蟲下し
第七階級の地下道から地上に出ると、近くにいた研修生らしき一団がとても驚いた顔をした。彼らは二十人ほどまとまって先頭の死神に案内されているところだった。先頭の死神も驚いた表情で立ち入り禁止の空間から突然出てきた私たちを振り返った。先頭にいるのはカイナンさんだった。
「地下の清掃は終了したよ」
シロガネさんが巨大な白銀に輝く鎌を肩にかけたまま言ったのを見た複数人の女性の研修生は、明らかにザワザワした。ヤミカさんが隣で明らかにため息をつくのが聞こえた。
「掃除は終わりましたが、まだ地下には危険な何かが潜んでいるかもしれませんので、くれぐれも夜の一人歩きは控えて下さい。足を引かれて闇に飲まれますよ」
クロさんが静かに告げるとざわめきは一気に引いて気まずそうな沈黙が訪れた。
「カイナンさんも、夜遊びがいかに危険かを具体的に話してやるといいよ。異形に喰われて魂をバラバラに引き裂かれる。痛みの訓練に到達していない研修生の中にはそれで気の狂った奴もいる。喰われて戻らなかった右手を百年の間探し続ける妄想に囚われて病院に隔離されたままの奴もいる。いいか、決まりは絶対遵守だ。俺たちは今回、行方不明になった者の欠片を救いに行った訳じゃない。回収しに行っただけだ。次なる異形の候補にならないように始末してきた。単になんとなく格好いいから、死神になってみようとか、そんな単純な理由で選んだのなら、今すぐ取り消して別の仕事についた方が身のためだよ」
シロガネさんの姿が闇に染まり一回りも二回りも大きくなったように見えた。シロガネさんに一目惚れしたような熱い視線を送っていた研修生の顔色が変わる。中には震え出して後退りした者もいた。
「それでは、我々は失礼致します。上に報告しなければならないこともありますので」
クロさんが穏やかに告げて、さりげなく私の肩に手を添えた。フブキさんとアシシさんもそばに呼び寄せて、クロさんは鎌を取り出すとその先で地面に円を描いた。一瞬のうちに視界が暗くなり、気付けば私たちはいつも講座を受けている建物の前に立っていた。
「…シロガネさん、脅し過ぎですよ?」
クロさんがやや呆れたようにシロガネさんに向かって言うとシロガネさんは笑った。
「別に嘘は言ってないだろ。それにあの集団にいたのは半数くらいが、まさに夜遊びの最中に火災に巻き込まれて亡くなった連中だ。死んだって自覚の薄い奴もいる。そういう連中は懲りずにまたフラフラしやすい」
シロガネさんの言葉に、クロさんはやれやれと言わんばかりに首を横に振った。
「毎年遊び半分で講座を受講していなくなる研修生がいるのは事実ですから何とも言えませんが…とりあえず、統括のところに顔を出しましょう。マソホさんとアシシさんの件も報告しなければなりませんし」
「はいはい、朝から統括の顔なんぞ見たくないんだけど仕方ないな。ま、行くとしますか」
シロガネさんは建物に入ってゆく。私たちもその後ろをついて行くと、近くの部屋で初歩的な講座を開いているらしく、ドアのガラス窓から知らない死神が研修生相手に説明をしているのが見えた。統括の部屋のドアをノックすると勝手に開いたが、彼は誰かと通話中だった。片手でソファーに座るような素振りをして見せたので、シロガネさんは遠慮なくソファーにどかりと腰を下ろして大きく伸びをした。手招かれて私たちも遠慮がちに座る。やがて通話を終えた統括は、悪態をついてスマホを今にも放り投げそうに手を振り上げたが、首を振って立派なデスクの上にそっと置いた。
「あぁ…ったく。勝手なことばかり次々と!シロガネ…さっさとランクを上げてあの自由人をどうにかしてくれないかな」
統括はデスクのチェアーをソファーの近くに移動して座ると顔を覆った。
「その自由人がマソホさんのお腹に蟲の卵を仕込んでいました。全部吐いたか早急に確認していただきたいのですが」
クロさんが先ほど捕獲した赤いミミズのような生き物の入った細長いガラス瓶を差し出す。統括の目付きが鋭くなった。突然何が起こったのか分からない間に私は統括に、よりによって皆が囲んでいる応接用のテーブルの上に押し倒されていた。困惑した表情のフブキさんと目が合ってしまう。
「マソホ、動くなよ?あれは孵化するとしばらくは腹の中にいるがそのうち胃や腸を食い破って体中を移動し始めるんだ…表皮を突き破って出て来ようとする。当然激痛が走る…」
私は言われた言葉にギョッとして動けなくなった。
「残党がいるな…危ない危ない。時間差で孵化するのか。これは厄介だな」
統括の手にはいつの間にか注射器があった。服をめくられてやけに太い針を刺される。薬液が入る間に痺れるような強い痛みが走った。
「蟲を殺す薬だよ…この手の代物を研修生に使用するのは禁じたのに、まだ隠し持っていたのか。蠱毒を使う呪禁師の系譜はこれだから困る…クロさん、一時的に対処するために術師の力の使用を許可するよ。マソホがいないと、クロさんはランクを上げる気にもならないだろうからね…」
統括から解放された私はクロさんによってテーブルの上から起こされる。お腹の中が変な感じがした。
