3 覚悟
その日、まほろは女宮とともに御所の堀へかかる石橋を訪れていた。憎らしいほどによく晴れた日だった。結界の縁まで行き、呼びかける。
「琥春」
どこからともなく、ひとに変じた琥春が現れた。彼は橋の向こうからまほろと女宮を見て、眉根を寄せる。女宮は微笑んだ。
「おまえがまほろの狼だな。まほろに手を貸したとなれば、狼たちに裏切り者扱いされるだろう。御所の内にいるならば安心だ。入りなさい。御所の主である帝が、おまえを招いた。結界もおまえを阻まない」
女宮の言葉に不快を表しながらも、琥春は結界を越えてまほろのとなりに立った。まほろになにがあったのか、すでに察したようだった。
「ごめんね、琥春。ひとりでできるって言ったのに」
「……いや。気にするな」
琥春の手が伸びてくる。まほろの頬に触れた手はあたたかかった。そのぬくもりに泣きそうになる。
「従順な狼だな」
まほろはせめてもの抵抗に、琥春の前へ一歩進みでた。
「琥春は道具ではありません」
「ああ。そうらしい」
え、とまほろは声をこぼす。
「妙に人間じみている。ずっと人間に従って生きてきたからか」
それだけつぶやくと、女宮は踵を返した。まほろたちもすこし遅れて歩きだす。
琥春は内側から招かれたことで結界に阻まれることはなかったが、どこか居心地が悪そうな顔をしていた。まほろが彼の様子をうかがっていると目が合う。
「戦に手を貸すことにしたのか?」
「それは……」
「俺はそれでも構わない。もともと俺たちは、そのために生きてきたのだから」
それはちがう。そんなことのために、琥春は生まれたわけじゃない。
まほろは立ちどまった。琥春も足を止める。うつむいた視界に彼の指先が映って、まほろは手をのばす。触れると、あたたかかった。道具ではなく血の通った指先だ。
「琥春に、ひとを殺してほしくない。琥春はやさしいから」
ひとを殺すことにも狼を殺すことにも、彼は心を痛めるだろう。
戦に立つのがまほろ自身だったらよかった。そうだったら、ここまで迷うこともなかったのだ。結局まほろにできるのは琥春を送りだすことだけだった。
御殿にもどると、宮は早々にまほろたちと別れてどこかに向かっていった。出迎えてくれた和泉と叔母と山吹は、琥春におびえる素振りを見せた。
夜になり、あちこちで灯りがともりだす。まほろの部屋にも灯りを用意し、和泉はしずしずと下がっていった。叔母と山吹もそれぞれの部屋にもどり、琥春だけが残る。
「女宮に、なにか言われたか?」
ふたりになるのを待っていたように琥春が訊いた。まほろは迷い、口を開く。
「相手を殺さず、退けるだけでいいって。……できる?」
山吹が言うように、きっと難しいことなのだろう。だがそれができるのであれば、獣も人間も守りきれる。琥春は目を閉じてから、うなずいた。
「まほろが望むなら」
「……ごめん」
「平気だ」
その瞳を見つめ、まほろはふいに、御所から逃げていた最中のことを思いだした。
山神と琥春の瞳は、まったく違う。まほろを襲った山神は恐ろしかった。あの瞳からはなにも感じ取れなかったのだ。だが琥春からは、やさしさもあたたかさも伝わってくる。それがいいことなのか悪いことなのか、まほろにはわからなかった。
もともとは神だったのだから、琥春たちだって山神に近い存在だったはず。式神に堕ちた彼らは、当初の存在から遠く離れてしまったのだろう。自分たちの術が、彼らのありかたを歪めてしまったのだと思う。
その夜、まほろは琥春に小さな狼の姿になってもらって、同じ夜具にくるまった。琥春の香りに包まれながら、夢を見た。生家にいたころの夢を。
どれだけ逃げようと、一族の血はまほろの身体に流れている。
ならばもう、覚悟を決めるしかないのだろう。




