胎動
やがて痛みの訓練終わりの三人と私は合流して、何だか自分だけが少し出遅れているような焦りを感じた。三人からは共通の試練を乗り越えた絆のようなものを感じた。階段を降りて移動すると、長い廊下に並んだ椅子に、少し不安そうな顔をしたミナさんが座っていた。フブキさんの姿に気付いてホッとした表情になる。
「お待たせしてしまいましたね、私は少々ミアさんの手続きに行ってきますので…みなさんは…ここで待っていますか?」
クロさんが微笑むとシロガネさんが言った。
「フブキ、これから俺は少し出掛けるから何かあったらクロさんに任せてある。ヤミカ、行くよ」
ヤミカさんは小さく頷いた。けれどもヤミカさんは駆け寄ってきて私に抱きついた。少し震えていた。
「ヤミカさん…シロガネさんがいるから大丈夫だよ…ね?」
「うん…本当に…これで…良かったのかな…私…自信ない…」
「分からない…でもヤミカさんは…悪くない…」
私は何となくヤミカさんの頭を撫でた。ヤミカさんは顔を上げて私の顔を見た。
「マソホ…行ってくるね」
「うん」
私は小さく手を振る。ヤミカさんを見送ってからクロさんがミアさんと手続きをしに行ったので、私はアシシさんとフブキさんと並んで座っていた。ヒサメさんも座ろうとしてから、そうだ手続きがあるんだった危ない危ないと言いながら慌てて走り去った。
「あの…体調は…大丈夫なんですか?」
フブキさんが遠慮がちに聞いてくる。下手に隠していても仕方のないことなので、私とヤミカさんのことはシロガネさんがさりげなく二人に説明してくれていた。
「うん…ようやく動いてるシラタマに慣れてきたところ…妊娠って言っても…約一週間で十ヶ月ちょっとを経験していくみたいだから…多分つわりもあっという間に終わるんだと思う。ホンモノの妊婦さんが知ったら、そんなんで知った気にならないでって叱られそう…」
そうは言いながらも、私の中ではすでに時間の感覚がおかしくなっていた。もうすでにシラタマがお腹の中にやってきてから何ヶ月も経っているかのような気がしている。それに空腹のせいかなんとなく胃の辺りも不快だった。クロさんは初期の段階はスキップすると言っていた。お腹の膨らみはまださほど目立たないけれども、シラタマは時々ポンポンと内側からノックするような動きをした。
「今は…だいたい四ヶ月くらいだって…クロさんが…言ってた」
「あの…今度…動いてるとき…触ってみても…いいですか?俺…そういうのは…今後も経験できるのか…分からないので…」
フブキさんが意を決したように告げる。研修生も死神も子どもをつくることは出来ない、それは分かっていた。だからこそ、産みたかったのに産めなかった、または産まれたかったのに産まれて来れなかった魂同士をマッチングさせて、今私が行っているような経験ができるシステムになっている、そう説明を受けた。私は、いいよ、と言って頷いた。フブキさんは照れたような顔になった。
「ヤミカさんの子どもも…ヤミカさんは産まない選択をしたけれど…その子も…産みたかった誰かの魂とマッチングできたら産まれることができるって…そう言ってたから…私は…その子の母体にはなれなかったけれど…私の失った部分を埋めているのはヤミカさんから溢れ出た悲しみの一部だから…適合させるのは難しいって…そう言われた…」
「女性って偉大です…俺は男だからそういうの…全然分からなくて…きっと、生きてても仮に相手にそういうことが起きたらオロオロすんだろうな、って分かりきってます…」
アシシさんが小声でつぶやいた。
「アシシさんなら、そういうときでも、仮にオロオロしてたとしても、きちんと相手と向き合って話を聞いてくれるでしょ?私はほら、相手はスマホしか見てなかったから。それも呪詛の悪影響ったって、死んでから言われても、はいそうですか、じゃあ仕方なかったんですね、なんて簡単には納得できないし…」
