7 約束
まほろは夜中、部屋を抜けだして赤羽のもとを訪れた。まほろに気づいた赤羽の瞳を見つめ、意識を集中させる。戦場で、獣の力を増すことまで主上には任せられないだろう。きっと彼は赤羽に指示を出すだけで精いっぱいだろうし、これは狼守りの一族に伝わる秘術だ。まほろのほうがうまく扱えるはずだった。
獣の力を増幅させなければ、狼たちには勝てない。
「……赤羽は、戦に出たくない?」
力をゆるめ、問いかける。赤羽はなにも言わない。瞳をのぞいてみても恐れは見えない。だが戦に出たとき、赤羽はひるむことなく戦えるだろうか。きっと赤羽はひとの武器に慣れていないだろうし、恐れてしまうかもしれない。それに、相手が狼なのだとしたら……、あの恐ろしさに、おびえてしまわないだろうか。
まほろは力なく座りこんだ。
まぶたに焼きついた狼たちの姿。火の海。骸。
「風邪をひくぞ」
琥春が背後から現れて、まほろの肩に衣をかけた。驚きつつ、ありがとうと衣の前をかき合わせる。琥春の匂いがした。
「逃げだしたくなったか?」
静かに問うその眼差しに、まほろは首を横にふる。戦に出ると決めた。だれも犠牲にせず、西海国を退けてみせると。
狼たちが敵に回ったのなら、東庵国の兵に死者が増えるのは目に見えている。戦わなければ、待っているのは多くの死だ。もう退くことはできない。
「琥春も赤羽も、わたしが守るよ」
赤羽がこつんと小突いてきた。まほろは笑って翼をなでる。
そういえば、しばらく赤羽に笛の音を聞かせていない。明日にでも修練の間に聞かせてあげよう。山吹とともに奏でれば、喜んでくれるかもしれない。
「まほろひとりが、背負うことではないぞ」
「え?」
まほろは目をまたたき、琥春を見上げた。待っていたやさしい瞳に泣きたくなる。だが、こらえた。いつまでも彼に甘えていてはいけないはずだ。
琥春が差しだす手を取って、まほろは立ちあがった。赤羽と別れ、御殿に向けて歩きだす。その道すがら、琥春はずっと手をつないでくれていた。
「琥春は春の匂いがするね」
「春に生まれたからな」
「そう。あなたはあたたかい春の生まれだね」
小さな琥春をはじめて抱きあげたときのあたたかさを、まほろはずっと覚えている。自分を見上げてくる琥珀色の澄んだ瞳も。
この子を守らなければと思ったのだ。かつて、崖から落ちたまほろを救ってくれた母狼は、琥春を気にかけて死んでいった。あの狼のためにも、琥春のことを守ってあげたいと思った。それと同時に、琥春の瞳がきれいで、小さな身体が愛おしくて、この子とともにありたいと思った。
いまも、まほろは琥春とともに生きたいと願っている。まほろのために狼たちを裏切り、こうしてそばにいてくれる琥春を死なせたくない。
つないだ手に力を込める。
「どうした?」
「ううん」
幼かった子狼が、こうして自分の手を引いていることが不思議だった。とれもうれしくて愛おしいと思う。
琥春の横顔を見つめた。
「琥春はきれいだね」
「……本当に、どうした」
「そう思ったから」
そうか、と琥春が前を向く。照れているのかもしれない。まほろが笑うと、琥春は足を止めた。笑われたのが不満だったのかもしれない。なにか言いたげな視線を向けてくる。
ふいに、つないでいた手が外れて、その手がまほろの頬に伸ばされた。
「寒いか? 赤くなっている」
「あ……、うん、すこし」
両手で頬を包まれて、なんとなく気恥ずかしい。狼の姿であれば抱きつくことも簡単なのに、ひとの姿をしている琥春相手だと勝手が違う。
鼻先に冷たいものが触れた。
「琥春、見て。雪」
淡雪が空から降りそそいでいた。まほろと琥春はふたりで空を見上げる。
白い無垢な雪は、まただれかの血で染まっていくのだろうか。きっと、そうなのだろう。美しいものを穢していくのが人間の争いなのだから。雪も、桜も。
「琥春とはじめて会った日、狼守りの邸を出て桜のきれいな場所を一緒に探しに行こうって約束したの。覚えてる?」
「ああ……、うっすらとだが」
琥春はまだ幼かったから、記憶に残っていなくても不思議ではない。
「きっと、探しに行こうね」
「……そうだな」
小指を差しだす。琥春の指がそこに重なった。




