朝の珍客
その後、なんとか落ち着いたヤミカさんと共に私はパンケーキを焼いた。ヨーグルトを入れたパンケーキはしっとりとしていて美味しく焼けた。フブキさんと共にミナさんが恥ずかしそうに二階から降りてくる。最後にアシシさんが起きてきて、ぼんやりしたまま私とヤミカさんの盛り付けるパンケーキを見ていた。私は思い立ってハワイアンパンケーキにかかっていたマカダミアナッツソースを、レシピを見ながら作ってみた。実物を食べたことがないので、何となくだったけれど味見したシロガネさんが旨いと言ってくれたので、好みでかけられるようにテーブルにも出すことにした。ミナさんは目を輝かせてパンケーキのモーニングセットを見つめていた。
「すごい!美味しそう!!」
「お好みでパンケーキにかけて食べてみて下さい。マカダミアナッツが苦手じゃなければ。バターやメイプルシロップもあるので好きなものを」
「お洒落なカフェのモーニングみたい…って、あ、ここ喫茶店だったね」
ミナさんが笑う。フブキさんも微笑んでいたけれども、途中で不意に近くで食べていたクロさんに聞いてきた。
「一度辞めた死神をもう一度やり直すことって可能なんですか?ミナと昨日そういう話をしていて…」
「もちろん可能ですよ。ミナさんは第六階級の途中でしたよね。履歴は半永久的に残っていますから、ブランクに応じて講座から履修が必要になる場合もありますが…いつでも再開可能です。始めますか?」
「二人とも真面目だねぇ。せっかく二人きりの夜を過ごせるようにお膳立てしてあげたのに、生前のまんま塾講と生徒やってるなんてさ」
「いや、だってその…そんな急には…それに、以前のままって訳でもないですし。付き合うことにしましたから」
「ふーん、そっか。ま、何にせよ良かったよ。死神の研修生も増えるしね」
そのときドアが開いてハランさんが入ってきた。ハランさんは珍しくもう一人若い女性を連れてきていた。アシシさんと似たり寄ったりの真っ赤な色の髪をショートにしていた。瞳が印象的だ。日本人の顔立ちなのにペリドットのような黄緑をしている。
「ハラン、おはよう。パンケーキ食べる?」
「あぁ、何だか甘いいい匂いがするな。ヒサメはどうする?」
「じゃあ、あたしもパンケーキにする!だってハワイアンパンケーキじゃないの?このソース!!美味しそう!」
「あの…レシピを見ながら作っただけなので、ホンモノとは違うと思います…」
「ま、旨ければいいんだよ。今ちゃちゃっと焼いちゃうからさ。飲み物は珈琲でいい?」
「あぁ、二人ともブラックで」
「あ、君がアシシくんでしょ?すぐに分かっちゃった。かーわいい」
「コラ、ちょっかいをかけるな」
頬に触れられたアシシさんが固まって赤くなる。
「えぇ?だって先に知っておきたいじゃん。どんな子なのかさ」
ハランさんの止める声も聞かずにヒサメさんはアシシさんの向かいの席に座ってニコニコしながら頬杖をついてアシシさんの顔を見始める。ハランさんは途中で諦めたようにカウンター席に座って額に手を当てた。
「…早い…ってこともないのか。鎌の具現化が済んでたらいずれは下界に出るから…」
パンケーキを焼きながらシロガネさんがつぶやく。クロさんは携帯電話を取り出して何かをチェックしているようだった。
「あぁ、そうでしたか。もうそんな時期なんですね…ヒサメさん、アシシをよろしくお願いします」
クロさんが微笑みながら小さく会釈する。
「はい、任せて下さい!今はクロさんの担当でしたか」
ヒサメさんはコケティッシュな笑みを浮かべてアシシさんを再び見つめる。アシシさんは落ち着かない様子で珈琲を一口飲んだ。そんなアシシさんを見つめながらヒサメさんは囁く。
「ね、君ってさ、キスは経験あるんだよね?キス以上は?」
「なっ…」
