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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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3/4

人形は泣かない

 昼休みに休憩スペースでお昼を食べていた結城は近くのテーブルで話している別会社の女性社員らしき三人組の会話が耳障りで、手に持った小説の内容が全く頭に入ってこなかった。諦めて本を閉じる。窓の外に目をやったが、会話は否応(いやおう)なしに耳に飛び込んできた。


「ちょっと不謹慎(ふきんしん)だってば」


「でもさ、ちょっと人を見下してるっていうかそんな感じじゃなかった?」


「美人だからそう見えるんでしょ?それに誰かと連絡先交換してたようには見えなかったのに、なんであんなことになったんだろうね?」


「…それなんだけどさ、湊口(みなとぐち)が連絡先勝手に教えちゃったらしいよ?あいつ、だから今日も休んでるんじゃないかな」


「うわーなにそれ?自分が誰からも相手にされなかったからって、そういうことするかな普通」


「だけどさぁ、社内一の美人と個性的な面白おかしい顔とを隣に並べてネタにされたら、ちょっとくらい仕返ししたくもなるんじゃない?」


「顔面悲惨なくせに必死だったもんねーあいつ。良かったぁ、巻き込まれなくて。それにいくら美人でも死んじゃったらオシマイじゃん」


 死んだ?耳に飛び込んだ単語にギョッとする。だが話している三人組にとっては、それすらが他愛のない会話に過ぎず、日常に加えるちょっとしたスパイス程度の重みしかないのだと思った。命は軽い。


(これじゃ故人も浮かばれないよなぁ…)


 そう思った結城が窓の方を見ると映り込む休憩スペース内に立ちつくす黒髪の女性の姿が見えた。結城のすぐ後ろに立っているような気配に振り返ったがそこには誰もいない。結城は目を見開いて恐る恐る窓の方を振り返る。女性はやはり立っていた。美しい人だと思うが、冷や汗が流れ落ちる。幽霊か?真っ昼間なのに?


「失礼ですが、隣いいですか?」


 声が聞こえてハッとする。結城の返答を待たずに隣に座った相手はペットボトルの水を片手に持っていた。


「振り向かないで下さい」


 彼は小声でそう言ってペットボトルの水を掌に出して後ろ目掛けて振り撒いた。


「来し方に戻りなさい。人の噂も七十五日…あなたを悪しざまに言う者は遠からず巡り巡ってその報いを受ける…ここはあなたのいるべき場所では、ありません」


 窓に映る女性の姿がすっと消え失せる。結城は目を瞬いた。


「災難でしたね。知らない誰かを哀れむからです。悪い感情ではないけれど、時にはそれで取り憑かれることもある…特に酷い亡くなり方をした者には注意することです…」


「あの…あなたは…」


 けれども彼が答える前に別の声がした。


「犬神先生!こんな所にいたんですか!いつの間にかいなくなるのは止めてくださいといつも言ってるじゃありませんか!」


「ゴメンゴメン、ちょっと野暮用でね」 


 相手は立ち上がると、呼びに現れた男性に叱られながら姿を消した。



***



「ヤミカ、大丈夫?悪い夢でも見ていたのかい?」


 悲鳴を上げて目覚めると眼帯の奥に痛みが走って血が流れ落ちた。下腹部にも嫌な鈍痛が走る。ヤミカは(うめ)いた。それに何故か全身ずぶ濡れだ。


「ご…ごめんなさい…私」


「あやまらないの。大変なのは君の方でしょ?」


 マスターは後ろからヤミカの眼帯を外してダラダラと溢れ出る血を拭き取り片手で圧迫した。もう片方の手は素早く下腹部に当てる。そうしないと血塗れのおかしなものが出てくるせいだった。毎回おぞましい光景だと思うが自分ではどうにもできない。ヤミカは観念して背中をマスターに預けた。身体が徐々に乾いてゆく。

