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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
狼の旅路(逃走編)
32/61

6-2 奇襲

 木々の中にまぎれたまほろを狼が追いかけてくる。速い。とっさに懐刀を抜き、ふるった。飛びかかってきた狼はそれを軽くかわして後退し、草の陰に隠れた。


 自分の鼓動が耳の近くで聞こえる。強く刀を握った。


 狼の追手が来たのか。わたしを殺すために。


 いまは琥春もいないのに……。


 汗が流れたところで、薄暗い草陰に金色の瞳がきらめいた。


「……金?」


 狼が飛び出してきた。まほろはよろけながら刀をふるうが、狼の牙が腕を裂く。つづく襲撃をどうにかよけても、爪がまほろの髪を数本かすめた。はらはらと散った髪が、地面に落ちる。


 うめいてまた駆けだすまほろの腕から血が滴った。脚を止めずに、頭のすみで考える。


 ちがう。


 あの狼は、一族のものではない。あの瞳の色は知らない。


 わけがわからず、だが、立ちどまることもできない。背後に狼の気配がついてくる。まほろは木々の海から飛びだし――、目を見開いた。


 どこ、ここ。


 無限に山の斜面を這う石階段。その上に被さる朱の鳥居たち。連綿と、厳かに、おびただしく、それらが突然、目の前に現れた。ただの山ではない。ここは本来であれば人間が立ちいる場所ではない。


 呆然としたまほろだったが、我に返り、石段を駆けのぼる。


 鳥居にかけられた灯りが、まほろの影をつくって揺らした。


 自分を取りまく静かな空気は恐ろしいが、この場所には清浄さがあった。足跡だけが響く。ほかの音はなにも聞こえない。風の音も獣たちの呼吸もたにも。


 ……異界、なのかもしれない。あの狼が、ここに自分を連れてきた。


 金の瞳を思い出す。あの狼は何者だろう。もしかしたら、自分は逃げていてはいけないのだろうか。無限につづくように思える階段を登るうち、まほろは脚運びをゆるめた。懐刀をしまって立ちどまり、深く息を吸う。


 いつのまにか、背後の気配は消えていた。その代わりに、上段から足音も立てずに狼がおりてくる。白銀の毛並みに、金の瞳。大きく変じたときの琥春よりも体躯がいい。毛の一本一本が輝くようなまばゆさを放っていた。


 この狼が何者か、わかった気がした。


 まほろは地に膝をつき、頭を下げる。


「掛かけまくも(かしこ)き、山の御神。この地を踏み荒らした、わが身の所業、お詫び申し上げる」


 狼が近づく気配がした。とたん、右肩に熱が走る。熱は耐えがたい痛みに変わり、まほろの額に汗が浮かんだ。


 頭の中に、なにかが響く。


 ――()ね。


 言葉で表されたわけではない。だがすくなくとも、まほろにはそう感じられた。静かにうなずくと意識が遠のく。空に放りだされたような浮遊感のあと、まほろは闇に意識をからめとられた。

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