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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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異形

 翌朝私は見知らぬ部屋で目が覚めた。寝ぼけた頭で考えるうちに、昨日クロさんの家に来たことを思い出す。今日からここが私の部屋だ。部屋の中は好きに変えて構わないとクロさんに言われた。昨日はとりあえず布団を敷いて寝た。

 よくよく考えると死んでしまったのだから寝たり食べたりする必要はないのに、生きていた頃の日常をなぞってしまう。顔を洗いに行こうかと思ったら何やら階下から美味しそうな匂いが漂ってきた。


「あぁ、マソホさん、おはようございます」


 キッチンで紺のエプロンをつけたクロさんが微笑む。いつも黒尽くめのクロさんが違う格好をしているというそれだけで、私はドキリとした。動いていないはずの心臓の位置に確かにその感覚は感じる。死神になったらこの感覚はなくなると、シロガネさんが言っていた。少しそれは寂しいと思う。


「目玉焼きには何をかけますか?」


「あ…醤油です…」


「トーストにはバターそれともジャム?」


「バターが好きです…」


 クロさんが何故か微笑んだ。そうして言った。


「やはり、食べ物の好みは繰り返してもあまり変わらないものなんですね。だとするとマソホさんはヨーグルトが好きで朝食の後には欠かさず食べていたり、休みの日の食後には豆を挽いた珈琲をブラックで飲んだりします。合ってますか?」


 合っている。休日の朝はブラックを飲む頻度が高い。私の驚いた顔を見てクロさんが笑った。


「好みが変わっていなくて良かったです。たまには人間らしい食事をしたい日もあるんですよ。死神になってもね。だからシロガネさんも喫茶店をやっている。これを止めてしまうと…本当に人とは遠い存在になってしまう…そんな気がするんですよ」


 クロさんは白いお皿に目玉焼きとウィンナー、レタスときゅうり、ミニトマトを乗せた。色鮮やかだ。休みの日でもこんな朝食はここ最近食べていなかったことを思い出す。


「さ、食べましょうか。朝食を食べたらシロガネさんのところで珈琲を飲みましょう。やはり向こうの方が珈琲は美味しいんですよね」


「いただきます。何から何まで…クロさん、ありがとうございます」


 私は礼をして焼き立てのトーストを口に運ぶ。バターの味がじゅわっと口の中に広がる。目の前でミニトマトを口に運ぶクロさんを見るのは少し不思議な気分だった。食べている感覚は生前のままだ、そう思って不意に胸の奥に痛みを感じた。


「とっても…美味しいです…」


 不意に何気ない休日の朝の光景が蘇る。何を出してもマコトは無関心だった。スマホを見ながら適当に食べ、適当に相槌を打つ。どこか上の空で、ゲームの勝敗に一喜一憂し、負けると不機嫌になって八つ当たりした。外で見せる爽やかな顔に私はまんまと騙された。私を落とすまでのマコトは実際、何から何まで完ぺきな振る舞いだった。だが釣れたと思った瞬間から掌返しが始まった。彼は釣った魚には餌を与えないタイプだった。そのくせ複数人と遊ぶと、とびきりの彼氏を演じて周囲を欺く。格好いい彼で羨ましいとも言われた。私に音もなく降り積もってゆく虚しさなど誰にも気づかれなかったし、自分でも見て見ぬふりをしていた。どういう訳か涙が溢れ出て、私は泣いていることに気付いて驚いた。


「そっか…私…本当…は…寂しかったんですね…」


 私は涙を拭って笑おうとした。でも笑えなかった。クロさんは立ち上がり、私の頭を撫でてくれた。屈んだクロさんに肩を抱かれて私は両手で顔を覆ったまま、しばらくそのまま動けなかった。


「元カレのことなんか…早く…忘れたいのに…ふとした瞬間に思い出してしまうんです…私のことなんか…全然…見てもいなかったのに…目の前に…クロさんがいるのに…私…サイテーです」


「…そんなことはないですよ。思い出していいんです。私はマソホさんの心を温めるために側にいるんですから…」


「クロさん…優しすぎます」


 私は泣きながら美味しい朝食を食べた。それから出掛ける準備をして、シロガネさんの喫茶店へと向かった。



***



「いらっしゃいませ」


 相変わらずゴシックな制服の似合うヤミカさんだったが、更に今日の服装は以前の制服よりもフリルが多くなっていた。文句なしに似合っているので私はじっと見つめてしまって、ヤミカさんの気配がどことなく少し柔らかくなったような気がした。