私は途中まで話を続けていたにも関わらず、その後に何を言おうとしたのか忘れてしまった。私の見つめる先を見たアシシさんも、ギョッとした顔になる。
「…ミア…さん?」
廊下を歩いてくるのは確かにミアさんだった。周りも皆一様に驚いた様子をしている。確かにミアさんの姿をしているのに、何か拭い去れない違和感があって私は震えた。ミアさんはこちらに向かってくる。反射的に私はアシシさんの目を覆っていた。何か良くないことが起こりそうな予感がしたせいだった。
「あら、懐かしい顔が並んでると思ったら…ねぇ、アシシ、ごめんね?ミアのせいで大変だったでしょ?ねぇ、あなた、その手邪魔だから避けてくれない?」
ミアさんは瞬時に私の右手を鎌で切り落とした。私は落ちた右手首から下を拾って、冷静にくっつける。流れた血は粘着性のある液体のイメージで元に戻した。
「アシシさんは目を閉じてて!あなた…ミアさんじゃない…誰なの?」
私はようやく違和感の正体に気付いた。鎌を握るミアさんの指は全て欠けることなく揃っている。いまだに時折ハランさんの指ですら失った部分が透けることがあるのに、それはどう見てもおかしかった。
「おやぁ!何か変な気配がするなと思って書類をぶん投げて戻ってきて正解だったな!コラ、あたしの男に手を出すな!」
突然ヒサメさんが現れてミアさんの前に立ちはだかった。ミアさんは途端に怯えた表情になる。
「おおかた、波紋の色を読んで近付いてきたんだろ?ミアの一部を喰った割には再現度が高いと思ったら…交わったのか。相変わらず嫌なやり方だな。不健全だ。そういうのはもっと楽しく堂々とするべきだ。あたしはお前なんかに奪われる前にアシシの初めての残りは全部もらう。分かったらさっさと消え失せろ」
「クソっ…統括のやつ…先回りしてたのか…!」
ミアさんの姿をした何かは低くつぶやくと、踵を返して走り去った。振り返ったヒサメさんは私を見て少し呆れたような表情をした。
「マソホちゃん…君、妊婦なのによくアシシを守ろうなんて思うよね…手首…ちょっと見せて」
私は切り落とされてくっつけた右手をヒサメさんに見せた。ヒサメさんは持ち上げてしげしげと眺めていた。そうしてホッと息をつく。
「今回は何か仕込まれた訳じゃないみたい。良かったよ。アシシ…ちょっと顔貸しな」
「えっ?」
「口開けて舌出せ」
「え?何で…?」
ヒサメさんはアシシさんの顎を持ち上げると突然キスをした。物凄く濃厚なキスだった。呆気に取られて見てしまってから、私は慌てて顔を背けるとフブキさんと目が合ってしまった。すげーとフブキさんがつぶやくのが聞こえた。
「…っ!いきなり何なんですか!?」
振り返るとアシシさんは真っ赤な顔で口を押さえてヒサメさんを少し睨んでいた。
「あ?何って、アシシ、ミアに唇を許したから面倒な目に巻き込まれかけてんの。上書きだ上書き。じゃないと、ハイアオんとこの犬にヤられるよ?あいつは人の形をしていても元は獣だ…なんで分かったの?マソホちゃん」
「えっ?犬?いえ…違和感が…指が全部揃っているように見えたので…」
「あーなるほど。妊婦の勘なのかなと思ったけど、とりあえずアシシの目を覆ってくれてサンキュ。じゃなかったら何されてたか予測不明でちょっと危なかったよ…一部を喰ってたら入れんのかここ…それもまずいな…いや…喰った場所にもよるのか…?」
ヒサメさんは少し考えていたがアシシさんの頭を撫でた。
「お前さ、少し無防備なんだよね。もっと警戒しないとさ。危なっかしくて…ほんとは、こんな風に急にじゃなくて段階踏んでいくつもりだったけど、犬が外に出てるんなら危ないな。まーそんな訳だから仲良くしようや」
ヒサメさんはアシシさんの頭を撫でる。そんなヒサメさん目がけて書類が一枚飛んできた。
