4 修練
琥春は御所の森を駆けていた。背には、まほろと帝が乗っている。まほろだけならまだしも、帝までいるのは落ち着かない心地がした。
空には赤羽が舞っている。大きく広げた翼の白の部分に陽の光が輝き、朱色を帯びた部分は青い空に映える。神に近い獣なだけあって、悠々と飛ぶ姿は美しかった。
そうして見上げていた赤羽が、突然、急降下して木々の間に落ちてくる。下にいたのは狐だ。まっすぐ空から向かってくる赤羽におびえ逃げまどう狐の首を、赤羽の嘴がとらえる。骨の折れる音が鳴って、狐は息絶えた。
血のしたたる赤羽の嘴を見たためか、まほろの指先が一瞬琥春の毛を強く握ったが、すぐ我に返った様子で帝に声をかけた。
「やめさせてください」
まほろの後ろにいた帝が「ああ」と応えると、そのうち、赤羽が動きを止める。狐の骸をぼとりと落として、こちらを見た。
「次です、食べていいと言ってあげてください」
まほろの指示に帝は従ったのだろう。赤羽は安心したように狐の肉を貪りだす。
琥春はふたりを背からおろし、ひとの姿に変じた。
最近、まほろと帝は赤羽を戦に出す支度をしている。琥春もまた、彼らにつき添っていた。もっぱら、彼らを背に乗せて赤羽を追いかける役目に徹しているだけだが。
「主上の指示を聞いてくれるようになりましたから、次は相手を殺さないようにする加減を教えましょう」
「……まほろは、もうすこし嫌がるかと思っていた。赤羽に獣を殺させるのは」
帝が心配そうにまほろを見つめた。まほろは、肉を喰らう赤羽を見つめ、目を伏せる。色々なことを考えているのだろう。返答には間があった。
「生きるための殺生は仕方がないものだと思います。――ただ、怨みや自分の利益のためにする殺しは、なくすべきだとも思うんです。そこに獣を巻きこむことも」
「……そうだな。それが、理想だと思うよ」
帝は困ったように笑う。所詮、理想は理想でしかないと言いたげだった。まほろの考えは、帝にとっては甘すぎるのだ。
沈黙が落ち、しばらくしてから、まほろが琥春に目を向けた。
「琥春から見て、どう? 赤羽は殺さないことを覚えてくれるかな」
「どうだろうな。狼とは違ってひとの言葉を解せないし、細かな指示を聞くのは苦手に見える。そこは呪者の力量しだいだ」
呪者が強ければ、獣の意志すらからめとって傀儡のように操ることもできる。だが呪者が弱ければ、獣は命令に背くこともできた。
「それから、信頼を築くことも必要だろう」
「……そうだね」
琥春の言葉で、まほろの瞳におびえが映るのが見えた。
本来ならば、契約した段階で獣は呪者の命令に背くと苦痛を覚えるようになる。だが獣が呪者へ怨みを抱いたなら、獣は必死で抗い契約すら無効にさせることもある。そうして、狼たちも一族を裏切ったのだ。
帝もそれを知っているからか、深くうなずいた。
「赤羽の心を預けてもらえるよう最善を尽くそう」
本心でそう言っているようだから、おそらく彼は悪い人間ではないのだ。まほろを戦に巻きこんだ時点で、琥春にとっては憎らしい相手にちがいはなかったけれど。
それでも、まほろが決めたのなら、帝にだって手を貸してやる。まほろは、だれも殺さず死なせず、戦を終わらせることを望んでいる。それがどれだけ無茶な夢物語だとしても、彼女が望むのであれば叶えてみせる。
赤羽の食事が終わるまで待ったまほろは赤羽に近寄り、じっと瞳を見つめた。
「赤羽、ひとは殺さないようにしてね。主上の言葉をしっかり聞いて」
赤羽はなにも言わず、まほろを見つめた。
修練も終え、一度赤羽を川に連れていき、水浴びをさせることになった。赤羽ももう馴れたようで、先導する帝におとなしくついていく。琥春は帝たちの後ろを歩きながら、まほろの横顔を盗み見た。
御所にもどってから、彼女は険しい顔をすることが増えた。叔母と話しこみ、獣を扱う力を高めようと尽くしている。それがまほろの決めた道ならば、琥春も手を貸すだけだった。――だが内心、やはり御所から逃がせばよかったと思うことがある。いっそ、風に揺れるまほろの髪を切ってしまえば、呪者の運命から解放してあげられるのだろうか。
川で赤羽が汚れた嘴や羽を洗うのを見ながら、まほろは琥春の前に立った。
「琥春、術を試してみてもいい?」
「ああ」
まほろは琥春の瞳をじっと見つめた。すこしすると、琥春の胸の内が、じわりと熱を持ちはじめる。熱は身体を伝い指先まで達して、琥春の妖力を高めた。獣の持つ能力を引きあげる術は、彼女たちの一族に伝わっているものだ。だが、まだ心もとない。琥春の表情から察したのか、まほろはため息をついて集中をといた。
「わたしが琥春と赤羽にしてあげられることは、これくらいしかないのに」
「そう落ちこむな。幼いころに一族から離れたまほろが、急に獣を扱う術を使おうというのだから、容易にうまくいくわけもないさ」
「そうだけど」
「契約をすれば、なにか変わるかもしれないぞ」
おそらく、手っ取り早い手段はそれだ。だが、まほろは困ったように眉をひそめていた。
まほろと琥春はまだ契約を結んではいない。まほろがそう望んだから。
「狼が弱っているという話をしただろう。弥琥たちは一族の呪いだと言っていたが、自分たちの主を殺したのだから、式神として弱くなるのは当然のことだったのかもしれない。俺も、一族が滅んでから身体の中がどこか虚ろに感じる」
「琥春はだれとも契約してなかったのに?」
目をまたたくまほろに、うなずく。
「狼守りの血筋の人間がそばに複数いるだけで、身が引き締まる思いはあったんだ。それが、一族が滅んだ日からなくなった」
琥春は胸を押さえた。身体の芯を通っていたものがなくなってしまったような感覚だった。だがいま、まほろのそばにいるとすこし安心する。
「式神である俺たちには、主となる人間が必要だったのかもしれないな。まほろと契約を交わせば、この虚ろも埋まる気がする」
まほろとの、たしかなつながりがほしかった。
だが、まほろは無言で考えてから首をふる。
「山神は強かった。琥春も式神から神にもどったほうがいい気がする」
「……いまさら、もどれないだろう」
「やってみないとわからない。契約ならいつでもできるけど、それをすると式神として縛りつけることになるし。まずは神の力を取りもどすことを試してみよう」
まほろの言葉に曖昧にうなずく。
彼女は琥春を式神に――道具にはしたくないのだろう。たしかに神になれるなら、いまよりも力は増すだろうけれど、試すだけの時間は残されているだろうか。
琥春は鼻先を空に向けた。
きなくさい。御所の中からも、国のあちこちからも、せわしない気配が漂っている。確実に、戦の時が近づいてきているのだ。




