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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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決断

 私はクロさんの腕の中で真夜中に目が覚めた。シラタマが動いたせいだった。今日も私はシロガネさんの喫茶店の三階の部屋にいた。けれども昨夜と違うのは、拘束されていないことだった。その代わりにクロさんに抱きしめられていた。私はある決断をしたばかりだった。決めてもなお不安だった。


「マソホさん?大丈夫ですか?」


「はい…シラタマが…動いてます…」


「そうでしたか。大丈夫ですよ。怖いことは何もありませんから」


「あの…シラタマって…本当はどんな姿なんですか?」


「今それを聞くんですか?私が話すとせっかくかけた術が解けてしまいますよ?マソホさんがシラタマを受け入れられなくなると困ります…」


 クロさんは沈黙した。


「えっ…そんなに…グロテスクな姿だったり…するんですか?」


 私は恐る恐る尋ねる。くにゅっくにゅっとまるで抗議するかのようにシラタマが動く。


「人によっては…そう思うかもしれません…マソホさん、爬虫類は…平気ですか?」


「えっ?爬虫類…?ど…どうでしょう…得意か苦手かなんて今まで考えたこともないです…」


 クロさんは沈黙した。それからしばらくしてクロさんは告げた。


「シラタマは…蛇です。大きさは変幻自在…です」


「蛇…ですか。そう…なんですね。いえ、私、そこまで苦手ではないと…思います」


 私が言うとへその辺りを内側から押される感じがして服が不自然に盛り上がった。ボタンとボタンの間から白い頭が顔を出す。ルビー色の瞳と目が合う。約十センチほどの長さの小さな蛇が、するすると出てきてお腹の上に乗った。


「あ、シラタマ…こんばんは」


 私は挨拶をする。シラタマはじっと私を見つめてからクロさんの手と身体にするすると巻き付いた。そのままシラタマはどんどん大きくなって優に二メートルはありそうなほどに巨大化した。


「わぁ…」


 私は怖いというよりも、どこか魅せられていた。


「…思ったよりも平気そうですね…それなら…」


 クロさんは微笑む。シラタマはクロさんと私を包み込むようにそっと巻きついて更に大きくなった。もう何メートルあるのかすら分からない。私の胴体ほどの太さの白蛇に私とクロさんはやんわりと包まれていた。クロさんがシラタマの頭を撫でる。シラタマの手触りはしっとりと滑らかだった。濡れている訳ではないのにとても上質な手触りだった。


「マソホさん…キスしても…いいですか?」


「えっ?シラタマがいるのに…ですか?」


「だからです。大切な伴侶の魂だと理解してもらうためです…」


「分かり…ました」 


 クロさんの顔が近付いてきて私は目を閉じる。シラタマに見られていると思ったら私はドキドキし始めた。いつもよりも長く深い口付けが続く。頭のどこかがふわふわし始めたところでようやく唇は離れた。今日のクロさんは何だか違うと思ってぼんやりと見ていると、クロさんがルビーのように輝く石の入った胸のブローチを外す気配がした。


「少し…死神の鎌を…マソホさんが握っていて…くれませんか?もう少し触れてもいいなら…ですが…」


 私は頷いた。クロさんは掌のブローチを私の掌に乗せてそのまま手を握らせた。そこから先は私が思ったよりもクロさんは積極的になった。今までのそっと優しい触れ方とは全然違って、私は思わず意識とは無関係に身体がビクッとなってしまった。


「クロさんっ…!」


 すぐそばにシラタマがいるのに、こんなことをしていていいのだろうかと思う自分と、もしかするとこのまま抱かれるのだろうかと頭の片隅で思う自分がいた。嫌な訳ではない、むしろどこかで期待しつつも、それがまだ怖いと思う自分もいた。


「マソホさん…すみません…怖かったですか?」


「あ…いいえ…」


「でも…震えています…」


 クロさんは私の手からそっとブローチを受け取ると自分の胸の上につけた。その瞬間にいつものクロさんに戻ったと思った。クロさんは静かに私を抱きしめる。シラタマがゆっくりと動いて少し縮んで、いつの間にか私の身体に巻き付いていた。


「…シラタマ…?」


「シラタマは…マソホさんのことが気に入ったようです。私の使役する蟲ですから…私の意思を…読みます。私がマソホさんに好意を持っていることを…シラタマにも共有しましたから」

 

「共有…すると…どうなるんですか?」


「別に何も…と言いたいところですが…試しましょうか。シラタマ、小さくなってマソホさんの中に入って」


 シラタマはするすると縮んで五センチほどの小さな白蛇になった。するりと動いて再び私のおへそから入り込む。先ほどよりもシラタマの動きがはっきりと感じると思った。クロさんがお腹に手を当てて撫でるとシラタマも中で同じ動きをする。とても変な感じがした。まるでクロさんにお腹の中まで探られているようだった。


「変な感じですか?そのうちに慣れますよ。その気になれば内側にだってどこまでも触れられます…我々は魂なんですから。マソホさんは肉体を持っていた頃の感覚が強いのでまだ少し抵抗があるのだと思いますが…」


