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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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来襲

 建物が揺れたと思った次の瞬間辺りは真っ暗になってしまった。暗闇にざわめきが走る。暗くなった館内には非常灯だけが光っていて異様な光景に私は恐怖を覚えた。けれどもクロさんの手が私を引き寄せて抱きしめてくれた。


「マソホさん、怪我はありませんか?」


「何が起こったんですか…?」


「……」


 クロさんは沈黙する。近くでヒサメさんの声がした。


「悪魔だよ。綻びから悪魔が入ってきたんだ。この綻びは時々生じる…人間の悪意だったり悲しみだったり恐怖…要するにマイナスの感情…そういうのが一気に増えると守りが薄くなって綻びやすくなるんだ…どうしたって此岸と彼岸はリンクする…」


 そのとき突然館内に場違いな明るい音楽が流れ始めて私は何事かと顔を上げた。


「マイナスの話は悪魔の餌になるからな、暗いことは今考えるのは止めな。せっかくアシシといちゃいちゃしようと思ってたのに邪魔しやがって」


 奥の方から再び電気がついて、その明るくなった方から統括が見たこともない複数の死神と共にやって来るのが見えた。統括の後ろに六人いた。覆面で顔は見えない。けれども強い死神なのだとその気配で私は思った。ハイアオさんよりも怖い。


「……ったく、嫌だねぇ、あっちもこっちも戦争だよ。兵器による大量殺人はこれだから嫌だね。ヒサメ、ちょうどいいところにいた、お前も手伝え。クロさん…は万が一のことがあっても困るから残って、館内の警戒を」


「えぇ!?いやだなぁ。あたしまで悪魔と戦うの?ボーナス上乗せ希望!!」


 ヒサメさんが統括に向かって言うと、統括はニヤリと笑った。


「はいはい分かってるって。んじゃ、行ってくるわ。マソホ、しばらく胎教に悪い音が聞こえるから耳でも塞いでもらってな」


 ひらひらと手を振りながら統括は出てゆく。ヒサメさんはアシシさんの頭を撫でると肩を抱いて耳元で何か囁いた。アシシさんは硬直して真っ赤になる。統括らと共にヒサメさんの姿が消えると、外から金属音のような、黒板を引っ掻くような背筋がゾワゾワする不快な音が聞こえてきた。クロさんが私の耳に手を当てるとその音はすぐに聞こえなくなった。私の近くでフブキさんがミナミさんを抱きしめている。クロさんはアシシさんを招き寄せて肩に手を置いた。あちこちで死神が研修生を守るように立っている。その中で一人統括たちが出て行った入り口前で鎌を持って立っている死神がいた。彼は鎌を消すとフラフラとこちらに向かって歩いてきた。


(少し治療してきます)


 クロさんの声が頭の中に響く。私は頷いた。クロさんはなぜかアシシさんと私の手を取ると繋がせた。アシシさんはハッとしたようにクロさんの顔を見る。クロさんは微笑んだ。クロさんは死神に何かを話しかけて肩に手を置いた。彼はどこか茫然とした表情のまま胸の辺りを押さえた。クロさんが首を横に振る。そんな彼のもとに少年の研修生が駆け寄ってきて抱きついた。彼はどこかぎこちなく少年を抱きしめる。少年は死神に向かって何かを尋ねる。彼は首を横に振る。少年は顔を両手で覆った。泣いているようだった。少ししてからクロさんはこちらに戻ってきた。心の中で声がする。


(…どうしても複数を担当していると…死神の力だけでは、どうにもならないことも起こります)


 私は不意に視界の横で消えた若い女性の研修生のことを思い出した。


(…私の…近くにいた研修生…一瞬で…消えました…もしかして…悪魔に…?)


(マソホさん…見てしまっていたんですか…)


 クロさんは困ったような顔をして私の顔を見下ろした。


(そうです…何人かすでに悪魔に狩られました…悪魔は…ああやって魂を喰らいます。時折気に入った魂の場合は…丸ごと傷付けずに攫うこともあります。それは死神も例外ではありません…でも大丈夫です。ここにいれば安全ですから。それにヒサメさんも強い死神です。もうじきAAも夢ではありません…)


「あぁ!クロさんもこちらにいましたか、すみません、ヤミハラさんを見ませんでしたか?」


 話しかけてきたのは死神のカイナンさんだった。クロさんは首を横に振る。カイナンさんはどこか不安そうな顔のペコくんと一緒にいた。


「私はちょうど講義の最中だったので館内にいたんですが…今日は終わってから鎌の具現化が済んだペコくんが次の段階に進むので、ヤミハラさんに来てもらう予定だったんですが、この騒ぎで連絡がつかなくなってしまって…」


「収束を今は待つしかありませんね。私の携帯も他の死神に繋がりません。悪魔との戦いと綻びの修復にエネルギーを使っていますから、その影響でしょう…とりあえずここにカイナンさんもいらっしゃって良かったです」


