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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
赤い獣(御所編)
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11 襲来

 その数日後、赤羽を森へ移す許しを帝が出した。


「本当は、わたしにもうすこし馴れてもらってから、外に出したかったのだが」


 赤羽を移す準備を整え終わり、実行日になると、帝はまほろと赤羽のいる森に来てため息をついた。赤羽は帝を警戒しているけれど、ほかの人間を前にしたときよりは落ち着いているように見える。それでも帝は自身の不甲斐なさを憂いていた。


「契約をしたのはわたしなのに、怖がられていては仕方がないな」

「まあまあ兄上。わたくしよりも、幾分かましな反応ですよ。兄上のやさしさは獣にも伝わっているのでしょう」


 帝の後ろに控える女宮を、赤羽はじろりと睨む。


「ほら。わたしのほうが嫌われている」


 まほろは、肩をすくめている女宮を一瞥してから、叔母に向きあった。


「叔母上。赤羽のこと、お願いね」

「ええ、任されました」


 赤羽を御所から出すことは受けいれてもらえたものの、まほろもともに行くことまでは許してもらえなかった。赤羽をまほろが逃がすことを怪しまれたのだろう――と、そう思ったとき、まるで心の内を読んでいるかのように女宮が言った。


「狼におまえの存在を知られているかもしれないのだから、御所の中にいたほうが安心だろう。これは、おまえを守るためだよ」


 彼女は美しい顔に微笑みを浮かべていた。じわりと胸に苦い思いが広がり、まほろは目をそらす。


 街では、狼守りの生き残りが御所に迎えられたと噂になっているらしい。その噂を流したのは、実のところ女宮なのではないか――そう思うのは、考え過ぎだろうか。


 狼に知られたとなれば、まほろも易々と御所から逃げだすことはできなくなる。外に出れば、たちまち襲われるかもしれないからだ。もし、まほろを縛るためにその噂を流したのだとしたら、周到なことだった。


 まほろは深く息を吸う。


 赤羽に与えられたのは三日間。


「ゆっくりしてきてね、赤羽」


 赤羽はその意味を理解しているかのように赤い瞳でまほろを見つめた。


 檻に車輪がつけられ、馬に引かれていく。帝や女宮も伴って、まほろたちは森を進んだ。木々が途切れると、そこには水をたたえた深い堀がある。大型の荷船が幾艘も行きかえるほどの幅のある堀に、御所は囲まれていた。


 橋の前で、まほろは女宮に肩をたたかれて立ちどまる。


「まほろはここまでだ。さて、御所の結界が見えるか?」


 試すように言われて、まほろはじっと堀のまわりを見つめた。以前、和泉から聞いたことを思い出す。この堀には呪者によって結界が張られているのだと。


 堀のちょうど真ん中あたりの水底から、薄青い光が空に立ちのぼっているのが見えた。おそらく、あれだ。まほろがうなずけば、女宮は満足げに微笑んだ。


 堀に渡された白い石橋を、馬たちは赤羽をひいて渡っていく。もといた森に帰ることができたなら、きっと赤羽は健やかなときを過ごすことができるだろう。ともに行けないことは残念だが、それでも喜ばしいことだった。


 だが――、なぜだろう。


 かすかな胸騒ぎがしていた。


 その不安がなにに対するものなのかは、わからない。それでも――、ざらりと肌を不快なもので撫でられたように心地が悪い。


 まほろは周囲に視線をめぐらせる。森と、堀と、橋。妙なところはない。でもなにか、引っかかる。この旅を止めたほうがいいのか? でも、どうして……?


 ふと、形のない不安が、はっきりとした輪郭をもった。それは、赤羽を乗せた檻が石橋の上を渡りきろうとするときだった。肌を粟立たせる風が吹き、まほろは無意識に一歩踏みだす。耳を澄ませて、石橋の先を見つめた。ぞわりぞわりと、腹の底から予感がのぼってくる。


 帝が首をかしげた。


「どうかしたかい?」


「――なにか、来ます」


 そのときだった。


 馬を操っていた兵たちがわっと悲鳴を上げた。なにか白いものが道から飛びだして、一直線に兵たちにつっこんだのだ。それは檻にまでたどり着き、赤羽に襲いかかった。


 あ、と思う間もなく、赤羽は身をよじり暴れだす。


「赤羽!」


 なにが起きたのだ。


 困惑に陥っていた兵たちが我に返って、武器を檻に向ける。道から飛びだしたなにかを仕留めようとしているのだろう。だが、彼らの刀や矢の(やじり)におびえたようで、赤羽は一層翼をばたつかせた。


 兵たちも、二の足を踏んでいる。が、ひとりが、思いきったように剣を突きだそうとするのが見えた。


「やめて!」


 まほろはとっさに駆けだした。


 乱入してきた何者かを狙おうとしているのだろうけれど、この状況では赤羽に当たる可能性がある。やっと傷が癒えてきて、やっとまほろを中心に人間への警戒が薄れてきたところだったのに。


「武器を降ろして!」


 帝の制止を振りきり石橋を踏みつけて走るまほろは、やがて、ぴんと高い耳鳴りを感じた。水の中深くに沈められたかのように頭が痛んだのは、結界を越えたあかしだろう。


 赤羽の抜けた羽が舞い、まほろの視界をかすめる。檻に赤羽の身体が打ちつけられる音が響き、羽に血がにじんでいるのが見えた。


「赤羽、落ち着いて! 傷が開くから、じっとして!」


 叫んだ、その瞬間だった。檻から白いものが飛びだした。それはまたたきのうちに膨れあがり、赤羽と同じ大きさになる。


 白銀の毛並みを持つ、その生き物は。


「――狼」


 だれかのつぶやきがして、


「まほろ、もどりなさい!」


 叔母が叫んだ。


 はっとした。


 狼だ。一族に隷属されていた、あの白銀の狼だった。一族を屠った、あの恐ろしい狼だった。まほろを殺そうとした、あの狼だった。


 ……もどらないと、死ぬ。そう思うのに身体が言うことを聞かない。


 気づいたときには、巨大な狼がまほろの目前に迫っていた。口を開け、まほろの腹に噛みつく。瞬間、腹に熱が走った。雷に打たれたように身体がしびれる。熱い。痛い。痛い。痛い。


 抵抗することなどできないまほろをくわえて、狼は身をひるがえした。


「まほろ!」


 なにか澄んだ音がして、直後に風を切る音がした。矢が飛ぶ音だ。だれかの放った矢が、狼に当たったらしい。狼はうめき、その拍子に牙がまほろの腹を裂いた。また突き刺すような熱が走り、まほろは叫ぶ。


 一瞬、狼の動きが固まった。


 だが、それはほんのわずかなことで、狼はだれも追いつけない速さで、まほろを食んだまま駆けだした。

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