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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
狼の旅路(逃走編)
26/27

1 狼の戦い

 琥春(こはる)は街に連なる邸の屋根を蹴って、飛ぶように駆けぬけた。御所の兵たちが追いつく気配はない。武士(もののふ)といえど所詮は人間だ。狼の脚には敵わない。


 街を抜けて、山に逃げこむ。くわえた娘の身体から力が抜けて、ぴくりとも動かない。木々の間を抜け、山深く、泉の湧きでる場所でようやく脚を止めた。娘をおろし、琥春は巨大な姿から、ひとの姿に変じる。


 右肩に矢が突き刺さっていた。逃げる間際、白い装束の女が放ったものだ。どの兵よりも冷静に矢を射かけてきた女を思い出すと、舌打ちがこぼれた。獣に効く毒でも(やじり)に塗ってあったのか、不快な感覚が体中を駆けぬけている。


 琥春は矢の軸をへし折り、刀で肌を切り開いて鏃を取りだした。すぐさま狼の姿にもどる。今度はただの狼の大きさで、倒れているまほろに近寄る。


 まほろは白い顔をして、か細い息を繰り返していた。


 血が流れでる彼女の横腹を舌で舐め、血をすくいとる。鉄の味が口に広がって、身体に染みとおっていくのがわかった。この血を味わうのは二度目だ。幼いまほろの首筋に噛みついたときも同じ味がした。甘く濃い、彼女の血。


 一度顔を上げ、まほろの様子をうかがった。気を失っていても、幼いころから教えこまれた術を用いているらしい。毒の巡りが制御されている。それでも危ない状況であることに変わりはない。


 まずは毒を吸いださなくては。それから血を止める。ああ、どうして人間はこんなにも脆いのか。


 琥春が無心で傷口を舐めて毒を取り除いていると、草場が揺れた。はっとして顔を上げれば、狼が三頭現れる。みな牙を剥きだし、低くうなっていた。


 狼の頭取(とうどり)弥琥(やこ)の眷属だ。


 狼には序列がある。琥春や弥琥のようにひとの言葉を介する力を持つ者もいれば、獣としての力が及ばず変化すらできない者もいる。力のない者たちは、強い狼の眷属となって、その命に従うのだ。


 琥春が仕損じたときの保険として遣わされたのだろう。用意周到なことだ。手出し無用、とにらみつければ一瞬狼たちは怖じけたようだったが、すぐさまうなりながら身を低くする。


 ――狼同士で争いたくはないが。


 琥春はわずかに迷ったものの、息を吸いこんで身体を大きく変じ、まほろの前に立つ。鋭い爪で土を掴んで構えると、相手もうなりを大きくさせた。にらみあった刹那、狼たちは弾かれたように飛びだしてくる。地を蹴り、のどもとに喰いつこうとしてくるその鋭い動きは、さすが、あの弥琥のもとにいる狼なだけあった。


 だが琥春は飛びかかってくる狼の一頭をはたいて、地面に抑えつける。自身よりも大きな爪に攻められて狼はもがいたが、琥春が力を入れると、あっけなく骨の折れる音がして息絶えた。


 もう一頭は飛びこんできたところをくわえて、かみ殺す。口に、熱い血が満ちた。命を摘みとっていく感覚に、琥春は一瞬目を閉じる。いつまで経っても慣れないし、慣れていいものでもないだろう。それでも、やらねばならない。


 最後の一頭には喰らいつかれたが、琥春にとってはさしたる傷でもなかった。身体を大きくふるわせれば相手は吹きとばされて地に転がる。それが身を起こす前に、琥春はその身体を()んで息の根を止めた。


 せめて苦しまぬよう、一瞬でけりをつけたつもりだ。


 事実、山が騒然としたのは、わずかな間のことだった。静かな気配を取りもどす山中には、狼たちの血の匂いが鮮烈にただよう。もう追手はいないだろう。


 ――すまない。


 心の内で謝ったとき、背後でなにかが動いた。琥春は鋭くふり返る。


 まほろが目を醒ましていた。

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