「いらっしゃいませって、あーマソホちゃんにクロさんじゃん。あれ?何か雰囲気変わったね。マソホちゃん。クロさん、キスでもしたの?」


「シロガネさん!なんてことを言うんですか!」


 クロさんが慌てて、私はその言葉で急にクロさんのことを異性として猛烈に意識してしまった。


「あ、俺、ヤミカと付き合うことにしたから。で、注文は?」


「本日のオススメで…マソホさんは?」


 クロさんは聞き逃したはずもないのに私に声をかける。


「あ、私もそれを…」


「それよりも、今ヤミカさんと付き合うといいましたか?研修生にそういうことをするのは違反ですよ?」


 クロさんは聞き逃した訳ではなく私への気遣いを優先しただけだった。


「相変わらず頭が固いねぇ…クロさんは」


 珈琲の準備をしながらシロガネさんは目を細めてヤミカさんの方を見た。


「指導官と研修生のただれた関係なんて、今更の話でしょ。記憶を共有して傷を撫で上げて恋人のように過ごす…この蜜月を何事もなかったかのように平然とやり過ごす方がどうかしてると俺は思うから、そう表現したんだ」


 ヤミカさんはフリルの間から伸びた長い脚を動かして私とクロさんの元に珈琲を運んできた。


「本日のオススメ、モカブレンドです」


 ヤミカさんの表情が柔らかいのは、シロガネさんが付き合うと公言したことの影響なのだろうか。


「寿命を全うして亡くなった者はほぼ死神になんかならないし、病死、事故死あたりから徐々に一人の死神の抱える担当人数も減ってゆくけど、自殺、他殺、呪殺に至っては大概マンツーマンになるから、どうしても個々との結びつきは強くなる…そもそも俺らみたいに結んでおくことを前提にしておきながら、付き合うなって方が無理な注文なんだよ」


 今日のシロガネさんは若い男性の姿だが服装は喫茶店のマスターだった。これはこれで似合う。お盆を下げたヤミカさんがシロガネさんの横に来ると、シロガネさんは目を細めてヤミカさんの頬をさらりと撫でた。そのときクロさんの携帯電話が振動し、シロガネさんもポケットから何かを取り出した。指でスライドしたところを見るとシロガネさんはスマホを使っているようだった。


「緊急招集ですか…墜落事故?」


 クロさんは眉をひそめる。


「げ…俺まで?鎌のレンタル面倒なんだよなぁ…で、二人については…はぁ?おいおい、随分と暴挙に出たなぁ…」


 シロガネさんが呆れたような声を上げたとき、乱暴にドアが開いて、眼鏡の少年が飛び込んできた。ホムラくんだった。


「ちょっと…どういうことなんですか!?僕、まだ第五階級なのに、被呪殺者の監視なんて無理ですよ!しかも二人も!!」


 すでに怯えた顔付きでヤミカさんを見ているホムラくんに向かってシロガネさんは急に冷たい顔をした。


「あーだったら、お前行くか?海外に墜落した飛行機…炎が燃え広がってこの先消火が追いつかなくなるぞ?お前、焼死体と向き合って、まともな対応ができるのか?死神になってもまだ引きずってるだろ。任務から外された意味を少しは理解しろ」


 ホムラくんはシロガネさんの言葉に傷付いたような表情をした。すでに身体からは煙が上がり出す。クロさんが立ち上がって、ホムラくんの身体を抱きしめた。


「ホムラくん…落ち着いて下さい。シロガネさんも、未成年相手に言い方がキツいです。それに、ヤミカさんとマソホさんでしたら、大丈夫ですよ。異形化の元はとりあえず封印して行きますから」


「封印…?」


 私は飲んでいた珈琲カップを置く。クロさんは微笑んで私の顔を見た。


「今日はホムラくんと一緒に養成講座に行って下さいね。必ず帰ってきますから」


 そう言うとクロさんは私の頬にキスをした。


「……!!」


 私は驚きのあまり固まった。顔が熱くなったのが分かった。ホムラくんは顎が外れそうな表情になる。だが彼が見ているのは私でもクロさんでもなく、その後ろのシロガネさんとヤミカさんなのだった。振り返るとヤミカさんの腰を抱いたシロガネさんが、ヤミカさんと熱い口付けを交わしていた。



***



 やがてクロさんとシロガネさんは出掛けてゆき、喫茶店に私とヤミカさん、ホムラくんが残された。シロガネさんの淹れたカフェラテに何杯目かの砂糖を入れてひたすらかき混ぜながらホムラくんは、中学生には似合わない、まるで人生に疲れた大人のような深いため息をついた。


「もうっ…若いくせに辛気臭いったら」


 ヤミカさんはミキサーに冷凍のミックスベリーとヨーグルト、蜂蜜に牛乳、少量の氷を入れるとスイッチを押した。ガガガとものすごい音がしてしばらくしてヤミカさんはミキサーを止めた。


「マソホも飲むでしょ?ホムラくんは…今はホットを飲んでるから、ま、いいか。お腹を壊しそうだものね」


 グラスに写真映えしそうなピンクのスムージーを注いでヤミカさんはその片方のグラスを私の前に差し出した。


「ありがとう」


 ヤミカさんはゴクゴクとスムージーを飲んで満足そうな顔をする。私は何から話すべきか迷いながらヤミカさんに囁いた。


「…シロガネさんの言ってたのって…本当?」


 ヤミカさんは頷いた。


「モヤモヤしたままより、はっきりさせたいと私も思っていたし。それに多分…あの記憶を忘れるにはこれが一番近道なんだと思う。毎晩毎晩…ぶよぶよした肉の塊に押し潰される感覚が蘇って吐きそうになる。ホムラくんは見てるから知ってると思うけど、そもそもどうしてあの日、あなたが来たの?死神とはいえ中学生の対応できる案件とは思えない…」


