5 子狼と師
まほろと帝はもう一度赤羽を飛ばしてから、夕暮れに御殿へともどった。
琥春はひとり庭におりたつ。まほろは部屋で、彼女の叔母と話していた。叔母はまだ琥春に心を許してはいない。そばにいないほうがいいだろうと思った。
「よう、子狼」
渡り廊を山吹が歩いてきた。彼は足音を立てて庭におりてくると、琥春のとなりに立つ。
子狼と言われるほど若くはないがまあいいかと、琥春は山吹を見た。まほろの師ときちんと向き合うのははじめてだ。けれど、言わなくてはいけないことがある。琥春は彼を見て、深く頭を下げた。
「まほろをこの数年守ってくれたこと、礼を言う」
「なんだよ、藪から棒に。……いや、まあ、わかるけどな」
山吹は腕を組み、静かな瞳を向けてきた。御所ではじめて出会ったときはおびえていたのに、この数日まほろとともに過ごす琥春を見て、彼の緊張はすこしずつほぐれているようだった。
「まほろの一族が滅んだ日、俺を狼守りの邸に呼んだのはおまえだな。まったく、あんな地獄みたいな場所に呼びつけるなんざ、迷惑極まりないことだったよ。……俺が救えたのは、まほろだけだった」
最後の言葉は声をひそめてつぶやかれた。自分とは関係のない一族の滅亡を後悔しているのだろうか。だとしたら、彼も難儀なものだ。
たしかにあの日、琥春は山吹を呼びよせた。狼たちの謀略を聞いてからずっと、どうすればまほろを救えるか考えていたのだ。旅をしている楽の呪者が近くに来ていると聞いて、これだと思った。
「狼守りの一族は一夜でみな死ぬはずだった。まほろが生き延びたのは、あなたのおかげだ。死ぬはずだったひとりを救ったあなたが気に病むことなどない」
山吹は驚いた顔をした。そうして、小さく笑う。
「よせよせ。子狼に呼ばれなかったら、俺はあの場にいなかった。その点、おまえがまほろを生かしたってことだ。狼にもやさしいやつがいて安心したよ」
気配をやわらかくした山吹に、琥春はわずかに黙り首をふる。
「俺は御所に捕らわれたあなたを見捨てて逃げろと、まほろに言った。やさしくなどあるものか」
「いや。俺がおまえの立場でもそう言っただろう。まあ、まほろは俺の言うことも聞かないだろうけどな。困ったやつだ」
ちがいないと思う。
まほろは弱い。すべてを守ろうとするのにそうするだけの力はなく、見ていて頼りなかった。いっそ、その手を強引に引いて連れ去りたいと思うこともある。生まれたばかりの琥春を抱きあげてくれた彼女のぬくもりが忘れないのだ。琥春は彼女のために自分ができることはすべてする覚悟だった。
空はいつのまにか、橙に染まろうとしている。穏やかな色だ。
――まほろの武器になら、いくらでもなってみせるのに。
そう思う反面、まほろが琥春のためにと心を砕いてくれることが嬉しくもあるのだから、困りものだと思う。
「まほろに会わせてくれたことは感謝しているよ」
ふいに山吹が言った。琥春は空から彼に目を移す。
「ひとり旅は退屈だったんでな。やっぱり旅はだれかを道連れにするもんだ。いい弟子に出会わせてくれてありがとよ」
山吹はためらってから、がしがしと琥春の髪をまぜかえしてきた。まほろ以外の人間に触れられることがほとんどなかった琥春は困惑する。自分たちは恐れられるか見下されるか、そのどちらかの扱いばかりだったから、こんな風に触れてくる人間はいなかった。
「お師匠さま、狼さま」
廊の奥から、和泉が歩いてくるのが見えた。彼女は琥春たちを手で招く。
「夕餉の支度、お手伝いくださいませ」
「俺たちがか?」
「まほろさまは宮さまのお客人ですが、あなたがたはおまけですので。働かざる者食うべからずです」
幼い少女に言われて、山吹はがしがしと今度は自分の頭をかいた。
少女の物怖じしない性格は、主人である女宮譲りだろうか。いつのまにか、彼女も琥春へのおびえが消えていた。
和泉を先頭にして夕餉の膳を部屋へ運んでいくと、まほろが目を見開いた。
「面白い絵面だね。師匠と琥春がこき使われてるなんて」
そう言って、思わずといった様子で彼女は笑う。
こうしてまほろが笑っていてくれる日々がつづけばいいと琥春は願った。