 殴られたときに嫌な音が脳内に響いて左眼が見えなくなった。腹も何度も殴られて何が何だか分からなくなった。お前が笑いかけたのが悪い、そう言われた。痛みと共に毎回その時の記憶を反芻(はんすう)してしまう。繰り返し繰り返し。もういい加減に忘れたい。


「…また向こう側に行ってしまったんだね…顔見知りの誰かが君の話でもしていたんだろう。人の不幸は蜜の味と言うからね…」


「私…こんなんじゃ…いつまで経っても…死神になれない…あの子も…養成講座に通うんですよね?」


「あぁ、マシロちゃん?クロさんは内心では反対しているけどね」


「えっ?そう…なんですか?」


 そんな風には見えなかったのに意外だと思った。マスターの力でヤミカは今のところ何とか異形化を免れている。あのマシロという子もそうなのだろうかと思った。身体の痛みが少しずつマシになる。死んでも痛いだなんて聞いていない。解放されると思ったのが浅はかだった。むしろ酷い。


「あの子も…酷い亡くなり方をしたのに…どうして…あんな風に…笑えるの?」


 ヤミカのつぶやきにマスターは首を横に振る。優しく微笑むマシロはいつ会っても穏やかだ。


「笑っているように見えるけれど、あの子も本当の意味では笑っていないよ。ヤミカもあの子も突然命を奪われたのは同じだからね…」


 マスターは下腹部を抑える手に力を込めた。腹を突き破って出てくるのではないかと思ったそれは抵抗しながらもマスターの力に屈して動きを弱める。ヤミカの血塗れの顔を拭き清めてマスターは頭を撫でた。


「君は笑わないし、あの子も心の底から笑ってはいないんだ。きっと君たちは仲良くなれるはずだよ?だから、もっと話をするといいと僕は思うよ」


「私…もう…仲良しごっこは疲れたんです…」


 ヤミカは小さな息を吐いて目を閉じる。マスターの手は心地良い。少しだけ生きていた頃の温もりを思い出す。


「ま、それにたとえ死神になれなくても、ここで働いてくれていたら僕も助かるからね…好きなだけいるといいよ。」


「私…役に立ててますか…?」


 ヤミカの言葉にマスターは微笑んで頷いた。


「じゅうぶん役に立っているよ。それに君はそのことを気にする必要はないんだ。僕がお節介で君のことを引き受けただけなんだから」


 死神の後輩が困ったようにヤミカの手を引いてカフェの扉を叩いたのは一週間ほど前のことだった。腹からうねうねとした黒い手のような形のものを数本生やし異形化しかけたヤミカを引き連れて。


「この人、僕の手に余りますよ!先生!」


 少年姿の死神は泣き出しそうな表情でそう叫んだ。そんな彼から自分が引き受けて今日に至る。現世に残された者の恨みつらみが多いと時としてこういうことも起こる。生きている者は勝手だ。死者をなおも冒瀆(ぼうとく)する。仲良しごっこが疲れたと言ったヤミカの言葉が胸に刺さった。


「私…このままだと…形が…変わってしまいますか…?」


「そうはさせないよ、だから安心して」


 マスターはヤミカの眼帯を新しいものに取り替えながら言った。ヤミカはなかなか失った目を再生できない。思い出そうとすると血が流れる。失った状況が状況だからだとマスターは思った。


(マシロちゃんも…服の下はまだ血塗れなんだよね…周りにそうは見えないようにしているけど…それをじっと耐えて見守っているクロさんもしんどいだろうなぁ…)


 死神に死を悼む感覚はないと言われている。果たして本当にそうだろうかとマスターは思う。死神の鎌を剥奪(はくだつ)されているせいか自分は少なくとも以前よりも感情が動く。ヤミカもマシロも若くて美しい命を無残に散らされて可哀想だと思う。


