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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
赤い獣
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9 肉親

 その日まほろは、和泉の先導で赤羽の蔵を越え、深い森の中に踏みいっていた。ここまで来るのははじめてだ。森の道を進みながら和泉が言う。


「殿舎が御所の中央。殿舎を囲うように、この森があります。ここもまだ御所の内です。たまに貴族の殿方が馬で駆けたり狩りをしたりと、楽しんでおられますよ」


 この森を囲って堀があり、さらに堀に沿って、呪者による結界が張られているらしい。


「護りが堅いね」

「帝がいらっしゃる御所なのですから当然です。……だから、御所ではおびえなくともよいのですよ、まほろさま」

「え?」


 足を止めたまほろを、和泉がふり返る。まだ幼い顔立ちに似合わない、大人びた表情を浮かべていた。


「狼を恐れて生きてきたのでしょう。御所にいれば結界に阻まれて狼も入ってこない。だから安心だろう――と、宮さまが仰っておりました」

「宮さまが……」


 狼はたしかにここまで入ってこない。だが、安心かと言われたら、どうだろう。


 狼の脅威とはまた違う、女宮や帝の存在。彼らがいる御所は、自分にとって心休まる場所だろうか。


 まほろは重い問いを消しさるように頭をふって、森を見渡した。草木が茂り、小川のせせらぎまで聞こえてくるこの場所では、草場から動物がこちらを訝しんでいるような視線も感じられた。


 東庵国の帝の血筋は、もともと神に仕えていた(かんなぎ)がはじまりだという。神から「代わりに国を治めるように」と仰せつかって以来、彼らは国の舵取りを行ってきたのだ。神に近しい存在だからこそ、帝は穢れを厭い、清らかな存在であろうとする。そのための森なのかもしれない。人の世とは切りはなされた自然の中にあることが、帝にとって最善なのだろう。


 ここは神のための庭。そんな聖域にいることが、まほろには窮屈に思えた。逃げ場を探すように目を走らせる。そこで、緑の森の中には不似合いな白木の檻を見つけた。


「赤羽」


 檻の中にいる、大きな鳥。


 ほっとして駆けよるまほろにつられて、和泉も小走りになる。だが、和泉が近づいたことで赤羽は警戒するように身体を膨らませた。和泉が、ぎょっとして立ちどまる。


「……わたし、嫌われているのでしょうか」

「ううん。まだ、ひとに馴れていないだけ」

「まほろさまが近づいてもなんともないのに」


 小さく口を尖らせたものの、和泉は思いなおしたように首をふった。


「毎日あきずに蔵へ通いつづけたまほろさまが警戒されたら、不憫というものですね」


 棘があるように聞こえるが、悪意はないだろう。和泉はそういう娘だ。


「そうだね、馴れてくれてよかった。傷も治ってきたし」


 まほろが目を向けると、赤羽は赤い瞳をまたたきさせた。和泉が数歩下がったことに満足したのか、森を吹きぬける風に気持ちよさそうに羽をふるわせている。


 本来森で生きていた赤羽を狭い蔵に閉じこめるなんて、心労を与えるだけだ。まほろがそう訴えると、帝は赤羽を蔵から出してくれたのだった。


「本当は檻からも出して自由にしてあげたいけど……」

「それはできぬよ。逃げられては困る」


 ふり向くと、微笑を浮かべた帝がいた。まほろと和泉はあわてて頭を下げる。


「赤羽は、ずいぶんと肥えたな。健やかになったのなら、なによりだ」


 それは穏やかな物言いだった。けれど帝はきっと、戦の道具として赤羽を見ているのだろう。敵を屠れるよう調えられていく赤羽の様子を喜んでいる。決して赤羽のために発せられた言葉ではないのだと思うと、まほろの心は鈍く痛んだ。


 そんな様子を見て、帝は気遣うような目をまほろへ向けてきた。だがそれは一瞬のことで、すぐにやわらかな瞳に変わる。


「まほろ、今日はそなたに会わせたい者がいるのだ」

「……わたくしに、ですか」


 突然、なんだろう。


 警戒したまほろに帝は微笑みかけ、背後に「来なさい」と声をかける。木々の陰から、人影が現れた。と思ったとたん、そのひとは駆けてきて、まほろに抱きついた。


「まほろ!」


 戸惑いつつ、その声に聞き覚えがあることにまほろは目をまたたく。深みのある女の声だった。まさか。信じられなくて、けれどそうとしか思えなくて、まほろはおそるおそる訊いた。


「……叔母上?」

「そうですよ、まほろ。ああ、本当に生きていたのね。よかった!」


 きつく抱きしめてから身体を離した女の顔を、まほろはまじまじと見た。記憶にあるよりも痩せているものの、それはたしかに叔母だった。血のつながった、たしかな家族。


 なんで。どうして、ここに。


 まほろが固まっていると、叔母はこぼれた涙を袖で拭った。


「一族が滅んだと聞いて、幼いあなたまで死んでしまったのかと、ずっとずっと案じていたのよ。よかった、もう会えないのかと思っていたわ」


 ああ、そうだ……、思い出してきた。


 あの炎に塗りつぶされた夜、叔母は邸にいなかったのだ。


 叔母は狼たちの裏切りがある前に、一族から離れていた。よその呪者の男と恋仲になって、その男と添うことを選んで邸を出たあと、それきりだったのだ。だから叔母は無事だった。彼女はたったひとり残った、まほろの身内だ。


 縁が切れた叔母に会う手段がまほろにはなく、それになによりこれ以上生家との関わりをどんな形であれ持ちたくなくて、まほろはこれまで叔母を探さずに生きてきた。それがこんな場所で再会することになるなんて。


「叔母上……」


 血のつながった者と出会えたことに、目の奥が熱くなった。


 もう、自分はひとりきりで生きるしかないと思っていたのだ。目の前にいる、むかしと変わらぬ瞳をもった叔母に出会えたことがたまらなくうれしかった。

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