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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
東庵国の鳴動
3/15

1-2 美しい追手

 一曲を奏で終わるころには、笛を操る指の動きも伸びやかになっていた。


 笛を口もとから離し、曲の終わりを知らせるように、女へと頭をさげる。山登りの疲労程度ならば、この一曲で拭うことができたはずだ。


「おまえは旅をしているのか」


 ゆったりと脇息にもたれていた女が訊いた。


「はい。師匠とともに、各地を回っております」

「呪者は血筋にこだわる。術も代々伝わっていくもので、よそ者には秘術のひの字も教えぬだろう。おまえ、師とは血がつながっておらぬのに、師弟なのか」

「……お詳しいですね」


 庶民はそこまでの知識を持ちえない。雰囲気も常人ではないようだし――、なんだろう、このひとは。再度警戒したまほろに、女は艶然と微笑んでみせた。


「呪者の知り合いがいるから、内情については聞きかじっているんだ。さきほど寺を出ていく師を見かけたが、おまえと顔が似ておらぬので気になった。よそ者に術をもらせば、罪に問われると聞いたことがあるから。――まあ、興味本位だ。知ったとて、咎めたり告げ口をしたりするほど、わたしは心が狭くないから安心しなさい」


 彼女の話をどこまで信用するべきか、まほろにはわからなかった。


 まさかそんなはずはないだろうけれど、彼女がまほろの一族のことも知っていてこの話をしているのなら、自分はどうすればいいのだろう。


 まほろは女の瞳を見つめた。慎重に言葉を選ぶ。


「わたしは、師匠に拾われたのです。師匠の子も同然に育てていただきました。罪に問われるいわれはございません」

「ふむ、そうか」

「では、わたしはこれにて失礼いたします」


 早々に笛を懐にしまい、深く頭をさげる。早くこの場から立ちさりたかった。


 その気持ちを察しているのかいないのか、女が言った。


「よい音色だったが、自信がなさそうに見えるのが難点だな」

「……精進いたします。わたしはまだ若輩者ですから」

「それだけか?」


 女が立ち上がる気配がして、まほろは顔を上げた。


「おまえの自信のなさは、それが本来の力ではないがため、ではないのか?」


 急に腕をひかれ、女の顔が近づく。固まるまほろの首筋に細い指が触れ、衣の合わせの下を滑った。それが、まほろが隠していた肩の傷に触れる。


「おまえは、その傷にふさわしい戦の術を得意としているのだろう」


 その瞬間だった。


 まほろの肩から首にかけて刻まれた古傷が熱を持ち、じくじくと膿んでいくような感覚がした。それなのに指先や頭からは熱が引いて、冷たくなっていく。


 女は変わらず笑みを浮かべていた。まるで作りものだ。一分の隙もない微笑みだった。


 ――このひとは、本当に人間だろうか?


「その傷、狼につけられたのだな」


 絹のようになめらかな声が傷に触れ、鋭い瞳に身体を射貫かれる。


狼守(おおかみまも)りの一族、最後の娘。おまえをずいぶんと探したぞ」


 その言葉を聞くや、まほろの身体は動いていた。懐刀を抜き、ふりかざす。刀は女の白い肌を滑り、血を飛ばした。だが女は動じることもなく、放られていた扇を手にしてまほろの手首をたたく。刀は手から落ち、乾いた音を立てた。


 まほろはとっさに庭へ飛びだし、木々の中に駆けこむ。


 背後で女の声がしたが、なにを言っているかまではわからなかった。


 ――どうして。


 やはり彼女は人間ではなく、自分を追ってきた狼なのだろうか。


 女から狼の気配はしなかった。だが、自分の感覚が鈍っただけかもしれない。なにせ、まほろが生家を出たのは齢八つのころだ。気配に疎くなっても仕方がない。


 もし、彼女が狼の変じた姿だったとしたら。彼女が自分を殺しに来たのだとしたら――。そんな恐ろしい想像を、闇雲に駆けることで追いだそうとした。


 冬の寒さも、草木や小石が足裏を傷つける痛みも、押しよせる夜の闇の恐ろしさも、なにも感じなかった。蒼白になったまほろは山を駆ける。記憶の中で炎が立ちのぼった。狼や、ひとの骸の影が悪夢のようにうごめいている。


 走りつづけたまほろが我に返ったのは、足もとの感覚が消えたときだった。


 崖だ。


 視界が傾き、胃の腑が持ちあがる感覚がした。


 瞬間、身体を冷たいものが走り、脳裏に過去がよみがえる。


 子どものころ、崖から落ちたことがあった。落ちて、血が流れて、意識が朦朧として、寒くて――。


 まほろはきつく目を閉じる。


 あっという間に、まほろの身体は闇の底へ落ちていく。


 ……死ぬかもしれない。


 身体を貫く痛みを覚悟した。ああ、短い人生だった。でも、もともと自分は八つのころに死ぬはずだったのだ。それを思うと、よく生きたほうだろう。それに、あの一族は滅びるべきだ。生き残りの娘なんて必要ない。


 ここで死ぬなら、それでもいい。自嘲し、諦めた。


 だが――、それは、ふいに現れた。


 鋭く風を切る音がしたあと、力強く腕を引かれて、まほろはだれかに抱きすくめられていた。胸板に顔を押しつけられて、視界は相手の深藍の衣しか見えない。


 けれど、なにかが香った。


 なつかしい、あの香りが。

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