足を引くもの
「はーい。注目!目星がついたから後方支援の死神と研修生は解散していいわよ。該当区画に今、捜索している死神が集まったから。ただこれから名前を呼ぶ子たちは残ってちょうだい。このブースから担当の死神が単独で現場に直行した研修生よ。マソホさん、アシシくん、ヨルくん」
「それではお先に」
ホムラさんが私たちに声をかけてホウカさんとブースから出てゆく。やがてもう一人の青年が私たちの方を見て小さく一礼をした。
「ヨルです。どうも」
ヨルさんの肩のシールも波紋の紫だった。ヨルさんも私の肩を見た気がしたけれども、特に触れてはこなかった。
「私はマソホです。アシシさんは今話せないのですが…こちらが、アシシさんです」
「…知ってます。アシシのことは。それで…本当に悪かった。下らない噂話を鵜呑みにして、アシシのことを避けたりして…許してほしい」
ヨルさんは突然アシシさんに向かって頭を下げる。アシシさんは驚いた顔をして首を横に振った。
「気にしなくていいって、言いたいみたいよ?」
ミランさんが真っ赤な唇で微笑んで二人を見る。そうして不意に点滅している光を見つめた。
「アシシくんも、ヨルくんも…その程度で済んで良かったわよ?あなたたちの顔見知りのキリくんは…第五階級の死神の居住区画の地下道に巣食う複数の異形に喰われてしまったのよ。夜に出歩くなって決まりは無意味にある訳じゃないの。闇の中にはその足を引っ張ろうと常に窺っている存在があると思っていた方がいいわ…」
さりげなく怖いことを言われたことに私は気付く。複数の異形に喰われたと。だからキリさんの気配があちこちに散らばっていたのだと理解して、私は思わず無意識のうちに自分のお腹を押さえていた。
「あ、ごめんなさいね、マソホさん。でも喰われたことがあるなら分かるでしょ。あなたの場合は真っ昼間に第一階級特別区の死神も同行していたにも関わらず異形化した生霊に襲われたレアなケースだから。ホント鎌で斬っちゃダメな相手って厄介よね…」
そう言ってミランさんは長い袖をめくって見せた。何もない腕に縫合跡が現れる。
「私もね、研修生時代に悪さをして引っ張られたことがあるのよ。そのときの傷がこれ。マソホさんは生霊に喰われて埋めたお腹をハイアオの鎌で斬られたでしょ?クロガネちゃんに塞いでもらったみたいだけど…履歴は残るのよ?分かる?なかったことにはならないの。だから無茶はしちゃダメ。なんでそんなに動けるのよ…いくらたくさん刺されたことがあるからって、あなたは自分に対しては無頓着過ぎるのかもしれないわね。もう少し拘っても良さそうなものなのに…」
アシシさんもミランさんの言葉に頷いた。どこに対して頷いたのだろうと思っていたらミランさんが笑った。
「自分は刺されたことがなかったから痛みの訓練のとき怖かったって?そりゃ怖いわよね。マソホさんは一回や二回なんて刺されたうちに入らないみたいな顔してたって?頼もしいけど…なかなかそんな風にはならないのよ?」
「痛みの訓練…俺なんて…今日はクリアできませんでしたよ…」
ヨルさんが思い出したのか身震いをする。
「でも、ここに来る前に見たけどアシシは一回でクリアしてたよな?フブキさんもだけど。担当の死神が特別区の死神だからだなんて言ってた奴もいたけど、そんな訳ないよな?」
「うーん、それはどうかしら?どちらかって言うと特別区の死神の担当してる女の子たちが特殊だからその影響を受けて合格できたってところなのかしら?どう?」
私はミランさんに言われてどう答えたものか困ってしまった。
「…私…滅多刺しにされて死んだので…どうにも感覚がおかしいみたいなんです。だからハイアオさんの鎌で斬られても大したことないって誤認してるって言われちゃいました…その影響をアシシさんたちに与えてしまったのだとしたら申し訳ないというか…今はそんな気持ちです…」
ミランさんは私の頭を撫でた。
「あなたは自分を可哀想って思わないのね?感覚がおかしいなんて言葉で済ませちゃって…あなたは誰が見たって酷い殺され方をしたのよ?たまたまそこを通りかかっただけなのに。無自覚の呪詛って怖いわね。殺意を抱えた人のベクトルがあなたに向くように仕向けられてしまうんだから…」
ミランさんの手はハイアオさんの鎌で斬られた縫合跡を辿る。服の上からなのに見えているのだろうかと思ったら私は少し恥ずかしくなった。
「二人分の命を抱えて亡くなった子は苦労もするけれど強い死神になることが多いのよ。無念が多いからだとも言われてるわ。でも、あなたにはあまりその自覚はないのね。意外だったわ。喰われて失ってしまったからなのかしら」
「分かりません…でも…正直なところ…元カレの子どもって…どうしていいか分からなかったんです。伝えようとして、でも聞き逃されてそのまま別れてしまったから。生きてたらどうしてたんだろう…今よりも、もっと困っていたかもしれません」
私は思わず笑ってしまった。アシシさんとヨルさんがギョッとした顔をするのが分かったけれど、私は止められなかった。
「あの人は、私が妊娠したって伝えようとして…すごく緊張して話しているときもずっとスマホでゲームをしていたんです。で、負けたら舌打ちをして…私といてもつまらないって言ったんですよ?そんな人と家庭を持っても子育てなんかできる気がしませんでした。もうどっちにしても無理だったんです。私が死んで向こうもホッとしてるかもしれません。いつも連絡していた仲良しの幼馴染とでも結婚すればいいんですよ。私は最初からいてもいなくても同じだったんですから」