 ホムラくんはヤミカさんの言葉に傷付いたような視線を送った。


「…すみません…あの日…僕は、火事で亡くなった方の現場にいられなくて…シロガネさんに交代してもらったんです…それで…僕が…ヤミカさんの担当に…なりました…シロガネさんは鎌の剥奪期間がまた延びてしまいました…規則違反だって」


「ふーん。一応聞くけど…記憶の共有って、もうシロガネさんにちゃんと移ってる?ホムラくんにあの日の記憶が残ってるかと思うと私、ちょっと耐えられない」


 ヤミカさんはグラスを静かに置く。私はスムージーを飲んでとても美味しかったのに感想を伝えるタイミングを逸してしまった。


「現場の記憶は全て渡しました。だから僕が知っているのはあくまで情報としてのみです。その点は安心して下さい…」


「安心できるかどうかは…分からないけど、とりあえず理解はしたつもり。さっき見たこともできれば忘れて。もちろんクロさんとマソホの間に起こったことも」


 ヤミカさんは意味ありげな視線を私に送ってきた。


「気付いてるの?マソホの身体…前より冷えていない。クロさんとの距離が縮まったからだって、すぐに分かった」


 私は動揺して思わずクロさんのキスした頬に触れてしまった。改めて指摘されると急に恥ずかしくなってくる。


「…忘れるわけないじゃないですか。これって見る人によってはセクハラで上に報告案件ですよ?でもそういうことじゃないんですよね?そのくらいは僕にだって分かります。言いませんよ。言いませんけど…」


 そこでホムラくんはテーブルの上に突っ伏した。


「シロガネさんは元からああいう死神だって分かっていますから諦めもつきますよ。でもクロさん…!あのクロさんが女性の頬にキスするなんて…!!この世の終わりじゃないですか!信じられない!マソホさん、清楚系美人を装っておきながら、本当は魔性の女なんですか!?」


「えっ?ちょっ…何言ってるの?意味分からないよ…あぁ…あれは多分、ご縁があったから…それだけで…。これ言って大丈夫なのかな?私、過去にクロさんの伴侶だったことがあったみたいで…だから…」


「は…?な…伴侶のことクロさん、言っちゃったんですか?それとも、まさかシロガネさんが?」


「クロさんから…聞いたけど…」


 ホムラくんは顔を上げて私の顔をまじまじと見つめた。ホムラくんはうわぁと変な声を上げながら両手で髪をぐしゃぐしゃにした。


「どっちにしてもズルい!クロさんは真面目そうなのにいつの間にかマソホさんとそんなことになってるし、シロガネさんはあんなに軽薄なのにヤミカさんとちゃっかりキスしてるし…!二人とも美人といちゃいちゃしててズルい!!」


 中学生男子には刺激が強かったのだろうか。テキストをチラ見しながらヤミカさんが口を開こうとして固まった。私は横からテキストを覗き込む。ヤミカさんは唐突に書かれている内容を読み上げ始めた。


「…死神になって日が浅い場合は生前の欲望に支配される場合があるため注意が必要である。鎌の手入れを行い自らの欲望を鎮めること…それでも制御不能な場合は…?第一階級以上の死神に…欲望を解消してもらうこと!?は?なにそれ!?だから、あっちの死神こっちの死神とやりたい放題って訳!?要するに…シロガネさんの言った…付き合うって…そういう意味?」


 テキストを凝視したヤミカさんからどす黒いオーラが立ち上るのが見えた気がした。


「あの…ヤミカさん?」


「あぁ…私なら大丈夫。それよりマソホもクロさんと…付き合うの?あ、付き合うって意味合いは多分…人の感覚のそれとは違うんだと思うけど…私…理解してたようで…全然理解できてなかった…バカみたい…なんなの…分かりにくい…」


 ヤミカさんは椅子に座り込む。


「私は…欲望(それ)を…晒すのが本当は怖い…シロガネさんなら…大丈夫かと思ったけど…単なる欲望の解消を手伝うって意味だったのなら…ちょっと…無理かもしれない…」


 ヤミカさんのお腹がムクムクと動き出す。異形化だ。まずいと思った。でもこんな時間になぜ!?


「ホムラくん!!異形化が始まっちゃう…!」


 ホムラくんが慌ててスマホを取り出すのが見えた。私はできるはずもないのに、反射的にヤミカさんのお腹を押さえていた。


「ダメ…!ヤミカさんっ!!」


 手の下で(うごめ)く気配に私は思わず叫んでいた。


「シロガネさん!ヤミカさんを助けて!!」

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