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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
赤い獣
18/23

5 桜の記憶

 獣の臭いに包まれていたからだろうか。琥春の夢を見た。


 腕の中に小さな狼のぬくもりがある。まほろは桜の下に寝転んでいた。


 幻のように美しいいくつもの花びらが春の風に揺られ、まほろたちに降りそそぐ。春の陽気に照らされた花たちは、きっと柔らかな(しとね)になるだろう。


 こんなやさしい夢がずっとつづけばいい。


 腕の力を強めた。久しぶりに抱く琥春の毛並みはやわらかく、すこし苦しそうに身をよじる仕草も可愛らしい。あたたかい。心地いい。


 だが唐突に、桜は灰のように黒ずみ、散って、まほろの周囲は炎に包まれた。禍々しい炎に目を焼かれ、たまらなくなって、まぶたで視界を閉ざす。


 燃えさかる邸の中にいた。どこもかしこも炎と流れ出た血で赤く染まっている。


 琥春はどこかにいなくなっていた。


 一族が滅んだ、あの夜だ。


 まほろは駆けだした。これが夢だと、頭では理解している。だが肌に感じる熱が、鼻を刺す血の匂いが、夢か現実なのかわからなくさせていく。


「琥春、琥春……!」


 どこからか聞こえる琥春の声を追って、丘を駆けた。


 騒がしい気配に目が醒めて、琥春の声に邸を飛びだして――、そのあとは?


 ああ、そうだ。桜の木の下にいる琥春を見つけたのだった。


「琥春!」


 邸の惨状を見たあと――狼たちがその惨状をつくったのだと気づいたあとでも、あのときのまほろは琥春を恐ろしいとは思わなかった。


 琥春を連れて逃げなければ。あんな血濡れの邸から、一刻も早く逃げないと。きっとすぐに邸にいた狼が追ってくる。ああ、どうしよう、父上たちを邸に置いてきてしまった。


 混乱したまほろは琥春をきつく抱きしめようとした。


 そのとき、まほろの首に釘を打たれたような鋭い痛みが走り、思考が止まった。視界に銀の毛並みがちらついた。痛みは全身を雷のように駆けぬけた。


 まほろには、なにが起きたのかわからなかった。


 ようやく頭で理解ができても、心が信じようとしなかった。


 どうして、と思う。


 どうして琥春が、まほろの首筋に喰らいついているのだろう。


 突きたてられた牙から、まほろの身体に毒が注がれる。戦でより多くの敵を殺せるように、狼守りの一族に使役される狼たちは、生まれたころから牙に毒を仕込まれる。


 傷口から生まれる痛みと、毒が身体を駆け巡る熱、それになにより、琥春に襲われたことが信じられないという衝撃が、まほろを石のように固めてしまった。


 目の前が暗転し、倒れこむ。


 肌から牙が抜け、血があふれだし、美しくて白い花が赤く染められていく。


 桜の褥に寝たところで、恐ろしいだけだった。このまま死んで、自分の骸はいつかこの花たちの肥やしになるのだろうか――。


 眠ってはいけないと思うのに、まぶたは落ちる。


 最後の記憶に残るのは、自分を見おろす琥珀色の瞳だった。

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