「たった一度食事しただけの相手ですら…こんなに恨めしいのに…あの子は…誰でも良かったなんて言われて殺されて…私だったら…悔しくてやり切れない…」


 マスターに背中を預けたままヤミカがそっと吐き出すようにつぶやいた。



***

 


 二人がそんな会話をしているとも知らずに、その頃私はクロさんと共に降りた停留所から少し歩いて小高い丘のような場所に辿り着いていた。丘の上には一本の木が立っている。遠目から見た私はどこかその木に見覚えがあると思ってハッと声を上げた。


「クロさん!この木って…もしかして…!」


 クロさんは微笑んで頷く。


「あなたが愚息に託したガジュマルの木ですよ」


「…どうしてこんな所に?」


 丘を上りながら私が振り返るとクロさんは言った。


「ここはマシロさんの心象風景でもあるので、見たいものが見られるんですよ。木陰で少し休みましょうか」


 クロさんは私に追いついてきて丘の上に辿り着くと、どこからともなく洒落たレジャーシートを取り出して地面に敷いた。


「どうぞ、マシロさん」


「あ、ありがとうございます…」


 私はそっと腰を下ろすと、隣にクロさんも座った。私はそこからあるはずの街を見下そうと思ったが目を凝らしてもボヤけて何も見えなかった。


「マシロさん…」


 クロさんの声の調子がいつもと違って聞こえて私は少し身構えた。言いたくないことを告げるときのクロさんの口調だ。私は膝を抱えて縮こまった。


「そろそろ傷を…止血しましょう…」


「大丈夫です…なんともありません」


 クロさんは私の頭を撫でた。大丈夫、大丈夫。私は怪我なんかしていない。傷なんか一つもない。この世界は自分の思うように変えられる。痛くない。全然痛くない。私はもう元気だ。


(誰か助けて…)


 声の代わりに裂けた喉から血が溢れ出す。違う、あれは私じゃない。助けは誰も来ない。固まる人、逃げ出す人。阿鼻叫喚(あびきょうかん)(かまびす)しい。赤に染まる。私じゃない。


「マシロさん!」


 クロさんに両肩を掴まれて私は顔を上げた。黒いコートの下はすでに真っ赤に染まっている。振り返ると私の歩いてきた場所には血塗れの足跡が点々と続いていた。私は全然白くない。全身赤に染まっている。


「ごめんなさい…こんなに…汚してしまって…」


 私は笑おうとして初めて失敗した。歪んだ口元が震えてしまった。泣いてはダメだ。こんなことで泣いていてはきっと死神にはなれない。


「マシロさん、いいんですよ。あなたにはまだ泣く権利があるんです。叶わない願いを叫んだっていい。あなたは、本当はどうして欲しかったですか?」


 私は顔を覆った。泣きたくない。負けるみたいでみっともない。泣いたらどうにでもなると思ってズルいよね、いつだったか、そう言われた日から私は人前で涙を流すことを止めた。その代わりに微笑むことにした。あの日もそうやって楽しくもないのに無理矢理微笑んで、周囲の会話に合わせていた。今流行りの映画の話。人気のドラマの話。これから映画化される予定の話題の小説の話。広く浅く網羅してそつなく会話をこなす。ノルマ、タスク、どう呼び替えてもいい。この場さえ乗り切ればいつもの日常に戻れるはずだった。それが二度と戻れない非日常への一歩に繋がっているとも知らずに。少し遅くなって普段は通らない道を通った。まばらだが人通りもある道だった。向かいから歩いてきた人がいきなり私にぶつかった。刺されたと気付くのに少し間があった。


「私は…本当は…死にたくなんかなかった!助けて欲しかった!怖かった…逃げたかった…どうして私なの!?誰でも良かったなら、私じゃなくたって良かったじゃない!痛いよ…痛かった…!今だって痛いっ…!助けて!助けてよ!クロさんっ!」