「おー受理されてた。窓口にぶん投げて来ちゃったけど、これでオッケー」
「あの…何か、朝とキャラ違いません?」
アシシさんが小声でつぶやく。ヒサメさんは、吹き出した。
「ゴメンゴメン、嫌だったか?こっちの方が素だよ。あんまり女っぽくなくて悪いな」
「いえ…もう…何ていうか…吹っ切れました…ミアのキスがどんなだったかなんて、フリーズしてたから本当に覚えてないし、さっきのが強烈過ぎて…」
ヒサメさんはニヤリと笑う。
「汝、喪失を恐れることなかれ」
「何ですか?それ…」
「あたしのモットーだよ。恐がってたら何もできない。進んだ先に新しい道が切り拓かれるんだ」
ヒサメさんが勝ち誇ったように笑っているところに、手続きを終えたクロさんとミナさんが戻ってきた。ミナさんは言った。
「あの…ミナの名前で継続しようとしたら…触りの出た名前と紛らわしいからって…ミナミに戻されちゃいました…ミナミの方が馴染みがあるからいいんですけど…」
「あぁ、確かにね。クロさん、ハイアオんとこの犬が現れた。ミアの格好をして鎖から外れてる。このままだと成り代わりが成立してしまうかもしれない…ミアってのは…どこまで精神が弱いんだ…今のところ喰われ放題じゃないか」
犬と聞いたクロさんの顔が険しくなる。
「それと、マソホちゃんがアシシを庇って手首を鎌で切り落とされた。幸いなことに今回の鎌には何も仕込まれていなかった。建物内だからと油断したこちらにも落ち度はある。ミアが犬に身体を許したから…あいつはここにも入り込めた…波紋を読んで獲物を探している。統括にはすでに伝えたから…キリとヨルの対応も早急に行うだろうな」
「あの…ヒサメさん、ところで…キャラ設定は…もう良くなったんですか?」
クロさんの言葉にヒサメさんは頷いた。
「慣れないことはするもんじゃないね。ま、案外アシシも受け入れてくれそうだから、まーいっかと。どうした?アシシ」
アシシさんはぼんやりとしてヒサメさんを見つめていた。アシシさんは言った。
「朝のキャラより…こっちの方が…格好良くて…いいです…」
言ってしまってから、アシシさんは照れる。
「ふーん、そっか。とりあえず一回帰ったらデートだデート。何ならうち来るか?変な中華風の建物なんだけどさ」
「あの…ランクAの居住区に行っても…本当に大丈夫なんですか?」
アシシさんの不安そうな声にヒサメさんは豪快に笑った。
「何言ってんの。そこにあたし住んでるんだよ?それにアシシの指導権は今一時的にあたしに譲渡されてる。だから大丈夫だ」
「あの…クロさん、俺…ヒサメさんのところに行きます…いいですか?」
「そうですか。ヒサメさん、ではよろしくお願いしますね。我々はそうですねぇ、ヤミハラさんのところで何か食べましょうか」
ヒサメさんとアシシさんはそのまま別の方向へ別れる。私はクロさんとフブキさん、ミナミさんと共にヤミハラさんの中華屋に繋がる道を歩き出そうとした。そのときだった。クロさんの携帯電話からまるで地震アラートのようなけたたましい警戒音が鳴り響いた。少し遠くでヒサメさんもスマホを取り出す。あちこちの死神のスマホが鳴っている。ヒサメさんがアシシさんを連れて戻ってくる。合流したクロさんとヒサメさんはまるで私たちを庇うような体勢になると死神の鎌を取り出した。
「とにかく建物まで戻りましょう!」
クロさんが言って皆は固まって一斉に走り出す。けれども私の視界の横で、別の研修生の姿が一瞬にして消え失せた。程なくして視界に赤い雨が降ってくる。ぼとりと何かが落ちてきた。走っていてよく確認できなかった。けれども多分腕だ、そう思った。得体の知れない恐怖が沸き起こる。
「止まらないで!走って!!」
滑り込むように私たちは死神養成所の建物に入る。その瞬間建物全体に光が走って地面が震えた。




