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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
嵐の前(修練編)
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6 戦の気配

 その日も、琥春はいつものようにまほろと帝とともに赤羽の修練に参加していた。


 赤羽は強い。戦に出れば敵を一掃することができるだろう。だが、帝の指示を聞いて相手を殺さずにいられるかは、琥春にもわからなかった。


 敵を見つけると、赤羽の瞳は鋭く荒々しい光をともす。もともと自由に生きてきた森の獣なのだから、相手を殺さないという選択はこれまでなかったはずだ。赤羽の行動を抑えられるかは、まほろと帝にかかっていると思う。


 ときどき、女宮も森に来て赤羽の様子を見ては眉をひそめていた。相手を殺してしまえば楽なのにと、そう思っているのだろう。だが口に出さないのは、まほろとの約束があるからかもしれない。もともと女宮が「殺さなくてもよい」と提案したのだから、自身の発言を覆すような不義理は控えているらしい。


 赤羽の修練もひと区切りし、琥春の背からまほろがおりた。琥春がひとの姿に変じていると、彼女の横腹をこつんと赤羽が突くのが見える。


「どうしたの?」


 赤羽はくいくいと自分の背を見せた。その様子を見て、帝が笑う。


「自分もまほろを乗せてみたい、ということではないかな?」


 まほろは目をまたたいて、空に目をやった。期待と不安の入り混じった瞳だ。飛んではみたいが、恐ろしい思いもあるのかもしれない。背から落ちれば怪我どころでは済まないだろうから当然だ。はじめて琥春の背に乗ったときも、まほろは必死の形相だったなと思いだす。


「なに笑ってるの、琥春」

「いや……、まほろなら、きっと乗れるだろう」


 まほろは多少不満そうな顔をしたが、琥春につられたように笑顔を見せた。


 そのときだ。兵が「主上!」と駆けこんできた。


 帝に平伏したあと、まほろと琥春を見た兵の顔は不安そうに揺れている。琥春を見る人間はみなそういう顔をするが、今日はいつにもましておびえているように見えた。


 なにかあったらしい。


「どうした」


 帝がやさしく問う。兵はいくらか気持ちが落ち着いたようで、奏上した。


「堀の外に、狼が来ております」


 琥春とまほろは顔を見合わせる。


 狼が――、もしかしたら、まほろを狙いに来たのかもしれない。あるいは琥春の裏切りに気づいて始末しに来たのか。詳細はわからないが、まほろか琥春に用があることはたしかだろう。


「様子は?」


 帝の問いに、兵はどう答えたものかと悩んだ様子になってつづけた。


「殺気はないのですが、じっと座っております。ただ狼のことはわたくしどもではわからず……、殺気を隠しているだけかもしれません」

「わたしが行きます」


 まほろが進みでた。


「狼のことなら、兵よりもわたしのほうがわかるはずです」


 琥春はまほろの腕をつかむ。


「狙われる一番の理由を最も持っているのは、まほろだぞ」

「わかってる」


 止めたかった。だが、まほろの真剣さになにも言えなくなって、腕を離さないまま琥春は口をつぐんだ。まほろは彼女なりに強くなろうとしているのだろう。それでも。


 ――弱いままで、すべてにおびえて逃げつづけていてくれたらよかったのに。


 危険に飛びこんでほしくない。


 そんなことを思ったとき、帝の落ち着いた声が場を導いた。


「では、みなで行こうか。結界があれば狼も容易に襲っては来れぬだろう。まほろは石橋を渡らず、狼と充分に距離を取りなさい。琥春、それでいいね?」

「――ああ」


 帝の指示で兵たちが即座に集まった。多数の兵を連れだって石橋へ向かうさまは仰々しい。琥春はなにかあればまほろを守れるようにと気を配って進んだ。だが実際に石橋まで来てみて、それが不要なことだったと知った。


「俺の眷属だ。敵意はない」


 まほろも安堵の息をつく。帝が首をかしげた。


「眷属?」

「琥春より力の弱い狼です。琥春の眷属であれば、襲ってはこないでしょう」


 まほろが説明をしている間、琥春は結界を越えて狼のそばに寄った。屈むと、狼が鼻先をこつんと琥春の鼻にぶつけてくる。伝えられる狼の報告に、一度は落ちた肩にまた力が入るのが、自分でもわかった。


 やはり、時間は残されていないのだ。


「……おまえも御所に入るか? いつ弥琥に粛清されるかもわからないだろう」


 問いかけるが、狼は首をふって駆け去っていった。


 琥春が裏切ったことも、まほろが生きていることも、弥琥にはもう知れているようだった。琥春の命令に従う眷属もまた、裏切り者として扱われるはず。だが、あの狼は野を駆け琥春のために情報を集めることを選んだのだ。


 琥春としてはありがたいが、どうか死なずにいてほしいと願う。琥春は結界をくぐり石橋をもどった。


「弥琥たちに動きがあったらしい」


 まほろの瞳が揺れた。そっか、と小さな声がする。


「まほろが御所にもどったことはもう知れている。また狼守りの術で自分たちを縛る気なのか、と狼たちも焦ったのだろうな」

「わたし、そんなことしないのに」


 悔しそうにつぶやくまほろの言葉を、琥春は信じることができる。だが弥琥たちには無理なのだろう。狼守りの一族を憎んでいる彼らには、まほろの言葉は響かない。


「それで、狼たちはなにを?」


 帝が静かに問いかけてきた。


「――西海(さいかい)国と手を組んだらしい」


 帝の柔和な顔が険しくなった。まほろも体をこわばらせる。


「それは……、困りものだな。敵の敵は味方ということだろうか」

「ああ。狼は人間を嫌っている。だがなによりも、狼守りの一族を憎んでいる。まほろに縛られないためならば、べつの人間の手すら借りるのだろう」

「決して考えられないことではなかったが、最も起こってほしくないことだったね」


 帝の言葉に、琥春も舌打ちしたいのをこらえる。想定する限りでは最悪な状況になってしまった。


「西海国は多くの狼の力を行使できるようになった。対してこちらの獣は、俺と赤羽だけだ。敵を殺さず戦を制するなんて甘いことを言っている場合ではなくなってきたな」


 せめてひとが相手であれば、なんとかなったかもしれない。だが獣相手では手加減などできないどころか、本気で殺しに行かなければならないだろう。そうして持てる力すべてであたっても、こちらが死ぬ線が濃くなってきた。どちらにせよ、まほろが望む道は閉ざされようとしている。


 太陽を雲が覆い隠し、あたりが急に暗くなった。さらに濃い闇の広がる森の陰から、女宮が現れる。美しい顔にはなんの表情もない。女宮もまた、べつの手段で情報を仕入れたらしかった。


「兄上、時間はもうございません」

「……戦など、はじまらなければよいのにな」


 つぶやいた帝は、いや、と自身の言葉を戒めるように首をふる。


「民のため、力をつくそうか」


 そんな帝たちを、まほろは哀しげに見つめていた。

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