5 桜の記憶
獣の臭いに包まれていたからだろうか。琥春の夢を見た。
腕の中に小さな狼のぬくもりがある。まほろは桜の下に寝転んでいた。
幻のように美しいいくつもの花びらが春の風に揺られ、まほろたちに降りそそぐ。春の陽気に照らされた花たちは、きっと柔らかな褥になるだろう。
こんなやさしい夢がずっとつづけばいい。
腕の力を強めた。久しぶりに抱く琥春の毛並みはやわらかく、すこし苦しそうに身をよじる仕草も可愛らしい。あたたかい。心地いい。
だが唐突に、桜は灰のように黒ずみ、散って、まほろの周囲は炎に包まれた。禍々しい炎に目を焼かれ、たまらなくなって、まぶたで視界を閉ざす。
燃えさかる邸の中にいた。どこもかしこも炎と流れ出た血で赤く染まっている。
琥春はどこかにいなくなっていた。
一族が滅んだ、あの夜だ。
まほろは駆けだした。これが夢だと、頭では理解している。だが肌に感じる熱が、鼻を刺す血の匂いが、夢か現実なのかわからなくさせていく。
「琥春、琥春……!」
どこからか聞こえる琥春の声を追って、丘を駆けた。
騒がしい気配に目が醒めて、琥春の声に邸を飛びだして――、そのあとは?
ああ、そうだ。桜の木の下にいる琥春を見つけたのだった。
「琥春!」
邸の惨状を見たあと――狼たちがその惨状をつくったのだと気づいたあとでも、あのときのまほろは琥春を恐ろしいとは思わなかった。
琥春を連れて逃げなければ。あんな血濡れの邸から、一刻も早く逃げないと。きっとすぐに邸にいた狼が追ってくる。ああ、どうしよう、父上たちを邸に置いてきてしまった。
混乱したまほろは琥春をきつく抱きしめようとした。
そのとき、まほろの首に釘を打たれたような鋭い痛みが走り、思考が止まった。視界に銀の毛並みがちらついた。痛みは全身を雷のように駆けぬけた。
まほろには、なにが起きたのかわからなかった。
ようやく頭で理解ができても、心が信じようとしなかった。
どうして、と思う。
どうして琥春が、まほろの首筋に喰らいついているのだろう。
突きたてられた牙から、まほろの身体に毒が注がれる。戦でより多くの敵を殺せるように、狼守りの一族に使役される狼たちは、生まれたころから牙に毒を仕込まれる。
傷口から生まれる痛みと、毒が身体を駆け巡る熱、それになにより、琥春に襲われたことが信じられないという衝撃が、まほろを石のように固めてしまった。
目の前が暗転し、倒れこむ。
肌から牙が抜け、血があふれだし、美しくて白い花が赤く染められていく。
桜の褥に寝たところで、恐ろしいだけだった。このまま死んで、自分の骸はいつかこの花たちの肥やしになるのだろうか――。
眠ってはいけないと思うのに、まぶたは落ちる。
最後の記憶に残るのは、自分を見おろす琥珀色の瞳だった。




