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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
狼の旅路(逃走編)
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11-2 まみえる

 刀を握り、まほろは前へ踏みこんだ。女宮はひらりと身を躱して刀をさける。二度、三度と打ちこむが、女宮に切っ先は届かなかった。もとより正面切って相対する予定ではなかったのだ。狼守りの一族が強いといっても、それは使役していた狼たちが強かったというだけのこと。まほろ自身に戦闘の才はない。


「まほろ、わたしたちに手を貸さぬというが、西の里を救ったそうだな?」

「……知りません」

「嘘を言うな。狼を連れて唄で癒しを与える呪者など、おまえくらいだ」


 手首を扇で強くたたかれた。どうにか刀は落とさないようにして、数歩下がる。息が上がっていた。それなのに女宮は乱れるところがない。


「……あのときは、目の前で争いが起こったから仕方なかったんです!」

「では、離れた場所で争い死んでいく民や兵のことは、見捨てても構わんと?」


 責める声ではなかった。女宮はただ純粋に問いかけてくる。


 まほろは目の奥が熱くなって涙を耐えた。どこであろうと、ひとが死ぬのは嫌に決まっている。わかっている。自分の考えは甘いのだ。目の届く範囲だけを助けるなんて意味がない。


 刀の切っ先はどうやっても女宮に届かない。無力であることを思い知る。


「そもそも……、戦なんてしなければいいでしょう!」


 どうしようもなくて叫んでいた。


「川くらい、西の民にも使わせてあげればいいんです。戦をしなければ、民も兵も死ぬことはないのに」

「天辰の大河は、東庵国のものだ。国境を揺らがせるわけにはいかない」

「でも」

「まほろは、狼たちを許せるか?」


 宮は扇でぽんと自身の肩をたたく。その瞳の鋭さに、まほろはたじろいだ。


「おまえの一族を殺した狼たちを許し、狼たちの安穏を願えるか」

「それは、この話とは関係が……」

「ある。小競り合いの起きた里に行ったのならわかるだろう。あの土地は西の蛮行に苦しめられて、みなが怪我を負い、ときには死んでいく。彼らに西の者の行いを許して慈悲を与えろと言えるか? あの里には家族を殺された者もいるのだぞ」


 まほろは口を開いて、けれどなにも言えず唇を噛んだ。


 大切なひとを失うことのつらさは、まほろも知っている。里に住む彼らも同じ思いを抱えているのだとしたら、そのつらさはどれほどか、わかってしまう。


「まほろ。おまえに従う狼がいるようだな」

「――琥春は、道具なんかじゃありません。彼に殺しはさせない」

「そうか。ではこれならばどうだ」


 女宮はまっすぐにまほろを見つめた。


「敵を殺せとは言わぬ。ただ退けるだけでよい」


 その瞳には強い意志があった。


「先日の争いでも、狼はだれも殺さず西の輩を退けたそうだな。同じことをすればいい。だれも死なぬのであれば問題なかろう。わたしは国が守れるのなら、それで構わない」

「聞くな、まほろ」


 山吹が制した。


「相手を殺さず戦を制するなんて無理だ。殺すより、生かすほうが難しい。今回うまくいったとしても、そう何度も同じことはできんぞ」


 女宮は鼻で笑った。


「師よ。まほろはもう幼子ではないのだ。いささか過保護が過ぎるのではないか。自分で考えさせねば、弟子は育たぬぞ」

「選びとる道をひとつしか残さずまほろに思考を放棄させようとする宮さまには、言われたくないな」


 女宮はひょいと片眉を上げた。それもそうだ、ところころと笑い声が響く。


 ――生きて帰って逃げろと琥春が言った。


 まほろは刀の柄を強く握った。


 女宮は油断している。いまなら、いけるかもしれない。彼女を殺さない。けれど、身動きができないようにする。


 手がふるえていた。それでも一歩を踏みだす。必死の思いで刀をふった。女宮はそれを扇で防いだが、彼女の手からその扇が弾け飛ぶ。まほろは女宮を押し倒して、白い首筋に刀の切っ先を突きつけた。


「……許してください。わたしには、無理なんです」


 こぼれたのは懇願だった。握った刀が小刻みにふるえている。


「ごめんなさい。だけど、獣は戦に出してはいけないから」

「ならばここでわたしを殺しなさい」


 ふいに女宮がまほろの刀身を握り、自分に近づけた。抜き身の刀が彼女の指から赤い血を滴らせる。思わずまほろは刀を引いた。けれどそれより強く、女宮が切っ先を自分へひきよせる。


「わたしの慈悲だ。一度だけその機会をやろう。逃げたければわたしを殺せ」


 女宮の瞳に射抜かれて、まほろは身体を動かせなくなった。


 逃げろと頭の中で琥春の声がする。生きて逃げろと。その言葉がまほろの指先に力をこめさせる。戦に獣は出させない。自分もここで死ぬわけにはいかない。ここから逃げ帰って、琥春を安心させたい。彼女を殺せば、彼女を殺すだけで――。


「できぬのか?」


 女宮が問う。


 指先がすこしも動かなかった。どうしてだろう。やはり、自分は弱いのだ。


 殺せない。


 ひとの命は奪えない。


 身体から力が抜けていく。


「――おやさしいことだな」


 女宮がつぶやいた。その直後、まほろの視界が反転する。腕を掴まれ、抑えていたはずの女宮が起き上がり、今度はまほろが組み敷かれていた。気づいたときにはもう腕を縛られ、すこしも身動きができなくなっている。


「すまぬな、まほろ。御所にもどってきた時点で、おまえの道はひとつしかなかったのだ」

「はなして……!」

「残念だが、慈悲は一度だけしか与えぬ。怨むのならば自分の弱さを怨め。……ああ、それから」


 ふと、女宮がまほろの頭に触れた。押しつけるわけではなく、労うように。


「先日のまほろと狼の働き、大儀であった」


 その声は意外なほどやわらかかった。


「おまえたちがいなければ、また多くの犠牲が出ていただろう。礼を言う。これからも民のため、わたしたちを助けてくれないか」


 ……どうして、そんな声で言うのだろう。


 女宮が民を思う心は本物なのだ。そんな彼女に手を貸さず、民を見殺しにしようとする自分が間違っているのだろうか、なんて考えてしまうほどに、彼女の声には真摯な響きがこもっていた。


 やめてくれ。戦になんて関わりたくないのに。


「和泉が案じていたぞ。まほろの部屋はそのままにしてある。さあ、もどろう」


 まほろは手を縛られたまま、女宮に立ち上がらされた。

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