アシシさんは、動揺するあまりガチャンと珈琲カップを落としそうになってしまった。私は思わずクロさんの顔を見る。クロさんは特に気にする素振りもなく微笑みながら言った。
「アシシさん、彼女はその道のプロですから、素直に話して任せて大丈夫ですよ?今日からしばらくアシシさんにはヒサメさんが付き添います。午前中に痛みの訓練に行った後は基本的にはアシシさんはヒサメさんと自由に過ごして下さい。本来でしたら協力してくれている協会の方に行って斡旋してもらうスタイルなんですが…ヒサメさんは少々特殊なので…」
「そう、私は波紋の出た子の軌道修整をしつつ、楽しいことを手取り足取り教える係だから、待ち切れなくて会いに来ちゃった」
ヒサメさんはアシシさんの手を取ると指を絡めながら微笑んだ。
「もう、可愛いんだから。手触っただけでこんなに赤くなっちゃって」
真っ赤になって固まるアシシさんはその後も完全にヒサメさんのペースに飲まれて、まともな言葉すら発することが出来ない状況になってしまった。
***
「んじゃ、まー行こっか。久し振りだなぁ養成講座なんて」
上機嫌なヒサメさんとは対照的にアシシさんはすっかり挙動不審になっている。
「アシシさん、大丈夫?」
私が小声で問いかけるとアシシさんは困った顔をして片手を額に当てた。
「…大丈夫じゃないですよ…だって…あの人…あんな風に見えてランクAの死神なんですから…触れられると…無駄にドキドキするというか…」
「えっ!?そうなの?」
私は不意にシロガネさんがハランさんの名前を出して飲み会をするという発言をしていたのを思い出した。冗談だと思っていたけれど、ランクAの死神という点においては外れてはいない。しかもヒサメさんはハランさんの知り合いのようだった。アシシさんにしてみれば少し気まずいのではないかと思ってしまった。
痛みの訓練は、水や氷に関係する訓練内容になっていた。当然のように中に入ろうとした私はクロさんに止められてしまった。
「マソホさんは少しの間は痛みの訓練は休止にして下さい。擬似的にでもあなたの身体は今は妊婦なんですよ?母体に与えるべき痛みではありません。それも含めての体験です」
「あ…マソホ…そう…だったんだ…」
サインしていたヤミカさんが少し痛みを堪えるような表情で振り返った。
「…私は私の選択だから…ヤミカさんはヤミカさんの出した答えを信じて進んでいいんだよ?何もかも一緒な訳じゃないから…」
ヤミカさん小さく頷いた。シロガネさんがヤミカさんの頭を撫でる。
「見てるからな。頑張って行ってこい」
ヤミカさんは頷いて、アシシさんとフブキさんと共に扉の向こうに消えた。
「なんかさーこんな風にプールの見学?親がしてたの思い出しちゃったよ。でもさ、見学って言いながらちっとも見てないの。隣の親と喋ってばっかでさ」
ヒサメさんがつぶやきながら水責めに遭う三人を見ていた。私は来たにも関わらずクロさんに見ることも禁じられた。アイマスクをつけられて私はクロさんの腕の中にいた。
「クロさんってさ、意外と束縛するタイプだったんだね。知らなかったわ」
ヒサメさんが笑う。シロガネさんも小さく笑う気配がした。クロさんは何も言わずに私のお腹に手を当てて撫でていた。
「そりゃあね、マソホちゃんだもの。当然でしょ。それにしたって、シラタマを産み直すってよく決断したよね…そりゃ、シラタマには前前世の二人の子どもになるはずだった魂が…残ってるけどさ…」
クロさんはシラタマが何者なのかを教えてくれた。シラタマは前前世の私から流れてしまった子どもの魂だった。クロさんは一時的に形を与えた。クロさんの持っている蟲の中でシラタマが選んだのがたまたま白蛇だった。私が擬似的な出産でシラタマを産み直せばシラタマの魂は解放されて輪廻の輪に入ることができる。産まれて来たかった望みを叶えることができる、そう聞いた。私は迷った末にシラタマを出産する決意をした。
