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死神は残業をしない  作者: 樹弦


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傷を塞ぐ

 喫茶店に戻ってから私はすぐにクロさんの手によって傷口を塞がれることになった。二階の寝室に運ばれた私は服をめくってお腹を出した状態で横たわっていた。クロさんは私にはよく分からない薬を数種類混ぜて私のお腹に塗ってゆく。しばらくするとお腹の感覚がなくなってきた。おもむろにクロさんが針を取り出したので私はドキリとした。


「あの…」


「私が縫います。この場合は縫う行為がむしろ重要です。マソホさんが(こぼ)れないように私がきっちり塞ぎます。楽にしていて下さいね。糸は何色にしますか?目立つ色の方が認識しやすいかもしれません」


「えっ?色…ですか?じゃあ…赤で…」


「分かりました」


 クロさんは赤い糸を出すと本当に私のお腹を縫い始めた。特に痛いとかそういう感覚はなかったけれど、糸がすうっと通る感覚はなんとなく感じるような気がした。すうっすうっと糸が一針ずつ進んでゆく。クロさんの手によって塞がれているのが分かった。クロさんはひたすら無言で縫い進めてゆく。途方もなく長い時間が流れた気がした。私は沈黙に耐え切れずにとうとう口を開いた。


「今日は…ごめんなさい…」


 クロさんはゆっくりと糸を通してから顔を上げた。


「…マソホさんは、ミアさんがツブシさんになってしまって…すでにあちこち欠けていることに気付いてしまったんですね。それが分かるのは一部を失ったことがあるからです…逆に浴びせられたものが多過ぎて溢れているヤミカさんにはあの光景が見えません…同じ傷には気付きやすい…だからあなたは無意識にツブシさんと同じ色の糸を選んだ…」


「私は…」


「マソホさんの唇も少しの間、塞いでしまいましょうか…縫い終わりましたよ…」


 残りの糸を切ってから不意にクロさんは私の顔を覗き込む。少し怒ったような顔をしていた。


「マソホさん、もっと自分を大切にして下さい…分かりましたね?そうしないと私も…あなたを塞いで欠けないようにずっと閉じ込めてしまいたくなります…」


「クロさん…もっと…塞いで下さい…」


 気付けば私はクロさんと唇を重ねていた。自分の姿のことなどその瞬間はすっかり忘れていた。私たちはしばらくの間抱きしめ合ってそうしていた。前に交わしたあっさりした口付けとは違って今日のそれはどこか生々しかった。それでも私はそれが今一番必要な行為なのだと感じていた。ようやくクロさんの顔が離れる。


「マソホさん…元に戻りましたね…」


 私の前にクロさんがそっと鏡を差し出した。いつの間にか私は大人の姿に戻っていた。起き上がると少し不器用そうな、けれども丁寧に一針ずつ縫ったと分かる糸目がお腹の上にずっと続いていた。私が指先で辿るとクロさんはどことなく恥ずかしそうな顔をして小声で言った。


「縫うのは…あまり得意ではないんです…すみません」


「いいえ、大丈夫です。クロさんが縫ってくれたことに意味があるんですから」


 私が言うとクロさんは私の頭を撫でた。それから頬に触れる。いつもよりも今日のクロさんはどこか親密な気がした。二人で喫茶店に戻るのが何となく気恥ずかしくなって、私は俯いて階段を降りる。喫茶店ではアシシさんが奥のソファーに横たわっていた。アシシさんは黒いマスクをしていた。アシシさんは、私の姿を見るとなぜか気まずそうな顔をした。


「マソホちゃん、元に戻ったんだね。良かった良かった。あぁ、アシシは絶対に舌を噛めないように口の中を固定してるから、しばらくは話せないよ」


 シロガネさんはそう言ってソファーの上のアシシさんに向かって言った。


「アシシが気にし過ぎなんだよ。周りにはマスクをしてるようにしか見えてない。どっちかって言うとアシシがさっき見たカサイのイメージに引っ張られてるんだ。だから口枷をつけられてて恥ずかしいって思ってるんだよ…」


「アシシ、本当にマスクにしか見えないよ?」


 少し離れたところで新聞を読みながら珈琲を飲んでいるフブキさんが言ったので私も頷いた。それでもアシシさんは片腕で目元を覆ってしまう。


「ま、ちょっとの間そっとしておこう。クロさんもマソホちゃんも昼、食べちゃいなよ」


 ヤミカさんが二人分の昼食をテーブルに置いてくれた。クロさんと私は向かい合わせに座った。サラダを食べてドレッシングの味も美味しく感じた私はホッとする。ヤミカさんが二人分の珈琲を持ってきてくれたので、バゲットを食べてから一口飲んでみた。


「珈琲も美味しい!!」


 私が言うとクロさんが微笑む。


「良かったですね」


「はい。やっと味覚も戻りました」


 昼食を食べ終えると少し広いテーブルに皆で集まって今後のスケジュールを確認した。


「最初の予定ではアシシも行けると思っていたから四人で行動しようかと思っていたけど…クロさんはマソホちゃんとアシシと一緒に留守番だね…」


 シロガネさんの言葉に私のみならず、ソファーで横になっていたアシシさんも慌てて起き上がった。


「私はもう大丈夫です」


 私の言葉にシロガネさんは苦笑する。


「マソホちゃん、三十センチくらいクロさんに縫ってもらったのに何を言ってるの?ハイアオの鎌を甘く見ない方がいいよ?」


 私は思わずクロさんの顔を見てしまった。


「マソホさん、私もシロガネさんの意見に賛成です。ですが…何もしない訳ではありません…後方支援に回ります」


「…後方支援…にしたって…それやっちゃうと指導官としては鬼の方にカウントされるよ?」


「分かっていますが、マソホさんはそうでもしないと納得できそうにないので…」


 シロガネさんはこちらにやって来ると私の肩に大きな白いシールをベタっと貼り付けた。シールはすぐに赤に変わる。アシシさんのシールは紫になった。ヤミカさんとフブキさんは白のままだった。


