狼の一夜
雲のたれこめた空の下、白銀の狼がするりと木の洞に滑りこむ。洞は見た目よりずっと深く、狼は際限なく落ちつづけた。それを不思議とも思わず、やがてその脚が地面をとらえるときまで、狼は表情を変えなかった。
ぽっかりと大きく開けた空間でちろちろと炎が揺れ、ひとの姿をとった狼たちが難しい顔で輪をつくっている。齢や体格、目つきはそれぞれ違っていたが、みな銀の髪と琥珀色の瞳をしていた。
洞を落ちてきたばかりの狼もすっと息を吸うと、切れ長の瞳を持つ若い男に変じた。
「みな、もう弱りきっている」
「どれもこれも、卑しい人間のせいだ」
「実に怨めしい」
――いつもと同じだな。
狼の重鎮たちが集まって話すことといえば、この数年で狼たちが弱ってきていることへの憂いと、かつて自分たちを虐げていた人間たちへの怨みばかりだ。
しかし。
「実はすこし、手がありそうなのだ」
年かさの狼の言葉に、まわりの者が身を乗りだす。どうやら今日は流れが異なるらしい。
「……いや、だが、そう手放しで喜べる手ではなさそうで」
視線が集まった段階で、言いだした狼が口ごもる。場はにわかに騒がしくなった。手とはなんだ、早く言え、と言葉が飛びかい、座が乱れた。中にはひとの姿から狼へともどりそうになる者もいる。本来の姿では野生の本能が現れて話し合いには不向きだからと、わざわざ自分たちが嫌うひとの姿になっているくせに。
「静かに」
ぴしゃりと声が場を制した。
狼たちの頭取を務めている男――弥琥が、遅れてやってきた男をにらむ。
「――琥春、殺し損ねたか」
ふいの言葉に、ほかの狼たちも弥琥と男を交互に見た。
「琥珀の瞳を持った人間の娘が、御所に入ったらしい」
場に、痛いほどの沈黙が落ちた。男――琥春は、静かな面持ちで弥琥を見返す。
弥琥はいつも難しい顔をしている狼だった。自分にもほかの狼にも隔てなく厳しい。が、それは狼たちを思うからだと、みなが知っている。ひとに変じる際の青年の姿だって、牙のような鋭さを放っていた。その弥琥が、苦々しく舌打ちをする。
「御所に入ったのは一族の末娘だろう。琥春はあの娘と親しかった。まさか、あの夜、娘をわざと逃がしたわけではあるまいな」
「なにを言うかと思えば」
琥春は鼻で笑った。
「俺とてみなと同じ。人間は嫌いだよ」
弥琥の視線を跳ね返す琥春に、まわりの狼たちのほうがたじろいだ。弥琥はまだなにか言いたそうだったが、言葉にする前に、部屋のすみにいた若い狼が不安そうに声を上げる。
「弥琥、どうするんだ。生き残りがいるなんて。また俺たち、縛られるんじゃ」
ほかの狼たちも、生き残りの娘のほうへ意識がそれていた。
彼らを見やりながら、琥春はべつのことを考える。
――御所に、連れていかれたのか。狼を武器にするつもりで?
「琥春。殺しに行け」
弥琥の声に、琥春は考えをやめて瞳を閉じる。
「……御所には、結界が張ってある。近づくのは俺でも無理だ」
「ずっと閉じこもることもあるまいよ」
目を開けば、できないのかと弥琥の瞳が問うてくる。琥春は立ちあがり背を向けた。
「承知した」
狼の姿にもどり、洞から地上へとひといきに跳びあがった。




