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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
赤い獣
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3 御所の女たち

 ある日、明かり取りからこぼれる陽だまりに、赤羽はのそのそと移動して瞳を閉じた。御所の下働きたちに頼んで、明かり取りを大きくしてもらったばかりだった。赤羽は本来、闇よりも陽のもとにいる鳥だったのだろう。光を浴びているときは、穏やかな顔をする。


「気持ちいい?」


 まどろむ赤羽の瞳がまほろを見る。言葉を介さずとも、赤羽の心は知れた。


 まほろが小さく笑いかけたとき。


「首尾よく進んでいるようだな」


 外から声がかかった。


 ふり向けば、戸口に女宮が立っていた。まほろは、はっとして立ちあがる。それに気づいて、赤羽も落ち着かなげに翼を動かした。女宮とまほろは同じように赤羽に視線をやった。


「おや」

「まだひとの気配に慣れていないのです。あまり近づかれては……」

「それはすまない。まほろ、すこし話そう」


 女宮は顎で外を示した。


 外に出ると、冬の木洩れ日が女宮を照らした。女宮も帝も、いつも真っ白な出でたちをしている。彼らは穢れをまとってはいけないから、まとう衣も白しか許されないのだという。和泉が「美しい御方たちでしょう」と誇らしげに言っていた。


「久方ぶりだな。多少は顔色がよくなったか」

「……お気遣いいただきありがとうございます」

「心にもないことは言わずともよい。おまえ、わたしが嫌いだろう。礼など述べたくないくせに、無理をするな」


 あっけらかんと言う女宮に、まほろは口をつぐむ。


 赤羽の世話をはじめてから、女宮と会う日は一度もなかった。まほろが蔵にこもっていたせいもあるし、和泉から聞いた話によると、女宮のほうも御所を離れていたらしい。


 わざわざ蔵にまで来るなんて、なんの用だろう。


 訝しんでいると、彼女は柑子(こうじ)の実をいくつかまほろの手にのせた。


「褒美だ。赤羽につきっきりだろう。すこしは休まぬと、身体が持たぬぞ。……なんだ、わたしがやさしくするのが、そんなに意外か?」


 あっけにとられるまほろを笑い、女宮はのせたばかりの柑子を取りあげ、皮をむいた。一房果実を取って、まほろの口に放りこむ。口の中にみずみずしい果汁が広がり、目が醒める心地がした。


 女宮は微笑み、首を巡らせる。


「和泉、いるのだろう。おまえもおいで」


 すると気まずそうに、和泉が庭の木陰から姿を見せた。女宮のもとまで来ると「申し訳ございません」と小さな身体には似合わないほど丁寧に、隠れていたことを詫びる。


「よいよい。まほろ、おまえがずっと赤羽のもとにいるものだから、和泉も案じていたのだぞ」

「案じる……?」


 和泉に呆れられることはあっても、心配された覚えはない。戸惑うまほろに女宮は肩をすくめ、和泉の口にも柑子を放りながら言った。


「先日風邪をひいたそうだな。なんでも蔵の扉をずっと開けていたとか」

「ああ……、赤羽が、風が入ると気持ちよさそうだったので」

「この季節に無茶をする。和泉が休めというのも、聞かなかったのだろう?」

「休んでいる暇はなかったのです」


 まさかそんなことで、和泉に心配をかけていたのだろうか。視線を向けると、和泉は柑子を()みながら、こくこくとうなずいた。どうにも申し訳なくなって、まほろは目を伏せる。


 むかしから、なにかに夢中になるとほかのことが見えなくなる癖があった。それで山吹にも迷惑をかけたものだが、またやってしまったらしい。しかもこんな年下の少女に心配をさせてしまうなんて。


「兄上に頼まれたとはいえ、ずいぶん熱心に赤羽の世話をしているのだな」

「……生きものの命を預かるのなら、当然です」


 赤羽が徐々に心を開いてくれていることはわかっていた。この分なら、そう遠からず治療もしてあげられるし、赤羽は飛べるようになるだろう。そうなればいいとまほろは思う。


 だが、女宮は整った眉をひそめた。


「おまえ、呪者に向いていないな」

「え?」

「あれを生きものと思わぬほうがいいぞ」


 あれとは、赤羽のことだろう。


 女宮の顔からは笑みがすっかり消えていた。ただでさえ整った顔なのだ。真剣な眼差しで凄まれると迫力があった。


「帝がおまえに命じたのは、赤羽を戦の道具に仕立てることだ。情など不要」


 宮の手がまほろの肩に置かれる。冷徹な光を宿した瞳は、かつての狼守りの一族たち――まほろの死んでいった家族を思い出させるものだった。


「愛情を注いだ生きものが、戦場で敵国の兵を殺す。もちろん、獣が殺されることもある。それは嫌だろう? ならば最初から武器として割りきってしまえばいいのだ」


 ……言いたいことはわかる。それが合理的だということも。けれど。


「赤羽だって、生きているのに」

「ときには非情になることも賢い道だ。おまえの一族はずっとそうしてきたはずだぞ」


 生家の燃える光景が記憶の中からよみがえってきた。まほろはふりきろうと首をふる。それでも記憶は消えてくれない。きつく胃の腑をつかまれた気がした。


「……非情だったから、わたしの一族は、狼たちに滅ぼされたのです」


 駆け狂う狼を見たのはまほろだけ。恐ろしさを知っているのもまほろだけ。だれにも、わかるわけがない。獣を道具として扱った愚かさを。


 和泉はおろおろと、まほろと女宮を交互に見る。


 女宮は静かな眼差しをまほろに向けた。


「まほろはたしかに憐れな身の上だろう。だが狼守りの一族がいなくなったことで、代わりに戦に出なければならない兵たちがいる。その者たちも、また憐れな民なのだ。おまえがやらねば傷つく民が増える。わたしはそれを見過ごせない。ひとりと大勢なら、わたしは大勢をとる」


 まほろはなにも言えなかった。


 裾をひるがえして去っていく女宮もまた、それ以上なにも言わなかった。

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