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狼守りと桜雨  作者: 橘花やよい
幕間
12/17

狼の一夜

 雲のたれこめた空の下、白銀の狼がするりと木の(うろ)に滑りこむ。洞は見た目よりずっと深く、狼は際限なく落ちつづけた。それを不思議とも思わず、やがてその脚が地面をとらえるときまで、狼は表情を変えなかった。


 ぽっかりと大きく開けた空間でちろちろと炎が揺れ、ひとの姿をとった狼たちが難しい顔で輪をつくっている。齢や体格、目つきはそれぞれ違っていたが、みな銀の髪と琥珀色の瞳をしていた。


 洞を落ちてきたばかりの狼もすっと息を吸うと、切れ長の瞳を持つ若い男に変じた。


「みな、もう弱りきっている」

「どれもこれも、卑しい人間のせいだ」

「実に怨めしい」


 ――いつもと同じだな。


 狼の重鎮たちが集まって話すことといえば、この数年で狼たちが弱ってきていることへの憂いと、かつて自分たちを虐げていた人間たちへの怨みばかりだ。


 しかし。


「実はすこし、手がありそうなのだ」


 年かさの狼の言葉に、まわりの者が身を乗りだす。どうやら今日は流れが異なるらしい。


「……いや、だが、そう手放しで喜べる手ではなさそうで」


 視線が集まった段階で、言いだした狼が口ごもる。場はにわかに騒がしくなった。手とはなんだ、早く言え、と言葉が飛びかい、座が乱れた。中にはひとの姿から狼へともどりそうになる者もいる。本来の姿では野生の本能が現れて話し合いには不向きだからと、わざわざ自分たちが嫌うひとの姿になっているくせに。


「静かに」


 ぴしゃりと声が場を制した。


 狼たちの頭取(とうどり)を務めている男――弥琥(やこ)が、遅れてやってきた男をにらむ。


「――琥春(こはる)、殺し損ねたか」


 ふいの言葉に、ほかの狼たちも弥琥と男を交互に見た。


「琥珀の瞳を持った人間の娘が、御所に入ったらしい」


 場に、痛いほどの沈黙が落ちた。男――琥春は、静かな面持ちで弥琥を見返す。


 弥琥はいつも難しい顔をしている狼だった。自分にもほかの狼にも隔てなく厳しい。が、それは狼たちを思うからだと、みなが知っている。ひとに変じる際の青年の姿だって、牙のような鋭さを放っていた。その弥琥が、苦々しく舌打ちをする。


「御所に入ったのは一族の末娘だろう。琥春はあの娘と親しかった。まさか、あの夜、娘をわざと逃がしたわけではあるまいな」

「なにを言うかと思えば」


 琥春は鼻で笑った。


「俺とてみなと同じ。人間は嫌いだよ」


 弥琥の視線を跳ね返す琥春に、まわりの狼たちのほうがたじろいだ。弥琥はまだなにか言いたそうだったが、言葉にする前に、部屋のすみにいた若い狼が不安そうに声を上げる。


「弥琥、どうするんだ。生き残りがいるなんて。また俺たち、縛られるんじゃ」


 ほかの狼たちも、生き残りの娘のほうへ意識がそれていた。


 彼らを見やりながら、琥春はべつのことを考える。


 ――御所に、連れていかれたのか。狼を武器にするつもりで?


「琥春。殺しに行け」


 弥琥の声に、琥春は考えをやめて瞳を閉じる。


「……御所には、結界が張ってある。近づくのは俺でも無理だ」

「ずっと閉じこもることもあるまいよ」


 目を開けば、できないのかと弥琥の瞳が問うてくる。琥春は立ちあがり背を向けた。


「承知した」


 狼の姿にもどり、洞から地上へとひといきに跳びあがった。

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