私は再びみじめな気分になってしまい自己嫌悪に陥った。思わず自分の口を押さえる。噛み締めた口の中に血の味が広がった。地面に血が垂れた。
「マソホさん!!」
ミランさんが慌てた顔をしてものすごい力で私の口をこじ開けて指を突っ込んだ。
「噛み切るなら自分の舌じゃなくて私の指にしなさい!!噛み切れるものならね!ほんとにとんでもない子ね。何も舌を噛み切らなくたって言いたいことをぶちまけていいのよ?あなたは何でも我慢し過ぎなんだから!」
私は無意識のうちに噛み締めようとしていた口の力を抜いた。ミランさんはそれでもしばらく口の中に指を入れていた。ようやく指を抜かれて私はやっとのことで息をした。
「そこの男性諸君、研修生になって鎌の具現化が出来るようになっても、うかつにその辺の女の子と遊ぶのは危険って理由はこういうことよ?特別区の死神対応になる女の子はただ美しいだけじゃないの。とても恐ろしい思いをして抱えている闇の深さはあなたたちとは桁違いなの。でもねマソホさん、一つ勘違いしていることを教えてあげる。あなたの元カレにはね、幼馴染なんていなかったのよ。幼馴染だと思い込まされていたの。無意識に彼女が放った呪詛によってね。スマホから目を離せなくなったのもそう仕向けられたから。そして彼は今別の呪いに自ら足を突っ込んでしまったのよ」
「…別の呪い…?」
「そう。死んでしまった美しい元カノの死亡記事…ネットの海に浮遊するその記事を彼は今も拾い続けている。自分の子を身籠って亡くなった彼女の記事を、ほんの些細な記録でもいいから目を通さずにはいられないのよ。どんな風に亡くなったのかも事細かに彼は記憶している。もうゲームをする暇すらないのよ…」
「え…なにそれ気持ち悪い…」
思わず私は言ってしまって、ミランさんは私の顔を意外そうに見つめた。そうして吹き出した。
「気持ち悪いって…何よその感想!!あなたが死んでから彼はようやく自分の失ったものの大きさに気づいたのよ?それを気持ち悪いって…もうっ!つくづく面白い子ね、あなたって」
「だって、今更ですよ?私死んじゃってるんですから。交際開始の記念日かつ自分の誕生日に。こんなに最悪な死に方したら、さすがに別れても忘れられないものなんですね…生きていたときにはとことん無関心だったくせに死んだら興味を持つとか、単に美化してるだけじゃないですか。気持ち悪いとしか言いようがないですよ。私の死んだ現場を見せたら一気にその夢も覚めるかもしれないですね。出来の悪いスプラッタ映画か何かみたいで非現実的でしたけど」
私は言いたいことを吐き出して少しスッキリした。そうしてその場にミランさんだけではなく、アシシさんもヨルさんもいたことを思い出したけれど、後悔はしていなかった。
「俺…勘違いしてました。マソホさんのこと…」
ヨルさんに言われて私はやってしまったと思った。けれどもヨルさんはニヤッと笑った。
「いや、元カレが気持ち悪いって…ウケるんですけど。あ、失礼なこと言ってすみません。でもマジでそいつ気持ち悪い。だったら生きてる間にもっとちゃんと向き合えって話ですよ。こんな美人の彼女がいてゲームに夢中とか…俺的にはあり得ないし…あ、でもやることはやってたんですよね。だからデキちゃったんだし…ちなみに元カレ、上手かったんですか?」
アシシさんが眉間にしわを寄せてヨルさんを肘で小突く。私はヨルさんの言葉に面食らった。男性にそんなことを面と向かって聞かれたことはなかった。少し考えて私は言ってしまった。
「……多分…上手くなかったと思う…私が…不感症なのかもしれないけど…全然…。だから正直したくなかった…結局、大丈夫って言ってたくせに失敗したし…」
「あぁ…お察しします…って、俺、猥談は得意なんですけど、この見た目で未経験なんですよ…死に方としては最悪に格好悪いやつです。アシシなんて、憧れのアイドルに初キスを強引に奪われてこの始末…格好悪いんですよ、俺ら。ホントの幼馴染なんです。俺はアイドルの胸を触らせてもらって、波紋の紫ですよ…マジで死んでもずっと格好悪い…」
アシシさんは喉の奥で抗議の声を上げてヨルさんの頭を今度こそパシッと叩いた。二人ともわりと派手な見た目をしているのに、その方が私は意外だった。見ればずっと後ろに隠していたヨルさんの右手には小ぶりなサンドイッチメーカーがくっついていた。触った方の手が異形化したようだった。
「だからってマソホさんにキスしてもらおうとか、そういうやましいことを考えちゃダメよ?それに、最近クロガネちゃんが周囲にカミングアウトしたから言っちゃうけど、マソホさんとキスしたらクロガネちゃんと間接キスすることになるんだから…私だったらシビれるけど、あなたたちは怖くて出来ないでしょ?クロガネちゃんの来世の伴侶はマソホさんなんだから、ま、当然の権利な訳だけど…」
「えーっ!それマジっすか?」
ヨルさんが声を上げたところで、ブースに人影が現れた。実にタイミングの悪いところで戻ってきたクロさんが私の方を見て微笑んだ。
「おかえりなさい、クロさん」
クロさんはその場に漂う何とも言えない微妙な空気を読んだのか、ミランさんを見て不審そうな顔をした。
「ミランさん、若者たちにいったい何を言ったんですか?」