「変です…何だか…」


 けれども言っているうちにどこかでそれが心地良いと感じ始めた自分もいて私は焦った。


「いいんですよ…感じるままで…マソホさんは少しずつ奥深くの触れ合いにも慣れましょう…死神になるにはこれもまた必要なことです」


「必要なこと…なんですか?」


「はい、納得いかないのでしたら…そうですね…ある種の悪魔は死神が回収しようとしている魂を奪うために、相手を色仕掛けで心地良くさせている間に奪う者もいますし身体の内側にも平気で侵入してきます…と言えば分かりやすいでしょうか?ですから、耐性を上げるためにも生きている間にそういった経験の少ない研修生には…その方面のプロがついて特別に指導します。私やシロガネさんのように第一階級以上の死神は直接指導することが許可されていますが…それと年齢の若い死神は…生きていたらなっていたであろう一定の年齢に至るまでの期間が経過しないと指導は開始になりません。例えば…サクラチルさんなどがそうですね」


「そう…なんですか…なら…私はクロさんが担当で…良かったです…」


 思わず私は言ってしまってから、急に恥ずかしくなってしまった。クロさんは微笑んで私の頬に触れる。


「ですから…マソホさんが私と何かしたからと言って罪悪感を覚える必要はないんですよ?恥ずかしいかもしれませんが…そこは慣れて下さいとしか…言えません…」


「分かりました…」

 

 私は頷いた。慣れる日がいつか来るのだろうか。最初は私には途方もないことにも思えていたけれど、抱きしめてくれるクロさんの腕は温かかった。その温もりには安堵できる、そう思った。



***



 翌朝になって喫茶店に降りると、シロガネさんも今起きたばかりのような顔をして伸びをしていた。ヤミカさんはいつもと変わらない様子だ。きっと自分よりも先に進んでいるのだろうと思ってヤミカさんの美しい横顔を見ていたら、シロガネさんがギョッとした顔付きで私の方を凝視していた。


「マソホちゃん?」


「え…?あっ!シラタマ、どこから顔を出してるの!?」


 いつの間にかブラウスの胸元からシラタマがするりと顔を出してチロチロと赤い舌を出し入れしていた。


「おやおや、シラタマ、ダメですよ」


 クロさんが頭を撫でるとシラタマはするりと引っ込んで再びおへその辺りから中に潜ってゆく。お腹の中で落ち着く場所を見つけたらしく、シラタマは朝方からはほぼずっとそこにいた。


「マソホちゃん、蛇…平気なの?」


「えっ?あの…はい。シラタマだから…平気と言うか…」


「ふーん、ま、いっか。クロさんも、何もしていません、みたいな涼しい顔して、なかなか…」


 言いかけたシロガネさんは途中で口をつぐんで、朝食の用意を始めた。クロさんも無言で隣に立って野菜を洗い始める。


「あの、何か出来ることがあるなら…」


 私が言いかけると、シロガネさんは笑った。


「じゃあ、ヤミカと一緒にパンケーキ焼いてみる?」


 冷蔵庫から牛乳と卵とヨーグルトを持って現れたヤミカさんが、恐る恐るといった様子で私に聞いてきた。


「シラタマって…蛇だったの?突然また出てきたりしない?」


「多分大丈夫…今はお腹の中にいるから」


 私はシロガネさんの出してくれたボウルに卵を割って入れる。


「正確には…マソホさんの子宮の中に落ち着いて入っています。奪われた子どもの代わりになる何かがいずれは必要でしたから」


 クロさんに口に出して言われると私はやっぱりドキリとした。昨日の夜に私は失った胎児の代理としてシラタマを受け入れる決断をした。擬似的な出産を経験するためだった。私が生霊に奪われて失った子宮はヤミカさんから溢れ出た部分でもある。ヤミカさんにも緊張が走ったのが分かった。


「クロさん…胎児の代わりにシラタマって…いや…何でもない。悪かった…マソホちゃんが受け入れられるなら俺は構わないよ」


「シロガネさんも…ヤミカさんが目を逸らし続けている部分にそろそろ向き合わなければならないでしょう?どうするんですか?」


「あぁ…朝からあんまり重たい話はしたくないんだよね。でもクロさんの言う通りだ。ヤミカはどうしたい?お腹の中の子」


「え…」


 私の隣でヤミカさんの身体が強張るのが分かった。ヤミカさんの手からヨーグルトが滑り落ちる。私は反射的にそれをなんとかキャッチした。


「中絶するか擬似的に出産するかの二択だ。ヤミカが選べるのは。なかったことには出来ない。どっちにしても病院に行って処置してもらわないといけない。俺は医者じゃないからな」


「ヤミカさん…!」


 私はヤミカさんの少し震える細い肩を思わず抱きしめた。


「……たい」


 振り絞るように私の耳にはかすかな声が聞こえた。私は頷いた。シロガネさんに伝えると、シロガネさんも静かに頷いた。


「ヤミカ、今日一緒に病院に行こう。予約入れておくから」


 ヤミカさんは頷く。ヤミカさんの選択だ。私に口を出す権利はない。私のお腹の中ではシラタマが胎児のようにまだ動いていた。 

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