「マソホ、その薬はしばらくすると腹が下って死骸を出すタイプだ…ま、頑張れ」
「…統括…散々吐いた後に腹下しって…どんだけスパルタなんですか…」
「サディスティックと言っていいよ、別に否定はしない」
シロガネさんが私に向かって気の毒そうな顔をした。私は結局ぐるぐると不穏な音を立てるお腹を抱えたまま帰宅する羽目になった。アシシさんとフブキさんはヤミカさんと共にシロガネさんについて行き、そのまま痛みの訓練へと向かう。地下道に入った後なのにみんなはよくやるなと思いつつも、さすがの私でも今のこの状況では無理だと判断がついた。クロさんは歩いて帰宅するかと思いきや建物を出ると私を突然抱き上げた。外にいた研修生が驚いて注視する。私は恥ずかしくて顔を背けた。
「クロさん…歩け…ま」
言いかけた私はけれども急激なお腹の痛みに襲われて言葉が続けられなかった。
「公衆の面前で恥ずかしい思いをさせたくはないので急ぎます」
クロさんは地面を蹴ると飛び上がる。あっという間に私はクロさんの自宅についていて、すぐにトイレにこもる羽目になった。痛みから解放されてもう終わりかと思いきやしばらくしてまた次の痛みに襲われて、もう最後の方はトイレの近くの廊下の前で私は息をするだけで精一杯になった。リビングに戻る気力もない私の腰の辺りをクロさんが撫でてくれた。
「もう少しで終わると思いますから…辛い思いをさせてすみません…」
「クロさんのせいじゃ…ない…です」
私は言い残して再びトイレに駆け込んだ。
***
ようやく痛みから解放された私はソファーに座ってクロさんの隣にいた。さりげなく腰の辺りに回されたクロさんの手は私のお腹に当てられている。クロさんは入念に何かを調べているようだった。目を閉じて集中しているので、私はピクリとも動けずにじっとしていた。
「マソホさん、私が見た限りではこれ以上は探せませんでした。ですが…彼の鎌で一度引き裂かれた経験がある以上、また蟲が湧く可能性も否定できません。なので…私の使役を使わせて下さい…」
クロさんは小さな白い毛玉のようなものを呼び出した。二センチほどの丸いもふもふした毛玉にルビー色の丸い目がついている。
「かわいい…」
思わずつぶやいた私の前でそのもふもふした生き物は口を開けた。カパリと顎が外れたようになって体よりも大きな口が開く。正直なところその見た目はどこかグロテスクだった。それに意外と細かく鋭い歯がびっしり生えていてドキリとする。
「少し見た目を変えておきました。今日はシラタマにマソホさんの身体のパトロールをしてもらいます。お腹を出して下さい」
言われた通りにお腹を出すとクロさんはシラタマと呼んだ毛玉を私のおへその位置に置いた。
「少し違和感があると思いますが我慢して下さい」
シラタマは私のおへそをぐりぐりと押す動きをし始めた。そのうちに何かが内側にすぽんと抜ける感覚がして、シラタマは私の視界から消え失せた。
「…っ!えっ?うわあっ!」
お腹の中をシラタマが動いている。私は慌てた。
「な…中で動いているんですけど!」
「はい、パトロールしてもらいますからね。違和感があるとは思いますが、明日まではこのままでいてもらいます…」
「えぇ…?」
「あのミミズのような蟲を吐いたりお腹が下るよりはマシだと思ったのですが…」
「それは…そうですけど。あっ…!ちょっ…」
予想外の場所がもぞもぞする。私は思わず変な声が出てしまって慌てた。クロさんは私の顔を見て困ったように微笑んだ。
「そんな声が出てしまうなら…今日はこのままもう家にいた方がいいかもしれませんね。他の男性には聞かせたくありません。その表情も…」
私は自分がどんな顔をしていたのか分からなかったけれど、確かに今のこの状況で誰かに会える気はしなかった。不意にクロさんの腕が伸びてきて、私の頬に触れる。私を抱き寄せながらクロさんは耳元で囁いた。
「私も…ハイアオさんと同じ力を持っているんですよ…形は違いますが…シラタマも使い方次第では悪い遊びにも使えます…しないだけです…マソホさんに嫌われたくありませんから…」
「…どんな風に…使うんですか?」
私の問いかけにクロさんは微笑んだ。
「それは、マソホさんが私の鎌を預かってくれる日が来たら教えますよ」
シラタマが私の背中の方を移動し始める。ゾワゾワして私は思わずビクリとしてしまった。
「心臓に悪いです…」
「そうですか?でも…こんな風に二人きりで過ごせるのは私は嬉しいですけどね」
クロさんはサラリと言って私の顔を覗き込んだ。
「昨日もあまり寝ていないし疲れたんじゃありませんか?少し眠ってもいいですよ?深く眠らせてあげましょうか?」
「クロさんも…寝てないですよね?」
「えぇ、ですから少しお昼寝しましょう」
クロさんが指を鳴らすとソファーの形が変わってそのままベッドになった。そのまま二人で横になってクロさんに頭を撫でられるともぞもぞしていたシラタマの動きが止まった。
「おやすみなさい、マソホさん」
クロさんの囁き声が聞こえた途端に私は急激な眠気に襲われて目を閉じてしまった。穏やかな闇に包まれるような感覚に私の意識は遠のいていった。