 声を大にして叫ぶ私をクロさんは抱き留めて今まで一度も取り出さなかった死神の鎌を取り出した。私の残した血の足跡を辿って、得体の知れないモノたちが集まりつつあった。


(欲シイ…欲シイ…赤イ血…旨ソウダ…)


(オイデ、コッチニ…オイデ)


(若イノニ可哀想ニ…)


「今、助けます。しっかり私に掴まっていて絶対に離れないで下さい。私も離すつもりはありませんが」


 クロさんは一番近くに来ていた影に向かって低くつぶやいた。


「死神の鎌の斬れ味をその身をもって試したいか?塵となって消えたくなければ()くと()ね!」


 クロさんが鎌を振ると影は慌てたように散り散りになって去ってゆく。鎌を振ると同時に私の残した血の足跡も消え去っていた。クロさんの手の触れた場所から焼けるような痛みが引いてゆく。気付けば私は涙を流していた。手の甲で拭うとその涙すら赤かった。涙ではなく流れたのは血だった。


(ズルイ…ズルイ…憎イ…憎イ…)


 影の去った後に残ったのは、バスに乗り込んできた女の顔を持った異形だった。異形は死神の鎌も恐れずにどんどん近付いてくる。なのに唐突に脳内を過った記憶に私は凍り付いた。


『あのね…来ないの…』


 マコトはスマホから顔を上げない。私は勇気を出してもう一度言った。


『マコト、あのね…生理が来ないの…』


 ふーん、とマコトは気乗りしないような返事をして何の反応もしなかった。何が起こっているのか分かっているのだろうか。スマホのゲームに彼は集中していたが、不意に舌打ちをする。ゲームに負けたのだと思ったが、まるで自分にされたような気がした。


『聞いてなかった、何か言った?』


 なんでもない、と私は首を横に振る。どうしよう。病院へ行くべきか。なんでもない、私は大丈夫。きっと気のせいだ。駅のホームでもずっと伝えるタイミングを待っていた。だが彼は言った。


『杏果といても、つまらないんだよね』


 ポキンと何かが折れた気がした。無理だ。伝えられない。この先マコトと家庭を持つイメージが全く沸かなかった。


『もう無理。私たち別れよう。さようなら』


 気付けば口からそんな言葉が出ていた。


(ズルイ…忘レラレナイ…ナンテ…ズルイ…)


「なにがズルいの!?だったらあなたが告白すればいいじゃない!そんな勇気もないくせに、勝手にズルいだなんて言わないで!私はもう死んでるのに生きてるあなたに恨まれる筋合いなんかないよ!自分に都合のいいようにこれ以上私のイメージを作り変えないで!めった刺しにされて死んだ私のどこが羨ましいの!お陰でお腹にいた赤ちゃんも一緒に死んじゃったよ!」


 私は思わず叫んでいた。目の前の異形はキーキーと耳障りな悲鳴を上げて対抗してきた。(うごめ)く脚が地団駄を踏むようにジタバタと暴れる。あの朝慌ただしく出たのは、妊娠検査薬が陽性を示したせいでぼんやりしてしまったせいもあった。目の前の現実から逃れたくて、たまたま誘ってきた会社の同僚数名と食事に行った。念の為にアルコールは飲まなかった。どうしたらいいか分からなくて、誰にも相談すらできなかった。


「あなたは狭間をさまよい過ぎた…その姿で人の器に戻っても収まりきらずに、またさまよい出るだけだ…少し多過ぎるモノはこちらに置いて戻りなさい。彼女の言う通り、死んだ魂を羨むのはお門違いだ…」


 クロさんの声を果たして聞いていたのか、なおも喚きながら異形の首がその時突然長く伸びた。それはあまりに一瞬の出来事で私もクロさんも反応が遅れた。伸びた首は私の下腹部に噛み付く。ゴリッという嫌な音と共に肉が持っていかれた。


「マシロさん!!」


 再び血塗れになって倒れた私にクロさんが叫ぶのが聞こえたが、私の記憶はそこでプツリと途切れた。 

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