「他の産みたい誰かに渡すことも出来たのですが…蛇の姿のシラタマを受け入れられる魂はありませんでした。ですから…マソホさんには…とても感謝しているんですよ?」
クロさんの声が耳に心地良い。
「だって…元々自分の子どもなんですから…今がどんな姿でも…受け入れられるって思ったんです…あ…!」
「…動きましたね。喜んでいるんですよ。シラタマも」
「はぁぁ…何なのそこの新婚夫婦みたいないちゃいちゃ。ねぇ、ヤミカちゃんだっけ?どうすんの?」
「別にどうもこうもないよ。ヤミカは産まない選択をした…そりゃ、そうなるよ。腹ん中から溢れさせて全力で拒否してたんだ。午後から病院に予約を入れたから行ってくるどっちを選んだって苦しいのは同じだ…アシシはさ、まだ男だから波紋もこの程度で済んで良かったって言うべきなんだろうな…」
シロガネさんの言葉にヒサメさんが小さなため息をつく。
「アシシって…あの見た目で死んでから元アイドルにキスされただけって…マジか?って履歴三度見くらいしちゃったけど最近割と多いんだよね、そういう草食系男子。一昔前は違ったと思ったんだけどなぁ…欲望自体がすんごい薄いっていうか…この先の未来が不安になるね。あっさりさっぱりしちゃってて、つまんないよ。もっと欲望を滾らせろっつーの!狂わせたくなる。あぁいうの相手にするとさ。まだ照れる分だけ伸び代はあると思ってるけど」
「…ヒサメさんは少し欲望が多過ぎるんですよ…そういうギラギラしたのを好まない女性だっていますし」
クロさんがヒサメさんの言葉に苦笑した。
「ね、マソホちゃんはどうなの?ギラギラしてたらやっぱり嫌?」
ヒサメさんに問われて私は困ってしまった。
「…分かりませんけど…私の履歴にある…元彼みたいなのは…正直なところ苦手だって…死んでからようやく分かりました…詳しくは言いたくないですけど…クロさんは…知ってるので…」
「あぁ、勝手に一人で気持ち良くなって相手の痛みや気持ちを置いてきぼりにする人が嫌なんですよ、マソホさんは。あまりしつこいのも好みません。生前は空気のように扱っておきながら亡くなったら執着して死亡記事を事細かに読み漁るような…」
ヒサメさんは少しの間沈黙する。
「どれどれ…?うっわ。うん、これはないわーあたしでもちょっと嫌だこのタイプは。マソホちゃんも大概男運悪いよね。ま、呪詛絡みだとそうなっちゃうか…どうしたってどろどろした負の感情を向けられるもんね…わ!痛そ!つららで串刺し」
「ヒサメさん、それ以上は言わないで下さい…胎教に良くないですから…」
プッとシロガネさんが吹き出して笑う。
「シラタマに散々蟲の駆除をさせておきながら、よく言うよ…」
「それとこれとは別の話です…何らかの役割を与えなければ魂は消えてしまいますから」
アイマスクで見えないと声のトーンを頼りに相手の表情を想像してしまう。今クロさんはどんな表情をしているのだろう。そう思ったらクロさんの手の下でまたシラタマが動いた。クロさんの掌が優しくお腹を撫でる。今度はその掌に意識が集中して周りの音が遠ざかった。
(そう…今はこの感覚だけに身を委ねていて大丈夫ですよ。私がそばにいますから)
クロさんの声が心の中に聞こえる。シラタマの動きと目の前の闇とクロさんの掌の動きしか感じられないけれども、私は孤独ではなかった。妊娠検査薬を片手に感じた焦りとぽっかりと心に穴が空いたような孤独感はそこにはもうなかった。ただの掌なのにそれがクロさんの掌だと分かっているだけで、私は一人ではないと感じて安堵した。そうして一人ではないのなら、お腹のシラタマもきっと産める、そう思った。