 そこでクロさんは声を張り上げた。


「担当の死神が近くにいない研修生は一度こちらに集まって下さい。他に怪我や不調の出ている方もこちらへ!!」


 不安そうにしていた研修生たちがこちらに向かってくる。


「あの…私たち…まだ担当の死神も決まってないんですけど…この子…さっきから外の音が嫌だって…」


 研修生が隣で頭を抱えている少女を連れてきた。クロさんは両耳に手を当てる。少女は驚いたようにクロさんを見上げた。


「あなたは大丈夫なんですか?」


 連れてきた方の女性は元気そうに頷いた。


「私、死ぬ前はハードロックやってて、死ぬほどこういうヤバい音出したりしていたから音にはけっこう耐性あるんですよ」


 全くそうは見えない清楚な見た目の若い女性の言葉に隣の少女が心底驚いた顔をした。私も多分同じ表情をしてしまったのだろう。女性は困ったように笑った。


「あー昼間は契約社員やってたから、この姿は真面目な会社員の方なんですよね。私が死んだ後、部屋に入った母親がクローゼットの中を見て腰抜かしてて…黙ってて悪かったなって…思いました…」


「あの、俺は担当の死神とはぐれてしまって…」


 次々と周りに研修生が集まってくる。しばらく周囲はごった返していた。ようやく落ち着く頃には、手伝っていた私もアシシさんも、少し疲れてしまった。フブキさんもフォローしてくれていて、いつの間にか自動販売機から飲み物を買ってきてくれた。


「ありがとう」


「マソホさん、少し休んだ方が…こういう時のためのマタニティマークみたいなものってないんですか?」


 ミナミさんがクロさんを見上げる。


「ありますよ。でもマソホさんが選びませんでしたから…」


「うん、一週間程度のことだから…それに…」


 私は心の中で続けた。声に出して言うのはさすがに周りの目も気になった。


(悪魔の好物は未経験の男女と妊婦だそうです…だから今のようなことが起こっているときや地下に潜む異形からは…むしろ狙われる目印になると…クロさんが話してくれて…メリット、デメリットの両方を聞いた上で私は選ばなかったんです…)


 ミナミさんはハッとして少し羞恥に赤くなった。


「ごめんなさい、軽率なことを言ってしまって…」


 私が気にしないでと言いかけたときだった。館内に鳴っていた音楽がピタリと止まった。クロさんが私の耳の辺りに触れる。いつの間にか外の音も止んでいた。今まで何も見えなかった窓の外が急に明るくなる。


「まだ、外に出ないで下さい!!」


 入口付近にいた死神が声を上げる。けれどもそのとき外から扉が開いて中に複数の死神が入ってきた。


「外に出ても大丈夫だ。綻びは塞いだ。悪魔は去った」


 統括が巨大な鎌を消しながら言う。私はシロガネさんの鎌に似たその大きな鎌を初めて見た。鈍い銀色に光っている。今までどこか読めない死神だと思っていた統括がこれほどまでに頼りになる存在に見えたことはなかった、とも思った。他の研修生も私と似たり寄ったりの印象を持ったのか呆気に取られている顔をした研修生もいた。そしてその統括よりも目立つ巨大でド派手な鎌を肩にかけているのがヒサメさんなのだった。ヒサメさんの鎌は赤と黒で持ち手の部分にメタリックな頭蓋骨の装飾が施されていた。ハードロックをやっていたと言った若い女性が明らかに尊敬の眼差しを向けてヒサメさんを見ているのが分かった。ヒサメさんは大股にこちらに向かって歩いて来ると、アシシさんの前で立ち止まる。ヒサメさんは鎌を消してアシシさんの顎をクイッと持ち上げた。


「さっきどうするかあたしは教えたよ?この次は?」


「え?」


「もっと口開けろ」


「…はい?」


 ヒサメさんはアシシさんの唇を強引に奪う。むしろヒサメさんの方が男性的なキスをする、そう思って私は変に感心してしまった。周囲の女性が悲鳴を上げる。


「ヒサメさん…何も大勢がいる前でしなくたっていいでしょう…みなさん、気にしないで下さい」


 クロさんが言っても、周りはすっかりヒサメさんに注目してしまっていた。


「あー久々に悪魔と戦ったらアドレナリンがドバドバ出まくってる感じだよ。アシシ、さっさとうちに帰って続きするよ」


「それは気のせいですよ…」


 キラキラした黄緑の瞳でヒサメさんは微笑むと、やや呆れた顔をするクロさんに向かって片手を上げた。


「今夜は返さないから。明日の朝動けそうならシロガネんとこの喫茶店のモーニング食べに行くからさ!じゃ!」


 アシシさんはヒサメさんに強引に手を引かれて連れ去られる。クロさんが小声でつぶやくのが聞こえた。


「ヒサメさんも…死神というよりは悪魔寄りですよね…アシシさんは…食べられてしまうでしょうねぇ…」


 近くに立っていたハードロックが好きな女性が誰に言うともなくつぶやいた。


「私…決めた!あのお姉さまの死神にする!!」


 クロさんが呆気に取られた顔で若い女性の顔を見る。ヒサメさんのファンが現れた瞬間に私は図らずも立ち会ってしまったことを知った。

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