7 東庵国と西海国
目を醒ますと、冬にも関わらず寝汗で衣が肌に張りついていた。見上げた白い天井に、夢うつつのまほろは戸惑う。自分がどこにいるのか、わからなかった。なにをしていたのだっけ。山吹はどこだろう。ここはどこ。
「おはようございます、まほろさま」
枕もとから声がかかって、はっとした。布団から飛び起きる。
「……あなたは」
「和泉でございます。昨日も名乗りましたが」
部屋には少女が座していた。
十にも満たないように見える少女は、背筋を伸ばして人形のような面持ちでまほろを見ている。衣は唐紅の濃く鮮やかな色合いのものだ。白木の御殿の中に紅の衣が映える様子は、雪の中の椿に似ていた。山吹が癒したという、ご隠居の邸の噂を思い出す。師匠はあの駅で、無事に解放してもらえただろうか。
「まほろさま、寝ぼけていないでお支度をなさいませ」
少女がぴしゃりと言った。
昨日、女宮に下がっていいと言われたまほろを、御所の一室に通して世話を焼いてくれたのが、この少女だった。一時は役人に捕らえられたというのに、御所の中ではあたたかな夜具を用意され世話係までついているのだから、戸惑うしかない。そんなまほろをよそに、和泉は顔を洗うための桶を差しだしたあと、新しい衣を見せてくる。
「宮さまからです。まほろさまの衣ではみすぼらしくて、御所には合いませぬから」
お早くと急かされ、あれよあれよと新しい衣に袖を通すことになってしまった。白い衣と紅の袴だ。呪者の女たちの装束だった。
和泉はまほろの支度を手伝い、最後にまほろの髪をとかすための櫛を手にとった。
「まほろさまの御髪は、御所の姉さまたちにも負けませぬね。ここでは髪の美しさが、そのひとの美しさですから、姉さまたちに羨ましがられるでしょう」
「……詳しいね。あなたはここで過ごして長いの?」
「物心ついたころから奉公しております。宮さまがよくしてくださるのですよ」
御所勤めということは、貴族の娘なのだろう。まほろよりもよほどしっかりしているし、女宮が気に入るのもわかる気がした。
和泉はまほろの髪をとかしながら、機嫌よく笑った。
「呪者の方々はみな、髪を伸ばすのでしょう? 髪には霊力が宿るのでしたね。まほろさまがそのお力で戦えるのであれば、宮さまもお喜びになります」
まほろは口をつぐんだ。自分の置かれている状況をまざまざと思い出す。
自分の長い髪。何度、切ってしまおうと思ったことか。でも、できなかった。呪者は呪者であることをやめられない。やめたなら、それはなによりの恥と蔑まれるから。
「……でも、わたしはもう狼守りじゃないの」
「ならば、またなればよいではありませんか。さあ、宮さまがお呼びです」
和泉に急かされて、しぶしぶ障子を開ける。重い足取りで廊に出ると、刺すような冷たい空気に包まれた。昨日降っていた雨は夜のうちにやんでいたが、空はまだ雲に覆われている。庭のあちこちに曇り空を映す水たまりがあって、世界が薄墨色に包まれていた。
御所のあちこちで、ひとが起きて動きだす気配がする。しかし、和泉はひとの気配のない場所へ庭を貫くように伸びた渡り廊を進んでいく。廊を囲うように白い花が咲いていた。
「白ばかり。ここは色がないね」
「帝のおはす御所は清らかでなければいけませぬから。でもここより深く、帝の妃たちが集う殿舎のあたりは、貴婦人たちの色とりどりの装束で華やかですよ」
御所の最奥が、帝の住まう殿舎。それを囲うように妃たちの殿舎もある。いま、まほろたちがいるのはその外側らしかった。
弦音が聞こえた。矢を放った際、弦が弓を打って立てる音だ。この音で腕のよしあしもわかるが、まほろの耳をふるわせたのは清く澄んだ音だった。
庭の奥で女宮がひとり、弓を引きしぼっている。
放たれた矢は的の中央を射止めた。
背筋を伸ばして弓を構えていた女宮から、まほろは目がそらせなかった。ひとは、こんなにも美しくあれるのだろうか。……だが、ちがう。これは戦のための手段だ。そんなものを美しいと思っていいはずがない。
「まほろさま、宮さまがお呼びです」
和泉の声に顔を上げると、女宮がまほろを手招いていた。戸惑いながら、そちらに歩みよる。女宮は微笑んだ。
「よく眠れたか」
「……はい」
「嘘だな、青白い顔をしている。こんなところで気をつかわずともよい」
弓を置いた彼女は、近くの殿舎にまほろを連れていった。
部屋には文机が中央に置かれ、その上に古い地図が広げられていた。腰を落ち着けた女宮の横にすかさず火鉢を置いた和泉は頭を下げ、まほろと女宮だけを残して去っていく。
女宮の白い指が、机上の地図を指さした。
「さて。ここが我らの東庵国。北と西を陸地に囲まれ、東と南は海へと通じている」
指先でたたくのは、まほろたちの住む東庵国。北と西はそれぞれ別の国に接し、反対側は海が広がる。まほろは海というものを見たことがないけれど。
「そしてこれが天辰の大河だ」
北の国から東庵国に流れる筋を、指がなぞった。