「…何ですかこれ…?」


 首を傾げる私にヤミカさんがテキストの付属の一覧を開いて見せてくれた。


「赤は…鎌による負傷が十センチ以上の場合…?要安静って…そんな大げさな。紫は…波紋?こちらも要観察…?」


「そういうこと。アシシはミア絡みの案件に巻き込まれていて行方不明の子もミア絡みだ。特定の研修生に関わっていたことで生じた不調を波紋と呼ぶ」


 シロガネさんは真面目な顔をして私を見た。


「いいかい、マソホちゃん。落ち着いてよく聞くんだ。ランクA以上の死神の鎌で切られた場合、五センチでも普通はそんな風に平然とはしていられないのがほとんどなんだ。何かしらの不調が生じる。でも君は亡くなった際にたくさん刺された。何ヶ所刺された?」


「シロガネさん!!」


 クロさんが珍しく声を荒げた。けれども私は思ったよりも平気で冷静だった。


「三十六ヶ所…です…」


「そう。使用されたサバイバルナイフの刃幅は二十五ミリ。単純計算でも君が刺された際に出来た刃物の傷の長さの合計は約九十センチ…そうして今回ハイアオの鎌のつけた傷の長さは約三十センチ…君はそれを自身の死を超える事象としては認識出来なかった。三分の一程度の傷なら大したことはないと誤認したんだ…」


「え…?そう…なんですか?」


 私はどんな顔をしていいのか分からずに困って周りを見回した。フブキさんも何とも言えない表情をしていた。私は不意にヤミカさんに抱きしめられた。


「もしも私が斬られてたら、マソホみたいには動けてないって」


「そのシールは後方支援に回るべき研修生を選別する意味もあるんだ。だからマソホちゃんは後方支援どころか本来なら病院にいてもおかしくはない危険な状態ってこと。そしてレッドレベルのマソホちゃんが平然と動いているから、この場合はアシシにも良くも悪くも影響を与える。アシシは今自分が超絶格好悪いと思っている。たかが波紋のパープルレベルなのに、なんて自分はちっぽけなマスク如きの見た目に囚われて何をウジウジしているんだろう、ってね」


「シロガネさん…言い方が意地悪ですよ?」


 ヤミカさんに言われてシロガネさんはニヤリと笑った。


「男はさ格好つけたいのよ。特に可愛い女の子が近くにいるとさ。余計にそうしたい生き物なの。ね、フブキ?」


「あのっ…!!なんでこっちに振ってくるんですか!?」


 フブキさんがうろたえる。


「だって、今日の痛みの訓練といい、女の子たちの方が強かったでしょ?そういうのを間近で見せられたら格好悪いところを少しでも隠したいって、無理して頑張っちゃうの。大概の男は。悪いことじゃないよ。無意識のうちに女の子は守るべきものだって思考の上にその気持ちが乗っかっているんだから、むしろ男としては正常な思考回路だと思うんだ。だけどね、格好悪いことは決して悪いことじゃない。だから無理をし過ぎて悪化させるくらいなら、今すぐ虚勢を張るのは止めた方がいい」


 シロガネさんはフブキさんに歩み寄る。


「フブキ、いつまでも凍ったイメージを保ち続けるのは無理があるよ?訓練のときの傷、見せて」


「えっ…」


 フブキさんはシロガネさんの顔を見上げる。いつの間にかフブキさんの肩のシールは白から赤に染まっていた。フブキさんは刺された部分に手を当てた。その指が赤く染まる。フブキさんは長いため息をついた。


「おいで。フブキも塞がないとダメだな。ちょっと縫いに行ってくるよ」


 シロガネさんはフブキさんを連れて二階へと消える。私は呆然とした。


「もしかして…私のせいで…みんなに…無理をさせてた…?」


「違いますよ。これは単なる男のプライドの問題です。それに研修生はどんな死の記憶を抱えていても互いに切磋琢磨して上を目指すのが本来の在り方だと私は思っています。ただ…最近はそれによって思いもよらぬ方向の事件に発展する場合もあるので、死の記憶の似通った者を集めて指導官が見守るやり方に変えていたというのもあるのですが…またこの度事件が起こってしまいました…」


「じゃあ以前は違ったんですか?」


 ヤミカさんが首を傾げる。クロさんは頷いた。


「えぇ。この喫茶店の上の階にも…現在はほぼ使用していないので封鎖していますが、常時何十人もの研修生が生活していたこともありました。私とシロガネさんと、もう一人の死神とで…寮を運営していた時代もあったんですよ」


 クロさんの浮かべた微笑みがどこか寂しそうなのは、名前を出さなかった死神のことを考えているからだと思った。程なくして二階からフブキさんが降りてくる。肩のシールの色は緑になっている。要するに紫以外はトリアージタッグと同じ色なのだと私は一覧を見て理解した。確かにその理論でいくと赤いシールの私はおかしいのかもしれない。気合を入れれば色くらい変えられそうだと思って試してみても無駄だった。赤はどこまでも赤のままだ。


「さて、フブキもマソホちゃん同様にチクチク縫って塞いだからもう大丈夫。言っておくと、痛みの訓練で二度死んだみたいになっちゃって一週間昏睡状態になっちゃった研修生も過去にはいるんだから、君たちはみんな優秀な方だよ。じゃあ行きますかね」


 シロガネさんの言葉で皆が立ち上がった。

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