「琥春、なにがあったか教えて」
「……覚えていない」
かすれた声だった。話すのもやっとなのだろう。
「あまり、覚えていないんだ。……弥琥たちに、考え直せと諭されていたのは記憶にあるが。狼たちのもとに帰ってこい、と」
「じゃあ、呪者と契ったのは? 西海国の呪者と契約してるでしょう?」
琥春が目を見開いて、力なく首を横にふる。
「……わからない。だが、気味の悪い力が身の内に入りこんでいるのは感じる」
おぞましそうに言って、琥春はまほろにすがるような目を向けた。
「俺の意志じゃない。俺が主と決めたのは、まほろだけだ」
「……それは、わかるよ」
でも、契ってしまったのだ、ほかの呪者と。いまも呪者の気配を感じる。動かしようのない事実だった。
琥春を道具のように扱いたくはない。琥春の気持ちを無視して契約なんてしたくない。まほろはそう思っていたのに、こちらが知らぬ間にべつの呪者が契約してしまうなんて、悔しくておぞましくて言葉が出なかった。西海国の呪者の身勝手さに、ただ拳を握る。
「――まあ、そこはおまえの意思の及ばぬところであったと、理解しよう」
まほろの後ろで黙っていた女宮が声を発する。
「おまえ、御所までどうやってもどってきたのだ?」
まほろもはっとして琥春の瞳を見つめる。琥春はまだまほろになにか言いたげにしていたが、諦めたように息をつき女宮に応じた。
「弥琥の隙をついて逃げだした。ただまほろのもとに帰りたいと、それだけだった。狼たちに追われたが、すべてふり払って、ひたすら走って、いつのまにか御所にいた」
女宮が視線を寄越してくるから、まほろはうなずいた。琥春の瞳に嘘が入りこむ余地はない。西の呪者に命じられてここに来たのではなさそうだった。最も恐れていた間者の線はないと確信できる。だが、女宮の顔は険しいままだ。
「一度敵の手に落ちたものを信用するのは難しい。……だがまほろ、おまえならば西の呪者になど後れを取らぬな? 正統な狼守りの血を引くのはおまえなのだから」
鋭い瞳に射貫かれて、まほろは深くうなずいた。
まほろのもとにもどってくることだけを考えて、事実こうして琥春は御所に帰ってきた。そんな彼への懸念は西海国の呪者とのつながりだけだ。それを断ちきることができるのは自分だけだという自負があった。不安そうな琥春に向きあって、まほろは口を開く。
「琥春、わたしと契約しよう」
「……まほろと?」
「狼については、西の呪者よりわたしのほうが詳しい。いま琥春を縛っている術より、うまく術をかける。いまの契約は消してみせるから、だからわたしと契約して」
それに呪者と獣の気持ちが伴わない契約は弱い。西の呪者なんかに琥春の心は渡さない。まほろはじっと琥春を見つめた。
「琥春は、だれと契約したい?」
「まほろだ」
その答えに迷いはなかった。まほろはうなずき、安堵する。突然現れた西の呪者になど、自分たちのつながりを邪魔することなんてできないはずだ。心を決めて、女宮に向きなおる。
「結界の張られたこの牢にいる限り、西の呪者の力は琥春に及びません。ここにいれば琥春がわたしたちに仇なすことはない」
「わかった。では、早急に契約の用意を整えろ。明日にはできるな?」
「はい。必ず」
女宮は、任せたと袖をひるがえして去っていく。戦はもうはじまろうとしている。女宮は今日のうちに先立って篠見の原近くに構えた陣に移ることになっていた。時間がない。
「琥春、待っていてね」
戦の前に琥春を真に取り返さなくては。まほろも部屋にもどり呪符の用意をしようと背を向ける。だが出て行く前に、ふり向いた。
「生きていてくれて、よかった」
駆けよりたい。抱きしめたい。もっと話したい。だがいまは、するべきことがある。
今度こそ、まほろは背を向けた。




